第33回衆議院議員総選挙
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第33回衆議院議員総選挙 | |||
---|---|---|---|
内閣 | 第1次田中角栄内閣 | ||
解散日 | 1972年(昭和47年)11月13日 | ||
解散名 | 日中解散 | ||
公示日 | 1972年(昭和47年)11月13日 | ||
投票日 | 1972年(昭和47年)12月10日 | ||
選挙制度 | 中選挙区制[注釈 1] | ||
改選数 | 491( 5)[注釈 2] | ||
議席内訳 | |||
有権者 | 満20歳以上の日本国民 | ||
有権者数 | 7376万9636人 | ||
投票率 | 71.76%(3.25%) | ||
各党別勢力 | |||
党順 | 第1党 | 第2党 | 第3党 |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 自由民主党 | 日本社会党 | 日本共産党 |
党首 | 田中角栄 | 成田知巳 | 宮本顕治 |
就任日 | 1972年7月 | 1968年11月 | 1958年8月 |
前回選挙 | 288 | 90 | 14 |
選挙前議席 | 297 | 87 | 14 |
獲得議席 | 271 | 118 | 38 |
増減 | 26 | 31 | 24 |
得票数 | 2456万3199票 | 1147万8742票 | 549万6827票 |
得票率 | 46.85% | 21.90% | 10.49% |
得票率増減 | 0.78% | 0.46% | 3.68% |
党順 | 第4党 | 第5党 | |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 公明党 | 民社党 | |
党首 | 竹入義勝 | 春日一幸 | |
就任日 | 1967年2月 | 1971年4月 | |
前回選挙 | 47 | 31 | |
選挙前議席 | 47 | 29 | |
獲得議席 | 29 | 19 | |
増減 | 18 | 10 | |
得票数 | 443万6755票 | 366万953票 | |
得票率 | 8.46% | 6.98% | |
得票率増減 | 2.45% | 0.66% | |
選挙状況 | |||
| |||
< 1969年1976年 > | |||
第33回衆議院議員総選挙(だい33かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1972年(昭和47年)12月10日に日本で行われた国会(衆議院)議員の総選挙である。
概要
[編集]投票は日曜日に行われたが、これ以降の総選挙では、投票日が日曜に固定されている。この選挙で当選した衆議院議員は途中で衆議院解散がなかったため、辞職しない限り任期4年を満了することになった。
自民党は284議席(前回比-16、追加公認込み。以下同)と安定多数を維持したが、日中国交正常化という実績を引っさげ(日中解散)、"角栄人気"という好条件で臨んだ中、事前の予測に比べやや不振とされた。自民党の得票率そのものが大きく下がったわけではないが(-0.78%)、大勝した前回衆院選を11人上回る候補者を擁立する強気の姿勢が裏目に出た形となった[1]。また、保守系無所属を加えても、得票率では初めて5割を割るなど、前回参院選に続き、保革伯仲時代の到来を予感させる結果となった。社会党は候補を減らす安全策で118議席(+28)と、3桁を回復したが、前々回の140議席には遠く及ばなかった。共産党は1949年の第24回総選挙を上回る38議席(+24)を獲得し、また推薦した沖縄人民党候補も当選させた。一方、公明党、民社党は両党での選挙協力を始めたが、公明は言論出版妨害事件の影響もあり29議席(-18)と敗北、民社も20議席(-11)と不振だった。社会党内では、公民の不振に社公民路線派が打撃を受け、社共共闘(あるいは全野党共闘)派に弾みを付けた。しかし、社会党内には共産党に食われるという危機感も生まれた。
なお、「一票の格差」について、当時の千葉1区(一票の価値が最も軽い兵庫5区との比較で約5倍の格差。つまり選挙区内の有権者数を同数とした場合、千葉1区で当選するためには兵庫5区の5倍の票を集めないと当選できない。また、当年度の議員1人あたりの有権者数が一番多いのは大阪3区であり、兵庫5区の4.99倍であった。)の状況を最高裁判所は違憲であるとの判決を下した[2]。ただし、選挙結果については事情判決の法理によって有効とされた。
後に総理大臣を務める小泉純一郎や村山富市が初当選した選挙である。
選挙データ
[編集]内閣
[編集]解散日
[編集]解散名
[編集]- 日中解散
公示日
[編集]投票日
[編集]改選数
[編集]- 491( 5)
選挙制度
[編集]投票方法
[編集]選挙権
[編集]- 満20歳以上の日本国民
被選挙権
[編集]- 満25歳以上の日本国民(戦後生まれの被選挙権を得た)
有権者数
[編集]- 73,769,636(男性:35,671,086 女性:38,098,550)
同日実施の選挙等
[編集]- 国民投票
選挙活動
[編集]党派別立候補者数
[編集]党派 | 計 | 内訳 | 男性 | 女性 | 公示前 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
前 | 元 | 新 | ||||||
自由民主党 | 339 | 286 | 5 | 48 | 335 | 4 | 297 | |
日本社会党 | 161 | 82 | 35 | 44 | 159 | 2 | 87 | |
公明党 | 59 | 46 | 1 | 12 | 57 | 2 | 47 | |
民社党 | 65 | 27 | 8 | 30 | 64 | 1 | 29 | |
日本共産党 | 122 | 14 | 1 | 107 | 117 | 5 | 14 | |
諸派 | 15 | 2 | 1 | 12 | 14 | 1 | 0 | |
無所属 | 134 | 0 | 8 | 126 | 129 | 5 | 3 | |
総計 | 895 | 457 | 59 | 379 | 875 | 20 | 474 | |
出典:『朝日選挙大観』 |
選挙結果
[編集]党派別獲得議席
[編集]党派 | 獲得 議席 |
増減 | 得票数 | 得票率 | 公示前 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
自由民主党 | 271 | 26 | 24,563,199 | 46.85% | 297 | ||||||
日本社会党 | 118 | 31 | 11,478,742 | 21.90% | 87 | ||||||
日本共産党 | 38 | 24 | 5,496,827 | 10.49% | 14 | ||||||
公明党 | 29 | 18 | 4,436,755 | 8.46% | 47 | ||||||
民社党 | 19 | 10 | 3,660,953 | 6.98% | 29 | ||||||
諸派 | 2 | 2 | 143,019 | 0.27% | 0 | ||||||
無所属 | 14 | 11 | 2,645,582 | 5.05% | 3 | ||||||
欠員 | 0 | 17 | - | - | 17 | ||||||
総計 | 491 | 52,425,079 | 100.0% | 491 | |||||||
有効投票数(有効率) | 52,425,079 | 99.04% | |||||||||
無効票・白票数(無効率) | 510,234 | 0.96% | |||||||||
投票者数(投票率) | 52,935,313 | 71.76% | |||||||||
棄権者数(棄権率) | 20,834,323 | 28.24% | |||||||||
有権者数 | 73,769,636 | 100.0% | |||||||||
出典:総務省統計局 |
- 投票率:71.76%(前回比: 3.25%)
- 【男性:71.01%(前回比: 3.16%) 女性:72.46%(前回比: 3.34%)】
党派別当選者内訳
[編集]党派 | 計 | 内訳 | 男性 | 女性 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
前 | 元 | 新 | |||||
自由民主党 | 271 | 242 | 3 | 26 | 269 | 2 | |
日本社会党 | 118 | 68 | 24 | 26 | 116 | 2 | |
日本共産党 | 38 | 14 | 0 | 24 | 36 | 2 | |
公明党 | 29 | 26 | 1 | 2 | 29 | 0 | |
民社党 | 19 | 12 | 6 | 1 | 19 | 0 | |
諸派 | 2 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | |
無所属 | 14 | 0 | 2 | 12 | 13 | 1 | |
合計 | 491 | 364 | 36 | 91 | 484 | 7 | |
出典:『朝日選挙大観』 |
政党
[編集]
|
| |
- 諸派:2議席
- 1議席(2団体)
議員
[編集]当選者
[編集]自由民主党 日本社会党 日本共産党 公明党 民社党 沖縄社会大衆党 沖縄人民党 無所属
補欠当選等
[編集]年 | 月日 | 選挙区 | 選出 | 新旧別 | 当選者 | 所属党派 | 欠員 | 所属党派 | 欠員事由 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1973 | 12.23 | 福岡3区 | 補欠選挙 | 元 | 鬼木勝利 | 公明党 | 荒木万寿夫 | 自由民主党 | 1973.8.24死去 |
新 | 楢橋進 | 自由民主党 | 楢橋渡 | 自由民主党 | 1973.11.17死去 | ||||
- | 滋賀全県区 | (未実施) | 草野一郎平 | 自由民主党 | 1973.11.22死去 | ||||
宮城1区 | (未実施) | 愛知揆一 | 自由民主党 | 1973.11.23死去 | |||||
1974 | - | 青森1区 | (未実施) | 中村拓道 | 自由民主党 | 1974.5.28死去 | |||
京都1区 | (未実施) | 谷口善太郎 | 日本共産党 | 1974.6.8死去 | |||||
島根全県区 | (未実施) | 神門至馬夫 | 日本社会党 | 1974.12.11死去 | |||||
1975 | - | 奈良全県区 | (未実施) | 八木一男 | 日本社会党 | 1975.1.5退職[辞 1] | |||
広島1区 | (未実施) | 大原亨 | 日本社会党 | 1975.2.13退職[辞 2] | |||||
富山1区 | (未実施) | 松岡松平 | 自由民主党 | 1975.3.1死去 | |||||
東京2区 | (未実施) | 石原慎太郎 | 無所属 | 1975.3.18辞職[辞 3] | |||||
岩手2区 | (未実施) | 北山愛郎 | 日本社会党 | 1975.3.19退職[辞 4] | |||||
山口2区 | (未実施) | 佐藤栄作 | 自由民主党 | 1975.6.3死去 | |||||
茨城2区 | (未実施) | 塚原俊郎 | 自由民主党 | 1975.12.7死去 | |||||
1976 | - | 高知全県区 | (未実施) | 仮谷忠男 | 自由民主党 | 1976.1.15死去 | |||
沖縄全県区 | (未実施) | 安里積千代 | 民社党 | 1976.5.18辞職[辞 5] | |||||
大阪1区 | (未実施) | 菅野和太郎 | 自由民主党 | 1976.7.6死去 | |||||
福島1区 | (未実施) | 八百板正 | 日本社会党 | 1976.8.23辞職[辞 6] | |||||
東京2区 | (未実施)[注釈 3] | 宇都宮徳馬 | 無所属 | 1976.10.28辞職[辞 7] | |||||
出典:戦後の補欠選挙 |
初当選
[編集]- 計91名
- 後に内閣総理大臣となった小泉純一郎、村山富市を筆頭に、YKKトリオの3人(山崎拓、小泉、加藤紘一)や三塚博、瓦力、保岡興治、後の東京都知事の石原慎太郎、2021年の第49回衆議院議員総選挙で落選するまで48年間議席を守り続けた野田毅などが初当選している(ただし山崎、石原、保岡は選挙後に自民党に入党)。
- ※:参議院議員経験者
- 自由民主党
-
- 26名
- 日本社会党
-
- 26名
- 日本共産党
-
- 24名
- 公明党
-
- 2名
- 民社党
-
- 1名
- 無所属
-
- 12名
返り咲き・復帰
[編集]- 計36名
- 自由民主党
-
- 3名
- 日本社会党
-
- 24名
- 公明党
-
- 1名
- 民社党
-
- 6名
- 無所属
-
- 2名
引退
[編集]- 計20名
- 自由民主党
-
- 11名
- 日本社会党
-
- 5名
- 公明党
-
- 1名
- 民社党
-
- 3名
落選
[編集]- 計95名
- 自由民主党
-
- 44名
- 日本社会党
-
- 16名
- 公明党
-
- 20名
- 民社党
-
- 15名
記録的当選・落選者
[編集]氏名 | 政党 | 選挙区 | 記録 | |
---|---|---|---|---|
最年少当選者 | 上田茂行 | 自民 | 滋賀全県区 | 25歳7か月 |
最高齢当選者 | 千葉三郎 | 自民 | 千葉3区 | 78歳10か月 |
最多得票当選者 | 村上弘 | 共産 | 大阪3区 | 220,870票 |
最少得票当選者 | 小渕恵三 | 自民 | 群馬3区 | 37,258票 |
最多得票落選者 | 山花貞夫 | 社会 | 東京7区 | 144,415票 |
最多当選 | 三木武夫 | 自民 | 徳島全県区 | 14回(連続) |
船田中 | 自民 | 栃木1区 | 14回 |
選挙後
[編集]国会
[編集]- 衆議院議長選挙(1972年12月22日 投票者数:485 過半数:243)
- 衆議院副議長選挙(1972年12月22日 投票者数:486 過半数:244)
- 秋田大助 (自民党) :280票
- 堂森芳夫 (社会党) :206票
- 内閣総理大臣指名選挙(1972年12月22日)
- 衆議院議決(投票者数:486 過半数:244)
- 衆議院議長選挙(1973年5月29日 投票者数:459 過半数:230)
- 前尾繁三郎(自民党) :277票
- 谷口善太郎(共産党) : 40票
- 成田知巳 (社会党) : 1票
- 無効 :141票
- 内閣総理大臣指名選挙(1974年12月9日)
- 衆議院議決(投票者数:483 過半数:242)
- 三木武夫 (自民党) :278票
- 成田知巳 (社会党) :117票
- 野坂参三 (共産党) : 39票
- 竹入義勝 (公明党) : 30票
- 春日一幸 (民社党) : 19票
政党
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
脚注
[編集]注釈
[編集]当選者注釈
[編集]- 自由民主党
- 日本社会党
- 諸派
- ^ 人民党は、共産党に合流。
- 無所属
- 辞職・失職
出典
[編集]- ^ 中野士朗『田中政権 八八六日』(行政問題研究所1982年、255頁-)
- ^ “議員定数不均衡訴訟 衆議院中選挙区違憲判決(昭和51年) 上告審”. www.cc.kyoto-su.ac.jp. 2019年3月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年
- 上条末夫 (1990年3月). “衆議院総選挙における女性候補者” (PDF). 駒沢大学法学部研究紀要. 駒沢大学. 2020年4月2日閲覧。
- 石川真澄・山口二郎著『戦後政治史』岩波新書、2010年
- 神田広樹 (2014年6月). “戦後主要政党の変遷と国会内勢力の推移” (PDF). 国立国会図書館. 2019年10月閲覧。
- 佐藤令 (2005年12月). “戦後の補欠選挙” (PDF). 国立国会図書館. 2016年5月26日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 「列島改造」を問う総選挙 - NHK放送史
- 衆議院議員総選挙の定数,立候補者数,選挙当日有権者数,投票者数及び投票率(明治23年~平成17年) - 総務省統計局アーカイブ
- 衆議院議員総選挙の党派別当選者数及び得票数(昭和33年~平成5年) - 総務省統計局アーカイブ