大坪保雄
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大坪 保雄(おおつぼ やすお、1899年3月14日[1] - 1974年1月29日[2])は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員(5期)。
経歴
[編集]佐賀県生まれ。東京帝国大学法学部卒[2]。内務省入省、警保局出身。1935年、満洲国総務庁法制処長。1940年、第37代島根県知事。大阪府警察局長。1944年、第28代長野県知事。長野県知事として終戦を迎え、玉音放送を受けて、県民に終戦を告諭した[3]。1945年10月27日、知事を依願免本官となり退官[4]。公職追放となる[5]。
追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙と1953年の第25回衆議院議員総選挙に佐賀選挙区から自由党で出馬するが、落選。1955年の第27回衆議院議員総選挙で初当選。その後、自由民主党に入り1960年7月、第1次池田内閣文部政務次官。同年11月の第29回衆議院議員総選挙では落選。1963年の第30回衆議院議員総選挙で返り咲く。1964年7月、第3次池田改造内閣法務政務次官。同年11月、第1次佐藤内閣法務政務次官。1969年、衆議院文教委員長在任中に、日本社会党と公明党から解任決議案が提出されたが、否決された。1972年の第33回衆議院議員総選挙で落選し、政界引退。
1974年1月9日、心筋梗塞のため東京都目黒区の国立東京第二病院にて死去。74歳[6]。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈(勲三等からの昇叙)、正四位から従三位に叙される[7]。
役職
[編集]- 国民精神総動員本部常任理事
家族
[編集]- 息子 - 大坪健一郎(元衆議院議員)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『大衆人事録 第19版 西日本篇』帝国秘密探偵社、1957年。
- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』衆議院、1990年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。
議会 | ||
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先代 高見三郎 |
衆議院文教委員長 1968年 - 1970年 |
次代 八木徹雄 |
先代 大久保武雄 |
衆議院法務委員長 1967年 - 1968年 |
次代 永田亮一 |
官職 | ||
先代 郡山義夫 |
長野県知事 官選第29代:1944年 - 1945年 |
次代 物部薫郎 |
先代 江辺清夫 |
島根県知事 官選第37代:1940年 - 1942年 |
次代 小泉梧郎 |