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藤田高敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤田 高敏
ふじた たかとし
生年月日 1923年8月30日
出生地 愛媛県西条市
没年月日 (2016-02-15) 2016年2月15日(92歳没)
前職 衆議院議員
所属政党 (日本社会党→)
社会民主党

選挙区 旧愛媛2区
当選回数 8回
在任期間 1963年11月21日 - 1966年12月27日
1969年12月27日 - 1986年6月2日
1990年2月18日 - 1993年6月18日

当選回数 4回
在任期間 1951年 - 1963年
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藤田 高敏(ふじた たかとし、1923年8月30日 - 2016年2月15日)は、日本政治家。元衆議院議員(通算8期)。元社会民主党愛媛県連顧問。元愛媛県議会議員(通算4期)。

概要

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愛媛県西条市出身。1938年住友重機械工業に入社。その後、出征。復員後、復職、労組に加入し労働運動に携わる。

1951年、愛媛県議会議員選挙に出馬し初当選。以後4期連続当選。1963年に行われた第30回衆議院議員総選挙日本社会党公認で旧愛媛県第2区より出馬し当選。以後落選を挟んで8期の当選を果たす。

篤実な人柄で知られ、都市部では常に一定の支持層を持っていた。また、住友グループ労組の支援を受けていたものの保守系が圧倒的に強い地域ということもあり決して選挙に強いわけではなかった。

党内では中間派である社会主義フォーラムに所属、後に発展し結成された社会民主フォーラムでは93年まで代表を務めた。また、日中友好をライフワークとし、日中友好議連副会長や社会党日中特別委員会長等を務めた。

1993年に行われた第40回衆議院議員総選挙では社会党退潮のあおりを受け落選。1996年に行われた第41回衆議院議員総選挙では社会民主党公認で愛媛県第3区より出馬したが落選し、引退を表明。その後も社会民主党愛媛県連委員長を長く務め選挙の指揮などにあたった。

2002年、勲二等旭日重光章受章[1]2003年、愛媛県功労賞を受賞。

2016年2月15日老衰により死去。92歳没[2]

選挙歴

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当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第30回衆議院議員総選挙 1963年11月21日 40 旧愛媛2区 日本社会党 6万4232票 24.1% 3 1/7 /
第31回衆議院議員総選挙 1967年01月29日 43 旧愛媛2区 日本社会党 6万5票 21.9% 3 4/5 /
第32回衆議院議員総選挙 1969年12月27日 46 旧愛媛2区 日本社会党 7万8080票 27.5% 3 1/6 /
第33回衆議院議員総選挙 1972年12月10日 49 旧愛媛2区 日本社会党 6万3986票 21.9% 3 3/7 /
第34回衆議院議員総選挙 1976年12月05日 53 旧愛媛2区 日本社会党 6万8454票 21.6% 3 3/6 /
第35回衆議院議員総選挙 1979年10月07日 56 旧愛媛2区 日本社会党 6万8328票 22.8% 3 3/6 /
第36回衆議院議員総選挙 1980年06月22日 56 旧愛媛2区 日本社会党 8万4009票 26.8% 3 1/6 /
第37回衆議院議員総選挙 1983年12月18日 60 旧愛媛2区 日本社会党 6万5174票 21.3% 3 2/6 /
第38回衆議院議員総選挙 1986年07月06日 62 旧愛媛2区 日本社会党 7万259票 22.2% 3 4/5 /
第39回衆議院議員総選挙 1990年02月18日 66 旧愛媛2区 日本社会党 9万7461票 30.9% 3 1/5 /
第40回衆議院議員総選挙 1993年07月18日 69 旧愛媛2区 日本社会党 6万6789票 22.4% 3 4/5 /
第41回衆議院議員総選挙 1996年10月20日 73 愛媛3区 社会民主党 3万8484票 24.9% 1 2/4 /

脚注

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  1. ^ 「2002年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2002年11月3日朝刊
  2. ^ 元社会党衆院議員の藤田高敏さん死去 旧愛媛2区”. 朝日新聞 (2016年2月17日). 2016年2月17日閲覧。
議会
先代
米田東吾
日本の旗 衆議院災害対策特別委員長 次代
木島喜兵衛