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大野松茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大野 松茂
おおの まつしげ
文部科学大臣政務官就任に際し公表された公式肖像写真
生年月日 (1936-01-15) 1936年1月15日(88歳)
出生地 埼玉県狭山市(旧・入間川町
出身校 埼玉県立川越農業高等学校
所属政党無所属→)
自由民主党
称号 旭日重光章
埼玉県狭山市名誉市民

選挙区 埼玉9区
当選回数 4回
在任期間 1996年10月21日 - 2009年7月21日

第3代 埼玉県狭山市長
当選回数 2回
在任期間 1986年5月15日 - 1994年5月17日

当選回数 2回
在任期間 1979年4月23日 - 1986年5月1日
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大野 松茂(おおの まつしげ、1936年昭和11年)1月15日[1] - )は、日本政治家衆議院議員(4期)、内閣官房副長官埼玉県議会議員(2期)、狭山市長(3代)を歴任。狭山市名誉市民。現在は西武文理大学の特命教授である。

経歴

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2007年

政歴

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埼玉県議時代

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狭山市長時代

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  • 1986年4月1日、狭山市長町田佐一が急死。市長選挙を行う事となり、県議であった大野は出馬を9日に正式表明。
  • 「町田市政の継承」「市民参加の市政推進」などを訴え、5月18日に執り行われた狭山市長選挙において、前助役の北田保男らを破り初当選を果たした。
  • 1990年4月22日、日本共産党公認の金子健一(後1997年2009年入間市議会議員3期)を破り、市長に再選される。
  • ユニークな市政を展開する市長として岩國哲人島根県出雲市長(元・民主党衆議院議員)、佐川一信茨城県水戸市長らとともに月刊誌THE21』等で紹介される。
  • 1994年3月、町田佐一の長男で自由民主党の埼玉県議会議員だった町田潤一が市長選挙立候補を表明。4月24日の市長選挙において潤一に敗れ落選。

衆議院議員時代

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内閣官房副長官時、記者会見にて(2007年9月)

引退後

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政策

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栄典

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所属していた議員連盟

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著書

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親族

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  • 諸口会三 元自由民主党埼玉県議会議員 ・旧堀兼村長 岳父
  • 田代甲子雄 元自由民主党埼玉県議会議員 義兄
  • 諸口高男 元自由民主党埼玉県議会議員 義弟
  • 仲川幸成 前狭山市長 妻の従弟

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、106頁。
  2. ^ パーティ券リストの面々 しんぶん赤旗 2003年9月12日
  3. ^ mネット、2004年2月 国会議員への民法改正に関するアンケート
公職
先代
下村博文
日本の旗 内閣官房副長官
(政務担当・衆議院)

2007年 - 2008年
次代
塩谷立
先代
菅義偉
山崎力
日本の旗 総務副大臣
田村憲久と共同

2006年 - 2007年
次代
佐藤勉
魚住裕一郎
先代
加納時男
池坊保子
日本の旗 文部科学大臣政務官
池坊保子と共同

2002年 - 2003年
次代
田村憲久
馳浩
先代
創設
日本の旗 財務大臣政務官
砂田圭佑と共同

2001年
次代
中野清
林田彪
先代
町田佐一
狭山市旗埼玉県狭山市市長
1986年 - 1994年
次代
町田潤一