田端正広
表示
田端 正広 たばた まさひろ | |
---|---|
生年月日 | 1940年1月4日 |
出生地 | 日本 和歌山県和歌山市 |
没年月日 | 2025年1月5日(85歳没) |
死没地 | 日本 大阪府大阪市 |
出身校 | 同志社大学経済学部卒業 |
前職 | 公明新聞記者 |
所属政党 |
(公明党→) (公明新党→) (新進党→) (新党平和→) 公明党 |
称号 | 経済学士(同志社大学・1963年) |
配偶者 | 有 |
子女 | 3人(1男2女) |
公式サイト | たばた正広ホームページ(2011年9月5日時点のアーカイブ) |
選挙区 |
(旧大阪1区→) 大阪3区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1993年7月19日 - 2009年7月21日 |
田端 正広(たばた まさひろ、1940年〈昭和15年〉1月4日 - 2025年〈令和7年〉1月5日)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。
略歴
[編集]和歌山県和歌山市生まれ。大阪府立三国丘高等学校、同志社大学経済学部卒業後、公明新聞に入社。1986年の第14回参議院議員通常選挙では比例区から公明党名簿第14位に登載され立候補したが、この時には落選している。
1993年の第40回衆議院議員総選挙で公明党の公認候補として旧大阪1区(定数3)から立候補し、同区でトップ当選。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の第41回衆議院議員総選挙以降は大阪3区から新進党公認で立候補し、2期連続当選を果たした。その後は新進党の解党により新党平和を経て、再結成された公明党と所属政党を変えつつも、連続当選した。しかし5期目を目指した2009年の第45回衆議院議員総選挙では、民主党が擁立した中島正純[注釈 1]に敗れ、この選挙区では公明党公認の小選挙区候補者は党方針により比例区に重複立候補していなかったこともあり、議席を失った。
2011年10月に高齢のため、政界からの引退を表明した。大阪3区の後継候補として、比例近畿ブロック選出で中選挙区時代には旧大阪6区選出だった佐藤茂樹の擁立が決定した[1]。
2025年1月5日20時頃、肺炎のため大阪市内の自宅で死去した[2]。85歳没。
政策・主張
[編集]主な所属議員連盟
[編集]著書
[編集]- 単著
- 「循環型社会 - いま、地球のためにできること」 ヒューマンドキュメント社 2002年 ISBN 978-4434003042
- 編著
- 谷津義男・田端正広 「自然再生推進法と自然再生事業」 ぎょうせい 2004年 ISBN 978-4324073537
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “大阪3区に佐藤氏 公明党府本部”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2011年10月7日). オリジナルの2011年10月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ “田端正広さん死去 元公明党衆院議員”. 時事ドットコム (2025年1月15日). 2025年1月15日閲覧。
- ^ “衆議院議員選挙031109の当選者の回答”. 「子どもに無煙環境を」推進協議会 (2003年11月10日). 2020年11月10日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- たばた正広ホームページ - ウェイバックマシン(2011年9月5日アーカイブ分)
公職 | ||
---|---|---|
先代 加藤紀文 若松謙維 |
総務副大臣 山口俊一と共同 2003年 - 2004年 |
次代 今井宏 山本公一 |
議会 | ||
先代 北側一雄 |
衆議院科学技術委員長 2000年 |
次代 古賀一成 |