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北口博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北口博
きたぐち ひろし
生年月日 1930年11月20日
出生地 日本の旗 日本 熊本県
没年月日 (2019-11-06) 2019年11月6日(88歳没)
死没地 日本の旗 日本 熊本県熊本市
出身校 中央大学法学部卒業
前職 参議院議員秘書
所属政党自由民主党→)
無所属→)
自由民主党
称号 従四位
勲二等瑞宝章
親族 北口龍徳(義父)

選挙区 旧熊本1区
当選回数 4回
在任期間 1979年10月7日 - 1990年1月24日

選挙区 熊本市選挙区
当選回数 3回
在任期間 1967年 - ?
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北口 博(きたぐち ひろし、1930年11月20日[1] - 2019年11月6日)は、日本政治家。元自由民主党所属衆議院議員(4期)。

来歴・人物

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熊本県生まれ。1955年中央大学法学部卒業[1]後、熊本県農業協同組合中央会に勤務。岳父の参議院議員北口龍徳秘書を務めた後、1967年熊本県議会議員になる[1][注釈 1]1979年第35回衆議院議員総選挙熊本1区に無所属で立候補し初当選[3]。この時、北口を推した県議2人は自民党から除名となった[4]。以後4期務める。1985年第2次中曽根第2次改造内閣防衛政務次官1987年竹下内閣農林水産政務次官。同年、第13回先進国首脳会議(ベネチアサミット)開催に際し、中曽根康弘首相に随行。1989年中川秀直の辞任に伴い、衆議院科学技術委員長に就任。また、主要党務として副幹事長(衆議院議会運営委員会理事)等に就任。1990年第39回衆議院議員総選挙で最下位当選であった松岡利勝に368票差届かず落選した[5]。その後、1991年の熊本県知事選挙への出馬の構えも見せたが、立候補しなかった[6][7]。政界から引退。勲二等瑞宝章受章。政治信条は「一国の礎石は農業の健全化に帰する。守りと共に攻めの農業への転換起動を求めてやまず」。

2019年11月6日、肺炎のため、熊本市の病院で死去[8][9]。88歳没。死没日をもって従四位に叙される[10]

役員

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  • 日本企業行政管理士協会顧問(永世名誉職)
  • 自由民主党熊本県連副幹事長
  • 熊本市農業協同組合会長
  • 熊本県農業協同組合中央会会長
  • 熊本県農業者政治連盟委員長
  • 県立熊本工業高等学校熊工会会長

参考文献

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  • 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年)

出典

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注釈

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  1. ^ 3期目の段階では自民党所属で熊本市選出[2]

脚注

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  1. ^ a b c 産経日本紳士年鑑 第8版 上』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ 全国議員要覧 昭和53年度版』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 国民政治年鑑 1979年版』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 新聞研究 (340)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 政界春秋 18(4)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 政経人 38(1)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ [選挙の記録 平成3年 [1]]』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ “北口博氏死去(元自民党衆院議員)”. 時事通信社. (2019年11月7日). https://web.archive.org/web/20191108131933/https://www.jiji.com/jc/article?k=2019110701180&g=pol 2019年11月8日閲覧。 
  9. ^ “北口博氏が死去 元衆院議員”. 日本経済新聞. (2019年11月7日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51926050X01C19A1AC8000/ 2019年11月8日閲覧。 
  10. ^ 『官報』第145号10頁 令和元年12月4日号
議会
先代
中川秀直
日本の旗 衆議院科学技術委員長
1989年
次代
与謝野馨