松山千恵子
表示
松山 千恵子(まつやま ちえこ[1]、1914年(大正3年)3月11日[2] - 2015年(平成27年)2月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(自民党)[3]。衆議院議長や文部大臣などを歴任した松永東の長女。
松山 千恵子 まつやま ちえこ | |
---|---|
生年月日 | 1914年3月11日 |
出生地 | 東京府(現・東京都) |
没年月日 | 2015年2月6日(100歳没) |
出身校 | 明治大学専門部女子部法科卒業 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 | 従四位 |
配偶者 | 松山義雄(元衆議院議員) |
親族 |
父・松永東(元衆議院議長) 義弟・松永光(元大蔵大臣) 娘婿・舟橋功一(元川越市長) 孫・舟橋一浩(元埼玉県議会議員) |
選挙区 | 旧埼玉2区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
1960年11月20日 - 1966年12月27日 1969年12月27日 - 1972年11月13日 |
経歴
[編集]1914年、東京府(現・東京都)に出生。長崎県人・松永東の長女[4][5]。生母は、うたである[注 1]。
京華高等女学校を卒業[5]。1934年、明治大学専門部女子部法科を卒業[1][7]。1937年、長崎県諌早市出身の弁護士・松山義雄と結婚する[5]。
1960年、埼玉県第2区より、衆議院選挙に立候補し当選[8]、埼玉県初の女性代議士となった(当選3回)。厚生政務次官、郵政政務次官などを歴任した。
2015年2月6日、老衰のため死去[3][9]。100歳没。贈従四位[10]。
人物
[編集]小学校4年生の時から、父親の身勝手のために実母とひきはなされて、継母ますとの生活を余儀なくされた[5]。
家族・親族
[編集]- 父・松永東[4][6](弁護士、衆議院議員) - 1916年、開業した[4]。衆議院議長・文部大臣等歴任。
- 弟・松永光(弁護士、衆議院議員) - 松永東の養子である。文部大臣・通産大臣・大蔵大臣等歴任。
- 夫・松山義雄[2](弁護士、衆議院議員、元埼玉県副知事)
- 娘婿・舟橋功一(弁護士、元埼玉県議会議員、元川越市長) - 娘・浩子の夫。
- 孫・舟橋一浩(前埼玉県議会議員) - 功一・浩子夫妻の長男。
- 孫・海老原崇智(東京都中央区議会議員[11])
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『全日本紳士録 昭和40年版』ま68頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年3月2日閲覧。
- ^ a b c d 『大衆人事録 第25版 東日本編』ま1054頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年3月2日閲覧。
- ^ a b c “松山千恵子さんが死去 元衆院議員”. 日本経済新聞電子版 (日本経済新聞社). (2015年2月9日) 2018年9月13日閲覧。
- ^ a b c 『大衆人事録 第12版 東京篇』東京630頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。
- ^ a b c d e 『火の国健児の生涯松永東』43 - 44、132 - 134頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年3月2日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第11版 下』マ140頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。
- ^ 『明治大学一覧 昭和10年』卒業生年度別186頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第29回』129頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月14日閲覧。
- ^ 松山千恵子さん死去 郵政政務次官など歴任 朝日新聞 2015-2-9
- ^ 2015年3月6日官報
- ^ ご挨拶、中央区議会議員 海老原たかさと公式サイト。
参考文献
[編集]- 明治大学事務局編『明治大学一覧 昭和10年』明治大学事務局、1935年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937-1939年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 東京篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 第29回』衆議院事務局、1961年。
- 人事興信所編『全日本紳士録 昭和40年版』人事興信所、1965年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第25版 東日本編』帝国秘密探偵社、1966年。
- 平松伴子『流れるままに 埼玉初の女性代議士松山千恵子の軌跡』八千代出版、2002年。