栗林卓司
栗林 卓司(くりばやし たくじ、1931年(昭和6年)3月8日[1] - 1997年(平成9年)9月21日[1])は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(3期、民社党)。
来歴
[編集]本籍宮城県仙台市[2]。千葉県、現在の市川市で元陸軍主計大佐の長男として生まれる[2]。東京府立第六中学校から疎開のため栃木県立宇都宮中学校に転校[2]。学徒勤労動員により戦闘機の生産に従事した[2]。戦後に仙台に移り、宮城県仙台第二中学校を経て[2]、1954年(昭和29年)東北大学法学部を卒業した[1][2][3]。
1954年日産自動車に入り[1][3]吉原工場に配属された[2]。日産自動車労働組合(日産労組)に入り吉原支部青年部の結成に尽力[2]。1964年(昭和39年)日産労組情宣部長、1965年(昭和40年)同副組合長になる[1]。翌年日本自動車産業労働組合連合会(自動車労連)情宣局長になり[1]、1968年(昭和43年)同副会長になる[1][2]。また、自動車産業労働組合協議会(自動車労協)幹事、民社党中小企業対策副委員長、同公害対策副委員長なども務めた[2]。
1971年(昭和46年)6月の第9回参議院議員通常選挙で全国区に民社党公認で立候補して初当選[1][4]。以後、1977年(昭和52年)7月の第11回通常選挙(全国区)、1983年(昭和58年)6月の第13回通常選挙(比例区)でも再選され[5]、参議院議員に連続3期在任した[1][3]。この間、民社党中央執行委員、党機関紙局長、全日本自動車産業労働組合総連合顧問、全日本資源産業労働組合連合会顧問などを務めた[3]。1989年(平成元年)に引退[1]。1997年(平成9年)9月21日、脳内出血のため神奈川県横浜市保土ケ谷区の病院で死去、66歳[6]。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正四位に叙される[7]。