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玉置一弥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
玉置 一弥
たまき かずや
生年月日 (1944-07-08) 1944年7月8日(80歳)
出生地 日本の旗 日本 京都府相楽郡加茂町
(現・木津川市
出身校 同志社大学法学部
所属政党民社党→)
新進党→)
新党友愛→)
民主党川端グループ) 
親族 父・玉置一徳(元衆議院議員)

選挙区 比例区
当選回数 1回
在任期間 2012年1月17日 - 2013年7月28日

選挙区旧京都2区→)
京都6区→)
比例近畿ブロック
当選回数 8回
在任期間 1979年1月15日 - 1990年1月24日
1996年10月21日 - 2005年8月8日
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玉置 一弥(たまき かずや、1944年昭和19年)7月8日 ‐ )は、日本政治家民主党所属。

参議院議員(1期)、衆議院議員(8期)を歴任した。

衆議院議員民社党国会対策委員長を務めた玉置一徳は父。

来歴

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京都府相楽郡加茂町(現・木津川市)生まれ。奈良県立奈良高等学校同志社大学法学部卒業。大学卒業後、日産自動車に入社。

1979年、当時民社党国会対策委員長を務めていた父・玉置一徳衆議院議員が議員在職のまま死去したために実施された衆議院旧京都2区補欠選挙に出馬し、初当選した。その後5期連続で当選するが、1990年第39回衆議院議員総選挙で落選。1993年第40回衆議院議員総選挙でも再び落選した。1994年民社党の解党に伴い新進党結党に参加。その後新党友愛を経て、民主党に合流する。

1996年第41回衆議院議員総選挙では小選挙区比例代表並立制の導入に伴い、京都6区から出馬し6年ぶりに国政に復帰。2000年第42回衆議院議員総選挙では、選挙区で自由民主党菱田嘉明に敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、7選。2003年第43回衆議院議員総選挙では、京都6区を山井和則に譲り、京都1区に国替えして出馬。選挙区では自民党の伊吹文明に敗れたが、再度比例近畿ブロックで復活し、8選。2005年第44回衆議院議員総選挙では再び京都1区から出馬するも、選挙区で伊吹に敗れ、比例復活もならず落選した。落選後は創憲会議事務局長を務めた。

2007年第21回参議院議員通常選挙に民主党公認で比例区から出馬したが、落選(選挙時点では次点から5番目の25位)。自身より上位であった大石尚子広野允士はたともこの各氏が在職議員の死去や衆議院転出によって相次いで繰り上げ当選しており、2012年1月4日山本孝史の死去に伴い繰り上げ当選していた大石尚子が議員在職のまま死去したため、1月17日に繰上補充の選挙会が開かれ[1]、比例名簿次々点の玉置が参議院議員に繰り上げ当選した[2]

2013年第23回参議院議員通常選挙には出馬せず、任期が満了した同年7月28日をもって退任した。

現在は、議員在任中より取り組んでいた、少子高齢社会に際し懸念される医師、看護師不足を睨み外国人看護師の育成を目指したNPO国際看護師育成会理事長を務めている。

政策・主張

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  • 非喫煙者や未成年者受動喫煙から守る法律の制定に反対。その理由として「健康には自ら気をつけ、マナーを守りまわりに迷惑にならないようにすることが最も大切」と述べている[3]

脚注

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  1. ^ 2012年(平成24年)1月17日中央選挙管理会告示第3号「平成十九年七月二十九日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における当選人の繰上補充の選挙会の場所及び日時に関する件」
  2. ^ 2012年(平成24年)1月17日中央選挙管理会告示第4号「平成十九年七月二十九日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における名簿届出政党等に係る当選人の繰上補充による当選人の住所及び氏名に関する件」。本来ならばその当時の次点の斎藤勁繰り上げ当選する予定であったが、既に2009年の総選挙で当選を果たしており、当選告知日から5日以内に衆議院議員の職を辞した旨の届出をせず、その当選を失ったため。参議院議員選挙にかかる繰上補充 - 総務省“玉置一弥氏、繰り上げ当選へ…大石参院議員死去”. 読売新聞. (2012年1月11日). http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120111-OYT1T00960.htm 2012年1月11日閲覧。 
  3. ^ 衆議院議員選挙の当選者の回答”. 「子どもに無煙環境を」推進協議会 (2000年6月25日). 2020年11月8日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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議会
先代
池口修次
日本の旗 参議院東日本大震災復興特別委員長
2012年 - 2013年
次代
郡司彰
先代
川端達夫
日本の旗 衆議院安全保障委員長
2001年 - 2002年
次代
田並胤明
先代
青山丘
日本の旗 衆議院労働委員長
1997年 - 1998年
次代
田中慶秋