堀越儀郎
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堀越 儀郎(ほりこし ぎろう、1891年(明治24年)8月20日[1] - 1973年(昭和48年)6月2日[2])は、大正から昭和期の宗教家、教育者、政治家。天理大学学長、参議院議員(1期)。旧姓は村田。
経歴
[編集]奈良県添下郡郡山町(生駒郡郡山町を経て現大和郡山市)で村田忠三郎の三男として生まれ、堀越幸の養子となる[1][注釈 1]。1917年(大正6年)東京帝国大学文科大学心理学科を卒業した[1][2]。
1917年、天理中学校(現天理高等学校)教頭に就任[1][2]。以後、天理外国語学校教授、天理教信徒部長、同文教部長、天理教総務、天理教いちれつ会理事長、天理大学理事長、天理短期大学学長、天理大学学長などを務めた[1][2]。
1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して当選し[3]、緑風会に所属して参議院議員に1期在任した[2]。この間、参議院文部委員長などを務めた[2]。
1973年6月2日死去、81歳。死没日をもって従四位に叙され、銀杯一組を賜った[5]。
著作
[編集]- 『理は神』〈道友叢書 ; 第12編〉道友社、1919年。
- 述『宗教心理学概論』天理教青年会、1919年。
- 『甘露台因縁の理』地場思潮社、1925年。
- 『天理教とは如何なる宗教か』地場思潮社、1924年。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 – 貴族院・参議院議員名鑑』404頁では本籍大阪府。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第17版 下』人事興信所、1953年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
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