YMO ベスト・セレクション
『決定版 YMO ベスト・セレクション』 | ||||
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YMO の ベスト・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1978年 - 1981年 | |||
ジャンル | テクノポップ | |||
時間 | ||||
レーベル | アルファレコード | |||
YMO アルバム 年表 | ||||
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EANコード | ||||
EAN一覧
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『決定版 YMO ベスト・セレクション』 (Y.M.O. BEST SELECTION) は、YMO の2枚目となるベスト・アルバム。
1982年10月21日にカセットテープでアルファレコードよりリリースされた。
YMOのベストカセットとしては、これ以前に『BEST ONE イエロー・マジック・オーケストラ』(1980年)、『BEST ONE Y.M.O.ファミリー』(1981年)、『BEST ONE'82 YMO大全集』(1981年)などがリリースされているが、後に再リリースされる事はなく全て廃盤となっている。
本作は、初期と中期のアルバムからヒット曲やビート感のある曲を選曲したもので、CDが普及途上だった1986年に『決定版 ○○ ベスト・セレクション』として『決定版/ベストセレクション YMOファミリー』(1982年)と共にシリーズごとCD化されたものの、1990年9月の2度目のCD化を最後に廃盤となっている。
背景
[編集]アルバム『テクノデリック』(1981年)リリースと同日には細野晴臣がプロデュースしたチャクラのアルバム『さてこそ』がリリースされた[1]。その後YMOは「ウィンター・ライヴ1981」と題したコンサートツアーを11月24日の宮城県民会館から12月27日のツバキハウスまで、9都市全13公演行った[2]。
ツアー中の12月1日には坂本龍一プロデュースによる東京放送児童合唱団の酒井司優子によるシングル「コンピューターおばあちゃん」がリリースされ、同曲はNHK教育音楽番組『みんなのうた』(1961年 - )にて使用された[2]。12月5日には高橋幸宏と鈴木慶一のユニット「THE BEATNIKS」のアルバム『EXITENTIALISM 出口主義』とシングル「No Way Out(出口なし)」が同時にリリースされた他、細野が作・編曲した曲が収録されたイモ欽トリオのアルバム『ポテトボーイズNo.1』がリリースされた[2]。12月20日には坂本がプロデュースした宮崎美子のアルバム『Mellow』がリリースされた[3]。12月27日にはツアー最終日となるツバキハウスでの公演が行われ、ゲストとして松武秀樹、立花ハジメ、EXの梅林茂が参加した[3]。12月29日には渋谷東映でのRCサクセションのライブ「真夜中のロック・ショー」に坂本がゲスト出演し、これが縁となり後に共作する事となった[3]。また1981年を以ってA&Mレコードとの契約が終了したため、以降の作品の日本国外でのリリースは全てCBS/ALFAからリリースされる事となった[3]。
1982年に入り、1月にはイギリスにて高橋のソロアルバム『NEUROMANTIC』とシングル「ドリップ・ドライ・アイズ」がリリースされた[3]。1月3日にはNHK-FMにて昨年末の新宿コマ劇場でのライブの模様が放送され、司会はYMOの3人とイモ欽トリオが担当した[3]。2月にはイギリスでセカンドアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』がリリースされた[3]。2月14日には忌野清志郎+坂本龍一のシングル「い・け・な・いルージュマジック」(1982年)がリリースされ、50万枚を売り上げるヒット曲となった[4]。2月21日にはシングル「体操 (YMOの曲)」、坂本とダンスリーとの共作アルバム『エンド・オブ・エイジア』、スネークマンショーのアルバム『スネークマンショー海賊盤』がリリースされた[4]。
3月にはイギリスで「ライディーン」がリリースされ、高橋はソロアルバムのレコーディングのためにロンドンに向かった[4]。3月1日には坂本と高橋が参加した伊藤つかさのアルバム『さよなら こんにちは』がリリースされた[4]。3月21日には細野が参加したイモ欽トリオのシングル「ティアドロップ探偵団」がリリースされた[4]。3月24日には日本テレビ系深夜番組『11PM』(1965年 - 1990年)に細野と高橋が出演、3月27日にはフジテレビ系バラエティ番組『オレたちひょうきん族』(1981年 - 1989年)に3人で出演、さらに3月30日にはフジテレビ系バラエティ番組『THE MANZAI』(1981年 - 1982年)に「トリオ・ザ・テクノ」として出演し漫才や物まねを披露した[4]。
4月1日には細野が参加した山下久美子のシングル「赤道小町ドキッ」、高橋が参加した中原理恵のアルバム『インスピレーション』がリリースされた[5]。4月15日にはフジテレビ系音楽番組『ミュージックフェア』(1964年 - )に出演、「恋人よ我に帰れ」(1928年)をテクノポップ調アレンジで演奏した[5]。4月21日には高橋が参加したアゴ&キンゾーのシングル「世界最強の愛のテーマ」がリリースされた[5]。5月にはイギリスにて高橋のソロアルバム『音楽殺人』とシングル「MURDERED BY THE MUSIC」がリリースされた[5]。5月1日には3人が参加した矢野顕子のアルバム『愛がなくちゃね。』、細野が参加した真鍋ちえみのシングル「ねらわれた少女」がリリースされた[5]。5月21日には細野と高橋が発起人となった"\ENレーベル"の第一弾として、細野のソロアルバム『フィルハーモニー』、高橋と坂本が参加した立花ハジメのアルバム『H』がリリースされた他、高橋が参加したスーザンのシングル「サマルカンド大通り」がリリースされた[6]。
6月21日には高橋のソロアルバム『WHAT, ME WORRY?』、細野がプロデュースしたゲルニカのアルバム『改造への躍動』、坂本龍一&ロビン・スコットのシングル「アレンジメント」、坂本が参加した土屋昌巳のアルバム『RICE MUSIC』がリリースされた[6]。6月22日には高橋のソロコンサートツアー「YUKIHIRO TAKHASHI TOUR '82 WHAT ME WORRY」が浦安市文化会館ホールより開始され、7月28日まで開催された[7]。6月25日には細野が参加したESアイランドのシングル「テクテク・マミー」がリリースされた[7]。7月にはイギリスで高橋のシングル「DISPOSABLE LOVE」がリリースされた[7]。7月1日には坂本が参加した三田寛子のシングル「夏の雫」がリリース、7月7日には細野が参加したスターボーのシングル「ハートブレイク太陽族」、7月10日には細野が参加した柏原芳恵のシングル「しあわせ音頭」、7月21日には高橋のミニアルバム『WHAT, ME WORRY? ボク、大丈夫?』と細野が参加したコスミック・インベンションのシングル「プラトニック学園」がそれぞれリリースされた[7]。
8月21日には坂本は映画『戦場のメリークリスマス』の撮影のためラロトンガ島へと向かった[8]。8月25日には細野が参加した真鍋ちえみのアルバム『不思議・少女』がリリースされた[8]。9月1日にはTHE BEATNIKSのシングル「海を流れる河のように」、9月5日には坂本とデヴィッド・シルヴィアンのジョイントシングル「バンブー・ミュージック」、9月21日には細野と高橋が参加したサンディー&ザ・サンセッツのアルバム『イミグランツ』、坂本と細野が参加した大貫妙子のアルバム『クリシェ』、高橋が参加したピエール・バルーのアルバム『ル・ポレン』がそれぞれリリースされた[8]。10月1日には細野が参加した真鍋ちえみのシングル「ナイトトレイン・美少女」、ロジック・システムのアルバム『東方快車 〜Orient Express〜』がリリースされた[9]。
構成
[編集]以下のアルバムより選曲されている。なお、本作の「NICE AGE」はフェードアウト処理で曲が終了するが、同シリーズに属する『決定版 YMOファミリー ベスト・セレクション』(YMO曲+メンバーのソロ曲+メンバープロデュース曲)収録の「NICE AGE」はフェードアウト処理されていない。
- 『イエロー・マジック・オーケストラ』(1978年) - 「コズミック・サーフィン」、「東風」
- 『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(1979年) - 「ライディーン」、「ビハインド・ザ・マスク」、「テクノポリス」、「デイ・トリッパー」
- 『増殖』(1980年) - 「ナイス・エイジ」
- 『BGM』(1981年) - 「千のナイフ」、「U.T」、「キュー」
- 『テクノデリック』(1981年) - 「体操」、「KEY/手掛かり」、「京城音楽」
リリース
[編集]1982年10月21日にカセットテープでアルファレコードよりリリースされた。同日には同じベストカセットとして『坂本龍一ベスト・セレクション』、『高橋幸宏ベスト・セレクション』、『YMOファミリー・ベスト・セレクション』がリリースされている[9]。
1986年2月25日に初CD化され、1990年9月11日に販売価格を改定してリリースされた。
収録曲
[編集]全編曲: YMO。 | ||||
# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 時間 |
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1. | 「雷電」(RYDEEN) | 高橋幸宏 | ||
2. | 「ビハインド・ザ・マスク」(BEHIND THE MASK) | クリス・モズデル | 坂本龍一 | |
3. | 「コズミック・サーフィン」(COSMIC SURFIN') | 細野晴臣 | ||
4. | 「東風」(TONG POO) | 坂本龍一 | ||
5. | 「テクノポリス」(TECHNOPOLIS) | 坂本龍一 | ||
6. | 「千のナイフ」(1000 KNIVES) | 坂本龍一 | ||
合計時間: |
# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 時間 |
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7. | 「体操」(TAISO) | 坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏 | 坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏 | |
8. | 「ナイス・エイジ」(NICE AGE) | クリス・モズデル | 高橋幸宏、坂本龍一 | |
9. | 「手掛かり」(KEY) | 細野晴臣、ピーター・バラカン | 細野晴臣、高橋幸宏 | |
10. | 「デイ・トリッパー」(DAY TRIPPER) | レノン=マッカートニー | レノン=マッカートニー | |
11. | 「ユーティー」(U.T) | 坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏 | 坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏 | |
12. | 「京城音楽」(SEOUL MUSIC) | 坂本龍一、ピーター・バラカン | 坂本龍一、高橋幸宏 | |
13. | 「キュー」(CUE) | 高橋幸宏、細野晴臣 補作詞:ピーター・バラカン | 高橋幸宏、細野晴臣 | |
合計時間: |
リリース履歴
[編集]No. | 日付 | レーベル | 規格 | 規格品番 | 最高順位 | 備考 |
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1 | 1982年10月 | アルファレコード | CT | ALC-30001 | - | |
2 | 1986年2月25日 | CD | 32XA-51 | - | ||
3 | 1990年9月11日 | ALCA-61 | - | 2,800円に改定 |
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ コンパクトYMO 1998, p. 87.
- ^ a b c コンパクトYMO 1998, p. 88.
- ^ a b c d e f g コンパクトYMO 1998, p. 89.
- ^ a b c d e f コンパクトYMO 1998, p. 90.
- ^ a b c d e コンパクトYMO 1998, p. 91.
- ^ a b コンパクトYMO 1998, p. 92.
- ^ a b c d コンパクトYMO 1998, p. 93.
- ^ a b c コンパクトYMO 1998, p. 94.
- ^ a b コンパクトYMO 1998, p. 95.
参考文献
[編集]- 「YMOクロニクル」『コンパクト YMO』徳間書店、1998年4月20日、63 - 110頁。ISBN 9784198608316。
外部リンク
[編集]- YMO Best Selection - Discogs (発売一覧)