篠ノ井橋
篠ノ井橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 長野県長野市 |
交差物件 | 千曲川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 国道18号 |
管理者 |
国土交通省関東地方整備局 長野国道事務所[1] |
施工者 | 川崎重工業・東日本鉄工・松尾橋梁(新篠ノ井橋)[4] |
着工 | 1923年(大正12年)12月28日(初代永久橋)[2] |
竣工 |
1927年(昭和2年)10月(初代永久橋) 1970年度(昭和45年度)(2代目永久橋) 1991年度(平成3年度)(新篠ノ井橋)[1] |
開通 |
1927年(昭和2年)11月22日(初代永久橋)[2] 1972年(昭和47年)1月21日(2代目永久橋)[2] 1994年度(平成6年度)(新篠ノ井橋)[3] |
座標 | 北緯36度33分31.3秒 東経138度8分18.2秒 / 北緯36.558694度 東経138.138389度 |
構造諸元 | |
形式 | 4径間連続鈑桁+3径間連続鈑桁橋2連[4] |
材料 | 鋼 |
全長 | 455.800 m[4](新篠ノ井橋) |
幅 | 10.5 m[4] |
最大支間長 | 48.350 m[4] |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
篠ノ井橋(しののいばし)は、長野県千曲市 - 長野市の千曲川に架かる国道18号の桁橋。
概要
[編集]後述の通り、篠ノ井橋は古くからの街道の要衝にあって古くから架橋された。供用中の橋は永久橋としては2代目および3代目。
現況の諸元
[編集]篠ノ井橋(2代永久橋・上り)
新篠ノ井橋(下り)
- 形式 - 4径間連続鋼鈑桁1連+3径間連続鋼鈑桁橋2連
- 橋格 - 1等橋(TL-20)
- 橋長 - 455.8 m
- 支間割 - ( 34.800 m + 45.250 m + 2×44.800 m ) + ( 3×47.000 m ) + ( 2×47.000 m + 48.350 m )
- 幅員
- 総幅員 - 11.500 m
- 有効幅員 - 10.500 m
- 車道 - 8.000 m
- 歩道 - 片側2.500 m
- 床版 - 鉄筋コンクリート
- 総鋼重 - 1 157 t
- 施工 - 川崎重工業・東日本鉄工・松尾橋梁[注釈 1]
- 竣工 - 1991年度(平成3年度)
- 開通 - 1994年度(平成6年度)[3]
旧橋の諸元
[編集]篠ノ井橋(初代永久橋)
- 形式 - 6連鋼単純直弦プラットトラス橋+3径間T型RC連続桁橋5連
- 橋長 - 1,484フィート5.5インチ(約452.5 m)
- トラス部 - 928フィート6.5インチ(約283.0 m)
- 桁部 - 555フィート11インチ(約169.4 m)
- 設計 - 増田淳
- 施工 - 櫻田機械製造所[注釈 2]・三菱造船(神戸造船所)
- 着工 - 1923年(大正12年)2月28日
- 竣工 - 1927年(昭和2年)10月
- 開通 - 1927年(昭和2年)11月22日
歴史
[編集]篠ノ井地域は江戸時代には北国街道が通る交通の要衝であった。1872年(明治5年)には千曲川の矢代(屋代)の渡しに12艘の船を並べ、長さ約80 m、幅約3 mの舟橋が架橋された。北国街道は1885年(明治18年)の内務省告示第6号國道表により国道5号に指定された。1889年(明治22年)には篠ノ井橋は木橋となり、1910年(明治43年)10月に仮橋に架け替えられた。この橋は橋長約270 m、幅員約3.6 mの県管理の橋で、国道と篠ノ井停車場の運輸が改善された[11][12]。この仮橋はまたの名を唐猫橋といい、平水時のみの木造投渡橋であった[2]。
1919年(大正8年)4月に旧道路法が公布され、旧来の国道5号の長野県区間は国道10号に指定された。1923年(大正12年)2月28日に篠ノ井と屋代を結ぶ国道10号の篠ノ井橋の架設工事が着工され、取り付け道路工事の進捗が悪く、渡らずの橋などと揶揄されたが約4年後の1927年(昭和2年)10月に竣工し、11月22日に開通した。総工費は約55万4千円であり、道路費は約15万1千円を占めた。国庫から橋の建設費に3分の2、取り付け道路については2分の1の補助がなされた。永久橋の開通に対し、篠ノ井町長をはじめ、地元は冷ややかな受け止めであった[12]。
その後、約20 m下流側に架け替えされた新橋が1972年(昭和47年)1月21日に開通し[2][14]、旧橋は1985年(昭和60年)に撤去された[9]。さらに、交通量の増大に伴い、1986年度(昭和61年度)に更埴拡幅が事業化され、上流側に新篠ノ井橋が架設され、更埴拡幅は1994年度(平成6年度)に事業完成した[3]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 現・IHIインフラシステム
- ^ 後のサクラダ
出典
[編集]- ^ a b c d “管理橋梁の現況(平成29年度版)” (PDF). 国土交通省 関東地方整備局 道路部 道路管理課. p. 55 (2017年12月). 2020年6月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “篠井橋1927-11-22”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年6月17日閲覧。
- ^ a b c “新国道上田篠ノ井間経過概要” (PDF). 千曲市. 2020年6月17日閲覧。
- ^ a b c d e f “橋梁年鑑 平成5年版” (PDF). 日本橋梁建設協会. pp. 49, 194, 195. 2020年6月17日閲覧。
- ^ “改修の歴史と変遷”. 千曲川・犀川と生きた100年. 国土交通省 北陸地方整備局 千曲川河川事務所. 2020年6月17日閲覧。
- ^ 内務省土木試験所『本邦道路橋輯覧』内務省土木試験所、1926年3月10日、15, 68頁。doi:10.11501/1020143。
- ^ 西池氏文「國道十號線篠ノ井橋架設工事の概要」(PDF)『道路の改良』第6巻第6号、道路改良会、1924年6月、66 - 68頁、2020年6月17日閲覧。
- ^ 「篠ノ井橋竣功式」(PDF)『道路の改良』第10巻第1号、道路改良会、1928年1月、197 - 198頁、2020年6月17日閲覧。
- ^ a b c 福井次郎「橋梁設計技術者・増田淳の足跡」(PDF)『土木史研究 講演集』第23巻、土木学会、2003年、385 - 393頁、2020年6月17日閲覧。
- ^ 福井次郎「長野県統計書に見る明治・大正時代の長野県道路橋架設状況について」(PDF)『土木史研究 講演集』第25巻、土木学会、2005年、297 - 306頁、2020年6月17日閲覧。
- ^ “篠井橋1910-10”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年6月17日閲覧。
- ^ a b 西澤安彦. “写真は語る 長野市公文書館資料【昭和(戦前)】(2/3)” (PDF). 長野市公文書館. pp. 18 - 19. 2020年6月17日閲覧。
- ^ 信濃の橋刊行会『信濃の橋百選』(初版)信濃毎日新聞社、2011年7月24日、74頁。ISBN 978-4-7840-7166-1。
- ^ “付表”. 令和2年版長野市統計書. 長野市 (2021年4月1日). 2021年9月1日閲覧。
外部リンク
[編集]- 国土交通省 関東地方整備局
- 国土交通省 関東地方整備局 長野国道事務所 - 道路管理者
- 空から眺める千曲川・犀川 - 国土交通省北陸地方整備局千曲川河川事務所