宮野原橋
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宮野原橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 新潟県中魚沼郡津南町大字上郷寺石字羽倉 - 大字上郷宮野原字宮野原 |
交差物件 | 信濃川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 国道117号 |
管理者 | 新潟県十日町地域振興局地域整備部 |
竣工 | 1985年(昭和60年)8月 |
開通 | 1985年(昭和60年)8月 |
座標 | 北緯36度59分23.3秒 東経138度35分12.0秒 / 北緯36.989806度 東経138.586667度 |
構造諸元 | |
形式 | 3径間連続箱桁橋 |
材料 | プレストレスト・コンクリート |
全長 | 224 m |
幅 | 14.5 m |
最大支間長 | 120 m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
宮野原橋(みやのはらばし)は、新潟県中魚沼郡津南町大字上郷寺石字羽倉 - 大字上郷宮野原字宮野原の信濃川に架かる国道117号の橋長224 m(メートル)の桁橋。
概要
[編集]歴史
[編集]かねてより、新潟県・長野県の県境に近く谷街道[注釈 1]の要所であったが架橋以前には、この付近の信濃川・千曲川が急流であったことから渡船場はなく、上流の信濃側・下流の越後側双方に渡船場が設営されていた。信州側では志久見耳塚にあり、越後側では足滝にあった[2][3]。
1897年(明治30年)に県境にあった足滝の付近に木トラス補剛吊橋である宮野原橋が架橋された。これは、当時の中魚沼郡で信濃川に架かる最初の橋であった[3]。1910年(明治43年)に流失し、再架橋中の1912年(明治45年)7月22日に落橋した[4]。1913年(大正2年)2月10日に橋長131 m、幅員4.2 mの2径間木造上路トラス橋となった[5]。
1932年(昭和7年)に橋長129.36 m、支間長63.5 m、幅員5.15 mの2径間鋼上路トラス橋として永久橋に架け変わった[1][6]
1985年(昭和60年)8月に現在の宮野原橋が架橋された[1][7]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 現在の国道117号
出典
[編集]- ^ a b c “宮野原橋1932”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年10月11日閲覧。
- ^ 長野県教育委員会『歴史の道路調査書XXXI 千曲川』(初版)長野県文化財保護協会、1992年6月20日、117頁。
- ^ a b 建設省北陸地方建設局『信濃川百年史』社団法人北陸建設弘済会、1979年3月30日、348頁。
- ^ “宮野原橋1897”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年10月11日閲覧。
- ^ “宮野原橋1913-2-10”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年10月11日閲覧。
- ^ 「地方通信」(PDF)『道路の改良』第14巻第7号、道路改良會、1934年7月1日、132頁、2020年10月11日閲覧。
- ^ “【十日町】地域整備部のあゆみ”. 新潟県十日町地域振興局地域整備部 (2020年4月10日). 2020年10月11日閲覧。
外部リンク
[編集]- 新潟県 十日町地域振興局 地域整備部 - 橋梁管理者
- 空から見た信濃川・魚野川 - 北陸地方整備局 信濃川河川事務所
- 空から眺める千曲川・犀川 千曲川下流 - 国土交通省北陸地方整備局千曲川河川事務所
- 広報つなん No.609 2012年3月20日 - 4頁に宮野原橋旧橋の写真がある
- 広報つなん No.701 2019年11月20日 - 4頁に令和元年東日本台風時の宮野原橋の写真がある