第115師団 (日本軍)
表示
第115師団 | |
---|---|
創設 | 1944年(昭和19年)7月10日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
所在地 | 河南省-湖北省-河南省 |
編成地 | 中支 |
通称号/略称 | 北 |
補充担任 | 旭川師管区 |
最終上級単位 | 第12軍 |
最終位置 | 河南省 郾城 |
戦歴 | 日中-太平洋戦争 |
第115師団(だいひゃくじゅうごしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。
沿革
[編集]太平洋戦争の末期後に華北に駐屯していた第26師団がフィリピン戦線に、第62師団が沖縄に転用されたため、中国に在った独立歩兵旅団(独立混成旅団)を改編し、占領地の警備と治安維持を目的に編成した治安師団の一つであり、同時に第114師団・第117師団・第118師団が新設された。これら4個師団は、1944年(昭和19年)7月10日、軍令陸甲第79号下令により、編成が発令された。
第115師団は、河南省で独立混成第7旅団を基幹に編成された。編成後、第12軍に編入され、黄河以南の京漢線沿線の警備に当たった。
師団の編制は、4個独立歩兵大隊から成る歩兵旅団を2個持ち、砲兵を欠いた丙師団[1]である。しかし、1945年(昭和20年)3月に師団迫撃砲隊が新たに編成され師団に編合された。
1945年3月、老河口作戦に参加した。老河口作戦後は河南省に戻り郾城で終戦を迎えた。
師団概要
[編集]歴代師団長
[編集]- 杉浦英吉 中将:1944年(昭和19年)7月14日 - 終戦
参謀長
[編集]- 村中嘉二郎 大佐:1944年(昭和19年)7月14日 - 終戦[2]
最終所属部隊
[編集]- 歩兵第85旅団:三宮満治少将
- 独立歩兵第26大隊:高島義明大尉
- 独立歩兵第27大隊:藤本 格大尉
- 独立歩兵第28大隊:桑原金一少佐
- 独立歩兵第29大隊:佐々木幸夫大尉
- 歩兵第86旅団:樋口清登少将
- 独立歩兵第30大隊:天野茂吉少佐
- 独立歩兵第385大隊:遠藤利雄大尉
- 独立歩兵第386大隊:鈴木孝三郎少佐
- 独立歩兵第387大隊:今藤好雄少佐
- 第115師団輜重隊:斎藤忠一大尉
- 第115師団迫撃砲隊:吉田成行大尉
- 第115師団通信隊:福間耕次大尉
- 第115師団野戦病院:畠中正純軍医少佐
注記
[編集]参考文献
[編集]- 示村貞夫『旭川第七師団』新北海出版部、1984年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。