第129師団 (日本軍)
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第129師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)4月12日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
所在地 | 広東省 |
編成地 | 広東省 |
通称号/略称 | 振武 |
補充担任 | 長野師管区 |
最終上級単位 | 第23軍 |
最終位置 |
広東省 広州 (バイアス湾沿岸部) |
戦歴 |
太平洋戦争 (大陸打通作戦) |
第129師団(だいひゃくにじゅうきゅうしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。
沿革
[編集]太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)4月、独立混成第19旅団(湘桂作戦・粤漢作戦に参加した後華南に駐屯中)を二分割して基幹とし、第129師団と第130師団が編成された。
第129師団は編成後、第23軍の指揮下に入り、広州近郊に展開し連合国軍の中国南部上陸に備えていたが、連合軍の中国南部上陸は無く広州近郊の淡水で終戦を迎える。
師団概要
[編集]師団長
[編集]- 鵜沢尚信 中将:1945年(昭和20年)4月15日 - 終戦
参謀長
[編集]- 石原恕之允 大佐:1945年(昭和20年)4月15日 - 終戦[1]
最終所属部隊
[編集]- 歩兵第91旅団:谷肇少将
- 独立歩兵第98大隊:三野春季少佐
- 独立歩兵第278大隊:鶴見和典少佐
- 独立歩兵第279大隊:高井芳衛少佐
- 独立歩兵第280大隊:大神茂大尉
- 歩兵第92旅団:平野儀一少将
- 独立歩兵第100大隊:山内又兵衛中佐
- 独立歩兵第588大隊:中西義英少佐
- 独立歩兵第589大隊:島村清次大尉
- 独立歩兵第590大隊:佐藤仁一郎大尉
- 第129師団砲兵隊:土橋武男中佐
- 第129師団工兵隊:城戸口準大尉
- 第129師団輜重隊:小西一夫大尉
- 第129師団通信隊:葛秀夫大尉
- 第129師団兵器勤務隊:中川忠雄大尉
- 第129師団野戦病院:清河宗吉軍医少佐
- 第129師団病馬廠:中田竹三郎獣医大尉
- 第129師団防疫給水部:岩崎与五郎軍医少佐
脚注
[編集]- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』476頁。
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。