第130師団 (日本軍)
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第130師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)4月12日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
所在地 | 広東省 |
編成地 | 広東省 |
通称号/略称 | 鍾馗 |
補充担任 | 京都師管区 |
最終上級単位 | 第23軍 |
最終位置 | 広東省 番禺 |
戦歴 |
太平洋戦争 (大陸打通作戦) |
第130師団(だいひゃくさんじゅうしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。
沿革
[編集]太平洋戦争末期の1945年(昭和20年4月)、独立混成第19旅団(湘桂作戦・粤漢作戦に参加した後華南に駐屯中)の半数を基幹とし編成された。なお、残る半分は第129師団の基幹となった。
第130師団は編成後第23軍の指揮下に入り、広州近郊に展開し連合国軍の中国南部上陸に備えていたが、連合軍の中国南部上陸は無く広州近郊の番禺で終戦を迎える。
師団概要
[編集]歴代師団長
[編集]参謀長
[編集]- 吉村芳次 大佐:1945年(昭和20年)4月15日 - 終戦[3]
副官
[編集]今永副官[2]
最終所属部隊
[編集]- 歩兵第93旅団:針谷逸郎少将
- 独立歩兵第97大隊:三宮善人大尉
- 独立歩兵第99大隊:中原実大尉
- 独立歩兵第100大隊:高谷瀧夫中佐
- 独立歩兵第277大隊:宮脇喜平次少佐
- 歩兵第94旅団:小野修少将
- 独立歩兵第281大隊:田中英二大尉
- 独立歩兵第620大隊:尾尻義馬少佐
- 独立歩兵第621大隊:村重武一大尉
- 独立歩兵第622大隊:内田馨少佐
- 第130師団砲兵隊:宇宿達二大佐
- 第130師団工兵隊:小形研三大尉
- 第130師団輜重隊:佐瀬浅次郎少佐
- 第130師団通信隊:菅原長利大尉
- 第130師団兵器勤務隊:蔵丸等大尉
- 第130師団第1野戦病院
- 第130師団第2野戦病院
- 第130師団病馬廠:藤本範雄獣医大尉
- 第130師団防疫給水部:猪原貢軍医大佐尉
脚注
[編集]- ^ 於:1947年(昭和22年)10月30日午前11時.広東(労苦体験手記 軍人軍属短期在職者が語り継ぐ労苦(兵士編)https://www.heiwakinen.go.jp/shiryokan/heiwa/08onketsu/O_08_387_1.pdf
- ^ a b c 労苦体験手記 軍人軍属短期在職者が語り継ぐ労苦(兵士編)https://www.heiwakinen.go.jp/shiryokan/heiwa/08onketsu/O_08_387_1.pdf
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』426頁。
- ^ クリークの多い当地ではトラック輸送より舟艇輸送が効果大と判断され、円滑な海上輸送を行うため工兵隊に舟艇小隊を編成した。
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。