平野儀一
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平野 儀一 | |
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生誕 |
1891年7月20日 日本 静岡県 |
死没 |
1947年5月12日(55歳没) 中華民国 広東省 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
平野 儀一(ひらの ぎいち、1891年(明治24年)7月20日[1] - 1947年(昭和22年)5月12日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。兵科は歩兵科[2]。
経歴
[編集]1891年(明治24年)に静岡県で生まれた[2]。陸軍士官学校第26期卒業[2]。1940年(昭和15年)3月に独立歩兵第63大隊長(第11軍・独立混成第14旅団)に就任し[2][3]、1941年(昭和16年)3月に陸軍大佐に進級[3]。九江の守備に任じ[4]、第一次長沙作戦では平野支隊を率いて洞庭湖から長沙に突撃した[4]。1942年(昭和17年)12月には大別山系で治安維持作戦に当たっている[5]。1943年(昭和18年)3月に歩兵第36連隊長(関東軍・第1方面軍・第28師団)に転じ[2]、ハルビンに駐屯した[2]。1944年(昭和19年)7月に同連隊は第10方面軍・第32軍隷下に編入され[2]、南大東島で守備に任じた[5]。沖縄戦直前の1945年(昭和20年)2月26日に第23軍司令部附となり[2][5]、広東省に転じ[5]、4月15日に歩兵第92旅団長(第23軍・第129師団)に就任し[2]、6月10日に陸軍少将に進級した[3]。恵州で警備に任じたが[6]、終戦直前にはバイアス湾への米軍上陸に備え[6]、陣地構築を指導する中で終戦を迎えた[6]。
終戦後「兵を用いて人民に災いす」という容疑で、国民革命軍に戦犯として逮捕されたが[7]、具体的な罪状は不明[7]。広東法廷で死刑判決が下り[7]、1947年(昭和22年)5月12日に銃殺された[7]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 伊藤禎 著『大東亜戦争 戦犯として処刑された陸軍将官36人列伝』展望社、2021年。ISBN 4885464056。