第103師団 (日本軍)
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第103師団 | |
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創設 | 1944年(昭和19年)6月15日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
人員 | 約15,500名 |
所在地 | フィリピン ルソン島 |
編成地 | ルソン島 |
通称号/略称 | 駿(しゅん) |
補充担任 | 熊本師管・熊本師管区 |
最終上級単位 | 第14方面軍 |
最終位置 | ルソン島 |
戦歴 |
太平洋戦争 (フィリピンの戦い (1944-1945年)) |
第103師団(だいひゃくさんしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。1944年(昭和19年)5月に策定された「十一号作戦準備」(「準備」)に基づき、フィリピンにおいて独立混成旅団4個を基幹に各々師団に改編して編成した内の一つ。
沿革
[編集]1944年6月、フィリピン、ルソン島所在の独立混成第32旅団を基幹により編成され、第14方面軍に編入された。当初、第103師団はルソン島北部を担任し、担当区域の西を歩兵第79旅団が、東を歩兵第80旅団が担っていた。
第103師団はレイテ島の戦いの進行中もルソン島北部を担当していたが、1945年(昭和20年)1月、防衛体制の改編に伴い設けられた山下奉文第14方面軍司令官直率の尚武集団に属し、ルソン島北端アパリとルソン島北部西側の防衛を担った。
1945年1月9日、アメリカ軍がリンガエン湾に上陸し、北部にも部隊を差し向けた。その防衛のため第103師団主力が派遣されたが、カガヤン付近で敗れた後、優勢なアメリカ軍に圧迫され師団は山岳地帯に退却した。飢餓などの困難な状況の中で持久戦を継続し終戦を迎えた。
師団概要
[編集]歴代師団長
[編集]参謀長
[編集]最終司令部構成
[編集]- 参謀長:岡本孝行大佐
最終所属部隊
[編集]- 歩兵第79旅団(熊本):荒木正二中将
- 独立歩兵第175大隊:山下末吉少佐
- 独立歩兵第176大隊:杉木守大佐
- 独立歩兵第178大隊:松原勘一少佐
- 独立歩兵第356大隊:瀧上良一少佐
- 歩兵第79旅団通信隊:
- 歩兵第79旅団作業隊:
- 歩兵第80旅団(熊本):湯口俊太郎少将
- 独立歩兵第177大隊:坂巻隆次大佐
- 独立歩兵第179大隊:一瀬末松大佐
- 独立歩兵第180大隊:有園善行大佐
- 独立歩兵第357大隊:粂勇少佐
- 歩兵第80旅団通信隊:
- 歩兵第80旅団作業隊:
- 第103師団砲兵隊:羽田三蔵少佐
- 第103師団工兵隊:竹内忠中佐
- 第103師団通信隊:甲斐清一大尉
- 第103師団輜重隊:北原芳富少佐
- 第103師団野戦病院:岩崎太郎少佐
- 第103師団病馬廠:西喜久助中尉
- 第103師団防疫給水部:大柴五八郎少佐
師団に所属していた著名人
[編集]師団砲兵隊に所属し、将校としては数少ない生存者である山本七平が、第103師団での出来事を詳細に書き記している(『一下級将校の見た帝国陸軍』など)。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。