中野新町 (名古屋市)
中野新町 | |
---|---|
北緯35度7分35.78秒 東経136度52分13.88秒 / 北緯35.1266056度 東経136.8705222度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 名古屋市 |
区 | 中川区・熱田区 |
町名制定[1] | 1921年(大正10年)8月22日 |
人口 | |
• 合計 | 1,387人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | |
市外局番 | 052 (名古屋MA)[5] |
ナンバープレート | 名古屋 |
中野新町(なかのしんちょう)は愛知県名古屋市中川区及び熱田区にある町名。現行行政地名は中川区に中野新町1丁目から中野新町7丁目と6つの小字が、熱田区に字イノ割が存在する。住居表示未実施[6]。熱田区中野新町は鉄道用地のみ[7]。
地理
[編集]中川区中野新町は、名古屋市中川区の南東部に位置し、東に福船町、西に太平通、南に昭和橋通、北に八家町と接する。このほかに中川運河の河川用地に6つの小字が残る[8]。
熱田区中野新町は、字イノ割が名古屋港線の鉄道用地のみに残存する。東に古新町、西に八剱町が接する[9]。
字一覧
[編集]中野新町とその前身である中野外新田の小字は以下の通り[8][9][10]。 以下の表において、
- 消滅した字については背景色 で示す。
- 現存する字のうち熱田区に所在するものには★を、中川区に所在するものには■を付した。
字 | 字 |
---|---|
イノ割(いのわり)★ | ロノ割(ろのわり) |
ハノ割(はのわり) | ニノ割(にのわり) |
ホノ割(ほのわり) | ヘノ割(へのわり)■ |
トノ割(おちだ)■ | チノ割(ちのわり)■ |
リノ割(りのわり)■ | ヌノ割(ぬのわり)■ |
ルノ割(るのわり)■ | ヲノ割(をのわり) |
ワノ割(わのわり) | カノ割(かのわり) |
ヨノ割(よのわり) | タノ割(たのわり) |
レノ割(れのわり) | 西屋敷(にしやしき) |
歴史
[編集]江戸期に開発された中野外新田の一部に該当する[1]。
町名の由来
[編集]中野外新田の名による[11]。
中野外新田
[編集]中野外新田(なかのそとしんでん)は、江戸時代の尾張国愛知郡で開発された新田[12]。中野村に隣接することからこの名がついた[12]。1641年(寛永18年)に当地周辺の有力百姓であった鬼頭家の先祖(鬼頭弥五郎なる人物のの5代前)が開発したと言い伝わる[10][12]。開発から26年後の1667年(寛文7年)に尾張藩士の鈴木嘉十郎という人物の給地として縄入れが行われ[10]、以降全域が鈴木嘉十郎の給地となっていた[12]。頭百姓の鬼頭弥五郎以外は「高持細民」とされたという[12]。中野外新田の領域は現在の名古屋港線から西方に延び、名古屋市立工業高等学校西の「二十番用水」と呼ばれる用水路に及ぶ広大な範囲を含んでいた[10]。町名でいうと現在の中野新町のほか外新町、昭和橋通、福川町、八剱町、福船町、太平通、古新町、八家町、小碓通、昭明町、北江町、法蔵町の各一部が該当する[13]。村落は笈瀬川の下流に当たる中川(中川運河の前身)により東西に分かれており[11]、中川の東が「中島屋敷」「五軒屋敷」、西が「西屋敷」とそれぞれ呼ばれていた[10]。江戸期は農業が主に行われており、カボチャ、トウガン、スイカ、柿などを栽培し、知多郡、津島、横須賀(現在の東海市横須賀町)へ売りに出していたという[11]。畑が多かったため、周辺の丸米野村、熱田新田、八ツ屋村などから人手が来ていた[11]。『寛文村々覚書』によると中野外新田は本田概高200石、反別35町、新田3石、家数16、人口86、馬6[11]。このほかに萱野が1反あった[12]。文政年間になると人口が増加し、家数64、人口243となっていた[11]。
明治以降
[編集]中野外新田は、1889年(明治22年)に合併に伴い八幡村大字中野外新田となった[1]。1911年(明治44年)、中野外新田西端に国鉄名古屋港線が開通[10]。1921年(大正10年)には名古屋市に編入され同時に中野新町と改称された[1]。大正時代には中川運河の掘削が計画されたため西屋敷の約30戸が移転対象となり、現在の中野新町2~7丁目に住民の多くが移住した[10]。1930年(昭和5年)、中川運河は開通した[10]。中野新町は、戦後に貸家ブームを呼び住宅地として大いに発展した[10]。昭和以降は、道路整備なども行われ鉄工業が栄えた[10]。新田開発の功績をたたえて弥五郎が建てた「鬼頭氏遺愛碑」が現在でも域内に残る[10]。
行政区画の変遷
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 1889年(明治22年)10月1日 - 愛知郡中野外新田が合併により、同郡八幡村大字中野外新田となる[1]。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 名古屋市に編入され、同市南区中野新町となる[1]。
- 1927年(昭和2年)12月5日 - 中区篠原町の一部を編入する[1]。
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 名古屋市中川区に編入され、同区中野新町となる[1]。
- 1945年(昭和20年)2月5日 - 中川区篠原町の一部を編入する[1]。
- 1952年(昭和27年)1月15日 - 中川区篠原町の一部を編入する[1]。
その他、一部が中川区太平通・八家町・福船町・福川町・八剱町・外新町・昭和橋通および熱田区古新町に編入されている[1]。
年表
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
世帯数と人口
[編集]2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
中野新町 | 602世帯 | 1,387人 |
学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[14][15]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[16]。
- 中川区中野新町
番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
全域 | 名古屋市立昭和橋小学校 | 名古屋市立昭和橋中学校 | 尾張学区 |
- 熱田区中野新町
番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
全域 | 名古屋市立大宝小学校 | 名古屋市立日比野中学校 | 尾張学区 |
施設
[編集]- 名古屋市立昭和橋小学校
- 神明社
-
名古屋市立昭和橋小学校
-
神明社
その他
[編集]日本郵便
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 名古屋市計画局 1992, p. 824.
- ^ a b “町・丁目(大字)別、年齢(10歳階級)別公簿人口(全市・区別)”. 名古屋市 (2019年2月20日). 2019年2月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年2月10日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2021年2月26日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年1月6日閲覧。
- ^ “中川区の町名一覧”. 名古屋市 (2015年10月21日). 2019年2月13日閲覧。
- ^ “熱田区の町名一覧”. 名古屋市 (2015年10月21日). 2021年2月26日閲覧。
- ^ a b “名古屋市道路認定図”. 名古屋市. 2021年2月26日閲覧。「中川区中野新町」のページを参考とした。
- ^ a b “名古屋市道路認定図”. 名古屋市. 2021年2月26日閲覧。「熱田区中野新町」のページを参考とした。
- ^ a b c d e f g h i j k l 山田寂雀 1979, p. 13-14.
- ^ a b c d e f 名古屋市計画局 1992, p. 481.
- ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 951.
- ^ 中川倶楽部 1971, p. 17-18.
- ^ “市立小・中学校の通学区域一覧”. 名古屋市 (2018年11月10日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “市立小・中学校の通学区域一覧(熱田区)”. 名古屋市. 2021年2月26日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ 郵便番号簿 平成29年度版 - 日本郵便. 2019年02月10日閲覧 (PDF)
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 23 愛知県、角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。 NCID BN00094881。OCLC 674681322。全国書誌番号:89022577。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、名古屋、1992年3月31日。 NCID BN08352481。全国書誌番号:93012879。
- 中川倶楽部 編『中川区の町名一覧』名古屋、08-01。
- 山田寂雀『中川区風土記』名古屋市中川図書館、名古屋、08-01。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]ウィキメディア・コモンズには、中野新町 (名古屋市)に関するカテゴリがあります。