ミハエル・クルム
ミハエル・クルム | |
---|---|
2010年 | |
基本情報 | |
国籍 | ドイツ |
生年月日 | 1970年3月19日(54歳) |
出身地 | ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州ロイトリンゲン |
SUPER GTでの経歴 | |
デビュー | 2005 |
所属 | KONDO Racing |
車番 | 24 |
シリーズ最高順位 | 4位 (2006) |
過去参加シリーズ | |
1988–1989 1990 1993 1994 1994–1997 1995–2004 1998 1999–2001 2007 2001 2005 2009 |
ドイツ・フォーミュラ・フォード ドイツ・フォーミュラ・ボクスホール ドイツF3選手権 全日本F3選手権 全日本F3000選手権 / フォーミュラ・ニッポン 全日本GT選手権 (除く 1998年) ドイツ・スーパーツーリング選手権 フォーミュラ・ニッポン チャンプカー・ワールド・シリーズ ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ FIA GT選手権 |
選手権タイトル | |
1989 1990 1994 1997, 2003 2011 |
ドイツ・フォーミュラ・フォード ドイツ・フォーミュラ・ボクスホール 全日本F3選手権 全日本GT選手権 (GT500) FIA GT1世界選手権 |
ミハエル・クルム(独: Michael Krumm、1970年3月19日 - )は、ドイツ人のレーシングドライバー。2024年より、SUPER GTの500クラスに参戦するTOM'Sの37号車の監督に就任。
プロフィール
[編集]- 身長:183cm
- 体重:70kg
- 血液型:RH+A型
1988年にドイツ国内のフォーミュラ・フォードでデビューし、2年目にはシリーズチャンピオンを獲得。翌年にはドイツ・フォーミュラオペル・ロータスのシリーズチャンピオンとなった。1992年にはドイツF3、1993年にはドイツF3とイタリアF3で活躍した。ドイツF3では5回の優勝を挙げ、国際F3000選手権へのステップアップの話も浮上していたが、クルムを含む多くのドイツ若手ドライバーがドイツ・キャメルからの支援を受けていた1992年のシーズンオフに、同じくドイツ出身ドライバーであるミハエル・シューマッハがF1デビューして早々に成功を収めたことを受け、ドイツ・キャメルがシューマッハの支援に集中する方針を決定。1993年ベネトン・フォーミュラのタイトルスポンサーとなることに資金を一本化したため、スポンサー資金を失ったクルムの国際F3000選手権へのステップアップの話がとん挫してしまったと1994年のオートスポーツ誌でのインタビューで述べている。自身のほかにも、当時ドイツ・キャメルの支援を受けていた一人であるハインツ=ハラルド・フレンツェンもおそらく似た状況に陥っただろうと話し、当時のドイツ国内のスポンサー事情を吐露している。1993年11月、世界各国のF3上位選手が集結するインターF3リーグ(富士スピードウェイ)参戦のため初来日。この富士での走りが日本のレース関係者の目に留まり、翌年より日本のレースを走るきっかけとなる。
1994年、トムスと契約し日本に拠点を移す。同年の全日本F3選手権では10戦中6戦で優勝を挙げ、影山正美、中野信治、道上龍、高木虎之介らを破りシリーズチャンピオンを獲得。終盤戦では童夢の松本恵二監督からオファーが届き[1]、トップカテゴリーの全日本F3000選手権へとステップアップ、その初戦で4位入賞を果たした。以後、全日本F3000選手権・フォーミュラ・ニッポンや全日本GT選手権・SUPER GTなど、日本のトップカテゴリーで活躍。来日当初トムス契約ドライバーだったこともあり、JTCCおよびJGTCではトヨタワークスでの参戦だったが、1998年のドイツ・スーパーツーリング選手権[2]に日産・プリメーラで参戦したのを機に日産ワークスへ移籍した。フォーミュラでは1995年よりステラインターナショナルで走り、チームルマン、5ZIGEN、チームインパルとフォーミュラ・ニッポンのトップチームのドライバーを歴任。5ZIGEN所属時の2000年にフォーミュラ・ニッポン年間ランキング2位を獲得している。
2001年にはアメリカに渡りCARTにデイル・コイン・レーシングから参戦したが、チームがシーズン途中でCARTから撤退してしまったため日本に復帰した。2002年にはル・マン24時間レースにアウディ・R8で参戦し、総合3位を獲得。
全日本GT選手権(JGTC / 後のSUPER GT)には1995年にトヨタ・スープラでデビューし、シリーズランキングは5位、優勝1回と好成績を収めた。1996年はポルシェでスポット参戦し、1997年には後にF1ドライバーとなるペドロ・デ・ラ・ロサとのコンビでシリーズチャンピオンを獲得した。1999年より日産・スカイラインGT-Rで復帰し、以後NISMOのドライバーとして活躍した。2003年には本山哲とのコンビで2度目のシリーズチャンピオンを獲得した。
2009年から2011年にかけてNISMOのドライバーとしてFIA GT選手権に日産・GT-Rで参戦。2009年8月22日、23日に開催されたSUPER GT第6戦鈴鹿にブノワ・トレルイエのピンチヒッターとして参戦。スポット参戦だったが6年ぶりに本山とコンビを組んだ。FIA GT選手権を引き継いだFIA GT1世界選手権にも引き続き参戦し、2011年にはルーカス・ルーアと組んでJRモータースポーツからエントリー、参戦3年目にしてシリーズチャンピオンを獲得した[3]。
2012年は、ブノワ・トレルイエがSUPER GTと多くの日程が重なるFIA 世界耐久選手権へ参戦するためにNISMOを離脱したことから、その後釜として3年ぶりにSUPER GTのNISMOに復帰し、本山と8年ぶりにコンビを組む。また同年よりル・マン24時間に次世代車枠の“ガレージ#56”でエントリーするデルタウィングのドライバーにも起用された。
2013年9月30日に、日産GT-RのNISMOモデルでニュルブルクリンク(北コース)を7分08秒679で周回し[4]、量産市販車としての世界最速の記録を更新し、同年11月19日に行われたGT-Rの2014年モデルとNISMOモデルの発表会に出席し、日産CEOのカルロス・ゴーンと共にこの成果を発表した[5]。
2016年4月、NISMOのアンバサダーに就任すると共にニュルブルクリンク24時間レースへ参戦することが発表された[6]。
2019年には同レースに初参戦するKONDO Racingのアドバイザーを務める。一睡もせずにドライバーに無線を送り続け、総合10位及びSP9クラス9位と日本勢として久々の好成績を残したチームに貢献した[7]。
2020年からはNISMOのSUPER GT GT500クラスにおいて、本山哲と共にエグゼクティブアドバイザーを務め[8]、NISMOドライビングアカデミーの校長も務めた[9]。2022年からは、KONDO Racingのアドバイザーの立場で、スーパーフォーミュラに参戦するサッシャ・フェネストラズの通訳を務める[10]。
2024年、SUPER GTの500クラスに参戦するTOM'Sの37号車の監督に就任。1997年以来のTOM'S復帰となった。
人物
[編集]- 来日二年目の1995年には日本語がかなり上達し、1996年終盤にはレースに関する日本語での会話を流暢に操るようになっていた。
- 食べ物の好き嫌いが激しい。プライベートでは愛犬家である。
- テレビ朝日に放送されていたバラエティ番組、『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー』にセバスチャン・マルティノと出演し、100万円を獲得したことがある(そのときのチャレンジ内容は、スタントカーを使う競技だった。)。100万円の使い道を尋ねられた際に流暢な日本語で「郵便局に貯金します」と答え、その容貌も相まって飯島愛に絶賛された。
- 2001年1月12日にプロテニスプレーヤーの伊達公子と婚約[11]。同年12月に東京カテドラル聖マリア大聖堂で挙式を執り行った[12]。2人でトークショーに出演するなどしていたが[13]、2016年9月に協議離婚したことを発表した[14]。離婚発表時には「円満離婚」と表現し、離婚後も親交を続けているという。2021年12月のテレビ番組の取材の際に、長年マネージャーを務めていた日本人女性と1年前に結婚したことを公表した[15]。
レース戦績
[編集]- 1988年 - ドイツ・フォーミュラフォード(レースデビュー)
- 1989年 - ドイツ・フォーミュラフォード(シリーズチャンピオン)
- 1990年 - ドイツ・フォーミュラオペル・ロータス(シリーズチャンピオン)
- 1993年 - ドイツF3選手権(シリーズ4位)
- 1994年
- 1995年
- 1996年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(神奈川クリニック STELLAR #21/レイナード95D MF308)(シリーズ15位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.4 スポット参戦>(TAKU MOTOR SPORT #5 シャトレーゼ・ポルシェGT2/911GT-2 993)
- 1997年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.1-4>(オートテック STELLAR #35/レイナード96D MF308)
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.8>(Team Le Mans #2/レイナード97D MF308)
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.10>(TEAM CERUMO #11/ローラT96/52 MF308)(シリーズ16位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA Castrol TEAM #36 Tom's Castrol SUPRA/TOYOTA SUPRA JZA80 3S-GTE)(シリーズチャンピオン・2勝)
- 1998年
- ル・マン24時間レース・LMPクラス(総合5位)
- ドイツ・スーパーツーリング選手権 (チーム・ロズベルグ #22 ニッサン・プリメーラ/日産・プリメーラ HP11 ) (シリーズ9位)
- 1999年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.2-10>(TEAM 5ZIGEN #6/レイナード99L MF308)(シリーズ5位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #2 ARTA ゼクセル スカイライン/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ6位)
- 2000年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM 5ZIGEN #6/レイナード99L MF308)(シリーズ2位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #2 カストロール ニスモ GT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ8位)
- 2001年
- CARTチャンプカー(シリーズ31位)
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM 5ZIGEN #6/レイナード01L MF308)(シリーズ7位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #22 ザナヴィ ヒロト GT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ5位・1勝)
- 2002年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.1,2>(XBOX TEAM IMPUL #2/レイナード99L MF308)(シリーズ - 位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #22 ザナヴィ ニスモ GT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT→VQ30DETT)(シリーズ8位)
- ル・マン24時間レース・LMP900クラス(総合3位)
- 2003年 - 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #23 ザナヴィ ニスモ GT-R/スカイラインGT-R BNR34 VQ30DETT)(シリーズチャンピオン)
- 2004年 - 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #22 モチュール ピットワーク Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ9位・1勝)
- 2005年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #22 モチュール ピットワーク Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ5位)
- 2006年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #22 MOTUL AUTECH Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT→VK45DE)(シリーズ4位)
- 2007年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Arabian Oasis TEAM IMPUL #20/ローラB06/51 RV8J)(シリーズ10位)
- SUPER GT・GT500クラス(NISMO #22 MOTUL AUTECH Z/フェアレディZ Z33 VK45DE)(シリーズ5位)
- 2008年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #22 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VK45DE)(シリーズ7位)
- 2009年 - SUPER GT・GT500クラス<Rd.6>(NISMO #1 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VK45DE)
- 2010年 - FIA GT1世界選手権(SUMO POWER GT #23 NISSAN GT-R)
- 2011年 - FIA GT1世界選手権(JR Motorsport #23 NISSAN GT-R)(シリーズチャンピオン)
- 2012年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VRH34B)(シリーズ8位)
フォーミュラ
[編集]ドイツ・フォーミュラ3選手権
[編集]年 | チーム | エンジン | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | DC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1992年 | GMモータースポーツ | オペル | A | ZOL 1 2 |
ZOL 2 1 |
NÜR 1 Ret |
NÜR 2 6 |
WUN 1 6 |
WUN 2 2 |
AVU 1 Ret |
AVU 1 8 |
NÜR 1 6 |
NÜR 2 6 |
HOC 1 4 |
HOC 2 6 |
NOR 1 20 |
NOR 2 10 |
BRN 1 8 |
BRN 2 7 |
DIE 1 6 |
DIE 2 3 |
NÜR 1 5 |
NÜR 2 8 |
ALE 1 4 |
ALE 2 9 |
NÜR 1 6 |
NÜR 2 Ret |
HOC 1 Ret |
HOC 2 4 |
6位 | 158 |
1993年 | G+Mエスコム・モータースポーツ | A | ZOL 1 1 |
ZOL 2 1 |
HOC 1 Ret |
HOC 2 8 |
NÜR 1 3 |
NÜR 2 1 |
WUN 1 8 |
WUN 2 Ret |
NOR 1 7 |
NOR 2 3 |
DIE 1 4 |
DIE 2 Ret |
NÜR 1 1 |
NÜR 2 2 |
ALE 1 6 |
ALE 2 9 |
AVU 1 3 |
AVU 1 2 |
HOC 1 3 |
HOC 2 3 |
4位 | 198 |
全日本フォーミュラ3選手権
[編集]年 | チーム | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994年 | TOM'S | トヨタ | SUZ 4 |
FSW 3 |
TSU 1 |
SUZ 1 |
SEN 1 |
TOK 2 |
MIN 1 |
TAI 1 |
SUG 1 |
SUZ 5 |
1位 | 60 |
マカオグランプリ
[編集]年 | チーム | シャーシー/エンジン | 予選順位 | レース1 | レース2 | 総合順位 |
---|---|---|---|---|---|---|
1992年 | GMモータースポーツ | ラルト・RT36オペル | 20位 | DNF | 13 | NC |
1993年 | ダラーラ・393 オペル | 11位 | 7 | 6 | 6位 | |
1994年 | TOYOTA TEAM TOM's | トムス・034Fトヨタ | 7位 | 6 | 4 | 5位 |
全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン
[編集]年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994年 | 株式会社童夢 | SUZ | FSW | MIN | SUZ | SUG | FSW | SUZ | FSW 4 |
FSW 7 |
SUZ 15 |
11位 | 3 |
1995年 | OASYSステラインターナショナル | SUZ | FSW | MIN Ret |
SUZ Ret |
SUG Ret |
FSW Ret |
TOK 7 |
FSW Ret |
SUZ 7 |
NC | 0 | |
1996年 | 神奈川クリニック STELLAR | SUZ 4 |
MIN 6 |
FSW 11 |
TOK 16 |
SUZ 11 |
SUG 9 |
FSW Ret |
MIN Ret |
SUZ Ret |
FSW Ret |
15位 | 4 |
1997年 | オートテック STELLAR | SUZ Ret |
MIN 13 |
FSW Ret |
SUZ | SUG | FSW | MIN | 11位 | 7 | |||
Team Le Mans | TRM 6 |
FSW | |||||||||||
TEAM CERUMO | SUZ 10 | ||||||||||||
1999年 | TEAM 5ZIGEN | SUZ | TRM 5 |
MIN Ret |
FSW 3 |
SUZ 11 |
SUG 4 |
FSW 9 |
MIN 4 |
TRM Ret |
SUZ 2 |
5位 | 18 |
2000年 | SUZ 2 |
TRM 2 |
MIN 2 |
FSW Ret |
SUZ 3 |
SUG 5 |
TRM 2 |
FSW 5 |
MIN Ret |
SUZ 4 |
2位 | 35 | |
2001年 | SUZ Ret |
TRM 4 |
MIN 4 |
FSW 2 |
SUZ Ret |
SUG 6 |
FSW 3 |
MIN Ret |
TRM 7 |
SUZ 4 |
7位 | 20 | |
2002年 | XBOX TEAM IMPUL | SUZ 7 |
FSW 7 |
MIN | SUZ | TRM | SUG | FSW | MIN | TRM | SUZ | NC | 0 |
2007年 | Arabian Oasis TEAM IMPUL | FSW 6 |
SUZ 7 |
TRM 7 |
OKA 8 |
SUZ 5 |
FSW Ret |
SUG Ret |
TRM 15 |
SUZ Ret |
10位 | 12 |
ツーリングカー
[編集]全日本ツーリングカー選手権
[編集]年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994年 | Object T | トヨタ・コロナ | OAR1 | OAR2 | SUG1 | SUG2 | TOK1 | TOK2 | SUZ1 | SUZ2 | MIN1 | MIN2 | TAI1 | TAI2 | TSU1 7 |
TSU2 7 |
SEN1 Ret |
SEN2 DNS |
FSW1 27 |
FSW2 22 |
24位 | 8 |
1995年 | TOYOTA TEAM TOM's | トヨタ・コロナEXiV | FSW1 Ret |
FSW2 DNS |
SUG1 2 |
SUG2 Ret |
TOK1 4 |
TOK2 1 |
SUZ1 14 |
SUZ2 6 |
MIN1 17 |
MIN2 13 |
TAI1 4 |
TAI2 7 |
SEN1 Ret |
SEN2 Ret |
FSW1 Ret |
FSW2 9 |
8位 | 52 | ||
1996年 | FSW1 4 |
FSW2 7 |
SUG1 4 |
SUG2 1 |
SUZ1 3 |
SUZ2 3 |
MIN1 2 |
MIN2 6 |
SEN1 9 |
SEN2 3 |
TOK1 4 |
TOK2 4 |
FSW1 7 |
FSW2 10 |
3位 | 87 | ||||||
1997年 | FSW1 C |
FSW2 C |
TAI1 7 |
TAI2 9 |
SUG1 1 |
SUG2 Ret |
SUZ1 10 |
SUZ2 Ret |
10位 | 35 | ||||||||||||
トヨタ・チェイサー | MIN1 6 |
MIN2 4 |
SEN1 Ret |
SEN2 DNS |
TOK1 Ret |
TOK2 10 |
FSW1 12 |
FSW2 Ret |
ドイツ・スーパーツーリング選手権
[編集]年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1998年 | ニッサン・プリメーラ・レーシング | 日産・プリメーラ | HOC1 11 |
HOC2 4 |
NÜR1 12 |
NÜR2 21 |
SAC1 6 |
SAC2 Ret |
NOR1 Ret |
NOR2 12 |
LAH1 7 |
LAH2 Ret |
WUN1 6 |
WUN2 6 |
ZWE1 7 |
ZWE2 12 |
SAL1 9 |
SAL2 6 |
OSC1 2 |
OSC2 4 |
NÜR1 12 |
NÜR2 8 |
9位 | 312 |
(key)
グランドツーリングカー
[編集]全日本GT選手権/SUPER GT
[編集]年 | チーム | コドライバー | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995年 | TOYOTA Castrol TEAM | 関谷正徳 | トヨタ・スープラ | GT1 | SUZ 6 |
FSW 6 |
SEN 1 |
FSW Ret |
SUG 7 |
MIN 4 |
5位 | 46 | |||
1996年 | TAKU MOTOR SPORT | 飯田薫 | ポルシェ・911 | GT500 | SUZ | FSW | SEN | FSW Ret |
SUG | MIN | NC | 0 | |||
1997年 | TOYOTA Castrol TEAM | ペドロ・デ・ラ・ロサ | トヨタ・スープラ | GT500 | SUZ 14 |
FSW 3 |
SEN 1 |
FSW 2 |
MIN 1 |
SUG 15 |
1位 | 67 | |||
1998年 | TEAM IMPUL | 黒沢琢弥 | 日産・スカイラインGT-R | GT500 | SUZ | FSW C |
SEN | FSW | TRM | MIN | SUG | NC | 0 | ||
1999年 | NISMO | 鈴木亜久里 | GT500 | SUZ 5 |
FSW | SUG 9 |
MIN 12 |
FSW 12 |
TAI 2 |
TRM 2 |
6位 | 40 | |||
2000年 | 井出有治 (Rd.1) 片山右京 (Rd.2-9) |
GT500 | TRM 6 |
FSW 2 |
SUG 11 |
FSW 6 |
TAI 11 |
MIN Ret |
SUZ 4 |
8位 | 37 | ||||
2001年 | 田中哲也 | GT500 | TAI 4 |
FSW 3 |
SUG Ret |
FSW 1 |
TRM 10 |
SUZ 8 |
MIN 6 |
5位 | 52 | ||||
2002年 | 本山哲 | GT500 | TAI 11 |
FSW 7 |
SUG 7 |
SEP 4 |
FSW 2 |
TRM 10 |
MIN 2 |
SUZ Ret |
8位 | 51 | |||
2003年 | 本山哲 | GT500 | TAI 2 |
FSW 4 |
SUG 3 |
FSW 5 |
FSW 2 |
TRM 11 |
AUT 5 |
SUZ 3 |
1位 | 86 | |||
2004年 | 影山正美 | 日産・フェアレディZ | GT500 | TAI 9 |
SUG Ret |
SEP 6 |
TOK 1 |
TRM 8 |
AUT 9 |
SUZ Ret |
9位 | 39 | |||
2005年 | 柳田真孝 | GT500 | OKA 12 |
FSW 2 |
SEP 6 |
SUG 7 |
TRM 4 |
FSW 9 |
AUT 2 |
SUZ 8 |
5位 | 57 | |||
2006年 | 山本左近 (Rd.1-3) リチャード・ライアン (Rd.4-9) ファビオ・カルボーン (Rd.6) |
GT500 | SUZ 12 |
OKA 3 |
FSW 9 |
SEP 2 |
SUG 3 |
SUZ 2 |
TRM 10 |
AUT 6 |
FSW 6 |
4位 | 75 | ||
2007年 | 松田次生 | GT500 | SUZ 5 |
OKA 3 |
FSW 2 |
SEP 10 |
SUG Ret |
SUZ 6 |
TRM 2 |
AUT 4 |
FSW 9 |
5位 | 63 | ||
2008年 | 柳田真孝 ドミニク・シュワガー (Rd.6) |
日産・GT-R | GT500 | SUZ 2 |
OKA 15 |
FSW 12 |
SEP 2 |
SUG 13 |
SUZ 4 |
TRM 7 |
AUT 5 |
FSW 11 |
7位 | 57 | |
2009年 | 本山哲 | GT500 | OKA | SUZ | FSW | SEP | SUG | SUZ 6 |
FSW | AUT | TRM | 18位 | 5 | ||
2012年 | 本山哲 | GT500 | OKA 4 |
FSW 3 |
SEP 7 |
SUG Ret |
SUZ 5 |
FSW 11 |
AUT 6 |
TRM 6 |
8位 | 40 | |||
2013年 | KONDO RACING | 安田裕信 | GT500 | OKA 13 |
FSW 12 |
SEP 13 |
SUG 5 |
SUZ Ret |
FSW 10 |
AUT 6 |
TRM 9 |
13位 | 14 | ||
2014年 | 佐々木大樹 | GT500 | OKA 12 |
FSW 4 |
AUT 13 |
SUG 10 |
FSW 15 |
SUZ 9 |
CHA 2 |
TRM 4 |
10位 | 35 | |||
2015年 | 佐々木大樹 | GT500 | OKA | FSW | CHA | FSW 1 |
SUZ 13 |
SUG 3 |
AUT 15 |
TRM 12 |
10位 | 31 |
FIA GT選手権
[編集]年 | チーム | コ.ドライバー | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009年 | NISMO | ダレン・ターナー アンソニー・デヴィッドソン |
日産・GT-R GT1 | GT1 | SIL Ret |
ADR | OSC 9 |
SPA 3 |
HUN | ALG | LEC | ZOL 7 |
NC† | 0† |
(key)
- † 賞典外出走のため、ポイントは加算されない。
FIA GT1世界選手権
[編集]年 | チーム | コ.ドライバー | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010年 | スモウ・パワー GT | ピーター・ダンブレック | 日産・GT-R GT1 | ABU QR 11 |
ABU CR 16 |
SIL QR 8 |
SIL CR Ret |
BRN QR 3 |
BRN CR 3 |
PRI QR 9 |
PRI CR 2 |
SPA QR 8 |
SPA CR Ret |
NÜR QR Ret |
NÜR CR 15 |
ALG QR 1 |
ALG CR 4 |
NAV QR 16 |
NAV CR Ret |
INT QR 2 |
INT CR 6 |
SAN QR 6 |
SAN CR Ret |
9位 | 71 |
2011年 | JRモータースポーツ | ルーカス・ルーア | ABU QR 3 |
ABU CR 14 |
ZOL QR 7 |
ZOL CR 9 |
ALG QR 2 |
ALG CR 1 |
SAC QR 11 |
SAC CR 9 |
SIL QR 2 |
SIL CR 1 |
NAV QR 9 |
NAV CR 6 |
PRI QR 1 |
PRI CR 1 |
ORD QR 11 |
ORD CR 9 |
BEI QR 4 |
BEI CR 3 |
SAN QR 2 |
SAN CR Ret |
1位 | 137 |
スポーツカー
[編集]FIA 世界耐久選手権
[編集]年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013年 | グリーヴス・モータースポーツ | ザイテック・Z11SN | LMP2 | SIL | SPA | LMN 3 |
SAO | COA | FSW | SHA | BHR | 12位 | 30 |
2015年 | NISMO | 日産・GT-R LM NISMO | LMP1 | SIL | SPA | LMN NC |
NÜR | COA | FSW | SHA | BHR | NC | 0 |
(key)
ル・マン24時間レース
[編集]年 | チーム | コ・ドライバー | 車 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1998年 | NISMO TWR |
ジョン・ニールセン フランク・ラゴルス |
日産・R390 GT1 | GT1 | 342 | 5位 | 5位 |
1999年 | NISMO | エリック・コマス 本山哲 |
日産・R391 | LMP | 110 | DNF | DNF |
2002年 | アウディ・スポーツチーム・ヨースト | マルコ・ヴェルナー フィリップ・ピーター |
アウディ・R8 | LMP900 | 372 | 3位 | 3位 |
2005年 | ロールセンター・レーシング | ボビー・バードン=ロー ハロルド・プリマ |
ダラーラ・SP1-日産 | LMP1 | 133 | DNF | DNF |
2012年 | ハイクロフト・レーシング | マリーノ・フランキッティ 本山哲 |
デルタウイング-日産 | UNC | 75 | DNF | DNF |
2013年 | グリーヴス・モータースポーツ | ヤン・マーデンボロー ルーカス・オルドネス |
ザイテック・Z11SN-日産 | LMP2 | 327 | 9位 | 3位 |
2015年 | NISMO | ハリー・ティンクネル アレックス・バンコム |
日産・GT-R LM NISMO | LMP1 | 242 | NC | NC |
アメリカン・オープンホイール
[編集]CART
[編集]年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001年 | デイル・コイン・レーシング | ローラ・B2K/00 | フォード・コスワース XF | MTY 23 |
LBH 15 |
TXS | NZR | MOT | MIL | DET | POR | CLE | TOR | MIS | CHI | MDO | ROA | VAN | LAU | ROC | HOU | LGA | SRF | FON | 31位 | 0 |
(key)
著書
[編集]- 『パートナーピラティス』 (クルム伊達公子との共著) 2007年、講談社 ISBN 4062140349
- 『ミハエル・クルムのレーシング「超」運転術 』 2009年、順文社 ISBN 4809407934
脚注
[編集]- ^ F3チャンピオンのクルムがF3000富士に童夢から出場 Racing On NO.178 21頁 1994年11月4日発行
- ^ FIA・グループST車両による選手権で、現在のドイツツーリングカー選手権(DTM)とは異なる
- ^ クルム/ルーア組ニッサンGT-R、FIA GT1王座獲得 AUTO SPORTSweb 2011年11月6日付
- ^ Michael Krumm Attacks Nürburgring in a Nissan GT-R NISMO(解説付き走行動画) nissan news room 2013年11月19日
- ^ 日産、"量販車ニュル最速"のスーパー・スポーツカー「GT-R NISMO」を正式発表! auto blog 2013年11月20日
- ^ “日産/ニスモ、2台のGT3マシンでニュルブルクリンク24時間レースに出場”. NISMO (2016年4月6日). 2020年8月3日閲覧。
- ^ “ニュルブルクリンク24時間:「今日は100点!」KONDO Racingのニュル初挑戦は望外の好結果を残す”. autosport web (2019年6月24日). 2020年8月3日閲覧。
- ^ “日産/ニスモ、フォーミュラEとSUPER GTを柱に活動…2020年モータースポーツ”. Response. (2020年2月17日). 2020年8月3日閲覧。
- ^ “NISMOドライビングアカデミー”. NISMO. 2020年8月3日閲覧。
- ^ 「すごく助かっている」フェネストラズに強力助っ人。ミハエル・クルムがKONDO RACINGのドライバーサポートを担当 - オートスポーツ・2022年3月7日
- ^ “伊達公子さんが選んだ国際結婚”. All About (2001年1月12日). 2020年8月3日閲覧。
- ^ “Krumm sets the date.”. Crash.Net (2001年11月1日). 2020年8月3日閲覧。
- ^ “伊達、クルム夫妻が結婚トークショー”. nikkansports.com (2008年2月24日). 2020年8月3日閲覧。
- ^ “ミハエル・クルム、伊達公子との離婚を発表”. 2016-09-27. 2020年8月3日閲覧。
- ^ “ミハエル・クルムさん、1年前に再婚していた 元妻・伊達公子さんとは離婚後も“仲良し”交流”. スポーツニッポン. (2021年12月27日) 2022年9月28日閲覧。
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- Michael Krumm (@MichaelKrumm) - X(旧Twitter)
- Driving on The Edge - Michael Krumm (Driving-on-The-Edge-Michael-Krumm-104771166288872) - Facebook
- 旧公式ウェブサイト
タイトル | ||
---|---|---|
先代 トム・クリステンセン |
全日本F3選手権 1994年 |
次代 ペドロ・デ・ラ・ロサ |
mobilecast IMPUL | CARCHS KONDO RACING | SG 5ZIGEN | Team LeMans | RECKLESS CERUMO | Arabian Oasis IMPUL | ||||||
1 | ブノワ・トレルイエ | 3 | 柳田真孝 | 5 | 平中克幸 | 7 | 片岡龍也 | 11 | 立川祐路 | 19 | 本山哲 |
2 | 松田次生 | 4 | ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ | 6 | 吉本大樹 | 8 | 高木虎之介 | 12 | 佐々木孝太 | 20 | ミハエル・クルム |
PIAA NAKAJIMA | BOSS INGING | DHG TOM'S | DoCoMo DANDELION | ARTA | |||||||
31 | ロイック・デュバル | 33 | ロニー・クインタレッリ | 36 | アンドレ・ロッテラー | 40 | ビヨン・ビルドハイム | 55 | 井出有治 | ||
32 | 小暮卓史 | 34 | 横溝直輝 | 37 | 荒聖治 | 41 | ファビオ・カルボーン | 56 | 金石年弘 |
- ドイツのドライバー
- 全日本F3000選手権のドライバー
- フォーミュラ・ニッポンのドライバー
- チャンプカーのドライバー
- ドイツF3選手権のドライバー
- 全日本F3選手権のドライバー
- マカオグランプリのドライバー
- ヨーロピアン・ル・マン・シリーズのドライバー
- FIA 世界耐久選手権のドライバー
- FIA GT選手権のドライバー
- FIA GT1世界選手権のドライバー
- 全日本GT選手権のドライバー
- SUPER GTのドライバー
- ル・マン24時間レースのドライバー
- スパ24時間レースのドライバー
- 全日本ツーリングカー選手権のドライバー
- ドイツスーパーツーリング選手権のドライバー
- 在日外国人のスポーツ選手
- 在日ドイツ人
- ロイトリンゲン出身の人物
- 1970年生
- 存命人物