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1958年アルゼンチングランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルゼンチン 1958年アルゼンチングランプリ
レース詳細
1958年F1世界選手権全11戦の第1戦
ブエノスアイレス・サーキット (レイアウトNo.2、1953-1960)
ブエノスアイレス・サーキット
(レイアウトNo.2、1953-1960)
日程 1958年1月19日
正式名称 VI Gran Premio de la Republica Argentina
開催地 ブエノスアイレス・サーキット
アルゼンチンの旗 アルゼンチン ブエノスアイレス
コース 恒久的レース施設
コース長 3.912 km (2.431 mi)
レース距離 80周 312.96 km (194.48 mi)
ポールポジション
ドライバー マセラティ
タイム 1:42.0
ファステストラップ
ドライバー アルゼンチン ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ
タイム 1:41.8
決勝順位
優勝 クーパー-クライマックス
2位 フェラーリ
3位 フェラーリ

1958年アルゼンチングランプリ (1958 Argentine Grand Prix) は、1958年のF1世界選手権第1戦(開幕戦)として、1958年1月19日ブエノスアイレス・サーキットで開催された。

レース概要

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当レースは直前まで開催されるか揉めていた。開催は決まったものの、参加したのは6台のマセラティ前年ワークス活動を終えたため全車プライベート参戦)、3台のフェラーリ(全車ワークス)、そしてロブ・ウォーカー・レーシングチームクーパー1台の計10台という寂しい開幕戦となってしまった[1]。前年の王者ファン・マヌエル・ファンジオはどこのチームとも契約せず、自分の出たいレースに限って参戦する方針を立て、母国の当レースに参加した[2]。前年未勝利に終わったフェラーリは新車246(通称「ディーノ246」)を投入して立て直しを図る。スターリング・モスは所属するヴァンウォールが欠場したため、ロブ・ウォーカーのクーパーをドライブした。

レース序盤をリードしたジャン・ベーラマイク・ホーソーン、ファンジオらが予定通りレース半ばにタイヤ交換を済ませると、モスがトップに立った。モスのピット前にも交換するタイヤの準備がなされていたが、これは他チームを欺くための作戦であり、最初からタイヤ無交換で走りきることにしていた。レース終盤になってようやくモスのタイヤ無交換作戦に気づいたフェラーリは、2位のルイジ・ムッソにペースアップの指示を出したたものの時すでに遅く、モスがムッソに2.7秒差を付けて優勝した[3]

フロントエンジンのフェラーリ・246が車重560kgだったのに対し、ミッドシップクーパー・T43は僅か380kgで、まだ排気量が2.0Lしかなかったコヴェントリー・クライマックスエンジンの非力さを補い、ミッドシップ車及びプライベーターチームがF1で勝つ最初のレースとなった[4]

エントリーリスト

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No. ドライバー エントラント コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
2 アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ アルゼンチンの旗 スクーデリア・スッド・アメリカーナ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
4 フランスの旗 ジャン・ベーラ オーストラリアの旗 ケン・カバナ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
6 アルゼンチンの旗 カルロス・メンディテギー アルゼンチンの旗 スクーデリア・スッド・アメリカーナ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
8 アメリカ合衆国の旗 ハリー・シェル スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
10 スペインの旗 パコ・ゴディア スペインの旗 パコ・ゴディア マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
12 イギリスの旗 ホレース・グールド イギリスの旗 H.H. グールド マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 D
14 イギリスの旗 スターリング・モス イギリスの旗 RRCウォーカー・レーシングチーム クーパー T43 クライマックス FPF 2.0L L4 C
16 イタリアの旗 ルイジ・ムッソ イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ フェラーリ 246 フェラーリ Tipo143 2.4L V6 E
18 イギリスの旗 ピーター・コリンズ
20 イギリスの旗 マイク・ホーソーン
22 西ドイツの旗 ヴォルフガング・フォン・トリップス 1
24 アメリカ合衆国の旗 マステン・グレゴリー 1 イタリアの旗 スクーデリア・セントロ・スッド マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
26 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ 1
28 イギリスの旗 コリン・デイヴィス 1 イタリアの旗 オスカ・オートモビリ オスカ F2 オスカ 372 1.5L L4 P
30 アルゼンチンの旗 ホセ・フロイラン・ゴンザレス 1 アルゼンチンの旗 ホセ・フロイラン・ゴンザレス マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
32 アルゼンチンの旗 ロベルト・ミエレス 1 アルゼンチンの旗 ロベルト・ミエレス マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
34 イタリアの旗 ルイジ・ピオッティ 1 イタリアの旗 ルイジ・ピオッティ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
ソース:[5]
追記
  • ^1 - エントリーしたが出場せず

結果

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予選

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順位 No. ドライバー コンストラクター タイム
1 2 アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ 1:42.0
2 20 イギリスの旗 マイク・ホーソーン フェラーリ 1:42.6 + 0.6
3 18 イギリスの旗 ピーター・コリンズ フェラーリ 1:42.6 + 0.6
4 4 フランスの旗 ジャン・ベーラ マセラティ 1:42.7 + 0.7
5 16 イタリアの旗 ルイジ・ムッソ フェラーリ 1:42.9 + 0.9
6 6 アルゼンチンの旗 カルロス・メンディテギー マセラティ 1:43.7 + 1.7
7 14 イギリスの旗 スターリング・モス クーパー-クライマックス 1:44.0 + 2.0
8 8 アメリカ合衆国の旗 ハリー・シェル マセラティ 1:44.2 + 2.2
9 10 スペインの旗 パコ・ゴディア マセラティ 1:49.3 + 7.3
10 12 イギリスの旗 ホレース・グールド マセラティ 1:51.7 + 9.7
ソース:[6]

決勝

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順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 14 イギリスの旗 スターリング・モス クーパー-クライマックス 80 2:19:33.7 7 8
2 16 イタリアの旗 ルイジ・ムッソ フェラーリ 80 +2.7 5 6
3 20 イギリスの旗 マイク・ホーソーン フェラーリ 80 +12.6 2 4
4 2 アルゼンチンの旗 ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ 80 +53.0 1 4 1
5 4 フランスの旗 ジャン・ベーラ マセラティ 78 +2 Laps 4 2
6 8 アメリカ合衆国の旗 ハリー・シェル マセラティ 77 +3 Laps 8
7 6 アルゼンチンの旗 カルロス・メンディテギー マセラティ 76 +4 Laps 6
8 10 スペインの旗 パコ・ゴディア マセラティ 75 +5 Laps 9
9 12 イギリスの旗 ホレース・グールド マセラティ 71 +9 Laps 10
Ret 18 イギリスの旗 ピーター・コリンズ フェラーリ 0 ハーフシャフト 3
ソース:[7]
追記

第1戦終了時点のランキング

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  • : トップ5のみ表示。ベスト6戦のみがカウントされる。

脚注

[編集]
  1. ^ (林信次 1999, p. 55)
  2. ^ (林信次 1999, p. 58)
  3. ^ (林信次 1999, p. 55,57)
  4. ^ (林信次 1999, p. 57)
  5. ^ Argentina 1958 - Race entrants”. statsf1.com. 2018年1月28日閲覧。
  6. ^ Argentina 1958 - Qualifications”. statsf1.com. 2018年1月27日閲覧。
  7. ^ 1958 Argentine Grand Prix”. formula1.com. 4 June 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。16 August 2015閲覧。

参照文献

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  • 林信次『F1全史 1956-1960』ニューズ出版、1999年。ISBN 4-938495-27-9 

外部リンク

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前戦
1957年イタリアグランプリ
FIA F1世界選手権
1958年シーズン
次戦
1958年モナコグランプリ
前回開催
1957年アルゼンチングランプリ
アルゼンチンの旗 アルゼンチングランプリ 次回開催
1960年アルゼンチングランプリ