矢場町 (名古屋市)
矢場町 | |
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矢場町交差点から南大津通を望む (2020年(令和2年)8月) | |
北緯35度9分49.39秒 東経136度54分32秒 / 北緯35.1637194度 東経136.90889度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
行政区 | 中区 |
町名廃止 | 1969年(昭和44年)10月21日 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
ナンバープレート | 名古屋 |
矢場町(やばちょう)は、愛知県名古屋市中区の地名。アクセントは低高低低で「ば」を高く発する[WEB 1]。より簡略化し「矢場」とも言う。矢場町の名は江戸時代にまで遡る歴史的な地名だが、戦後の町名変更により現存しない。ただし、交差点名などとして残っており、現在も地域名として広く通称されている。
地理
[編集]旧矢場町域は現在の大須三丁目、栄三丁目の各一部に相当する[1][2]。名古屋城から続く城下町の1町であり、古くは東に南鍛冶屋町、西に末広町、南に三輪町、北に南大津町といった町丁が存在した[3][4]。
現在は行政地名としては存在しないが、通称・矢場町の区域は栄の南、矢場町通界隈や、東西に走る若宮大通、南北に走る大津通と2つの幹線道路が交差する矢場町交差点付近(いわゆる栄ミナミと呼ばれる地域)を指し、栄と大須の中間地点にあたる。大津通から西へ一本道を外れたナディアパーク南には矢場公園が、さらに西へ歩を進めると名古屋総鎮守の若宮八幡社、さらに本町通を挟み、白川公園が立地する。
歴史
[編集]1548年(天文17年)、牧長義の居城としてこの地に小林城が築城された。小林城は1570年(元亀元年)に廃され柳生利厳の屋敷となり、1701年(元禄14年)に清浄寺となる[3]。
矢場町の名は、1669年(寛文8年)、地域内に現存する三輪神社に弓矢場が作られたことに由来する。当地は弓矢場の西に位置したため矢場町と呼ばれるようになった[3][5]。1678年(延宝6年)には政秀寺の地子が、1695年(元禄8年)には万年寺と永昌院の地子が、1751年(寛延4年)には若宮八幡裏の地子がそれぞれ町屋となり町域を拡げた[5]。明治になり、商業化の進む栄とともに発展し、1966年(昭和41年)には区画整理により栄に、1969年(昭和44年)には大須へ編入された[3][4]。
なお、東区にも矢場があったが、こちらの地名が先に存在したため「東の矢場」と呼ばれ、東矢場町(現在は筒井三丁目)となり、現在に至る[6]。
行政区画の変遷
[編集]- 1871年(明治4年) - 勝鬘寺地子、慈雲庵門前を合併[2]。
- 1878年(明治11年)12月20日 - 郡区町村編制法施行により、名古屋区が発足。名古屋区矢場町となる[2]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋区の市制施行により、名古屋市矢場町となる[2]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 中区設置に伴い、中区矢場町となる[2]。
- 1938年(昭和13年)3月15日 - 一部を南大津通・南鍛冶屋町へ編入[2]。
- 1938年(昭和13年)11月1日 - 門前町の一部を編入[2]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区新設に伴い、栄区矢場町となる[2]。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区が中区に統合され、再び中区矢場町となる[2]。
- 1966年(昭和41年)3月30日 - 町名変更により、一部が栄三丁目となる[2]。
- 1969年(昭和44年)10月21日 - 町名変更により、残部が大須三丁目となり廃止[2]。
沿革
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 1911年(明治44年)4月 - 日進貯金株式会社が設立される[7]。
- 1912年(明治45年)
- 1912年(大正元年)
文化
[編集]大津通沿いは栄から続く繁華街で、松坂屋名古屋店や名古屋パルコなどの商業施設が建ち並ぶ。1996年のナディアパーク開設以降はブランド力のある商業施設の出店がさらに相次ぎ、Apple Store、フレッシュネスバーガーなどの名古屋初出店も矢場町界隈であった[WEB 2][WEB 3]。
前述の商業施設に加え、当地域や隣接する大須にはCLUB QUATTROなどのライブハウス、クラブも数多く居を構え、中部地方の若者文化の先端を行く地域である。大須寄りに技術者養成施設を開くギターメーカー・イーエスピーは地域を「若者文化・音楽ファンが集合する場所、音楽好きな人には 最高の環境といえる地域」と紹介している[WEB 4]。
味噌カツで有名な矢場とん本店は矢場町交差点の南に位置し、「矢場のとんかつ」として当地の地名を店名に採ったものである[WEB 5]。
交通・施設
[編集]鉄道・バス
[編集]また、栄駅、上前津駅からも徒歩圏内であり、場所によっては矢場町駅からよりも近い場合がある。
道路
[編集]史跡
[編集]脚注
[編集]WEB
[編集]- ^ “No.007 放送とイントネーション”. 解説委員室・コラム. テレビ愛知. 2011年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月20日閲覧。
- ^ 04矢場町 - 名古屋散策ウェブサイト、2010年11月20日閲覧。
- ^ 来年1月、栄に「フレッシュネスバーガー」が名古屋初出店 - サカエ経済新聞、2005年12月9日付記事、2010年11月20日閲覧。
- ^ ESPギタークラフトアカデミーウェブサイト(ESPギタークラフトアカデミー 名古屋校紹介)より引用。
- ^ 矢場とん歴史資料館 矢場とんのルーツ - 矢場とん、2010年11月20日閲覧。
- ^ “勝鬘寺本堂・山門・太鼓楼・鐘楼”. 観光・イベント情報. 名古屋市 (2012年9月25日). 2017年4月6日閲覧。
書籍
[編集]- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 783.
- ^ a b c d e f g h i j k 名古屋市計画局 1992, p. 789.
- ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, pp. 1366–1367.
- ^ a b 平凡社 1981, p. 162.
- ^ a b 名古屋市計画局 1992, p. 306.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 148.
- ^ 名古屋市会事務局 1961, p. 388.
- ^ 名古屋市会事務局 1961, p. 399.
- ^ 名古屋市会事務局 1961, p. 401.
- ^ 名古屋市会事務局 1961, p. 406.
- ^ 名古屋市会事務局 1963, p. 187.
- ^ 名古屋市会事務局 1963, p. 192.
参考文献
[編集]- 名古屋市会事務局 編『名古屋市会史 別巻 総合名古屋市年表(明治編)』名古屋市会事務局、1961年12月25日。全国書誌番号:49011381。
- 名古屋市会事務局 編『名古屋市会史 別巻第2 総合名古屋市年表(大正編)』名古屋市会事務局、1963年3月10日。全国書誌番号:49011382。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。
- 『日本歴史地名大系 第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年。