役割町
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役割町 | |
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北緯35度09分41.79秒 東経136度53分46.68秒 / 北緯35.1616083度 東経136.8963000度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
区 | 中区 |
町名制定 | 1878年(明治11年)[1] |
町名廃止 | 1969年(昭和44年)10月21日[1] |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 052[2] |
ナンバープレート | 名古屋[3] |
位置は国土地理院1万分の1『名古屋西南部』(1955年)による |
地理
[編集]北は南園町2丁目、東は常盤町、南は永楽町、西は東洲崎町に接していた[4]。
学区
[編集]人口
[編集]国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年) | 41人[5] | |
1955年(昭和30年) | 69人[5] | |
1960年(昭和35年) | 90人[6] | |
1965年(昭和40年) | 74人[6] |
歴史
[編集]地名の由来
[編集]当地は江戸時代には武家屋敷地にあたり、役割御手足軽が居住していたことに由来するという[4]。
沿革
[編集]- 1878年(明治11年) - 役割町として成立[1]。
- 1878年(明治11年)12月20日 - 名古屋区成立に伴い、同区役割町となる[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋市成立に伴い、同市役割町となる[1]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 中区成立に伴い、同区役割町となる[1]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区成立に伴い、同区役割町となる[1]。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止に伴い、中区役割町となる[1]。
- 1966年(昭和41年)3月30日 - 一部が栄一丁目に編入される[7]。
- 1969年(昭和44年)10月21日 - 全域が大須一丁目に編入され、消滅[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
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