御器所
御器所 | |
---|---|
北緯35度8分53.42秒 東経136度55分23.19秒 / 北緯35.1481722度 東経136.9231083度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 名古屋市 |
区 | 昭和区 |
面積 | |
• 合計 | 0.46930342 km2 |
人口 (2019年(平成31年)1月1日現在)[WEB 2] | |
• 合計 | 4,447人 |
• 密度 | 9,500人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | |
市外局番 | 052 (名古屋MA)[WEB 5] |
ナンバープレート | 名古屋 |
※御器所町の人口等はわずかな為、加算されていない。 |
御器所(ごきそ・ごきしょ[1])は、愛知県名古屋市昭和区の地名。住居表示実施地域の御器所一丁目から御器所四丁目と、未実施の御器所町がある[WEB 6]。
地理
[編集]御器所一丁目から御器所四丁目については名古屋市昭和区中央西部に位置する[1]。西は白金一丁目、北は鶴舞三丁目・鶴舞四丁目に接する[1]。また、御器所町は区北西部に残存し、西で鶴舞町および鶴舞一丁目、北で千種区および吹上一丁目と接している[2]。町域の大部分は名古屋工業大学のキャンパスにあたる[2]。
当地は名古屋台地と総称される台地のうち、特に御器所台地と称される部分に位置する[3]。また、東郊通付近は旧精進川により形成された沖積低地となっている[4]。
歴史
[編集]御器所の地名の初出は『昭和区誌』によれば、『吾妻鏡』の1190年(文治6年)4月19日条である[5]。御器所は後述の通り熱田神宮の神領であったものが、国衙領となり、それを平家が私物化し、平家滅亡後に源頼朝の手を経て一条能保に嫁いだ頼朝の妹に渡ったとされる[5]。御器所の地は、彼女の没後に能保の子に相続されたが、南北朝時代に至って御器所保と称される荘園となった[6]。
1351年(観応2年)には当時の御器所保地頭職にあたる高階重成が臨川寺にこの地を寄進し、翌年には地頭職も寄進している[6]。
当地の名物として御器所大根を用いた沢庵漬けが知られており、江戸時代に屋号を萬太と称する者により盛んに行われるようになり、1920年(大正9年)の産額は78万974貫、41万6146円と記録されている[8]。
町名の由来
[編集]『尾張志』によれば、当地は熱田神宮の神領であり、神事に使用する土器を調進する場所であったことによるという[9]。また、御器所は「ごきそ」と読むが、昭和に行われた住居表示により成立した御器所一丁目から御器所四丁目については行政当局により住居表示に関する法律の「よみやすく、かつ簡潔なよみを使う」との趣旨により、「ごきしょ」の読みが与えられた[新聞 1]。しかし、この読みについてはほとんど浸透せず、当地の住民にすら認知されない状況であったため、平成に入ってから公式に「ごきそ」に戻されている[新聞 1]。
沿革
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 1873年(明治6年)10月9日 - 村内個人宅において第25番小学叢雲学校が成立する[10]。
- 1876年(明治9年) - 前津小林を合併したことにより、愛知郡常磐村が成立する[11]。
- 1879年(明治12年) - 前津小林が名古屋市に吸収されたため、愛知郡常磐村から御器所村に名称が復する[11]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行・合併に伴い、愛知郡御器所村大字常磐となる[12]。
- 1905年(明治38年)3月 - 名古屋高等工業学校が設置される[13]。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 愛知郡御器所村大字御器所と改称する[12]。同郡広路村との合併による[11]。
- 1907年(明治40年)4月5日 - 御器所尋常高等小学校が設置される[14]。
- 1909年(明治42年)10月1日 - 一部が名古屋市中区に編入され、同区板橋町・老松町・千早町・大池町がそれぞれ成立した[12]。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 名古屋市中区に編入され、同区御器所町と改称する[12]。
- 1925年(大正14年)8月5日 - 中区御器所町に南区熱田東町の一部が編入される[12]。
- 1930年(昭和5年)12月1日 - 中区御器所町に南区瑞穂町の一部が編入される[12]。また、南区に一部が編入され、同区御器所町が成立する[12]。
- 1931年(昭和6年)
- 1933年(昭和8年)9月20日 - 中区御器所町の一部が、同区御器所通に編入される[16]。
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 中区御器所町の一部が昭和区に編入され、同区御器所町が成立する[17]。また同時に熱田区御器所町が成立する[12]。
- 1942年(昭和17年)
- 1956年(昭和31年)8月1日 - 一部が出口町に編入される[17]。
- 1958年(昭和33年)1月16日 - 中区御器所町の一部が昭和区御器所町に編入される[17]。
- 1972年(昭和47年)8月1日 - 昭和区島退町・洲原町・都島町・東郊通の各一部により同区御器所一丁目が、天池町・御器所町・御所町・島退町・洲原町・都島町の各一部により御器所二丁目が、天池町・御器所町・御所町・桜井町・洲原町の各一部により御器所三丁目が、御器所町の一部により御器所四丁目がそれぞれ成立する[17]。また御器所町の一部が出口町・鶴舞一〜二丁目に編入される[17]。
- 1979年(昭和54年)
- 2001年(平成13年)2月 - 地元町内会の有志により、住居表示により「ごきしょ」となっていた読みに関して、「ごきそ」にする旨の要望書が名古屋市に提出される[新聞 1]。
- 2002年(平成14年) - 2月市議会において名称を変更する議案を上程する[新聞 1]。
字一覧
[編集]南永金・滝子・稗田・高辻・下島田・江越・下赤島・高縄手・上赤嶋・段子田・下島田・坂下・地村・北永金・中屋敷・門屋敷・亀口・円上・鎌田・白金・向田・鳥喰・大清水・古市場・布池・河田・都島・菱池・吸場・外田・島退・島西浦・砂田・北市場・登城海道・東脇・出口・念仏・玄方・天神前・天神東・荒畑・東寺・山崎・木市・西狭間・北丸屋・北山・北山前・東畑・下離松・上離松・山ノ田・東狭間・吹上・竹戸・小針・西鶴舞[19]
世帯数と人口
[編集]2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
御器所一丁目 | 435世帯 | 866人 |
御器所二丁目 | 677世帯 | 1,314人 |
御器所三丁目 | 725世帯 | 1,415人 |
御器所四丁目 | 431世帯 | 852人 |
計 | 2,268世帯 | 4,447人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移
2000年(平成12年) | 4,645人 | [WEB 7] | |
2005年(平成17年) | 4,452人 | [WEB 8] | |
2010年(平成22年) | 4,494人 | [WEB 9] | |
2015年(平成27年) | 4,452人 | [WEB 10] |
学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[WEB 12]。なお、小・中学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
町丁・丁目 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
御器所町 | 名古屋市立鶴舞小学校 | 名古屋市立北山中学校 | 尾張学区 |
御器所一丁目 | 名古屋市立村雲小学校 | 名古屋市立円上中学校 | |
御器所二丁目 | |||
御器所三丁目 | 名古屋市立村雲小学校 名古屋市立御器所小学校 |
名古屋市立円上中学校 名古屋市立桜山中学校 | |
御器所四丁目 |
施設
[編集]御器所町
[編集]-
名古屋工業大学
御器所一丁目
[編集]御器所二丁目
[編集]-
尾陽神社
御器所三丁目
[編集]- 曹洞宗宗円寺[1]
御器所四丁目
[編集]-
御器所八幡宮
-
神宮寺
史跡
[編集]人物
[編集]その他
[編集]日本郵便
[編集]- 集配担当する郵便局は以下の通りである[WEB 13]。
町丁 | 郵便番号 | 郵便局 |
---|---|---|
御器所 | 466-0051[WEB 3] | 昭和郵便局 |
御器所町 | 466-0061[WEB 4] |
脚注
[編集]WEB
[編集]- ^ “愛知県名古屋市昭和区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2017年10月7日閲覧。
- ^ a b “町・丁目(大字)別、年齢(10歳階級)別公簿人口(全市・区別)”. 名古屋市 (2019年1月23日). 2019年1月23日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年1月6日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年1月6日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年1月6日閲覧。
- ^ 名古屋市役所市民経済局地域振興部住民課町名表示係 (2015年10月21日). “昭和区の町名一覧”. 名古屋市. 2017年10月7日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2005年7月1日). “(刊行物)名古屋の町(大字)・丁目別人口 (平成12年国勢調査) 昭和区” (xls). 2017年10月8日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2007年6月29日). “平成17年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口 昭和区” (xls). 2017年10月8日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2012年6月29日). “平成22年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口 昭和区” (xls). 2017年10月8日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2017年7月7日). “平成27年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口” (xls). 2017年10月8日閲覧。
- ^ “市立小・中学校の通学区域一覧”. 名古屋市 (2018年11月10日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ 郵便番号簿 平成29年度版 - 日本郵便. 2019年01月06日閲覧 (PDF)
新聞
[編集]文献
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1457.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1458.
- ^ 昭和区制施行50周年記念事業委員会 1987, p. 4.
- ^ 昭和区制施行50周年記念事業委員会 1987, p. 6.
- ^ a b 昭和区制施行50周年記念事業委員会 1987, p. 67.
- ^ a b 昭和区制施行50周年記念事業委員会 1987, p. 68.
- ^ 愛知郡役所 1923, p. 167.
- ^ 愛知郡役所 1923, p. 471.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 352.
- ^ 愛知郡役所 1923, p. 276.
- ^ a b c 愛知郡役所 1923, p. 159.
- ^ a b c d e f g h i j k 名古屋市計画局 1992, p. 787.
- ^ 愛知郡役所 1923, p. 345.
- ^ 愛知郡役所 1923, p. 341.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 800.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 797.
- ^ a b c d e f g 名古屋市計画局 1992, p. 799.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 809.
- ^ 愛知郡役所 1923, p. 69.
- ^ a b 昭和区制施行50周年記念事業委員会 1987, p. 126.
- ^ a b c d 昭和区制施行50周年記念事業委員会 1987, p. 127.
- ^ 愛知郡役所 1923, p. 716.
参考文献
[編集]- 愛知郡役所 編『尾張国愛知郡誌』愛知郡役所、1923年2月28日。
- 昭和区制施行50周年記念事業委員会 編『昭和区誌』昭和区制施行50周年記念事業委員会、1987年。全国書誌番号:88010876。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、御器所に関するカテゴリがあります。
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