南鍛冶屋町
表示
南鍛冶屋町 | |
---|---|
北緯35度09分53.88秒 東経136度54分31.18秒 / 北緯35.1649667度 東経136.9086611度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
行政区 | 中区 |
町名制定 | 1873年(明治5年)[1] |
町名廃止 | 1969年(昭和44年)10月21日[2] |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 052[3] |
ナンバープレート | 名古屋[4] |
位置は国土地理院1万分の1『名古屋東南部』(1955年)による |
南鍛冶屋町(みなみかじやちょう)は、愛知県名古屋市中区の地名。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1873年(明治5年) - 従来の鍛冶屋町筋の一部により、南鍛冶屋町として成立する[1]。
- 1878年(明治11年)12月20日[5] - 愛知郡前津小林村潮見坂・潮見沢下ノ筋・鼠坂・堀田坂・南鍛冶屋町・南鍛冶屋町東ノ切の各一部により、名古屋区南鍛冶屋町となる[2][6]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋市成立に伴い、同市南鍛冶屋町となる。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 中区成立に伴い、同区南鍛冶屋町となる[2]。
- 1911年(明治44年)11月1日 - 2丁目・3丁目の各一部が南久屋町および南武平町にそれぞれ編入される[2]。
- 1913年(大正2年)3月 - 愛知結核予防会が設立され、事務所が設置される[7]。
- 1936年(昭和11年)2月27日 - 東洋生命保険名古屋支店が廃止[8]。
- 1938年(昭和13年)3月15日 - 矢場町の一部を編入する[6]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区成立に伴い、同区南鍛冶屋町となる[2]。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止に伴い、同区南鍛冶屋町となる[2]。
- 1966年(昭和41年)3月30日 - 住居表示実施に伴い、1〜4丁目が栄三丁目に編入される[2]。
- 1969年(昭和44年)10月21日 - 住居表示実施に伴い、4・5丁目が大須四丁目に編入される[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 名古屋市会事務局 編『名古屋市会史 別巻第2 総合名古屋市年表(大正編)』名古屋市会事務局、1963年3月10日。全国書誌番号:49011382。
- 名古屋市会事務局 編『名古屋市会史 別巻第4 総合名古屋市年表(昭和編2)』名古屋市会事務局、1966年3月25日。全国書誌番号:49011384。
- 福岡清彦『中区の町名』名古屋市中区役所、1976年。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。