毛利広包
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毛利 広包(もうり ひろかね、元禄11年(1698年) - 元文2年4月23日(1737年5月22日))は、長州藩一門家老である吉敷毛利家の5代当主。
父は毛利就直。兄は毛利広政。正室は益田就賢の娘。継室は福原広俊養女(福原俊応の娘)。子は毛利元直。通称は清三郎、伊豆。
生涯
[編集]元禄11年(1698年)、一門家老・毛利就直の五男として生まれる。兄の広政が父の実家右田毛利家を相続したため、吉敷家の嫡男となり、宝永7年(1710年)に家督を相続した。兄・広政同様、藩主毛利吉広より偏諱の授与を受けて広包と名乗る。以後、吉広・吉元・宗広の3代の藩主に仕え、国許留守居役、加判役(家老)を務めた。享保4年(1719年)、朝鮮通信使来朝の際に接待役を務める。享保14年(1729年)、吉元の世子・毛利維広の江戸城登城の供をして将軍・徳川吉宗に拝謁する(維広は吉宗の1字を受けて宗広と改名)。
元文2年(1737年)4月23日死去。享年40。家督は嫡男の元直が相続した。
参考文献
[編集]- 石川卓美著「防長歴史用語辞典」