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松平信嵩

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松平信嵩
時代 江戸時代中期
生誕 宝永7年(1710年
死没 享保16年7月27日1731年8月29日
改名 己之助、箕之助(幼名)→信嵩
戒名 昭真院
墓所 東京都台東区下谷の英信寺
官位 従五位下安房守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
駿河小島藩
氏族 形原松平家滝脇松平家
父母 父:松平信庸:不詳
養父:松平信治
兄弟 信岑庸倫庸親戸田種辰信嵩、秀子、芳、種子
昌信戸田種員[1]
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松平 信嵩(まつだいら のぶたか)は、江戸時代中期の大名駿河国小島藩の第3代藩主滝脇松平家10代。官位従五位下安房守

略歴

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丹波国篠山藩の第4代藩主松平信庸(初代小島藩主松平信孝の弟)の6男として誕生。

享保6年(1721年)、従兄で先代藩主の信治の養嗣子となり、享保9年(1724年)の信治の死去により跡を継いだ。藩財政再建のため、領民から税を徴発するなどしたが効果は無かった。享保16年(1731年)7月27日に22歳で死去し、跡を長男・昌信が継いだ。

系譜

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父母

子女

脚注

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  1. ^ 戸田氏住