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国鉄C30形コンテナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国鉄C30形コンテナ
C30-410の廃コンテナ
C30-410の廃コンテナ
基本情報
製造メーカー 苗穂工場、盛岡工場他**
製造初年 1983年昭和58年)*
製造数 500個
形式消滅年 2004年平成16年)
常備駅 帯広駅苫小牧駅
主要諸元
外面色 黄緑6号+赤色帯
全長(内寸法) 3,658 mm (3,526 mm)
全幅(内寸法) 2,438 mm (2,295 mm)
全高(内寸法) 2,350 mm (2,041 mm)
荷重t
内容積 16.4・16.5 m3
自重 1.4 t
扉位置 片側側面、片側妻面
備考 *C20形、C21形よりの改造初年
**改造所
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国鉄C30形コンテナ(こくてつC30がたコンテナ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1983年昭和58年)に製作した、鉄道輸送用12 ft長5トン積み有蓋コンテナである。

概要

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国鉄のコンテナは、1971年(昭和46年)に登場したC20形コンテナから、12 ft級の新規格のコンテナとして一回り大きくなり、積載容量がアップしたものの、貨物の荷役扉が片側妻面の一方しかなく、多くの荷主より荷役の効率化のために、旧規格のC11形(10 ft)などのように、作業環境に応じて柔軟に対応可能な、複数方向から積み下ろしのできる構造のコンテナの配備を強く求められた。ヤード輸送の廃止を翌年に控えた1983年(昭和58年)、貨物営業制度研究会は、専用線でのホーム荷役に備えて、今後の有蓋コンテナはすべて側方開きとするよう提言した。これを受けて、折からの慢性的な赤字体質の改善と、道路網の急速な整備による長距離トラック輸送への切り替えなどによる顧客流失阻止を目的として、新に「二方開きコンテナ」を製作することとなった。

しかし、既に国鉄は危機的財政難に陥っており、効率の良い投資を行うという観点から、1983年(昭和58年)に既存のC20形及びC21形コンテナを国鉄工場[1]において改造し、500個(1 - 500)が製作されたのが本形式である。本形式の構造を検討するためのモックアップとして、同年7月にC21形コンテナ2個を改造した。側面の一部を開くようにしたAタイプ(1161)と全開するようにしたBタイプ(2110)が製作されたが、量産にはBタイプが採用されている。また、本形式と並行して、C31形が新製されている。

本形式は、専用線荷役駅に優先配置するため、帯広駅苫小牧駅東室蘭駅宮城野駅倉賀野駅高松駅東広島駅下関駅浜小倉駅鹿児島駅等に常備して運用された。

1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化に際しては、483個が日本貨物鉄道(JR貨物)に引き継がれたが、18D形19D形19G形といった新形コンテナの登場により用途廃止・廃棄が進み、2004年平成16年)度に全廃された。

構造

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本形式は、元々片妻開きであったC20形・C21形の荷役扉左側の側面に、新たに積み下ろし扉を追設する改造を行ったコンテナである。そのため、側扉がある以外は、両形式と同じ形状である。改造元のコンテナの違いで、上部四隅のクレーン荷役用ツイストロック式金具の有無の差異がある。C20形を基にした個体は金具なし、C21形を基にした個体は金具がある。

片側妻扉・片側側面の二方開きであり、外法寸法は高さ2,350 mm、幅2,438 mm、長さ3,658 mm、自重1.7 t。内容積は改造工場により16.4 m3のものと16.5 m3のものがある。最大積載量は5 tである。側扉は改造での取付であるため、妻面に扉のある側の向かって右扉は180度(コンテナが右側へ延長したイメージ)までしか開かない。

塗装については、地色は従来と同じ黄緑6号の「コンテナグリーン」であるが、二方開きであることを示すため、側面の帯が赤色となっている。

脚注

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  1. ^ 苗穂・盛岡・郡山長野名古屋松任鷹取高砂後藤広島幡生の11工場、釧路新津鹿児島の各車両管理所、旭川車両センター

参考文献

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  • 貨車技術発達史編纂委員会(編著)『日本の貨車 技術発達史 明治5(1872)年〜平成16(2004)年』社団法人日本鉄道車輌工業会、2008年3月。全国書誌番号:21465967 
  • 吉岡心平『国鉄コンテナのすべて』 下、ネコ・パブリッシング〈RM LIBRARY 122〉、2009年11月。ISBN 978-4-77705265-3 

関連項目

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