十八成浜
十八成浜 | |
---|---|
北緯38度21分19.050秒 東経141度29分43.360秒 / 北緯38.35529167度 東経141.49537778度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 宮城県 |
市町村 | 石巻市 |
地域 | 牡鹿地域 |
地区 | 鮎川地区 |
設置 | 2005年4月1日 |
人口 | |
• 合計 | 132人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
986-2527[2] |
市外局番 | 0225(石巻MA)[3] |
ナンバープレート | 宮城 |
運輸局住所コード | 04501-1828[4] |
十八成浜(くぐなりはま)は、宮城県石巻市牡鹿総合支所管区内にある大字である。旧牡鹿郡牡鹿町十八成浜、旧牡鹿郡鮎川町十八成浜、旧牡鹿郡鮎川村十八成浜、旧牡鹿郡十八成組十八成浜に相当する[5]。郵便番号は986-2527[2]。なお、2020年3月末時点での域内の人口は132人(住民基本台帳より)。
概要
[編集]十八成浜は鮎川で盛んであった捕鯨の基地、鮎川への物資を中継地点として繁栄していた。また、域内の浜はかつて鳴き砂で知られており、その音から十八成浜と命名されたのだが、現在は防潮堤によって隔てられている[5]。
また、第一次漁港である十八成浜漁港を基地として漁業も盛んであるが、平地が少なく山地が多いため、農業は発達していない。
なお、気仙沼市の気仙沼大島に十八鳴浜という鳴き砂で著名な浜があるが、関連性はない。
歴史
[編集]石巻市の行政区域としては合併によって2005年4月1日に牡鹿町十八成浜(1950年3月26日成立)から成立した。
仙台藩政期には大肝煎が住んでいたが、近年では隣接している鮎川浜の商圏となっている。
地理
[編集]石巻市の南東部、牡鹿半島の中部に位置し、東は鮎川浜と、西は小渕浜と、北は泊浜と接して、南で石巻湾に面する。
小字
[編集]- 青ノ角
- 疣石山
- 大嵐山
- 太田山
- 清崎長谷浜
- 清崎山
- 十八成
- 金剛田
- 金剛畑
- 坂ノ上
- 鮫島
- 三本松
- 白浜
- 寺下
- 寺下入
- 寺山
- 中平
- 中山
- ニーテボ
- ニーテボ東
- 葉ノ木沢
- 葉ノ木沢入
- ボナラ石
- 前田
- 山下
- 山上
消滅した小字
[編集]以下は2023年8月現在において、消滅した小字である[6]。
- ニテボウ
- 金剛北
- イボ石山
- 日向山
人口
[編集]2021年(令和3年)4月末時点での人口は以下の通りである[1]。
小字 | 世帯数 | 男 | 女 | 計 |
---|---|---|---|---|
大嵐山 | 16世帯 | 19人 | 15人 | 34人 |
太田山 | 2世帯 | 2人 | 2人 | 4人 |
清崎山 | 2世帯 | 2人 | 1人 | 3人 |
十八成 | 24世帯 | 21人 | 20人 | 41人 |
金剛田 | 6世帯 | 6人 | 7人 | 13人 |
金剛畑 | 3世帯 | 2人 | 2人 | 4人 |
坂ノ上 | 1世帯 | 1人 | 2人 | 3人 |
寺山 | 9世帯 | 7人 | 10人 | 17人 |
中山 | 2世帯 | 2人 | 1人 | 3人 |
葉ノ木沢 | 1世帯 | 0人 | 1人 | 1人 |
前田 | 2世帯 | 1人 | 1人 | 2人 |
山下 | 2世帯 | 2人 | 1人 | 3人 |
また、2020年(令和2年)3月末時点での住民基本台帳による年代別・男女別の人口は以下の通りである[1]。
世代 | 男 | 女 | 計 |
---|---|---|---|
0歳〜4歳 | 1人 | 0人 | 1人 |
5歳〜9歳 | 0人 | 0人 | 0人 |
10歳〜14歳 | 0人 | 1人 | 1人 |
15歳〜19歳 | 0人 | 1人 | 1人 |
20歳〜24歳 | 1人 | 0人 | 1人 |
25歳〜29歳 | 2人 | 3人 | 5人 |
30歳〜34歳 | 3人 | 1人 | 4人 |
35歳〜39歳 | 0人 | 2人 | 2人 |
40歳〜44歳 | 0人 | 1人 | 1人 |
45歳〜49歳 | 2人 | 1人 | 3人 |
50歳〜54歳 | 5人 | 3人 | 8人 |
55歳〜59歳 | 3人 | 5人 | 8人 |
60歳〜64歳 | 5人 | 5人 | 10人 |
65歳〜69歳 | 9人 | 5人 | 14人 |
70歳〜74歳 | 8人 | 5人 | 13人 |
75歳〜79歳 | 14人 | 11人 | 25人 |
80歳〜84歳 | 4人 | 7人 | 11人 |
85歳〜89歳 | 4人 | 10人 | 14人 |
90歳〜94歳 | 5人 | 2人 | 7人 |
95歳〜99歳 | 0人 | 3人 | 3人 |
100歳〜 | 0人 | 0人 | 0人 |
施設
[編集]- 十八成浜ビーチパーク[7]。
- 陽山寺
文化
[編集]- ハラマシギ - 4月14日に年男が山に入り、カツヌ木(ヌルデ木)をとってきて、長さ30cmくらいに切り、皮をはいで削りかけをつけた棒をハラマシギないしハラメン棒という[8]。家の男の子供の数だけそれを作り、神棚に上げておき、15日の明け方になると子供たちがこの棒をもって家をまわり、玄関や雨戸を叩き、家の中に入って家族の身体を「ハラメ、ハラメ」や「達者で暮らせ」と唱えながら、ハラマシギでたたいたり、こすったりするという風習がある[8]。
交通
[編集]鉄道
[編集]域内に鉄道は通っていないが、最寄駅は女川駅などが挙げられる。
バス
[編集]- ミヤコーバス鮎川線
道路
[編集]- 宮城県道2号石巻鮎川線
- 宮城県道220号牡鹿半島公園線(牡鹿コバルトライン)
学区
[編集]小学校は石巻市立鮎川小学校へ、中学校は石巻市立牡鹿中学校へと進学する[9]。
東日本大震災
[編集]十八成浜での東日本大震災の震度は概ね6弱であったと推測され、2012年時点では域内の犠牲者は5人である[10]。また、126世帯中77世帯(175人)が被災し、40%以上の住民が十八成浜を離れた[11]。
2012年12月時点での域内の世代・男女別の犠牲者・死亡率・当時の人口(2010年国勢調査によるもの)は以下の通りである[10][12]。
世代と性別 | 犠牲者 | 死亡率 | 当時の人口 |
---|---|---|---|
男性 | 1人 | 0.85% | 118人 |
女性 | 4人 | 2.78% | 144人 |
15歳未満 | 0人 | 0.00% | 9人 |
15〜64歳 | 0人 | 0.00% | 96人 |
65歳以上 | 5人 | 3.18% | 157人 |
合計 | 5人 | 1.91% | 262人 |
関連項目
[編集]- 阿部邦子:域内で民宿を営んでいた。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 4 宮城県、角川書店、1979年12月1日。ISBN 4040010302。
- 牡鹿町誌編纂委員会 編『牡鹿町誌』 上巻、安住重彦、1988年11月20日。
- 大石直正, 難波信雄 編『街道の日本史』 7 平泉と奥州道中、吉川弘文館〈1〉、2003年8月20日。ISBN 4642062076。
- 平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系第4巻 宮城県の地名』平凡社、1998年7月10日。ISBN 4582490042。
脚注
[編集]- ^ a b c “人口・世帯数(最新版)”. 石巻市. 2021年6月8日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2021年5月10日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2021年1月28日閲覧。
- ^ a b “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2023年8月18日閲覧。
- ^ a b 牡鹿町誌編纂委員会 1988.
- ^ 角川日本地名大辞典 1979, p. 883.
- ^ “公式ホームページ”. 十八成浜ビーチパーク. 2023年9月1日閲覧。
- ^ a b 角川日本地名大辞典 1979, p. 959.
- ^ “小・中学校の学区”. 石巻市. 2021年6月7日閲覧。
- ^ a b 谷謙二「小地域別にみた東日本大震災被災地における死亡者および死亡率の分布」『埼玉大学教育学部地理学研究報告』第32号、埼玉大学教育学部地理学研究室、2012年、1-26頁、doi:10.24561/00016186、ISSN 0913-2724、NAID 120006388016、2021年10月24日閲覧。
- ^ “大幅に遅れた高台移転事業 市町村には荷が重すぎた” (日本語). WEDGE Infinity: p. 2. (2021年3月2日) 2021年7月4日閲覧。
- ^ “2 災害状況の整理(東日本大震災の災害検証)”. 石巻市. 2021年10月24日閲覧。