石巻 (石巻市)
石巻 | |
---|---|
大字 | |
北緯38度26分45秒 東経141度18分42秒 / 北緯38.4457002度 東経141.3115598度座標: 北緯38度26分45秒 東経141度18分42秒 / 北緯38.4457002度 東経141.3115598度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 宮城県 |
市町村 | 石巻市 |
地域 | 本庁地域 |
地区 | 石巻地区 |
人口情報(2024年12月末[1]) | |
人口 | 0 人 |
世帯数 | 0 世帯 |
設置日 | 1889年4月1日 |
郵便番号 | 986-0000[2] |
市外局番 | 0225[3] |
ナンバープレート | 宮城 |
運輸局住所コード | 04501-0903[4] |
町字ID[5] | 85000 |
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石巻(いしのまき)は、宮城県石巻市の大字であり、旧牡鹿郡石巻村の一部、旧牡鹿郡石巻町石巻の一部に相当する[6][7]。郵便番号は986-0000[2]。住居表示未実施で住所では石巻のあとに小字名が続く[8]。
地理
[編集]小字
[編集]仙台法務局石巻支局の「石巻市登記所備付地図データ」(2024年10月5日時点)およびデジタル庁公表のアドレス・ベース・レジストリの「宮城県町字マスターデータセット」(2024年8月13日時点)および運輸局公表の「東北運輸局宮城運輸支局住所コード表」(2024年11月1日時点)によれば、石巻の小字は以下の通りである[注 1][9][4][5]。
大字 | 小字 | 出典 | ||
---|---|---|---|---|
町字マスター | 運輸局コード | 登記 | ||
石巻 | 字旭町 | ○ | ○ | × |
字蛇田頭 | ○ | ○ | × | |
字新内谷地 | ○ | ○ | × | |
字水押 | ○ | ○ | ○ | |
字袋谷地 | ○ | ○ | × | |
字袋谷地五番 | ○ | ○ | × | |
字袋谷地七番 | ○ | × | × | |
字袋谷地南 | ○ | ○ | × | |
字袋谷地八番 | ○ | × | × | |
字袋谷地北 | ○ | ○ | ○ | |
字袋谷地六番 | ○ | × | × | |
字中里 | ○ | ○ | × | |
赤土山下 | × | ○ | × | |
鋳銭場 | × | ○ | × | |
内谷地 | × | ○ | × | |
駅前 | × | ○ | × | |
新中里 | × | ○ | × | |
新東中里 | × | ○ | × | |
袋谷地二番 | × | ○ | × | |
蛇田浦内 | × | ○ | × |
明治期の小字
[編集]宮城県各村字調書によると明治17、18年頃の石巻村の小字は以下の通りである[10][11]。
- 本町
- 中町
- 立町
- 横町
- 裏町
- 新田町
- 住吉町
- 蛇田町
- 御殿横丁
- 阿部屋横丁
- 松本横丁
- 寿福寺横丁
- 肴町
- 化物横丁
- 小野寺横丁
- 新丁
- 新町
- 住吉横丁
- 及川横丁
- 袋谷地
- 中瀬
- 八沢
- 裏町浦
- 鰐山
- 立町浦
- 赤土山
- 鋳銭場
- 鋳銭場外
- 蛇田頭
- 蛇田内
- 蛇田外
- 水押
- 西水押
- 内谷地
- 中里
- 袋谷地一番〜八番
住居表示前の小字
[編集]1988年石巻市発行の「石巻の歴史」によれば住居表示前の石巻の小字は以下の通りである[12]。
- 本町
- 仲町
- 裏町
- 八ツ沢
- 立町
- 横町
- 新田町
- 鋳銭場
- 北鰐山
- 南鰐山
- 赤土山下
- 駅前
- 旭町
- 住吉町
- 内谷地
- 元倉
- 新内谷地
- 新中里
- 新東中里
- 水押
- 袋谷地
- 袋谷地二番
- 袋谷地北
- 袋谷地南
- 中瀬
歴史
[編集]史料上の地名の初見は天正17年(1589年)4月29日付の平塚越前守あての葛西晴信香炉印文書にある
石巻之内谷地所望之由申上候、丹後屋敷被差添へ被下置候。知行相違有間敷候。御奉公之事者随時尓相応之儀可被仰付候。為後日依如件
とされる[13]。
江戸期、石巻村には石巻町という町場が形成された[14]。石巻町は本町、中町、横町、裏町の四町[注 2]および村分の新田町から構成されていたが、実態は石巻町と石巻村端郷住吉の住吉町と蛇田村の蛇田町が相接して一つの町場を形成していた[15] [16]。
石巻町は仙台藩の行政体系では石巻村の中の町であったが、石巻村の住民のほとんどは石巻町の町屋敷に住んでいた[17]。
以下、石巻町を構成していた四町と石巻村の村分である新田町について解説する。札場が置かれて石巻町の中心地となっていた本町は石巻町のなかでも最初に開かれた町で葛西浪人米谷氏が開いた町であるとされる[16]。本町には札場や藩の米蔵など公的施設が設置されていた[18]。なお、本町は現在の中央一丁目に相当する[16]。本町の次には中町が信濃国出身の松本但馬兼満により開かれた[18]。中町は街区全体が小運河で囲まれており、石巻代官所が置かれた[18] [19]。なお、中町は現在の中央二丁目に相当する[18]。中町の次には裏町が開かれた[19]。裏町の地名の初見は元禄11年(1698年)の書上で石巻町の発展とともに街道沿いの街区として形成されたものとされる[20]。なお、裏町は現在の中央二丁目に相当する[19]。横町は中町から蛇田町を経て鹿又方面に向かう街道沿いに発達した町で住吉町の補完的な町として発展したと考えられている[21]。なお、横町は現在の千石町に相当する[21]。新田町は石巻村の村域に設置された町で、石巻町設置当初は新田町の地区に街区を設ける計画がなかったことから石巻村の村分となったものの石巻町が当初の町場を越えて発展したため、新田町にも街区が設けられたとされる[21]。
石巻町は西廻り海運の酒田港と並ぶ東廻り海運第一の港町として繁栄し、藩経済の中心地となった。
牡鹿郡万御改書上によれば元禄年間の石巻村の村高は242石余、人口は2,377人で安永風土記によると安永期の村高は田代14貫余、畑代12貫余で計26貫余、家数724(うち借家500・御仮屋1)、人口2,969人、馬29、舟は61隻であった。
現在では1966年5月および1984年9月の住居表示実施により、かつての大部分が整理・改称された[22][23] [24][25][26]。
沿革
[編集]- 文化年間前後 - 立町および穀町が成立する[27]。
- 明治元年 - 高崎藩取締地となる[6]。
- 明治2年
- 明治5年 - 宮城県に所属[6]。
- 1882年(明治15年) - 石巻村と湊村を結ぶ内海橋が開通[6]。
- 1889年(明治22年)
- 石巻村、門脇村、湊村が合併し、石巻町が成立。石巻村は石巻町石巻となる。
- 2月 - 蛇田村より編入した蛇田町に遊郭を設けるにあたって、蛇田町を旭町と改称する[27]。
- 1933年(昭和8年)5月1日 - 牡鹿郡石巻町が市制を施行[7]。それに伴い、石巻町石巻は石巻市石巻となる。
- 1966年(昭和41年)5月1日 - 域内の一部で住居表示実施。それに伴い、鋳銭場や穀町などの町丁が分離独立する。
町名の変遷
[編集]住居表示による町名の変遷は以下の通りである[22][23][24][25][26]。
実施後 | 実施年月日 | 実施前(特記なければ各町・字ともその一部) | |
---|---|---|---|
町丁 | 大字 | 小字 | |
住吉町一丁目 | 1966年5月1日 | 石巻 | 字住吉町、字横町、字仲町 |
住吉町二丁目 | 字元倉、字内谷地、字新内谷地、字住吉町 | ||
旭町 | 1966年5月1日 | 字蛇田浦内、字旭町 | |
千石町 | 1966年5月1日 | 字横町、字新田町 | |
鋳銭場 | 1966年5月1日 | 字鋳銭場、字赤土山下 | |
穀町 | 1966年5月1日 | 字赤土山下、字立町、字北鰐山、字鋳銭場 | |
立町一丁目 | 1966年5月1日 | 字立町、字鋳銭場、字裏町、字北鰐山 | |
立町二丁目 | 1966年5月1日 | 字立町、字鋳銭場、字裏町 | |
羽黒町一丁目 | 1966年5月1日 | 字北鰐山、字八ツ沢、字立町 | |
羽黒町二丁目 | 1966年5月1日 | 字北鰐山 | |
中央一丁目 | 1966年5月1日 | 字本町、字八ツ沢、字裏町 | |
中央二丁目 | 字仲町、字裏町、字本町 | ||
中央三丁目 | 字仲町、字裏町、字横町、字新田町 | ||
泉町一丁目 | 1966年5月1日 | 字南鰐山、字八ツ沢 | |
泉町二丁目 | 字南鰐山、字八ツ沢 | ||
泉町三丁目 | 字南鰐山 | ||
泉町四丁目 | 字南鰐山 | ||
中瀬 | 1966年5月1日 | 字中瀬 | |
駅前北通り | 時期不明 | 字元倉 | |
元倉 | 時期不明 | 字元倉 | |
東中里 | 時期不明 | 字元倉 | |
南中里 | 時期不明 | 字元倉 | |
門脇町一丁目 | 1966年5月1日 | 字本町 | |
山下町一丁目 | 1967年4月1日 | 字赤土山下 | |
山下町二丁目 | 1967年4月1日 | 字北鰐山、字明神山 | |
双葉町 | 1966年5月1日 | 字南鰐山 | |
水明南 | 時期不明 | 字袋谷地 | |
水明北 | 時期不明 | 字袋谷地 |
地名の由来
[編集]石巻の地名の由来には諸説ある。
江戸時代後期の地理学者である村岡良弼が天保10年(1839年)に地理志科で提唱した説では日本書紀第十一巻仁徳天皇条にある伊寺水門(いしのみなと)が石巻の由来であるとしている[13]。村岡良弼は地理志科で湊村がかつての伊寺水門にあたり、石巻は伊寺の牧つまり放牧地であったと解説している[13]。なお、伊寺水門の由来について菊池勝之助は宮城県地名考で、かつて伊寺川[注 3]と呼ばれていた迫川は石巻付近に至って海に注いでいたため、湊の地は伊寺川の河口、つまり伊寺水門と名付けられたと解説している[28]。ただし、この説については一部で「石巻」の地名は戦国期まではさかのぼっても古代までさかのぼる地名とは考えられないとの見解もある[29]。
封内名跡志には
石卷町住吉社畔華表前灣有一巨石、其象如烏帽子、上建天女宮、其下有碧潭、々上水渦回旋、自然成紋若卷物相似、故鄉人就石形稱烏帽子、潭呼石旋 、俗間謂河流之間水渦之溶近曲卷回旋之象、自是爲地名
とあり、住吉社のほとりにあった巨石(烏帽子石と呼ばれていた)で河水が渦を巻いて流れていたという故事が地名の由来であると記している[30] [31] [32]。
このほかに牧山の古称である「石巻山」「石繞山(いしまきやま)」からとする説や、[鮭鱒の収穫が多いところを意味する「イソ・マシュキニ」または岬の開けたところを意味する「エサン・マッケ」などのアイヌ語の転訛からとした説もある[33] [34]。
地名の由来に関して、大日本史では武甕槌が石船に乗って石巻の地に来た際に大碇を捲いて投げたということから、石巻と呼ばれるようになったという伝説が記載されている[33]。
人口
[編集]2024年(令和6年)12月末時点の石巻市の住民基本台帳による石巻の人口及び、世帯数は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数〔人〕 | 男性〔人〕 | 女性〔人〕 | 合計〔人口〕 |
---|---|---|---|---|
石巻 | 0 | 0 | 0 | 0 |
合計 | 0 | 0 | 0 | 0 |
関連項目
[編集]- 石巻 - 曖昧さ回避。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “人口”. 石巻市 (2024年12月6日). 2025年1月11日閲覧。
- ^ a b “宮城県”. 日本郵便グループ. 2024年3月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2025年1月11日閲覧。
- ^ a b “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2025年1月11日閲覧。
- ^ a b “宮城県 町字マスター データセット”. デジタル庁. 2024年12月27日閲覧。
- ^ a b c d e f 角川日本地名大辞典 1979, p. 70.
- ^ a b 角川日本地名大辞典 1979, p. 600.
- ^ “住居表示申請について”. 石巻市 (2022年4月6日). 2025年1月11日閲覧。
- ^ “石巻市(仙台地方法務局石巻支局)登記所備付地図データ”. G空間情報センター. 一般社団法人社会基盤情報流通推進協議会 (2024年10月5日). 2025年1月11日閲覧。
- ^ 石巻の歴史 1988, p. 828.
- ^ 角川日本地名大辞典 1979, p. 874.
- ^ 石巻の歴史 1988, p. 841.
- ^ a b c 石巻の歴史 1988, p. 786.
- ^ 石巻の歴史 1998, p. 75.
- ^ 石巻の歴史 1998, p. 76.
- ^ a b c 石巻の歴史 1998, p. 89.
- ^ 石巻の歴史 1998, p. 88.
- ^ a b c d 石巻の歴史 1998, p. 91.
- ^ a b c 石巻の歴史 1998, p. 93.
- ^ 石巻の歴史 1998, p. 94.
- ^ a b c 石巻の歴史 1998, p. 95.
- ^ a b 石巻の歴史 1988, p. 850.
- ^ a b 石巻の歴史 1988, p. 851.
- ^ a b 石巻の歴史 1988, p. 852.
- ^ a b 石巻の歴史 1988, p. 853.
- ^ a b 石巻の歴史 1988, p. 854.
- ^ a b 牡鹿郡誌 1975, p. 29.
- ^ 菊地勝之助 1972, p. 192.
- ^ 角川日本地名大辞典 1979, p. 71.
- ^ 牡鹿郡誌 1975, p. 39.
- ^ 牡鹿郡誌 1975, p. 424.
- ^ 角川日本地名大辞典 1979, p. 69.
- ^ a b 石巻の歴史 1988, p. 787.
- ^ 石巻の歴史 1988, p. 788.
参考文献
[編集]石巻市史・牡鹿郡誌
[編集]- 石巻市史編さん委員会 編『石巻の歴史通史編(下の1)』 2巻、石巻市、1998年3月31日。
- 石巻市史編さん委員会 編『石巻の歴史民俗生活編』 3巻、石巻市、1988年3月31日。
- 牡鹿郡役所 編『牡鹿郡誌』中村安孝、1975年9月19日。ISBN 4653014566。 NCID BN03238875。
書籍
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 4 宮城県、角川書店、1979年12月1日。ISBN 4040010302。
- 菊池勝之助 編『宮城県地名考 地方誌の基礎研究』(更新版)鈴木武夫、1972年6月15日。 NCID BA47356935。
外部リンク
[編集]- 石巻村 (040000207700) | 『日本歴史地名大系』地名項目データセット - Geoshapeリポジトリ