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鮎川町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あゆかわまち
鮎川町
廃止日 1955年3月26日
廃止理由 新設合併
鮎川町大原村牡鹿町
現在の自治体 石巻市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
牡鹿郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 31.89 km2
総人口 8,530
(『宮城県町村合併誌』、1955年3月25日)
隣接自治体 牡鹿郡大原村荻浜村
鮎川町役場
所在地 宮城県牡鹿郡鮎川町
座標 北緯38度18分07秒 東経141度30分31秒 / 北緯38.30203度 東経141.50853度 / 38.30203; 141.50853座標: 北緯38度18分07秒 東経141度30分31秒 / 北緯38.30203度 東経141.50853度 / 38.30203; 141.50853
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鮎川町(あゆかわまち)は、昭和30年(1955年)まで宮城県牡鹿郡の南東部にあった町。現在の石巻市鮎川浜・網地浜・十八成浜・長渡浜および鮎川大町・鮎川浜丁にあたる。

地理

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『牡鹿郡史』(1923年刊行)には、『鮎川村は牡鹿半島の盡くる所にあり。鮎川、十八成背後の渓谷の外山岳重疊して平地極めて少し。(中略)捕鯨會社の事業場ここに設置せられ、市街地に殷賑なり。』とあり、域内には山地が多く、平地が少なかったことが記されている。

沿革

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  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、鮎川浜・網地浜・十八成浜・長渡浜の計4か村が合併して鮎川村が発足。
  • 明治39年(1906年) - 東洋漁業株式会社の事業所が域内に建設され、人口が急増し始める。
  • 昭和15年(1940年)12月1日 - 町制施行し、鮎川町となる。
  • 昭和30年(1955年)3月26日 - 大原村と合併し、牡鹿町となる。

行政

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  • 歴代村長
氏名 就任 退任 備考
1 遠藤庄吉 明治22年(1889年)4月 明治30年(1897年)4月
2 大森安五郎 明治30年(1897年)4月 明治31年(1898年)8月
3 遠藤庄吉 明治31年(1898年)11月 明治33年(1900年)3月 再任
4 和泉恒太郎 明治33年(1900年)3月 明治40年(1907年)4月
5 佐竹雄平 明治40年(1907年)4月 大正元年(1912年)8月
6 大森武治郎 大正元年(1912年)8月 大正9年(1920年)5月
7 後藤久治郎 大正9年(1920年)6月 大正13年(1924年)5月
8 嶋長太郎 大正13年(1924年)6月 大正15年(1926年)11月
9 大森武治郎 大正15年(1926年)11月 昭和5年(1930年)11月 再任
10 和泉恒太郎 昭和5年(1930年)11月 昭和7年(1932年)12月 再任
11 後藤久治郎 昭和8年(1933年)2月 昭和12年(1937年)1月 再任
12 大森竹治郎 昭和12年(1937年)4月 昭和13年(1938年)10月
13 阿部三郎兵衛 昭和13年(1938年)10月 昭和15年(1940年)11月30日
  • 歴代町長
氏名 就任 退任 備考
1 阿部三郎兵衛 昭和15年(1940年)12月1日 昭和17年(1942年)3月 村長より留任
2 和泉太三郎 昭和17年(1942年)4月 昭和21年(1946年)11月
3 鈴木良吉 昭和22年(1947年)4月 昭和30年(1955年)3月25日

参考文献

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  • 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958)
  • 加藤幸治 『津波とクジラとペンギンと』 社会評論社2021年1月20日、20-21頁。

関連項目

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