鮎川町
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あゆかわまち 鮎川町 | |
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廃止日 | 1955年3月26日 |
廃止理由 |
新設合併 鮎川町、大原村 → 牡鹿町 |
現在の自治体 | 石巻市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 牡鹿郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 31.89 km2 |
総人口 |
8,530人 (『宮城県町村合併誌』、1955年3月25日) |
隣接自治体 | 牡鹿郡:大原村、荻浜村 |
鮎川町役場 | |
所在地 | 宮城県牡鹿郡鮎川町 |
座標 | 北緯38度18分07秒 東経141度30分31秒 / 北緯38.30203度 東経141.50853度座標: 北緯38度18分07秒 東経141度30分31秒 / 北緯38.30203度 東経141.50853度 |
ウィキプロジェクト |
鮎川町(あゆかわまち)は、昭和30年(1955年)まで宮城県牡鹿郡の南東部にあった町。現在の石巻市鮎川浜・網地浜・十八成浜・長渡浜および鮎川大町・鮎川浜丁にあたる。
地理
[編集]『牡鹿郡史』(1923年刊行)には、『鮎川村は牡鹿半島の盡くる所にあり。鮎川、十八成背後の渓谷の外山岳重疊して平地極めて少し。(中略)捕鯨會社の事業場ここに設置せられ、市街地に殷賑なり。』とあり、域内には山地が多く、平地が少なかったことが記されている。
沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、鮎川浜・網地浜・十八成浜・長渡浜の計4か村が合併して鮎川村が発足。
- 明治39年(1906年) - 東洋漁業株式会社の事業所が域内に建設され、人口が急増し始める。
- 昭和15年(1940年)12月1日 - 町制施行し、鮎川町となる。
- 昭和30年(1955年)3月26日 - 大原村と合併し、牡鹿町となる。
行政
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 遠藤庄吉 | 明治22年(1889年)4月 | 明治30年(1897年)4月 | |
2 | 大森安五郎 | 明治30年(1897年)4月 | 明治31年(1898年)8月 | |
3 | 遠藤庄吉 | 明治31年(1898年)11月 | 明治33年(1900年)3月 | 再任 |
4 | 和泉恒太郎 | 明治33年(1900年)3月 | 明治40年(1907年)4月 | |
5 | 佐竹雄平 | 明治40年(1907年)4月 | 大正元年(1912年)8月 | |
6 | 大森武治郎 | 大正元年(1912年)8月 | 大正9年(1920年)5月 | |
7 | 後藤久治郎 | 大正9年(1920年)6月 | 大正13年(1924年)5月 | |
8 | 嶋長太郎 | 大正13年(1924年)6月 | 大正15年(1926年)11月 | |
9 | 大森武治郎 | 大正15年(1926年)11月 | 昭和5年(1930年)11月 | 再任 |
10 | 和泉恒太郎 | 昭和5年(1930年)11月 | 昭和7年(1932年)12月 | 再任 |
11 | 後藤久治郎 | 昭和8年(1933年)2月 | 昭和12年(1937年)1月 | 再任 |
12 | 大森竹治郎 | 昭和12年(1937年)4月 | 昭和13年(1938年)10月 | |
13 | 阿部三郎兵衛 | 昭和13年(1938年)10月 | 昭和15年(1940年)11月30日 |
- 歴代町長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 阿部三郎兵衛 | 昭和15年(1940年)12月1日 | 昭和17年(1942年)3月 | 村長より留任 |
2 | 和泉太三郎 | 昭和17年(1942年)4月 | 昭和21年(1946年)11月 | |
3 | 鈴木良吉 | 昭和22年(1947年)4月 | 昭和30年(1955年)3月25日 |