佐藤愛子 (作家)
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佐藤 愛子 (さとう あいこ) | |
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『婦人生活』1964年2月号より | |
ペンネーム | 佐藤 愛子 |
誕生 |
佐藤 愛子 1923年11月5日(100歳) 大阪府大阪市 |
職業 |
小説家 エッセイスト |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 甲南高等女学校卒業 |
ジャンル |
小説 エッセイ |
代表作 |
『青い果実』(1950年) 『ソクラテスの妻』(1963年) 『花はくれない 小説佐藤紅緑』(1967年) 『戦いすんで日が暮れて』(1969年) 『女優万里子』(1974年) 『血脈』(1989年-2000年) 『晩鐘』(2014年) 『九十歳。何がめでたい』(2016年) 『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』(2021年) |
主な受賞歴 |
直木賞(1969年) 女流文学賞(1979年) 菊池寛賞(2000年) 紫式部文学賞(2015年) 旭日小綬章(2017年) |
デビュー作 | 『青い果実』 |
配偶者 |
森川 弘(死別) 田畑麦彦(離婚) |
親族 |
佐藤紅緑(父) 三笠万里子(母) サトウハチロー(異母兄) 大垣肇(異母兄) 杉山弘幸(娘婿) 杉山響子(長女) 杉山桃子(孫) |
佐藤 愛子(さとう あいこ、1923年(大正12年)11月5日[1] - )は、日本の小説家[2]。大阪市生まれ、西宮市育ち。小説家・佐藤紅緑[注 1]と女優・三笠万里子[注 2]の次女として出生。異母兄に詩人・サトウハチローと脚本家・劇作家の大垣肇。甲南高等女学校(現 甲南女子高等学校)卒業。
略年譜[編集]
- 1923年 - 11月5日(戸籍上は11月25日)、佐藤洽六(筆名 佐藤紅緑、50歳)とシナ(30歳)の次女として、大阪市住吉区帝塚山で出生した。母親の「シナ」は、元女優の三笠万里子。父親は、先妻の「はる」を棄て、シナ(25歳)と再婚していた。
- 1925年 - 兵庫県武庫郡鳴尾村(現西宮市)に転居。
- 1931年 - 小学校時代、大衆小説の大家である父親に送られてくる雑誌の恋愛小説を読みふける。算術は苦手であった。
- 1936年 - 4月、神戸の甲南高等女学校に入学。スポーツや演劇でクラスの人気者になる。
- 1941年 - 3月、甲南高等女学校卒業。
- 1944年 - 11月、静岡県静岡市清水区の興津に疎開中の実家にて長男 頸介[3]を出産[4]。
- 1945年 - 夫の実家のある大井町にて敗戦を迎える。
- 1946年 - 復員した夫、長男とともに千葉県東葛飾郡田中村、現柏市で帰農生活に入る。
- 1947年 - 長女 素子を出産。
- 1949年 - 父親の佐藤紅緑が死去。享年76歳。
- 1950年 - 同人雑誌「文藝首都」に参加。北杜夫、田畑麦彦、なだいなだらがいた。同誌に処女作『青い果実』が発表され、同作で文芸首都賞受賞。
- 1951年 - 夫 森川弘が死去。同人誌に「西風の街」6月号に『宇津木氏の手記』を発表。同人誌仲間と渋谷、新宿を歩きまわる。同人仲間に田畑麦彦がいた。
- 1952年 - 「冷焔」を発表。
- 1954年 - 『埋もれた土地』を「三田文学」に発表。
- 1955年 - 12月、聖路加病院を退職。
- 1956年 - 田畑麦彦(本名:篠原省三)と2度目の結婚。
同年、田畑と暮らしていた渋谷区初台の家を売却。さらに、母親の世田谷区上馬の家も売却し、世田谷区太子堂で、母親 シナとも同居を開始。新居は文学仲間のサロンとなった。
- 1957年 - 田畑、川上宗薫らと同人誌「半世界」を創刊。
- 1959年 - 「三田文学」に作品掲載
- 1960年 - 3月、田畑と(愛子にとっては次女)響子を出産。母との共同出資で自宅を新築。
- 1962年 - 最初の著作『愛子』を刊行。 田畑麦彦が第1回文藝賞を受賞。
- 1963年度 - 上半期『ソクラテスの妻』で芥川賞候補[5]。連続して下半期『二人の女』で芥川賞候補。
- 1966年 - この頃からエッセイの注文が増える。
- 1969年度上半期 - その体験を描いた『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞。
- 1979年 - 4月、『幸福の絵』(新潮社)を刊行し、女流文学賞を受賞。
- 1980年 - 娘・響子と共に、タイ、インド、エジプト、ギリシア、イタリア、イギリスへ23日間外国旅行。11月『娘と私のアホ旅行』を刊行。この前年(1979年)にメス犬のチビを飼う[4]。
- 1984年 - 迷いイヌのタロを飼う。
- 1988年 - 秋に響子がジュエリーデザイナー杉山弘幸と結婚。一人暮らしとなる。
- 1989年 - 7月から『血脈』(第1部)を「別冊文藝春秋」に連載開始。
- 1991年 - 孫・桃子が生まれる。
- 1994年 - 娘一家と一緒に住むため、2世帯住宅を新築。
- 2014年 - 91歳で作家人生最後の作品と位置付けた長編小説『晩鐘』を刊行[6]。
- 2020年 - 指導者を務める同人誌 随筆春秋で、既存の随筆春秋賞とは別に、佐藤愛子奨励賞が新設された。
- 2023年 ‐ 10月25日、『九十歳。何がめでたい』『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』の映画化が公表される[7]。
- 2023年 ‐ 11月5日、満100歳の誕生日を迎えた[8]。
人物[編集]
- 借金返済のため全国のテレビ局に出演すると共に、全国の会場で講演をし、戦後の世相の乱れ等を厳しく批判した。その結果、父親と同様「憤怒の作家」と言われ、「男性評論家」と呼ばれていた時期もある。小説のほかにも、身の回りの人物や事件をユーモラスに描いたエッセイを多数執筆。「娘と私」シリーズ等が知られている。
- 父である佐藤紅緑をルーツに、サトウハチローら異母兄弟や子孫たちに伝わる「佐藤家の荒ぶる血」をまとめた長編小説『血脈』を十数年かけて執筆し、話題となる。
- 近年は自身の心霊体験に基づく著作も多い。
エピソード[編集]
- 遠藤周作は、エッセイの中で、「灘中学校時代、通学電車で乗り合わせた彼女(佐藤愛子)は、我々のマドンナ的な存在だった」と記述している。その阪急電車の中で、遠藤周作はアピールするために吊革にぶら下がり、でんぐり返しをして、「ウィキウィキ」と声を上げ、チンパンジーの真似をした、とも。これらは、後年、悪戯好きの遠藤周作の作り話だったことが、筆により周知される。
- 川上宗薫は、『戦いすんで日が暮れて』では「川田俊吉」の名で登場。川上との友人関係を「ネコ(佐藤)と手まり(川上)みたいなもん」と表現し、「川上さんには、わたしはホッとひと息つくというか、男でいうなら、会社で上役の機嫌をとり下の連中との人間関係に神経遣ってくたびれ果てて、赤提灯の飲み屋に寄ってひと息つく、そういう感じがある」「だから、これは恋愛の対象とか、結婚の対象とかにはならない」と発言している[9]。川上は、たびたび自宅を訪れては食事をし泊まっていった。2人は恋愛関係ではないかと取沙汰する者もいたが、誤解を払拭するために作品中の紙面を割いている[10]。
受賞[編集]
- 1950年『青い果実』でデビュー。
- 1963年度上半期『ソクラテスの妻』で芥川賞候補。
- 1963年度下半期『二人の女』で芥川賞候補。
- 1964年度上半期『加納大尉夫人』で直木賞候補。
- 1969年『戦いすんで日が暮れて』で直木賞受賞。
- 1979年『幸福の絵』で女流文学賞受賞。
- 2000年『血脈』で菊池寛賞受賞。
- 2015年『晩鐘』で紫式部文学賞受賞[6]。
- 2017年4月 旭日小綬章受章[11]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『愛子』(現代社、1959年)のち角川文庫
- 『おさげとニキビ』(秋元書房、1962年)のち文庫
- 『愉快なやつ』(秋元書房、1963年)のち文庫
- 『ソクラテスの妻』(光風社、1963年)のち中公文庫
- 『美人の転校生』(秋元書房、1964年)のち文庫
- 『加納大尉夫人』(光風社、1965年)のち角川文庫
- 『まんなか娘』(秋元書房、1965年)のち文庫
- 『花はくれない―小説・佐藤紅緑』(講談社、1967年)のち文庫
- 『微笑みのうしろに』(集英社・コバルト・ブックス、1968年)のち文庫
- 『さて男性諸君』(立風書房、1968年)のち角川文庫
- 『忙しいダンディ』(講談社、1969年)のち角川文庫
- 『鼓笛隊物語』(潮出版社、1969年)
- 『青春はいじわる』(集英社(コバルト・メイツ)、1969年)のち文庫
- 『女の庭』(光風社書店、1969年)
- 『戦いすんで日が暮れて』(講談社、1969年)のち文庫
- 『母について―詩集』(詩宴社、1969年)
- 1970年代
- 『おしゃれ失格』(みゆき書房、1970年)
- 『ああ戦友』(文藝春秋、1970年)『束の間の夏の光よ』角川文庫、1980
- 『三十点の女房』(講談社、1970年)
- 『赤い夕日に照らされて』(講談社、1970年)
- 『その時がきた』(中央公論社、1971年)のち文庫
- 『愛子の小さな冒険』(文藝春秋、1971年)のち角川文庫
- 『ああ戦いの最中に』(講談社、1971年)「憤激の恋」角川文庫
- 『九回裏』(文藝春秋、1971年)のち角川文庫
- 『天気晴朗なれど』(読売新聞社、1971年)のち集英社文庫
- 『さよならのうしろに』(講談社、1971年)
- 『マッティと大ちゃん』(講談社、1971年)のち秋元文庫
- 『アメリカ座に雨が降る』(講談社、1972年)のち角川文庫
- 『鎮魂歌』(文藝春秋、1972年)のち集英社文庫
- 『愛子の風俗まんだら』(朝日新聞社、1972年)「愛子の獅子奮迅」集英社文庫
- 『破れかぶれの幸福』(白馬出版、1972年)
- 『躁鬱旅行』(光文社・カッパ・ノベルス)、1972年)のち角川文庫
- 『赤鼻のキリスト』(光文社・カッパ・ノベルス、1972年)のち集英社文庫
- 『或るつばくろの話』(講談社、1973年)のち角川文庫
- 『黄昏の七つボタン』(講談社、1973年)のち文庫
- 『忙しい奥さん』(読売新聞社、1973年)のち角川文庫
- 『愛子のおんな大学』(講談社、1973年)のち文庫
- 『豚は天国へ行く』(広済堂出版(Kosaido blue books)、1973年)
- 『私のなかの男たち』(講談社、1974年)のち文庫
- 『女優万里子』(文藝春秋、1974年)のち集英社文庫
- 『丸裸のおはなし』(大和書房、1974年)のち集英社文庫
- 『ぼた餅のあと』(番町書房、1974年)のち角川文庫
- 『困ったなア』(集英社・コバルト・ブックス、1974年)
- 『坊主の花かんざし』(読売新聞社、1975年)のち集英社文庫
- 『父母の教え給いし歌』(文藝春秋、1975年)のち集英社文庫
- 『女の鼻息男の吐息』(立風書房、1975年)
- 『あなない盛衰記』(光文社、1975年)のち集英社文庫
- 『ただいま初恋中』(秋元文庫、1975年)
- 『続・坊主の花かんざし』3,4まで(読売新聞社、1976年)のち集英社文庫
- 『黄昏夫人』(実業之日本社、1976年)のち角川文庫
- 『悲しき恋の物語』(毎日新聞社、1976年)のち角川文庫
- 『一番淋しい空』(読売新聞社、1976年)のち角川文庫
- 『朝雨女のうでまくり』(文化出版局、1976年)のち角川文庫
- 『女の学校』(毎日新聞社、1977年)のち集英社文庫
- 『好きになっちゃった』(集英社文庫 花)、1977年)
- 『雨が降らねば天気はよい』(集英社文庫コバルト、1977年)
- 『娘と私の部屋』(立風書房、1977年)のち集英社文庫
- 『こんな幸福もある』(海竜社、1977年)のち角川文庫
- 『男の学校』(毎日新聞社、1978年)のち集英社文庫
- 『一天にわかにかき曇り』(文化出版局、1978年)のち角川文庫
- 『娘と私の時間』(集英社、1978年)のち文庫
- 『幸福の絵』(新潮社、1979年)のち集英社文庫
- 1980年代
- 『むつかしい世の中』(作品社、1980年)野地角川文庫
- 『枯れ木の枝ぶり』(文化出版局、1980年)のち角川文庫
- 『奮闘旅行』(光風社出版、1980年)「総統のセレナード」角川文庫
- 『娘と私のアホ旅行』(集英社、1980年)のち文庫
- 『女はおんな』(集英社、1981年)のち文庫
- 『愛子の百人斬り』(角川書店、1981年)
- 『こんないき方もある』(海竜社、1981年)のち角川文庫
- 『男友だちの部屋』(集英社、1981年)のち文庫
- 『愛子の日めくり総まくり』集英社文庫、1981
- 『愛子の新・女の格言』(角川書店、1982年)のち文庫
- 『娘と私の天中殺旅行』(集英社、1982年)のち文庫
- 『男はたいへん』(集英社、1982年)のち文庫
- 『こんな考え方もある』海竜社、1982 のち角川文庫
- 『躁病のバイキン』読売新聞社、1982 のち光文社文庫
- 『たいへんだア青春』集英社文庫 コバルトシリーズ 1982
- 『こちら2年A組』みつはしちかこ絵 秋元ジュニア文庫 1982
- 『女の怒り方 その習性その触覚その性癖』(青春出版社、1982年)のち集英社文庫
- 『花はいろいろ』(集英社、1983年)「花は六十」文庫
- 『男たちの肖像』(集英社、1983年)のち文庫
- 『日当りの椅子』文化出版局、1983 のち角川文庫、PHP文庫
- 『古川柳ひとりよがり』(読売新聞社、1984年)のち集英社文庫
- 『スニヨンの一生』(文藝春秋、1984年)のち文庫
- 『人生・男・女 愛子のつぶやき370』文化出版局、1984
- 『うらら町字ウララ』(新潮社、1984年)「ウララ町のうららかな日」文庫
- 『ミチルとチルチル』(中央公論社、1984年)のち文庫
- 『老兵は死なず』(読売新聞社、1985年)のち角川文庫、PHP文庫
- 『マドリッドの春の雨』(角川書店、1985年)のち文庫
- 『男と女のしあわせ関係』(青春出版社、1985年)のち集英社文庫
- 『バラの木にバラの花咲く』(集英社、1985年)のち文庫
- 『幸福という名の武器』(海竜社、1985年)のち集英社文庫
- 『幸福の終列車』光文社文庫、1985
- 『虹が…』(角川書店、1986年)のち文庫
- 『娘と私のただ今のご意見』(集英社、1986年)のち文庫
- 『ひとりぽっちの鳩ポッポ』(読売新聞社、1986年)のち集英社文庫
- 『夕やけ小やけでまだ日は暮れぬ』(実業之日本社、1987年)のち角川文庫
- 『こんな暮らし方もある』(海竜社、1987年)のち角川文庫
- 『今どきの娘ども』(集英社、1987年)のち文庫
- 『こんなふうに死にたい』新潮社、1987年)のち文庫
- 『耳の中の声』(中央公論社、1988年)のち文庫
- 『さんざんな男たち女たち 憤怒のぬかるみ』青春出版社、1988年)のち集英社文庫
- 『窓は茜色』(中央公論社、1988年)のち文庫
- 『夢かと思えば エッセイ集』(立風書房、1988年)
- 『凪の光景』(朝日新聞社、1988年)のち集英社文庫
- 『こんな女でなくっちゃ 好きになったら別れるまで』(青春出版社、1989年)「こんな女もいる」角川文庫
- 1990年代
- 『淑女失格 私の履歴書』(日本経済新聞社、1990年)のち集英社文庫
- 『人生って何なんだ!』(中央公論社、1990年)のち集英社文庫
- 『こんな老い方もある』(海竜社、1990年)のち角川文庫
- 『ヴァージン』(実業之日本社、1991年)のち角川文庫
- 『マリアの恋』(中央公論社、1991年)
- 『何がおかしい』角川文庫、1991
- 『上機嫌の本』(PHP研究所、1992年)のち文庫
- 『神さまのお恵み』(PHP研究所、1992年)
- 『メッタ斬りの歌』集英社文庫、1992
- 『死ぬための生き方』(海竜社、1993年)のち集英社文庫
- 『自讃ユーモア短篇集』集英社 1993 のち文庫
- 『我が老後』(文藝春秋、1993年)のち文庫
- 『娘と私と娘のムスメ』(学習研究社、1994年)のち集英社文庫
- 『戦いやまず日は西に』(海竜社、1995年)のち集英社文庫
- 『なんでこうなるの 我が老後』(文藝春秋、1995年)のち文庫
- 『虹は消えた』(角川書店、1995年)のち文庫
- 『結構なファミリー』(日本放送出版協会、1996年)のち集英社文庫
- 『幸福の里』読売新聞社、1997年)「幸福のかたち」ハルキ文庫
- 『風の行方』(毎日新聞社、1997年)のち集英社文庫
- 『だからこうなるの 我が老後』(文藝春秋、1997年)のち文庫
- 『不運は面白い幸福は退屈だ 人間についての断章327』(海竜社、1999年)のち集英社文庫:編集者が以前の著書50冊以上から箴言らしき言葉を選んだ。年譜もある。
- 2000年代
- 『そして、こうなった 我が老後』(文藝春秋、2000年)のち文庫
- 『老残のたしなみ 日々是上機嫌』(集英社、2000年)のち文庫
- 『不敵雑記 たしなみなし』(集英社、2001年)
- 『血脈』文藝春秋、2001 のち文庫
- 『犬たちへの詫び状』(PHP研究所、2001年)のち文春文庫
- 『私の遺言』(新潮社、2002年)のち文庫
- 『これが佐藤愛子だ 自讃ユーモアエッセイ集』全4巻 集英社 2002 のち文庫
- 『それからどうなる 我が老後』(文藝春秋、2004年)のち文庫
- 『冥途のお客』(光文社、2004年)のち文春文庫
- 『日本人の一大事』(海竜社、2004年)のち集英社文庫
- 『『血脈』と私』(文藝春秋、2005年)「佐藤家の人びと 「血脈」と私」文庫
- 『冥途のお客 夢か現か、現か夢か』(光文社、2005年)
- 『まだ生きている 我が老後』(文藝春秋、2006年)のち文庫
- 『今は昔のこんなこと』文春新書、2007 のち文庫
- 『老い力』海竜社、2007 のち文春文庫
- 『こんなことでよろしいか 老兵の進軍ラッパ』集英社 2008 のち文春文庫
- 『わが孫育て』文藝春秋 2008 のち文庫
- 『院長の恋』(2009年、文藝春秋)のち文庫
- 『女の背ぼね』海竜社 2009 のち文春文庫
- 『樂天道』海竜社 2009 のち文春文庫
- 2010年代
- 『老兵の消燈ラッパ』文藝春秋 2010 のち文庫
- 『お徳用 愛子の詰め合わせ』(文藝春秋、2011年)のち文庫 2013
- 『これでおしまい 我が老後』文藝春秋 2011 のち文庫
- 『ああ面白かったと言って死にたい 佐藤愛子の箴言集』海竜社 2012
- 『かくて老兵は消えてゆく』文藝春秋 2013
- 『幸福とは何ぞや 佐藤愛子の箴言』海竜社 2013
- 『晩鐘』(2014年、文藝春秋)(モデル:田畑麦彦)
- 『佐藤愛子の箴言集2 そもそもこの世を生きるとは』海竜社 2014
- 『九十歳。何がめでたい』(2016年、小学館)
- 『佐藤愛子の役に立たない人生相談』(2016年、ポプラ社)のち文庫
- 『それでもこの世は悪くなかった』(2017年、文藝春秋)
- 『役に立たない人生相談2 好きなようにやればいい。』(2018年、ポプラ社)
- 『人生は美しいことだけ憶えていればいい』(2019年、PHP研究所)
- 『気がつけば、終着駅』(2019年、中央公論新社)
- 2020年代
- 『何がおかしい 新装版』中央公論新社、2020年11月。ISBN 978-4-12-005354-2。角川文庫1991年刊の抜粋版。
- 『冥界からの電話』新潮社〈新潮文庫〉、2021年7月。ISBN 978-4-10-106414-7。
- 『九十歳。何がめでたい 増補版』小学館〈小学館文庫〉、2021年8月。ISBN 978-4-09-406766-8。エッセイ、対談等を加えて文庫化。
- 『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』小学館、2021年8月。ISBN 978-4-09-396552-1。
- 『愛子の格言 新装版』中央公論新社、2021年11月。ISBN 978-4-12-005475-4。角川文庫1989年刊「愛子の新・女の格言」の加筆修正版。
- 『凪の光景』文藝春秋、2022年1月。ISBN 978-4-16-791818-7。
- 『風の行方(上下)』文藝春秋、2022年6月。
- 『思い出の屑籠』(2023年11月、中央公論新社)
共著編[編集]
- 『男の結び目』(田辺聖子と共著、 大和書房、1975年)のち集英社文庫
- 『日本の名随筆 82 占』編 作品社 1989
- 『冬子の兵法愛子の忍法』(上坂冬子と共著、海竜社、2001年)のち文春文庫
- 『あの世の話』江原啓之共著 青春出版社 1998 のち文春文庫
- 『愛子とピーコの「あの世とこの世」』(文藝春秋、2008年)
- 『人生論 あなたは酢ダコが好きか嫌いか: 女二人の手紙のやりとり』(小島慶子と共著、小学館、2020年)
テレビ番組[編集]
親族[編集]
交友関係[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ 「九十歳。何がめでたい」2016年、小学館、37頁。
- ^ https://www.shinchosha.co.jp/writer/1624/ 左記、新潮文庫のウェブページに佐藤愛子の写真と簡単な経歴が掲載されている。
- ^ 森川勁介(2022年現在、70代後半)は、恵那市長島町の病院(森川クリニック)の医師。
- ^ a b このあたりのことは、佐藤愛子と田畑麦彦の長女である、杉山響子のブログ「のろ猫プーデルのひゃっぺん飯 おかわりっ!!」の中に記述がある。タイトルは「ちょっとコワイWikipedia」URLは以下。https://ameblo.jp/podel1007/entry-12652162336.html
- ^ 佐藤愛子『出身県別 現代人物事典 西日本版』p889 サン・データ・システム 1980年
- ^ a b “91歳・佐藤愛子さん「晩鐘」、紫式部文学賞に”. YOMIURI ONLINE. (2015年8月3日) 2015年8月6日閲覧。
- ^ https://www.shogakukan.co.jp/pr/medetai/ 小学館|公式Webページ内に、映画化に関する情報が記述されている。
- ^ “佐藤愛子さん100歳「誕生日もヘチマもありませんよ。みんなが乗っている電車が目の前を通りすぎていくのを、ひとりただ見送っているようなもの」 忘れることは、死に支度|話題|婦人公論.jp”. 婦人公論.jp (2023年11月3日). 2024年4月18日閲覧。
- ^ 吉行淳之介『新面白半分対談』p.40-41(講談社、1975年)
- ^ 『血脈』に当該事実が描かれている。小説であるが大筋において事実が盛り込まれている。『血脈(下)』(文藝春秋刊)の「あとがき」には、作者自身の筆で、「暴露小説だと批判されるかもしれないとも思った」と記している。以下が、本書のAmazon販売サイト。https://www.amazon.co.jp/dp/4167909804/
- ^ “春の叙勲4080人 森元首相、作家の佐藤愛子さんら受章”. J-CAST. (2017年4月29日) 2023年1月26日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 佐藤愛子プロフィール ‐ 新潮社
- 佐藤愛子の作品 ‐ Amazon.co.jp
- 佐藤愛子さん100歳 ‐ 婦人公論.jp
- 佐藤愛子の著書 ‐ 小学館
- 鼻歌を歌うように 佐藤愛子さんに旭日小綬章 ‐ KYODO NEWS
- 佐藤愛子 ‐ ネットミュージアム兵庫文学館
- 随筆春秋 公式ホームページ
- 直木賞作家 佐藤愛子の誕生と業績 ‐ 随筆春秋資料室