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べにりあ (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
べにりあ (初代)
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
大韓民国の旗 韓国
カンボジアの旗 カンボジア
所有者 東日本フェリー
大仁フェリー
PT Atosim Lampung Shipping
運用者 東日本フェリー
大仁フェリー
PT Atosim Lampung Shipping
建造所 三菱重工業下関造船所
姉妹船 びるご (2代)べが (2代)びるたす
建造費 28億2,300万円[1]
IMO番号 8718471
改名 べにりあ
大仁(DA IN)
Golden Bird 3
KM Mutiara Sentosa I
経歴
進水 1988年
竣工 1988年7月2日[2]
就航 1988年7月8日[2]
運航終了 1995年
最後 2017年5月19日ジャワ海を航行中に火災で全損
要目
総トン数 6,327 トン[2]
載貨重量 3,363 トン[2]
全長 134.0 m[2]
21.0 m[2]
深さ 12.0 m[2]
喫水 5.4 m[2]
機関方式 ディーゼル
主機関 NKK 14PC1-6V 2基[2]
推進器 2軸[2]
最大出力 18,504馬力[2]
定格出力 15,470馬力[2]
最大速力 22.1ノット[2]
航海速力 20ノット[2]
旅客定員 600名[2]
車両搭載数 8トントラック92台、乗用車20台[2]
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べにりあは、東日本フェリーが運航していたフェリー

概要

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三菱重工業下関造船所で建造され、1988年青森 - 函館航路に就航した。就航後にはマイクロ波式波高計を設置し津軽海峡の年間の波高を計測し海象調査を行いその後のジェットフォイル「ゆにこん」就航に役立てられた[3]

その後、室蘭 - 八戸航路、苫小牧 - 八戸航路に転配、1995年、後続船の就航により引退した。

その後、海外売船され、韓国の大仁フェリーで大仁(DA IN)として仁川 - 大連航路に就航していたが、2015年5月、BIRYONG(元クルーズフェリー飛龍21)の就航により売却された。

Golden Bird 3として回航された後、2016年からインドネシアのPT Atosim Lampung ShippingでKMムティアラ・セントサIとして就航している。

2017年5月19日スラバヤからマカッサルへ向かっていた本船は、中間地点のマサリエンブ島英語版付近のジャワ海を航行中、車両甲板で火災が発生した。スプリンクラーが起動したが火災は他の甲板にも広がり、船長は総員退船を命じ、乗客と乗組員は救命ボートと救命筏に乗り移り、付近を航行中の船舶に救助された。インドネシアの救難当局によれば、この火災により5名が死亡、192名が救助されスラバヤに移送された[4]

設計

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本船を1番船として3隻の同型船、びるご (2代)べが (2代)びるたすが建造された。

船首尾の中央と船首右舷にランプを装備する[2]

内装は同時期の「ばるな」とともに、フェリー業界で初めての試みとして造船と内装を分離し清水建設に分離発注する形とした[5]

船内

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Aデッキ[6]
  • 1等ツインルーム(2名×3室)
  • レストラン
  • ゲームコーナー
  • 展望室
Bデッキ[6]
  • 1等洋室(4名×7室)
  • 1等和室(5名×6室)
  • 1等和洋室(4名×5室)
  • 2等室(通常7室、婦人専用1室)
  • ドライバーズルーム(2室)
  • エントランスホール
  • 売店・案内所
  • 浴室
  • 喫煙コーナー
  • ドライバー浴室
C・Dデッキ[6]
  • トラック甲板
E・Fデッキ[6]
  • 乗用車甲板

脚注

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  1. ^ 創業25年、さらなる前進続ける 四半世紀の青函交流の先駆的企業 東日本フェリー - はこだて財界1989年9月号
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 世界の艦船(1998年10月号)
  3. ^ 東日本フェリー30年史 - 東日本フェリー(1995年)
  4. ^ Mikhail Voytenko (2017年5月19日). “Ferry MUTIARA SENTOSA I fire: 5 dead, 192 rescued May 21 UPDATE”. FleetMon. 2017年5月25日閲覧。
  5. ^ トップインタビュー 東日本フェリー代表取締役蔦井政信氏 津軽海峡もいよいよ新時代、高速船の運航に意欲!! - はこだて財界1988年7月号
  6. ^ a b c d 青函快速〈海峡〉で海底駅見学 津軽海峡をフェリーでわたる - 鉄道ジャーナル1989年7月号(鉄道ジャーナル社)

外部リンク

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