東赤尾八幡宮
東赤尾八幡宮 | |
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所在地 | 富山県南砺市東赤尾99 |
位置 | 北緯36度22分53.27秒 東経136度52分26.59秒 / 北緯36.3814639度 東経136.8740528度座標: 北緯36度22分53.27秒 東経136度52分26.59秒 / 北緯36.3814639度 東経136.8740528度 |
主祭神 | 誉田別命 |
社格等 | 村社 |
地図 |
東赤尾八幡宮(ひがしあかおはちまんぐう)は、富山県南砺市東赤尾にある神社。
東赤尾八幡宮の境内にある夫婦杉は、市の指定文化財である[1]。
概要
[編集]富山県西南部、南砺市の旧上平村東赤尾集落(旧名は上野集落)に鎮座する。
「新屋道場由来記」によると、中世の赤尾谷地域は(1)平瀬氏の治める新屋を中心とした庄川東岸一帯、(2)角淵氏の治める西赤尾を中心とした庄川西岸南部一帯、(3)高桑氏の治める漆谷を中心とした庄川西岸北部一帯、の三地域に分かれていたという[2][3]。やがて、赤尾の道宗によって新屋集落に真宗道場(後の新屋道善寺)が築かれたが、これは平瀬氏の治める庄川東岸の諸集落(新屋・真木・上野・中田・田ノ下・菅沼)で共有される道場であった。その後、南側では楮村道場、北側では中田道場が独立し、新屋道善寺は新屋・真木・上野3か村の寺となった[4]。この3か村は結びつきが強く、同じく3か村共有の神社として発展したのが東赤尾八幡宮であった[3]。
真木村の伝承によると、新屋・真木・上野3か村のどこに宮を立てるかで争論になったが、最終的に新屋村の市次郎の家から矢を射て、矢が落ちた所に宮を立てると決まった[5]。そこで実際に矢を射たところ、現在の東赤尾八幡宮の前に矢が落ち、この地に宮が立てられたという[5]。現在の拝殿の鴨居の上にある木札には「天和三年四月十五日」と記されており、遅くとも天和3年(1683年)までには宮が立てられていたようである[5]。
正徳2年(1712年)作成の『五ヶ山村々神号之覚』でも新屋・真木・上野3か村の寺とされ、砺波郡北野村山伏海乗寺の持分であったと記されている[6]。また、明治13年(1880年)の神社寺院台帳には「創建年月日等不詳」とされるが、この頃氏子が34戸あったと記されている[6]。現在の社殿は嘉永6年(1853年)に建築されたもので、幾度かの改修を経て現代に至っている[7]。春季祭礼は5月3・4・5日にあり、秋季祭礼は10月4日にある[6]。
地元の伝承によると、昔この一帯には狼がたくさんいたが、赤尾の宮(=西赤尾八幡社)と上野の宮(=東赤尾八幡宮)に狼が祀ってあるため、この二つの宮の間だけは狼が通らなかったという[8][5]。
東赤尾の夫婦杉
[編集]八幡宮の北側の傾斜地に位置する[9]。
現在2本の根もとは完全に密着しているが、50cmの間隔をあけて立っている。樹高約35m、樹冠のひろがりは径約17m。目通りで両方とも約5.1mになる[10]。昭和44年2月4日に上平村の文化財に指定され、南砺市への合併後も引き続き市の文化財とされている[1]。
脚注
[編集]- ^ a b “南砺市文化芸術アーカイブス 東赤尾の夫婦杉像”. 2024年7月28日閲覧。
- ^ 金龍 2009, p. 72.
- ^ a b 南砺市教育委員会 2008, p. 242.
- ^ 南砺市教育委員会 2008, p. 52.
- ^ a b c d 小坂谷 2002, p. 107.
- ^ a b c 上平村役場 1982, p. 351.
- ^ 上平村役場 1982, pp. 351–352.
- ^ 上平村役場 1982, p. 352.
- ^ 上平村役場 1982, p. 202.
- ^ 上平村役場 1982, p. 201.
参考文献
[編集]- 上平村役場 編『上平村誌』上平村、1982年。
- 南砺市教育委員会 編『五箇山上平地区古文書目録』南砺市教育委員会、2008年。
- 小坂谷福治『五箇山の民俗史』上平村教育委員会、2002年。