御影用水
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御影用水(みかげようすい)は、1650年(慶安3年)に柏木小右衛門により開発された用水路。
その水源は、長野県北佐久郡軽井沢町の浅間山麓の千ヶ滝と湯川である。
解説
[編集]水源での用水水温は平均13.2℃であるため稲作に適さず、水温を上昇させるための約900mの「温水路」(1970年県による事業完了)を通り1〜3℃程度の水温上昇を経て、下流域で稲作などに利用されている[1]。
なお、御影用水は、先に完成していた篠澤用水の真下を通過させている部分があるが、江戸時代には御影用水が真上を通っていた時期もあった[2]。
御影用水の完成により、その流域では米が増収となり、一帯は小諸藩から分けられて、1699年(元禄12年)には幕府直轄の天領となり、代官が駐在する御影陣屋が設置された。この陣屋跡は長野県史跡に指定されている[3]。
脚注
[編集]- ^ 村上成一, 栗田亘、「温水路の水温調査について 長野県千ヶ滝地区」 『農業土木学会誌』 1969年 37巻 7号 p.477-480, doi:10.11408/jjsidre1965.37.7_477
- ^ 『MYTAWN長野(2)』2011年9月27日「佐久篠沢用水見直そう来月16日見学会」[要検証 ]
- ^ 『佐久地方に流れる用水』甘木書房2010年4月20日42P[要検証 ]
関連項目
[編集]- 湯川 (北佐久郡) - 千ヶ滝 (軽井沢町)
- 信濃国 - 佐久郡
外部リンク
[編集]- 小諸市 天領の里・御影用水史料館
- 長野県魅力発信ブログ 追分の温水路を訪ねて その1 - その2
- 蛭田浩一郎「信州佐久平に於ける用水の地理学的研究(総説) (1)」『地理学評論』第9巻第3号、日本地理学会、1933年、997 - 1016頁、doi:10.4157/grj.9.997。
- 蛭田浩一郎「信州佐久平に於ける用水の地理学的研究(総説) (2)」『地理学評論』第10巻第1号、日本地理学会、1934年、27 - 42頁、doi:10.4157/grj.10.27。