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プロジェクト‐ノート:日本史/過去ログ5

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南北朝時代・戦国時代関連のカテゴリ・括弧付き記事の改名提案

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現状、以下の記事やカテゴリは、Wikipedia:記事名の付け方#ある記事の子記事を作る場合で悪例として挙げられているように、括弧書きが途中に挿入されていて体裁が良くありませんので、改名を提案します。

以下もそれに合わせ、括弧のない形に改名した方が良いのではないかと考えます。

さらに以下も、紛らわしさや統一性という観点から、改名して形式を統一した方が良いのではないかと考えます。

--エンタシス会話) 2020年6月21日 (日) 10:55 (UTC)(追記・修正 エンタシス会話) 2020年6月21日 (日) 11:26 (UTC) / エンタシス会話2020年6月21日 (日) 11:37 (UTC)

報告 プロジェクト‐ノート:日本の戦国時代#お知らせ_(4回目)プロジェクト:日本の戦国時代にも告知しておきました。--Tmv会話|投稿記録2020年6月21日 (日) 11:20 (UTC)
賛成 確かにそこについては醜く、1つの文に統一した方がよさそうですね。「戦国時代の日本」だと中国の戦国時代の間の日本というようにもとらえられますから「日本の戦国時代」というのに同意いたします。--Tmv会話|投稿記録2020年6月21日 (日) 11:31 (UTC)

もう1週間ほど議論継続としますが、異論がなければ「日本の○○時代」の形式に統一する形で改名します。--エンタシス会話2020年6月28日 (日) 04:20 (UTC)

    • コメント うーん(笑)。これはいろいろ考えどこですね。私は別に「醜い」とは思いませんよ。
    • まず、カテゴリ名の場合にはWikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの名称が直接の指針です。確かにカッコ書きはあんまりよくはないですね。
      • Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの名称「記事名の基準とは異なる」
      • 「Wikipedia:カテゴリの方針#地名が重複する場合の扱いについて」の「Category:府中市 (東京都)」のように、同一名の事物がある場合にはカッコつきカテゴリも可です。今回は地名ではないですが、「複数の国で同一の地名がある場合」を援用するって感じでしょうね。
      • Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの名称「正確さより、簡便さが望まれます。」「正確な定義や詳しい説明は、カテゴリの本文で行います。」
    • 非推奨なのは「南北朝時代 (日本)の○○」のように途中にカッコが入る形式であって、「南北朝時代 (日本)」は非推奨ではない。
    • なので1群目の「…作品」については改名は妥当です。
    • しかし2・3群目の「 (日本)」については改名不要です。4群も敢えて改称するまでの必要はないと思います。
    • 区別すべき相手方は既にCategory:魏晋南北朝Category:南北朝時代 (ベトナム)Category:中国南北朝時代の人物Category:南北朝時代の人物 (ベトナム)になっていて、日本の南北朝時代については今のままでも別に困りはしないです。
    • 英語ではどうしているんだろうと思ったらen:Category:People of Nanboku-chō-period Japanen:Category:Northern and Southern dynasties peopleになってる。
    • 中国語版ではzh:Category:南北朝時代武將 < zh:Category:南北朝人物 (日本) < zh:Category:日本歷史人物になっていて、中国のzh:Category:南北朝軍事人物 < zh:Category:南北朝人とは区別されています。これは要するに中国語の文脈ではふつう「南北朝」といえば中国のことを指すからで、JAWPではただ「南北朝」といえば日本の南北朝のことだ、でいいんじゃないかなあ。だから「_(日本)」もなくてもよかった、と私は思います。今更改名しろとは思いませんけどね。
    • なお、「中国の南北朝時代に相当する時代の、日本の人物」みたいなものをカテゴライズすることまで心配する必要はないです。「日本の南北朝時代に相当する人物の、西洋の武将」とかも同様。キリがありません。カテゴリ名で過度に正確な定義を行う必要はありません。「Category:南北朝時代の武将」については、カテゴリページの定義部で「このカテゴリは日本の南北朝時代の武将です。中国の南北朝時代の武将はあっちをみてください」的なことを書いておけばよい話であって、改名しなければあかんというものではないです。(Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの名称「正確さより、簡便さが望まれます。」「正確な定義や詳しい説明は、カテゴリの本文で行います。」)
    • ただまあ確かに「Category:南北朝時代の人物 (日本)」と「Category:南北朝時代の武将‎」が混在しているというのが気になるというのは、わからないでもないです。が、別にこのままでも困らないです。単に「揃ってないと嫌だ」ぐらいの理由で変える必要はないでしょう。たとえばここだけ「日本の南北朝時代」「日本の戦国時代」とするならば、一貫性の観点からはほかも「日本の平安時代」「日本の鎌倉時代」にしたくなるってものです。
    • 南北朝時代や戦国時代という括りは、鎌倉時代や室町時代と被っているところもあり、運用まで考えはじめると難しくなりますね。「南北朝時代」に生きた人物ではあるけど南北朝の争いには別に関わってないよ、みたいな人物を入れるのかとかね。--柒月例祭会話2020年6月28日 (日) 06:38 (UTC)

ひとまず、異論がなければ

は改名し、その他は議論継続とします。--エンタシス会話2020年7月10日 (金) 09:15 (UTC)

以上を改名しました。カテゴリは一部手動で付け替えましたが、残りはBot作業依頼を出しています。--エンタシス会話2020年7月17日 (金) 12:45 (UTC)
一番問題だったものがすでに改善されていることでもありますので、いずれ再検討するかは別にして、本件はこれで打ち切りとします。--エンタシス会話2020年7月25日 (土) 06:37 (UTC)

「○○守」、「○○国司」の記事について

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上記2012年の議論では、「○○国」記事から分割等により、「○○国司」記事を整備する旨の合意がなされています。ですが、実行された記事はあまり多くありません。下記一覧を参照ください。

  • 下記の通り、「○○守」はおおよそ網羅されており、そのほとんどはリダイレクトです。
  • リダイレクト先はたいてい、「○○国#国司」になっており、令制国の記事内の国司節です。
  • ごく一部に「○○国司」が独立した記事になっている国がある、その場合はそちらへのリダイレクトです。
(1)8年も前なのであれなんですが、2012年の合意に基づき、次の通り各国の国司記事を整備する由、よいでしょうか?(異論がなければ順次進めます)
  • 当座は「○○国#国司」節を分割し「○○国司」の記事とする
  • 「○○守」は原則「○○国司」へのリダイレクトとする
  • 必要に応じて「○○介」などを「○○国司」へのリダイレクトとして整備する。

しかし現状、例外が2件あります。

(2)私は、「○○守」はその原義である国司の記事(またはリダイレクト)とすべきで、ナイフや俗語は「肥後守_(ナイフ)」とか「出羽守_(俗語)」とすべきと考えます。

薩摩守薩摩国司の形態が理想形と考えます・

  • 「薩摩国司」冒頭部で、国司が○○守、○○介などで構成される由説明がある
  • 「薩摩守」から派生した俗語としての「無賃乗車」については関連項目で触れられている

(1)、(2)について賛否、その他ご意見をいただきたく思います。--柒月例祭会話2020年6月16日 (火) 03:11 (UTC)

賛成 俗語が原義を"差し置いて"平等に曖昧さを回避されるとすれば、原義を上回るほど人口に膾炙していて、言ってしまえば原義が忘れ去られている場合だけにしてほしい。その点、出羽守というのはまだまだ「出羽国司に引っかけた洒落」であって、出羽国司の存在は例えば「出歯亀」における出歯の亀太郎ほどは忘れ去られていないんじゃないですかね。--Rasalghul会話2020年6月16日 (火) 11:22 (UTC)

条件付賛成(条件:(1)のみ)(1)は2012年2月21日 (火) 15:14 (UTC)と同様。(2)については意見表明保留します。--Snap55会話2020年6月16日 (火) 15:02 (UTC)

条件付賛成(条件:(1)および(2)の出羽守) (1)の国司記事を充実させること、原則的に○○守を国司記事に転送することは賛成です。(2)は、俗語の出羽守については、語例があまりにも新しく、これから使われ続けるかも不透明なので、㭍月例祭さんの案に賛成いたします。ナイフとしての肥後守については、それなりに古くからあり、海外含めて(en:Higonokamiなど)ある程度普及している用法なので、当該ページのノートページで改めて詳細に議論する方が望ましいと考えます。--Senu会話2020年6月19日 (金) 13:37 (UTC)

  • 国司節の分割は 反対 です。 今更なのかもしれませんが、「○○国」の分割等により「○○国司」記事を整備するという2012年の合意は一旦白紙にしたほうが良いのではないでしょうか。理由は、議論から8年経った現在も「○○国」の「○○国司」の記載が専ら人物一覧だけで(しかも網羅できていない)、独立記事とするだけの内容に乏しいことです。それぞれの令制国で制度が異なるとでも言うのなら個別記事を作成する意義もあるでしょうが、そうでないなら日本全体を総括した「国司」があれば良く、「○○国司」「○○守」は「○○国」へのリダイレクトで十分です。もし仮に、いずれかの国の国司についての記述が充実し記事分割が必要だと認められるボリュームになったのなら、その時、当該国司についてのみ分割を検討すべきでしょう。なお、出羽守肥後守については、「出羽守 (慣用句)」「肥後守 (ナイフ)」等に改名すべきと考えます。--Iso10970会話2020年6月19日 (金) 14:36 (UTC)


  • 中間まとめ)当初提案より2週間ほどが経ちましたので、ひとまず「中間まとめ」を書き留めておきます。多様なご意見があるので、私の「まとめ」では違うという場合には、遠慮なく表を修正してください。
賛否 お名前 備考
(1)国司記事整備
守リダイレクト
(令制国から
分割)
賛成 Tmvさん
Rasalghulさん
Snap55さん
Senuさん
反対 Iso10970さん 充実した内容でないならリダイレクトで十分
(2)原義と異なる
もの改名
(令制国から
分割)
賛成 Rasalghulさん
Senuさん 肥後守については要検討
Iso10970さん 出羽守、肥後守とも
Mzakiさん 出羽守の改名[1]
反対 Tmvさん 条件付き。平等な曖昧さ回避ページを作成。
上記のように、賛否両意見がでています。多数決というわけではないのですが、(1)については最大公約数として、当座、<現状赤リンクになっているものについて「○○守」→「○○国」のリダイレクトを作成する>ところまでは同意を得られそうにも思います。
Iso10970さんによる反対意見ですが、確かに記事としては未完成と言いますか、年と名前の箇条書き、程度しかできないものが大半のようではあります。なので実態としては「○○国の国司の一覧」とでもいうような内容になりますね。ここらへんは母体となる「○○国」の記事が全般的に箇条書きが多い(年表、国司、郡、寺社等)です。これは記事の性格上、しょうがないのかもしれません。コトバンクの河内国をみても、文章の体裁ですが中身は箇条書きを文章化しただけ、的なところがあります。
「国司の一覧」部も、現状では、情報源(出典、現状では一次史料が大半)や体裁の面ではまだ課題が多いようにも感じます。(西暦でいいのか、グレゴリオ/ユリウスの問題など)むずかしいですね。--柒月例祭会話2020年7月2日 (木) 08:25 (UTC)
(2)の改名については個別性がありそうですね。--柒月例祭会話2020年7月2日 (木) 08:25 (UTC)
派生用法記事の改名について、プロジェクトにおける議論を取りまとめておくことは有用だと思います。が、ここで決まったから、と個別記事の改名を実施することはPOV衝突を引き起こしますので反対です。個別の記事については個別のノートで議論されるべきです。--Mzaki会話2020年7月2日 (木) 08:38 (UTC)
返信 そうですね。現実問題として、いまの時点では改名検討の対象は出羽守肥後守だけですし、皆さんの意見をみても「一律」というよりは各個別の事情を考慮して意見を述べられているように思います。実際に改名という話になれば各記事のノートで諮るべきというのには同意です。
私が思いつく範囲では、あとは「薩摩守(無賃乗車)」がありますが、これは薩摩国司の冒頭で{{redirect-synonym}}を使用して不正乗車の誘導になっています。
「薩摩守」は無賃乗車の異称、「出羽守」も同類のダジャレだけども他の異称というべきものが思いつかない、という点では違いがありますし、肥後守の場合にはまた事情が違いますね。(名前の由来を詳述するのは現時点では難しそう[2])--柒月例祭会話2020年7月2日 (木) 09:01 (UTC)
報告 出羽守の改名提案をノート:出羽守にて改めて提出したことをお知らせいたします。--ネイ会話2020年10月10日 (土) 14:57 (UTC)

Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/高力氏 20200711

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本プロジェクトに関連する「高力氏」についての選考が、Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/高力氏 20200711にて行われております。投票やコメントのご協力を頂ければ幸いです。--Yapparina会話2020年7月29日 (水) 13:37 (UTC)

当PJ関連記事が良質な記事として選考中です (2020年9月期)

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当プロジェクトに (直接・間接的に) 関連する以下の1記事が現在、良質な記事 (GA) の選考中です。選考締切日時は、下記より最大4週間延長される場合があります。

文観ノート / 履歴 / ログ / リンク元選考個別ページ

  • 【選考締切】: 2020年9月25日 (金) 00:05 (UTC)
  • 【選考エントリータイプ】: 月間強化記事賞からの自動推薦
  • 【記事概要】: 鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて活躍した真言密教の僧侶。「弘真」の名前でも知られる。後醍醐天皇と後村上天皇のブレーン的存在でもあり、また画僧としても有名。

投票や査読コメント、お待ちしています。--ProfessorPine会話2020年9月11日 (金) 10:25 (UTC)

当PJ関連記事が良質な記事として選考中です (2020年10月期)

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当プロジェクトに (直接・間接的に) 関連する以下の1記事が現在、良質な記事 (GA) の選考中です。選考締切日時は、下記より最大4週間延長される場合があります。

誓の御柱ノート / 履歴 / ログ / リンク元選考個別ページ

  • 【選考締切】: 2020年10月24日 (土) 15:48 (UTC)
  • 【選考エントリータイプ】: 月間新記事賞からの自動推薦
  • 【記事概要】: 明治天皇五箇条の御誓文を象徴する記念碑で、現存するのは日本国内5か所 (琵琶湖、愛知県半田 x 2、秋田県男鹿、三重県四日市)。

投票や査読コメント、お待ちしています。--ClerkPine (on behalf of ProfessorPine) 2020年10月14日 (水) 13:54 (UTC)

各年の日本の見出し(フォーマット)について

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ノート:各年の日本の一覧#各年の日本の見出し(フォーマット)について」で、「○○年の日本」という記事のフォーマットについて話し合いが行われています--aki42006会話2021年3月11日 (木) 11:36 (UTC)

「鎌倉幕府」の冒頭部分についての意見を募ります。

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この編集についてです。


関東の在地領主たちが土地所有を保証するために源頼朝を祀り上げてつくった政権。政権が安定してくると在地領主にとって源氏は必要でなくなり、頼朝の血筋は排除され、頼朝の嫡流は断絶した

鎌倉幕府の冒頭部分に、上のように、ある学者さんによる分析的評価(意見)が加筆されました。出典の明記の点では問題ないと私は思いますが、こういう事柄は冒頭文に書くよりは、「研究」とかの節に書くべきだと私は考えます。

つきましては日本史に関心のある皆さんに色々な意見をいただきたく思います。上記のノートページにお願いします。--柒月例祭会話2021年8月10日 (火) 17:29 (UTC)

「天正壬午の乱」についての議論参加のお願い

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天正壬午の乱について、改名や若御子対陣への転記分割について議論があります。

詳しくはノート:天正壬午の乱にて。--柒月例祭会話2021年8月19日 (木) 13:21 (UTC)

明治期以降に特筆性のある経歴のある人物の冒頭定義の武士について

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坂牧源太会話)氏が冒頭定義に武士という表記を付ける編集を広範囲に行っているのですが、明治以降に特筆性がある主要な活動期がある人物の記事についての最初の定義づけである第一文の冒頭定義に江戸時代の身分である武士という定義を付ける必要はあるのでしょうか。主要といえない経歴が冒頭定義、それも主要な経歴を差し置く形で真っ先に来ることは理解を分かりにくくし、可読性を損なう恐れがあると考えます。どこの武士であったなどはすぐ下に来る記事全体の概要的記述や本文にあれば十分ではないでしょうか。 御意見をいただきたく存じます。--Tronbone77会話2021年9月15日 (水) 01:30 (UTC)

  • コメント 経歴の中でどれが重要な肩書であったか評価が分かれる人物であれば、単純に時系列順で肩書を並べていくという手法を取ることも考えられますが、Tronbone77さんの列挙されておられる例を見ますと、維新以前の経歴を冒頭部に記述する必要があるか、まして筆頭に掲示されるべきものか、については大いに疑問を感じますね。よしんば掲示するにしても、ジャイアント馬場における元プロ野球選手のように、主たる肩書の後に回す方が主題の人物の理解に資するでしょう。その判断のためには、一般の人物事典などでその人物がどういう肩書で言及されているかを参考にすればよいと思います。--taisai429会話2021年9月15日 (水) 02:24 (UTC)
    • コメントありがとうございました。同感です。今日にも図書館に寄って事典のようなものを見て回ろうかと思います。--Tronbone77会話2021年9月15日 (水) 02:56 (UTC)
    • (付記)地元の図書館で「日本近現代人名辞典 吉川弘文館」「日本人名辞典 コンサイス 第4版 三省堂」「日本人名大事典 平凡社」という3つの人名事典にあたりましたが、いずれも上記の人物について武士と冒頭で定義する物はないようです。政治家や軍人といった定義ばかりです。--Tronbone77会話2021年9月16日 (木) 01:02 (UTC)
  • 報告 利用者:坂牧源太会話 / 投稿記録 / 記録については「編集強行・履歴の分断」を主因として2週間のブロックを行いました。履歴の分断についてはIP:2400:4051:85A0:2F10:0:0:0:0/64会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisおよび保護依頼をご参照ください。「履歴の分断」については、無期限を含むもっと長期のブロックを以て対処することもできますが、今回のブロックは、対話に応じているので「編集強行」をとめるためのものです。現アカウントで対話による合意形成に参加するのであれば、「履歴の分断」については問いませんが、引き続き合意形成に応じない・履歴の分断がある場合には、(状況により審議を経てですが)長期ブロックも検討せざるを得ないと思います。--柒月例祭会話2021年9月15日 (水) 03:15 (UTC)
    • ご報告ありがとうございます。やはりIP:2400:4051:85A0:2F10:0:0:0:0/64会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisと同一人物の方でしたか。編集傾向があまりに似ているので疑いは持っていたのですが、利用者:坂牧源太会話 / 投稿記録 / 記録氏御本人が同氏の会話ページにおいて別人だと主張していたのでそれを信じましたが偽りだったのですね。これでは平気で虚偽を述べる不誠実な人物ということであり、誠実な議論は期待できませんし、そもそもIP:2400:4051:85A0:2F10:0:0:0:0/64会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisは投稿ブロックされており、WP:EVASIONにおいて無期限ブロックにすると明記されている投稿ブロック回避に該当する行為ではないでしょうか。当人の対話の意思の有無と無関係に無期限ブロックに処すべき事案であると考えますがいかがでしょうか。--Tronbone77会話2021年9月15日 (水) 04:23 (UTC)
      • (付記)失礼しました。「有期のブロック中の利用者の場合は、ブロック期間がリセットされ、最初からに戻ります」とありましたね。無期限ブロックになるという記述は無期限ブロックを受けている者のブロック破りという意味なのでしょうか。しかしブロックされても4度繰り返すコミュニティを疲労させる人物なのは確かなので、そろそろ厳正な対処をお願いしたいところです。--Tronbone77会話2021年9月15日 (水) 04:36 (UTC)
        • (返信)厳密に言うと、たとえばチェックユーザーのような方法で「裏を取った」わけではなく、投稿履歴から「おそらく同一人物だろう」と推測したものです。(今回の場合には、片方がIPなので、CUを依頼することもできないですし、仮に裁量でCUをしたとしても「CUの結果こうでした」と開示することもできません。)
        • 基本的には、同一人物の場合には「ブロック破り」だけでブロックに値するわけですが、今回はアカウント利用者が(一応)対話に応じているので、問答無用ブロックするよりも、対話による解決のほうがベターと考え、ブロックを2週間にとどめました。
        • 私個人の見解としては「同一人物」と推測しましたが、アカウント本人は無関係だと主張していますよね。対話と合意形成が順調に進むのならば、「ブロック破り」の件は目をつむってもいい、そのほうが合理的かなとは思います。しかし編集強行があるようならばブロック破りとして対処するほうが合理的かもしれません。ただ、私単独での推測で対処するよりも、Wikipedia:投稿ブロック依頼での審議を経てコミュニティの承認を得るほうが根拠としては確かになりますし、仮に今後もブロック破りが繰り返される場合には、私以外の管理者が迅速に状況を把握しやすくなり、対応も速くなるはずです。--柒月例祭会話2021年9月15日 (水) 05:44 (UTC)
          • 返信ありがとうございます。お話をうかがうとやはりブロック明けまで待って相手の出方を見て、さらに繰り返すorあまりに編集傾向が似通っているアカウントが現れて同じことを繰り返すなら投稿ブロック依頼が今のところ妥当でしょうか。長引いて度々気苦労おかけして申し訳ありません。--Tronbone77会話2021年9月15日 (水) 06:52 (UTC)
  • コメント 人によるかと思います。例えば、徳川家達は明治期は貴族院議長として知られていますが、幕末期は田安徳川家当主でありました。このような人物に関しては、何らかの形で冒頭部で触れざるを得ないと思います。一方、伊藤博文など「武士」であったことは確かなものの、特に幹部クラスとして主体的に動いた訳では無い人物に関しては、冒頭部に書く必要は無いかと思います。微妙なのが西郷隆盛あたりでしょうか?明治政府初期の幹部でしたが、幕末期は薩長同盟の当事者であったり、江戸無血開城の交渉に当たったりなど幕末の政治を直接動かした実績があります。ただ、現在は「幕末から明治前期の日本の政治家」と書かれているので、これはこれで良いのかなとも思います。--China会話) 2021年9月15日 (水) 03:35 (UTC) 修正 --China会話2021年9月15日 (水) 03:36 (UTC)
    • コメントありがとうございます。坂牧源太氏が広範囲に編集を行うので個々の記事のノートでは対応しきれないと考え、こちらで総論的議論を起こしましたが、やはり個々の人物記事ごとのノートでやる以外には難しいということかもしれませんね。「幕末から明治○○期の日本の政治家」は私もいい表現だと思います。政治的に特筆すべき大きな働きがあった武士は政治家と表現できなくもないでしょうし。--Tronbone77会話2021年9月15日 (水) 04:23 (UTC)
  • コメント 総理大臣をつとめた田中角栄は陸軍上等兵でしたし大俳優の三船敏郎も陸軍上等兵でしたが冒頭には書きませんね。冒頭の定義は田中角栄のページくらいシンプルでいいとおもいます--代言人(/) 2021年9月23日 (木) 00:15 (UTC)
    • コメントありがとうございました。確かにそういった人物について冒頭の第一文の定義から「陸軍軍人」が出てくるのは違和感がありますね。冒頭の定義はシンプルにというのも同意です。--Tronbone77会話2021年9月24日 (金) 00:36 (UTC)
  • コメント 結構前(10年以上?)に、似たようなことで議論したことを思い出しましたが、どこで議論したかは覚えていないです。--China会話) 2021年9月24日 (金) 00:38 (UTC)一部修正--China会話2021年9月24日 (金) 00:39 (UTC)
    • コメントありがとうございます。明治以降に主要な経歴のある人物について江戸時代以前の経歴を冒頭に載せるかということについての議論でしょうか。だとすれば、もしかするとどこかで合意に達している案件かもしれませんね。ご存じの方おられればこちらへ情報をお願いいたします。--Tronbone77会話2021年9月24日 (金) 00:53 (UTC)
      このような議論が起こされているのを知りませんでしたので新たに参加させていただきます。その前に、tronbone77氏に伝えたいことが2点ございます。
      あなたは、幕末・明治期の人物の編集に対して「合意形成、合意形成」と懸命に叫んでおられますが、私を合意形成に引き込むような行動が一向に見られませんでした。合意形成に努めたいのであれば、「このような議論が形成されているので、ご参加願います」と一声かけておくべきです。私は約2日前、あなたに「渋沢成一郎」のノートで合意形成を求めていましたが、これに関しては返信をなされない。これでは、あなたも対話拒否をし、一方的に編集を強行していると見なされても仕方のないことです。今後は編集を強行される前に「今日できる仕事は明日に回す」という態度を改めるべきであると考えます。私はここで一旦、編集をストップしてこの議論に参加し、合意形成に努めますが、くれぐれも尻切れトンボな編集をされたり、私との対話を無視して勝手な行動に出ることがございませんよう、重ね重ねお願い申し上げます。
      二点目です。私は坂牧源太氏と同一人物ではございません。他所にあなた個人による勝手な憶測で「同一人物である」という誤った情報を拡散することを止めていただきたく思います。--2400:4051:85A0:2F10:40E4:7DEE:DE9B:D185 2021年9月24日 (金) 05:48 (UTC)
      • コメントありがとうございました。編集をストップするとの宣言に感謝いたします。貴方が編集した記事について半保護を依頼してましたが、その宣言が守られている間は取り下げたいと思います。合意形成に引き込むような行動が一向に見られませんでしたとのお話については、何度も利用者‐会話:2400:4051:85A0:2F10:F0D1:7B4E:4B6B:507Cの方での議論を提起したところ対話拒否され続けて編集を強行され続けたためにIP:2400:4051:85A0:2F10:0:0:0:0/64会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisは対話拒否で3度ブロックになっております。利用者:坂牧源太会話 / 投稿記録 / 記録氏との関係性については私からは確認できませんが、貴方と編集傾向が類似しているため同一人物と見做されて履歴分断等で投稿ブロックになっており、今後言及する場合にはそういう言及に直したいと思います。渋沢成一郎のノートの方にコメントしていたことは気づかず申し訳ありませんでした。広範囲にこの種の編集をおやりになるならまずここで総論的な議論からした方がいいと思うので是非議論にご参加ください。武士や○○藩士といった表現が冒頭の第一文の定義、それも明治以降の主要な経歴を差し置いて真っ先に来るべきと思う理由をお聞かせください。毎日ネットに張り付いて見られる環境ではないのでお返事が遅れたり、スルーしてしまったら申し訳ありません。その時はご指摘いただければ幸いです。--Tronbone77会話2021年9月24日 (金) 06:58 (UTC)
        お返事ありがとうございます。「その宣言が守られている~」とは私に対してよほど信用がない、ということでしょうか、まあ良いでしょう。私もWikipediaの編集への一点張りとはいかないので、諸事情によりお返事が遅くなる場合がございますがご了承いただければ幸いです。今回が最初のブロックとなる坂巻元太氏に関しては、制限の解除以降は詳しい事情をお話になられたほうがよいかと思います。同時にこのままでは編集合戦が永遠と続いてしまうので、私も先ずはこちらで議論を展開して合意形成に努めていこうと考えている所存です。改めて時間の空いた際に当方の意見を展開しますので、よろしくお願い致します。--2400:4051:85A0:2F10:F932:4964:C9DB:8211 2021年9月27日 (月) 11:48 (UTC)
        • コメントありがとうございます。もちろん時間の方は問題ございません。お互い実生活に無理をきたさない範囲で空いた時間でまったりと議論を進められればと思っております。ご意見気長にお待ちします。利用者:坂牧源太会話 / 投稿記録 / 記録氏への連絡については彼がブロックになる前に手を止めてこちらで議論するようすでに伝えてますし、彼のアカウントのリンク何度も貼っているから通知が入っているはずですが、一応もう一度アナウンスしておきます。--Tronbone77会話2021年9月28日 (火) 06:32 (UTC)
皆様はじめまして。shinoi5660と申します。私事ではありますが、私はかつて学生時代に日本史(近代史)を専攻し研究していた経験がございます。Wikipediaで7月?頃から「幕末・明治期の人物」の『武士』表記ををめぐる編集合戦が行われており、表記がたびたびのように変更されており現在に至るまでその終止符が打たれていないこと、ならびに『武士』表記に関して編集強行を行い、投稿がブロックされている利用者:坂牧源太さんの様子を見て、私も議論に一石を投じることができればと思い、新規にアカウントを作成致しました。これまで(アカウント作成以前)に編集機能を利用した経験がありません故に、機能の使い方に関して至らない点も多々あるかと存じますが、どうか大目に見ていただければ幸いです。まず『武士』表記を付け加えることに関してですが、かつて武士であった経歴を持つ人物には「付け加えるべき」であると思います。利用者:代言人さんは三船敏郎田中角栄を「陸軍上等兵である」と定義されておりますが、彼らは徴兵検査で甲種合格して応召された経歴を持つのみであって、正規の職業軍人(将校)とは異なりますのでご注意ください。そもそも武士とは封建制度における身分制度に基づく「身分」ではありますが、俸禄=現在の給料に相当するもの(秩禄処分で廃止された)を付与されていた以上、当時の職業の一種であると見るのが妥当でしょう。また、-Chinaさんは伊藤博文を「特に幹部クラスとして動いたわけではない」と言及されておりますが、「吉田松陰に師事し、かつては尊王攘夷派のリーダーとして活躍したが幕末に留学して攘夷の非を悟り、藩論を倒幕に差し向けた」という面で重要な活躍をなした人物ですので、幕末長州藩史および幕末史を語るにおいて伊藤を抜きにすることは好ましくありません。松下村塾出身ではありませんが、伊藤とほぼ同様の経歴を辿り、倒幕運動の中心人物として活躍した井上馨や、近代日本兵学の基礎を築いた大村益次郎の思想の事実上の後継者で、明治末期~大正前期にかけて代表的な藩閥政治家として君臨した山県有朋にも同様のことが言えると思います。中でも私が違和感を覚えた記事は渋沢成一郎です。成一郎は幕臣時代、奥右筆を務めた経歴があります。奥右筆とは幕臣の中でも出世頭で、将軍の政策秘書に相当し、内政を司ると同時に数多くの幕臣を統一できる権限を持つ重要な役職です。また、成一郎は戊辰戦争の重要局面たる上野戦争において、旧幕府軍の治安維持部隊である「彰義隊」を組織しその頭取となり新政府軍に抵抗し、敗北後も函館に転戦した人物です。それを「明治期の実業家」として片付けるのはあまりにも不分明で適当すぎるのです。そもそも「成一郎」とは彼が最初に渋沢栄一とともに一橋徳川家の家臣として召し抱えられた際、上役家臣の平岡円四郎より与えられて同家家臣~幕臣時代にかけて用いた名乗であり、明治以降は用いられておりません。よって渋沢成一郎=明治期の実業家と定義するには相成らず、問題が生じるというわけです。前述の伊藤博文を例にすると、伊藤俊輔=明治期の政治家、と表記すれば誰もがその問題点に関して指摘することでしょう。「博文」は通称ではなく実名ですから、伊藤博文=日本の武士、という表記であっても問題はありません。また、「渋沢成一郎」の記事の履歴を確認しますと、利用者:Tronbone77さんの示された出典に関して、特別:投稿記録/2400:4051:85A0:2F10:F932:4964:C9DB:8211さんが「相応しくない」といった言及をなされていると思いますが、私も同様の意見です。Tronbone77さんが示されている出典「朝日日本歴史人物事典・日本大百科全書(ニッポニカ)」等に記載されているプロフィールはどれも表記が曖昧かつ不明瞭で、同時代の人物で似たような経歴を持つ者の項目を参照にしても表記が統一されておらず、中には主要な経歴が記載されていないものすら存在し、参考文献としては微妙です。--Shinoi5660会話2021年10月1日 (金) 14:37 (UTC)
コメントありがとうございます。投稿ブロック依頼利用者:坂牧源太会話 / 投稿記録氏とIP:2400:4051:85A0:2F10:0:0:0:0/64会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois氏の同一人物の可能性について議論中に類似の新規アカウントというのは率直に申し上げて疑念を感じるところもございますが、仮に同一人物であってもなくても議論を深める有益なコメントいただいたことには感謝申し上げます。伊藤博文や井上馨などが「倒幕運動の中心人物として活躍した」と表現できるかは私には疑問に感じますし、山縣有朋の「大村益次郎の兵学の継承者・藩閥」という評価は明治時代の政治家や軍人としての評価に属するものであり、江戸時代における肩書を冒頭定義するかどうかとは別問題に思えます。しかし評価には個人差があろうと思うので、利用者:taisai429会話 / 投稿記録氏が指摘されたとおり、冒頭定義にするかの判断は、一般の人物事典でその人物がどういう肩書で言及されているかを参考にするということになろうと思うのですが、先述した図書館の3冊の人名事典をあたった限りでは上述の人物を冒頭定義から武士や○○藩士といった肩書で言及するものはないようです。地元の図書館は大きい図書館ではないので、もしかすれば他の人名事典にそういう冒頭定義をする物が存在するのかもしれませんが(ご存じのものがあればご紹介いただければ幸いです)、今現在確認している限りでは明治以降の政治家・軍人・官僚・学者等の冒頭定義として武士はメジャーな定義とは言えないと考えています。渋沢成一郎の件についてはご指摘通りwikipediaでの記事名が明治以前の「渋沢成一郎」になっている以上、幕末の職業が定義されるのは当然という主張はその通りと思います。しかし先述の人名事典はいずれも「渋沢喜作」という記事名になっていて現在の「渋沢成一郎」という記事名に疑義がございます。また冒頭定義について日本人名大事典は「渋沢喜作」の記事名で「幕末の志士にして明治の実業家」という冒頭定義をしてますが、それ以外の2冊は「明治時代の実業家」のみの冒頭定義を行っており、3冊中2冊が「明治の実業家」の立場だけに着目した冒頭定義をしています。渋沢成一郎の件については記事名を「渋沢喜作」に変更する改名提案を行い、その賛否に併せて冒頭定義の議論もするのが妥当に思われるのですが、どう思われるでしょうか。伊藤博文との関わりについては伊藤博文の人物記事は「伊藤俊輔」という記事名になっているわけではないので渋沢成一郎の記事の話題とは無関係に存じます。さしあたり以上ですが、返信に時間とりそうな長文申し訳ないです。IP:2400:4051:85A0:2F10:0:0:0:0/64会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois氏にも申し上げましたが、お互い暇な時間を見つけてまったり議論できればと思っておりますので、返信は急がれなくても当方は問題ありませんので、実生活に無理をきたさない範囲でごゆっくりどうぞ。当方でも3冊の人名事典しか見てませんので暇見つけてより多くの図書館に捜索範囲を広げて人名事典等を調べ回り「平均値」を広げたいと考えておりますのでお時間見てお付き合いいただければ幸いです。--Tronbone77会話2021年10月4日 (月) 05:32 (UTC)
特別:投稿記録/2400:4051:85A0:2F10:F932:4964:C9DB:8211さんと利用者:坂牧源太さんに同一人物の疑惑がかかっているとは、私は今まで存じ上げず、投稿ブロック依頼での議論を見て初めて知りました。しかし、そちらに関しては当方の預かり知らぬ議論でございますから、この場ではなくWikipedia:投稿ブロック依頼/坂牧源太の方で議論していただければと思います。私は冒頭に『武士』定義をしようがしまいが、極論「どちらでも良い」と考えています。『武士』も『政治家』も経歴としては事実なわけですから、表記すること自体には何ら差し障りはないのです。無論、歴史上の人物のプロフィールは生物学等と異なり、余程の大事実が発覚しない限りは変更されることはありません。ただ、歴史上の人物のWikipediaを閲覧するにあたって例のような編集合戦が毎日のように起こっているのが気になり、少しでも改善に向かえばという気持ちでアカウントを作成させていただきました。私個人の意見として坂牧源太さん・特別:投稿記録/2400:4051:85A0:2F10:F932:4964:C9DB:8211さんと共通する部分があるというのみで、特別に坂牧さんたちの肩を持ちたいわけではございませんので、誤解のないようにお願いしたいです。ノートでの坂牧源太さんの発言は、相手を侮辱するものとして到底許されるべきものではありませんが、Tronbone77さんも、ご自身の意見を良しとしない方に対する言葉の使い方が少々乱暴になっている部分があると思います。編集合戦が開始されたころの会話記録を確認しても「編集を強行しないでください」といった命令口調での注意喚起や、相手側の意見を一方的に否定するものばかりで、とても合意形成に意欲的であるとは思えないのです。真剣に議論するのならば、まずは相手側と同じ土俵に立ち、互いの意見を尊重し合うことが大切であると思います。私のことも、Wikipedia:投稿ブロック依頼/坂牧源太で報告されたりと疑惑をかけられているようなので、「私は坂牧源太さんではありません」ということをまずはお伝えしておきますね。私のアイデアの投稿はもともと「編集合戦・議論が快方に向かえば」という善意で行ったつもりであったために、今のような複雑な気分のまま議論はしたくありませんので、Tronbone77さんが今後も私のことを執拗にマークされるようでしたら、この議論からは今回の投稿をもって身を引き、今後一切のWikipediaの編集を行わないものとしようと考えております。しかしながら、なぜ利用者:Tronbone77さんは冒頭定義の『武士』のみにこだわり、「特筆性がないから」と『武士』のみ削除したがるのかは甚だ疑問ではあります。冒頭でお話ししたように、過去のプロフィールとしては事実であり、その時代の功績も存在するわけですから、記述することにおいては何ら問題はないはずです。こちらに関してもし何か理由がおありで、今後も私と議論を続けることを望まれるのならば教えていただけると幸いです。--Shinoi5660会話2021年10月6日 (水) 16:41 (UTC)
貴方はやはりIP:2400:4051:85A0:2F10:0:0:0:0/64会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisと同一人物ではありませんか。同IPレンジの投降記録をご覧いただきたいのですが、その中のこの投稿が貴方のそのコメントと同じであり、直後に利用者:Shinoi5660会話 / 投稿記録のアカウントに入り直して署名だけ直しています。新規に作ったアカウント利用者:Shinoi5660会話 / 投稿記録にログインし忘れて投稿してしまったためとしか考えられません。このような動かぬ証拠があっては利用者:Shinoi5660会話 / 投稿記録のアカウントとIP:2400:4051:85A0:2F10:0:0:0:0/64会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisが別人という主張を信じることは不可能です。利用者:坂牧源太会話 / 投稿記録とIP:2400:4051:85A0:2F10:0:0:0:0/64会話 / 投稿記録 / 記録 / WhoisWikipedia:投稿ブロック依頼/坂牧源太において同一人物とみなされ無期限ブロック、1年の有期ブロックになっております。多重アカウントを使用してのブロック逃れはおやめください。--Tronbone77会話2021年10月8日 (金) 01:00 (UTC)
やはり詮索を続けようというわけですか。さしずめ執念深い方であるとは認識しておりましたが、一筋縄ではいかないようですね。宣言通り、詮索をお止めにならないようなので、今後の編集については一切行いませんが、やはりあなたの「ご自身の意見を良しとしない方に対する言葉の使い方や態度が乱暴であった」部分は否めないと思うのです。報告するなり、ブロックするなり勝手にしていただいて結構です。しかしながら、まずは「多重アカウントを使用してのブロック逃れはおやめください」ではなく、私に対してかけるべき言葉があるのではないですか。あなたの主張は随分と一方的であり、他方の主張をまるで否定するばかりで「合意形成を行う」という意欲は感じられません。ご自身で自覚がないようなので私が親切にも指摘しましたが、何か一声かけるべきではあったのかな、と思います。利用者:坂牧源太さんは、何度か自身の過ちを認めて謝罪をしておりますが、利用者:Tronbone77さんに至ってはその様子すら見られないのです。これでは「合意形成」とは言えず、今回のような編集合戦の激化が起こってしまっても仕方がありません。もう一度お伝えしますが「真剣に議論されたいのであれば、まずは相手側と同じ土俵に立ち、互いの意見を尊重し合うことが大切」です。私の投稿したメッセージにもう一度よく目を通され、その部分に関しては大いに反省していただきたいと思っております。--Shinoi5660会話2021年10月8日 (金) 01:37 (UTC)
今後編集は行わないと宣言しながら、また同じ編集を繰り返されているようですね。再びここで結論を経ずに同種の編集を繰り返される場合は上記ブロック逃れの件とあわせてブロック依頼を提出せざるをえませんのでおやめいただくよう重ねてお願いします。--Tronbone77会話2021年12月21日 (火) 00:40 (UTC)
先ずはお久しぶりです。確かに以前はそう宣言させていただきましたが、やはり自身の意に沿わない意見を述べる者が現れれば“編集強行‘’と断定し、長期ブロック等を通して弾圧・排斥を画策されるという行為はやはり承服しかねます。長らく保存された編集を再び削除し、「これらの人物は幕末期に重要な活躍がないので武士とは書かないように。同じ編集を繰り返される場合はブロックです」これではただの脅しであり、それこそあなたが忌み嫌う‘’編集強行‘’と称される行為ではないでしょうか。それに、2021年10月8日の私の返信に恐らく気付いておられたであろうにもかかわらず、こちらも一向に返信をなされませんでした。あなたの編集履歴を確認しても、しばらくWikipediaの編集から離れていてお気付きになられなかった、とは思えないのです(日本史関連の編集はしばらく行われていなかったようですが)。せめて議論の主催者であるのならば、参加者に対する返信は律儀に返すべきなのではないですか。「再びここで結論を・・・」ということですが、以上のことからあなたが合意形成を行おうという姿勢と私に対する誠意はほぼ感じられませんでした。そして、あなたが幕末・明治時代の編集から離れている間にも、私以外に「日本の武士」なる経歴を付け加える編集をされた方は不特定多数散見されました。詳しくは、渋沢栄一五代友厚岩崎弥太郎西郷隆盛大久保利通木戸孝允渋沢成一郎井上馨等のページを参照にしていただけると幸いです。3ヶ月近くも前の議論、それも中途半端なまま中断されているはずのものを「解決した」とは考えないでいただきたいです。再び合意形成を行いたいのであれば、ご自身の意に反する編集を真っ先に削除されるのではなく、これらの編集をされた方々に対しても積極的に議論への参加を呼びかけ、双方の意見を交換し合って合意に持ち出すべきです。--Shinoi5660会話2021年12月21日 (火) 10:52 (UTC)

貴方がもう編集やめると宣言され、実際宣言通りに編集をやめられ、また特に議題に関する意見もなく私の姿勢に不満を述べているだけだったので「関心なくしたので議論から去らせてもらう」宣言かなと考え放置していただけです。合意に達していない案件だというのはまさにおっしゃる通りで故にここで議題となっている武士を付け加える編集を独断で行っていい状況ではまだありません。貴方が議論に再度参加されるならまずブロック逃れの多重アカウント疑惑に説明願います。この投稿はなんなのでしょうか。利用者:坂牧源太会話 / 投稿記録氏と同一人物と見做されて1年の有期ブロックとなったIP:2400:4051:85A0:2F10:0:0:0:0/64会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisと同一人物である以外に説明がつかないと考えます。ガイドライン上無期限ブロックになると定められているソックパペットの方ならそもそも議論資格すらないのでまずこの件についてはお答えいただく必要があると思います。--Tronbone77会話2021年12月22日 (水) 00:44 (UTC)

おっしゃっていることについて理解しかねます。『関心なくしたので議論から去らせてもらう」宣言かなと考え・・』そのような個人的な判断で返信を停止されているようですが、主催者がそのようでは困ります。続いていたはずの議論も自然収束してしまうのです。私はこの件について関心を無くしたのではなく、議論するに値しない環境であると判断したために身を引かせていただいていたのです。つまり、あなたがこの議論の一般参加者であるならまだしも、主催者である以上は募った参加者に対して最後まで返信を続けるべきだと申しているのです。そもそもこの場は「武士と表記するか表記しないかに関するための議論」です。『武士を付け加える編集を独断で行っていい状況ではまだありません』とのことですが、まだそのことは決定している要綱ではございませんのでご注意ください。お言葉をそっくりそのまま返すことになりますが、武士を付け加える編集だけでなく、「明治期の・・」と表記する編集こそまこと独断で行うべきものではないでしょう。『貴方が議論に再度参加されるなら・・』私はここで「再び議論に参加する」などとは一言も記述しておりません。あなたが私の返信欄に出現し『結論を得ずに編集を・・』とたびたびおっしゃられたために、あなたも編集の強行は行わず、再び「武士と編集するか否か」についての議論に臨む姿勢になられたのかなと思ったのですが、私の編集を見つけ次第、執拗に削除されているようなのでどうやらそのような雰囲気ではなさそうですね。そもそもこの議論は、「武士と変更しないことこそが当然の帰結である」という建前のもと話題が進展しているので、反対の意見を述べられるような環境ではありません。以前の投稿を見返しても、序盤以外は徐々に議論から少々ずれた話題へと移行していますしね。あなたが議論を望まれ、私にも参加を希望されるのであれば、反対者が対等に意見を述べられる環境作りと、相対の意見を述べる編集者に対する誠意を見せていただかねばなりません。これでは互いに意見をぶつけ合って一方を痛烈に批判しあっているだけであり、合意形成には程遠いです。--Shinoi5660会話2021年12月22日 (水) 01:31 (UTC)

貴方は貴方と同一人物であることが疑われる利用者:坂牧源太会話 / 投稿記録のアカウントとIP:2400:4051:85A0:2F10:0:0:0:0/64会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisにおいて再三にわたり管理人氏から編集をやめて議論で合意形成を図るよう言われたはずです。それを無視して編集を強行しているから言っているのです。説明をいただいてませんが、ブロック逃れの多重アカウント疑惑に説明を願います。この投稿はなんなのでしょうか。利用者:坂牧源太会話 / 投稿記録氏と同一人物と見做されて1年の有期ブロックとなったIP:2400:4051:85A0:2F10:0:0:0:0/64会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisと同一人物である以外に説明がつきません。ガイドライン上無期限ブロックになると定められているソックパペットの方ならそもそも議論資格すらないため、まずこの件について説明いただきたいと思います。ソックパペットでは議論以前の問題です。--Tronbone77会話2021年12月22日 (水) 01:48 (UTC)

大臣の歴代に加えるかどうか

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内大臣府の項目で歴代の内大臣に伏見宮貞愛親王が加えられ第4代内大臣とされていたのですが、貞愛親王は内大臣の辞令をうけたことはなく、天皇の御沙汰によって内大臣府に出仕して事務を取り扱っただけなので、それを貞愛親王を代数に数えず以後の内大臣の代数を繰り上げる修正をしたことが今回の疑問の発端です。この時、官報の記載を参考としたのですが濱尾新一木喜徳郎内大臣府の項目では代数に加えられていませんでしたが辞令は「兼任内大臣」というもので両名とも本官は枢密院議長で同日中に「免兼官」となり、それぞれ牧野伸顕湯浅倉平が「任内大臣」の辞令を受けています[3][4]。何れも同日中の発令ですから正式の内大臣としてではなく臨時代理的な意味合いとは思いますが、この「兼任○○大臣」という辞令の扱いが記事によってまちまちだったのでこちらで意見を頂戴しようと思いました。

外務大臣 (日本)の項目では「臨時兼任外務大臣」の辞令[5]を受けた寺内正毅が一代に数えられていいますが、日本の大蔵大臣・財務大臣一覧では「臨時兼任大蔵大臣」の辞令[6]を受けた西園寺公望は一代に数えられていません。外務大臣の数え方は「大間違い | 衆議院議員 河野太郎公式サイト」にあるように外交史料館報第2号「歴代外務大臣の数え方」が基準と思いますが、大蔵大臣の方はノート:日本の大蔵大臣・財務大臣一覧#臨時兼任・臨時代理・事務取扱の代数という2009年の話題で改めたようです。 では内閣総理大臣はというと「兼任内閣総理大臣」[7]三条実美や「臨時兼任内閣総理大臣」[8]黒田清隆は一代として数えられていません。これは首相官邸の歴代内閣にも数えられていませんし、そちらが基準かと思います。ところが、文部大臣では文部科学省のサイト[9]とは違う独自の数え方となっています。

だれをどういう条件で歴代に加えるかどうか、全てを同じ基準では難しいとは思いますが、編集の指針があったほうがいいかと思いました。しかし、歴代に加えるかどうかがWikipedia:独自研究は載せないにも関係するかとも思います。基準によっては「第○代」との記述が誤りとなる項目も出てくると思いますが、皆さんのご意見をよろしくおねがいします。--代言人(/) 2021年9月25日 (土) 06:13 (UTC)

他のページで同様の議論がありますのでリンクを示します。

--代言人(/) 2021年9月25日 (土) 06:41 (UTC)

告知:ガンダーラ美術に関する改名・分割統合の提案

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(1)ギリシャ仏教美術ガンダーラ美術に改名のうえ、(2)ガンダーラ#ガンダーラ美術ガンダーラ美術へ分割・転記する提案をしています。

議論場所はノート:ギリシャ仏教美術です。--柒月例祭会話2021年10月7日 (木) 09:01 (UTC)

戦国武将に「xx世紀の軍人」カテゴリをつけることについて

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戦国武将の記事に「16世紀の軍人」などのカテゴリを付与している方がいて、私は違和感を覚えました。「軍人」(ぐんじん)は、狭義では、「(近代)国家の正規軍の職業軍人」を指します。いっぽう、「軍人」(いくさびと)だとするならば、記紀の登場人物(カミ)も多数該当しそうです。カテゴリとしてなんかヘンだなあと思います。

「天正壬午の乱」修正プロジェクトのお誘い

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記事天正壬午の乱の修正について、1年ぐらいかけて、複数利用者で分担して記事づくりをしませんか。

詳しくは

旧日本植民地カテゴリの削除依頼

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本日、Wikipedia:削除依頼/Category:旧日本植民地を提出しました。日本史に詳しい方のご見解をお聞かせ頂けますと幸いです。--Doraemonplus会話2022年8月28日 (日) 10:00 (UTC)

南北朝時代の元号について

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南北朝時代の記事を読んでいますと、一つの記事でも北朝元号と南朝元号でぶれているものが多く、方針を定めたほうが良いと思います。
私の提案としては、基本的に南朝に深く関連する記事は南朝元号を使用し、その他は北朝元号を使用し、重要な事柄に関することには「北朝元号/南朝元号」の順で併記するべきだ、と考えています。と言うのも、同時代の史料は圧倒的に北朝元号を使用したものが多く、また現在の日本史学では完全に両朝並立が認められているので、現状ウィキペディアでは南朝元号を優先しているものも多いですが、南北朝時代に詳しい人にとってはわかりにくいと思いますし(南北朝時代に関する本などでは北朝元号を優先したものが多い)、何より読者の誤解(南朝元号の方が多く使用されていたなど)を避けるためにも北朝元号を優先したほうが良いと思った次第です。是非とも皆様のお考えを聞かせてください。--ツムラ会話2023年1月13日 (金) 10:46 (UTC)

方針を定めるとするなら、「西暦表記があればそれでいい」という程度でいいのではないでしょうか。正直南北朝時代の元号はややこしいので西暦単体でもいいと思います。和暦表記がなくとも、和暦で何年かは西暦年の記事に飛べば分かりますし。もちろん各朝に密接に関連する出来事なら別ですが。--Shougan会話2023年1月31日 (火) 18:38 (UTC)
返信 ご意見ありがとうございます。確かに、西暦表記はもっともなことだと思います。Wikipedia:表記ガイドでも、西暦を原則とするように定められていますよね。南北朝時代に関わらず、西暦優先にするのが良いと感じています。しかし、西暦単体ですと、日本史に関連する記事としてわかりにくく(日本史の読み物と対照できないなどの問題も発生する)、みんながみんな西暦年の記事に飛ぶわけではありませんので、1392年11月19日(明徳3年閏10月5日)といったように西暦優先で和暦併記が望ましいと思います。Wikipedia:表記ガイドでも和暦の表記が認められているのですが、問題は南朝元号を優先にするように定められていることです。これですと、同時代圧倒的に少数派であった南朝元号を、何ら合理的理由もなしに優先してしまうことになり、特に北朝の記事では明らかに中立的観点で問題があるかと思います。そこで、表記ガイドに「ここに掲載されている表記法と異なる表記を分野ごと、記事ごとに使用する場合、関連分野のウィキポータル・ウィキプロジェクトや、個別記事のノートで合意形成をし、合意事項をわかりやすい形でまとめておくとよいでしょう」とあるので、プロジェクト日本史で方針を定めようと言うことです。--ツムラ会話2023年2月2日 (木) 07:21 (UTC)
コメント「日本史」分野では和暦(西暦)という表記が一般的になっています。西暦だけにするのはむしろおそらく反対が多いでしょう。信頼できる情報源でも和暦のみというケースもままあろうかと。この時代については、和暦を迂闊に西暦に換算するのもむずかしい(どの暦法を採用するのかとか)ところもあります。「南北朝時代の元号はややこしい」のはそうかもしれませんが、それは実際にややこしかったからそうなるわけで、しかたがないです。シンプルな話をWikipediaがややこしくしているわけではない。
たしかに、南北朝のどちらを先に書くか問題は、当時や今の歴史観・政治信条・どちらの側に立つのかだとかによってモメル要因にはなりますね。ただ逆に言えば、現代の執筆者/利用者は、南朝北朝どちらに強く与するというものでもないでしょうし、原則は情報源通りとしつつ、南朝に関する記述には南朝優先、北朝に関する記述は北朝優先とかでは。それでも「どちら側の記述とも決めがたい」記述もあるでしょうけれど。
なんというか、もしも仮に、個別の事情をきちんと考慮して対応するというのをめんどうくさがって機械的な一律方式を求めるのだとしたら、それはちょっと知的プロジェクトっぽくないなって感じがします。--柒月例祭会話2023年2月2日 (木) 08:02 (UTC)
返信 おっしゃる通り、南朝に関する記述には南朝優先、北朝に関する記述は北朝優先というのが良いと感じます。--ツムラ会話2023年2月3日 (金) 10:26 (UTC)
もちろん、情報源の記載に従うのが前提です。
  • ちなみに、表記ガイドには南北両朝の元号を併記するともあり、本文で併記するものもありますが、果たして必要あるのでしょうか。私は、生年月日や没年月日ほか必要な時以外、煩雑になるので必要ないと思います。--ツムラ会話2023年2月3日 (金) 10:42 (UTC)
    返信 ぶっちゃけ、和暦併記・南北朝併記へのニーズについては「各利用者(読者)の好み」が分かれると思います。私はゴリゴリの文系で歴史好きなので日本史記事には和暦は「不可欠」にほしいです。西暦で書かれるよりも和暦のほうが時代感覚がつかみやすいです。それは要するに「明徳○年」と言われたときに、パッと同時期の出来事が思い浮かんだりするからです。でもまあ、そこまで文系どっぷりでない方が「西暦だけでいい(和暦併記されても無駄に文字列が長くなるだけだし、その情報与えられても役に立たない)、西暦の方が計算がラク」と言うのは理解はできます(賛同はしませんけど。)
    両方の元号を併記するのは、(たぶん)中立性の観点なんだろうなあ、と思います。南朝北朝は、単なる歴史上の過去の問題だけでなく、「どちらが正統か」とか、あるいは戦前日本は尊皇思想から南朝推しだったことなんかがあって、現代でも政治信条に触れる人が一定いて、めんどくさいことになるので併記しとこう、って感じなんじゃないでしょうかねえ。ウカツにどちらか一方だけにすると面倒事に巻き込まれる的な。
    そこは置いといたとしても、南朝勢と北朝勢が戦った合戦の記述をどっちの暦で書くの的なとこもあり、両方書かざるを得ないという感じ。
    ツムラさんは南朝を「圧倒的に少数」マイナーと扱ってらっしゃいます。俯瞰的にはそうなんでしょうけど、地域史とかのレベルだと「南朝側が圧倒的」だった場所もたくさんあったりします。
    結局、読んでいて鬱陶しく感じるのはわかるけれど、実際、現実がややこしかったのでしょうがない、って感じです。たとえば、幕末の元号1、2年でコロコロ変わりすぎて鬱陶しい、みたいなだけど、かといって当時の政情と改元はリンクしているから、改元に触れぬ訳にはいかない、という感じ。--柒月例祭会話2023年2月3日 (金) 11:33 (UTC)
    和暦が不可欠というのは本当によくわかります。南北両朝の元号を併記するかは、人によるべし便によるべしで、編集者やその記述によるという感じですかね。やはり南北両朝の元号を併記したほうがわかりやすい事柄もありますし。--ツムラ会話2023年2月3日 (金) 15:36 (UTC)
  • とりあえず議論の方向性としては、ざっくりではありますがこんな感じでしょうか。
  1. 南北朝時代の元号は、記事に関連が深い方(どちらに所属していたかなど)の元号を優先して使用する。
  2. 必要と思われる事柄に関しては、両朝の元号を併記する。

併記が必要な事柄というのは、例えば合戦の記録や合一の記録などでしょう。例えば、北朝関連の記事で四條畷の戦いを記述する際は、1348年2月4日貞和4年/正平3年1月5日)と記述して、南朝関連の記事は、1348年2月4日正平3年/貞和4年1月5日)と記述するといった感じですかね。それが判別しにくい場合は(例えば合戦自体の記事とか)、併記しつつも、その順番は、当時の情勢や一般的な慣習を鑑みて北朝元号を優先するとか、南朝正統だからもしくは現状を変えずに南朝元号を優先するとかといった細かい議論も必要になります。それと、全部に併記する必要があるのか無いのかという議論も。。--ツムラ会話2023年2月3日 (金) 16:13 (UTC)

--柒月例祭会話2023年2月3日 (金) 16:36 (UTC)
改めてかなりの地雷であることを理解しました。私としては、とりあえず、関係の深い方の元号を優先する、併記はそれぞれの編集者に任せる、判断しづらい場合はノートで議論する、(西暦と和暦の順序も特に決める必要もない、現状維持)で良いと思いました。北朝に関係が深い方記事では北朝の元号を優先するというのは、既に慣習化しているので、これに合意形成ができれば大きな進歩だと思います。--ツムラ会話2023年2月4日 (土) 03:10 (UTC)
西暦優先にするか和暦優先にするかは非常に悩みますよね。表記ガイドでは原則西暦と書いてある一方、秀逸な記事でも和暦優先にしているものが少なくない。しかも、情報源の大半は和暦、そして変換が難しい。さらに、グレゴリオ暦への改暦の前はユリウス暦を使用するとは言い条、歴代天皇の記事では宮内庁がグレゴリオ暦で祭祀を行っているから、ユリウス暦だけというのもいかがかなとも。。そんな感じで、紀年法は地雷だらけで、何か方針を定めるとどこかで不具合が起きるという感じでしょう。とにかく、表記ガイドの一律に南朝元号を優先するという規定とは別の、大まかな方針を定める方向で、西暦和暦問題にはあまり触れないようにしたいと思います。--ツムラ会話) 2023年2月4日 (土) 06:49 (UTC)ツムラ会話2023年2月4日 (土) 06:51 (UTC)(一部修正)
たとえば新しく記事を書く際には、自分なりに何を優先するか決めて書き、あとはノートページあたりに「これこれの理由で南朝優先で書きました」的なことを書き留めておくとか。一方、他の方が大きく手を加えたような既存記事では、黙って機械的に暦表記を書き換えちゃうと地雷踏むかもってとこですね・・・--柒月例祭会話2023年2月4日 (土) 07:30 (UTC)
文脈的に、細かい日付や年号そのものはそこまで重要というわけでもない、というような場合に、日付・年号部分だけ妙に長いというのは、たしかに「うーん」と感じる面はあると思います。仮に例えばですがWikipediaの書式が違っていたら、たとえばこんな感じで側注があれば本文はシンプルにできたかもです。
誰某は1341年[注1]にホニャララした。それが2021年にはこうなった。 注1:『○○記』によると北朝では暦応4年閏4月10日(旧暦)。南朝では興国2年にあたる。ユリウス暦では1341年5月×日。
当時のことを細かく叙述するような文脈ではない場合とかには、こんな風に西暦だけでもよいのかも。--柒月例祭会話2023年2月4日 (土) 08:00 (UTC)
注釈をつけるよりだったら、西暦or和暦単体か併記の方が良い思います。注釈を紀年のために使うと注釈欄が煩雑となるというか、読むのもちょっと大変ですし。ノートでどちらの元号を優先するか明記した上で、必要な記述には、西暦・和暦(南北両朝の元号を併記、優先している方を先にする)を併記で(西暦・和暦のどちらを主にするかは問わない)、特に必要のない記述には、西暦・和暦(優先している元号だけを書く)を併記、っていう感じが良いのではないでしょうか。--ツムラ会話2023年2月4日 (土) 11:27 (UTC)


報告とりあえず、北朝に関連が深い事柄や人物は北朝の元号を優先しても良い、また特段必要がない場合両朝の元号は併記しなくても良い、という方向にしようかと思います。一定期間(1ヶ月程度)異議が無い場合(最終的に賛成になった場合を含め)は合意形成がなされたとみなします。 表記ガイドでは一様に南朝元号を優先せよとのことですが、北朝関連、特に北朝の天皇の記事などでは、既に慣習化されていますし(要はそれを明文化するということ)、教科書はじめ北朝元号を優先しているものも多いので、問題は無いと思います。

  • 例 

(表記ガイドに従うと...)
1340年6月興国元年/暦応3年5月)、『暦応雑訴法』が制定された。」or「1340年6月興国元年5月)、『暦応雑訴法』が制定された。」(北朝の記述なのになぜ南朝元号が優先?「当時も南朝の元号が優先して使用されていた」という誤解を招きかねない)→
(改善案。なお、拘束力は一切ない。あくまで「これでも良い」という感じで)
1340年6月暦応3年5月)、『暦応雑訴法』が制定された。」or「暦応3年(1340年)5月、『暦応雑訴法』が制定された。」(『暦応雑訴法』制定は北朝の出来事であり南朝には関係ないので、〈本文が煩雑になるのを防ぐため〉併記しなくても良い。)
1351年11月観応2年/正平6年11月)、正平一統が成立した。」(正平一統は両朝に関連し、その名前からも、記事に関連の深い方を優先して併記するのが望ましいか)

とりあえず、北朝関連の記事では北朝元号を優先しても良いということを表記ガイドの例外として認めていただきたいところです。--ツムラ会話2023年2月15日 (水) 12:29 (UTC)

「連合国軍占領期後の日本」について

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昭和の終わりまでを扱う記事名として「連合国軍占領期後の日本」が適切なのか疑問を呈しました。私は特に知識がありませんので、プロジェクト:日本史に参加されている皆様のご意見を伺いたいと思います。「ノート:連合国軍占領期後の日本#記事名について」にて、お願い致します。--Lmkjgmo会話2023年1月17日 (火) 07:02 (UTC)

記事に「暫定記事名」のテンプレートを貼付してから1か月経過し、こちらで意見をお伺いしてから1週間経過して、記事名に問題があるというご意見が出ませんでしたので、特に記事名に問題ないと判断しました。--Lmkjgmo会話2023年1月24日 (火) 10:12 (UTC)

摂家のカテゴリについて

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摂家について、Category:摂関家(2008年9月27日作成)とCategory:摂家(2023年3月3日作成)の2つの中心カテゴリが作成され、どちらかに統合する必要があると思われます。ノート:摂家#カテゴリの重複についてにて、皆様の皆様のご意見を伺えれば幸いです。--Ihimutefu会話2023年3月4日 (土) 13:56 (UTC)

上記のカテゴリ重複の件は、前者の存続と後者の削除ということで解決したことを報告いたします。--Ihimutefu会話2023年3月24日 (金) 15:43 (UTC)

荘園の地方別カテゴリについて

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荘園の中心カテゴリのCategory:日本の荘園の下位カテゴリには地方ごとにまとめた中間カテゴリがあり、それらに旧国別の荘園カテゴリが収まっていますが、近代以降の都道府県を前提にしたこれらの地方区分を、中世末期に終焉した荘園にも適用するのは違和感を覚えます。ノート:荘園 (日本)#地方別カテゴリについてにて、皆様のご意見を伺えれば幸いです。--Ihimutefu会話2023年5月25日 (木) 16:10 (UTC)

上記の件について、現代の地方区分と都道府県別、五畿七道と旧国別の2系統でのカテゴリ整備を行ったことを報告いたします。--Ihimutefu会話2023年6月24日 (土) 09:28 (UTC)

継体天皇ページ:隅田八幡宮人物画像鏡503年説の記述について

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みなさん、お世話になっております。

継体天皇ページの「隅田八幡神社人物画像鏡」の項の後半において、私が複数の出典を明記したうえで

複数の学者が、文献史学、考古学ともに503年説が有力であるとしている

との文章を以前書いたのですが、一昨日あたりになって物部天照比古氏は二度にわたりこの文章を削除して、

笹川尚紀(京都大学助教)は、和歌山県橋本市の隅田八幡神社に伝わる人物画像鏡の銘文から、継体天皇が「癸未年」(五〇三年) には、既に大和国の「意柴沙加宮」(桜井市忍阪付近に所在)に居たと見做す意見が支持される場合が少なくない。 けれども、継体天皇に該当するとされる十一から十三文字目の某王に関しては、諸案が提示されているように、文字を確定するのが至難であって、それゆえに、その銘文を土台にして、同天皇に引きつけて論を展開するのは、きっぱりと避けるべきであると考定されよう。と述べており、実際には、継体が503年に大和入りしていたのか?は不明である。」

という文章入れる編集をされています。が、「近年は503年説が有力である」との文章は私が言っているわけではなく、複数の出典資料にそう書いてあることなのです。たとえば今年2023年9月10に出版された佐藤信氏編の「古代史講義」92頁にも「近年では503年説が有力になっている」とはっきりそのように記されています。

その記述を削除する以上は503年説を否定し「近年では503年説は有力でない」と述べている資料を複数提示すべきだと思いますがいかがでしょうか?。

笹川氏はの説は単一の資料で氏の見解を述べているだけで503年説が有力である現状を否定する根拠にはなっていません。また笹川氏だけの説をこの項の最後に挿入することはあたかも503年説が否定されているかのような文章になるうえに、全体議論で異説の追加は一旦控えるという議論の流れにも反していると思いますのでこのような編集は止めていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。


--大伴旅人会話2023年11月4日 (土) 04:41 (UTC)

京都大学助教授の笹川尚紀博士が指摘されているように、十一から十三文字目の某王の銘文をもって、継体天皇であると決めるのは困難な状態にあるのは事実であると思います。
利用者:常陸のクマさん会話 / 投稿記録様にお伺いを立てて、クマさん様の回答を頂いてから、それを元に議論しても遅くは無いと思います。
お伺いを立ててみます。--物部天照比古会話2023年11月8日 (水) 12:17 (UTC)
物部さんにもお伝えしましたが、私はこの人物画像鏡については門外漢です。ただ、正直なところこの画像鏡については現時点でなんとも言いようがないものだろうと思っております。というのもこういう銘文解釈はなかなか正答が出ない分野なのです。有名な七支刀銘文にしても宮崎市定以来随分研究成果が積み上がっていますが、結局未だに倭王って誰?という結論がないようです。--常陸のクマさん会話2023年11月8日 (水) 14:48 (UTC)
常陸のクマさん、物部天照比古さん、
この人物画像鏡の問題は福山敏夫氏の説以来、半世紀以上もの研究があり、その成否をここで論じ切れるものではないと思います。
私は総論として実際に複数の学者が現在は503年説が有力であるとしている記事を元に
「複数の学者が、文献史学、考古学ともに503年説が有力であるとしている」
という一文を書いたのであり、それを単一資料の各論によって否定するような記事の編修はおかしくないですか、ということを指摘したいのであり、どちらの説が正しいのかということを述べているつもりはないので誤解されないようお願いいたします。--大伴旅人会話2023年11月10日 (金) 06:35 (UTC)
常陸のクマさん様、お忙しいところ、返信して戴き有難う御座います。
隅田八幡宮人物画像鏡の史料は、自分なりに探したのですが、あまりにも少なくて、記事を書くのが難しい状況でした。
御教示戴き、本当に有難う御座いました。--物部天照比古会話2023年11月10日 (金) 22:55 (UTC)
物部天照比古さん、
この人物画像鏡の問題は福山敏夫氏の説以来、半世紀以上もの研究があり、その成否をここで論じ切れるものではないと思います。
私は総論として実際に複数の学者が現在は503年説が有力であるとしている複数の記事を元に
「複数の学者が、文献史学、考古学ともに503年説が有力であるとしている」
という一文を書いたのであり、それを単一資料の各論によって否定するような記事の編修はおかしくないですか、ということを指摘させていただいております。ご回答をよろしくお願いいたします。
--大伴旅人会話2023年11月11日 (土) 02:28 (UTC)
笹川尚紀氏が、十一から十三文字の某王の銘文で誰かを決める事は出来ないって述べている記事の部分は残して欲しいです。
総論として、複数の学者が現在は503年説が有力である。としている。という結論で自分は良いと思います。
隅田八幡宮人物画像鏡の資料は、自分も探したつもりですが、資料が少なくて、良く分かりません。
自分が調べた限りでは、和田萃氏と世界大百科事典(2007年版)が、継体天皇とするのに否定的な見解を述べているようですが、笹川尚紀氏もよく分からないみたいな見解なので、503年説の数の多さから言えば、503年説で良いと思います。
現在は、大伴旅人さんと同じ見解に達しました。
宜しくお願いします。--物部天照比古会話2023年11月11日 (土) 13:23 (UTC)
了解いたしました。
ご理解ありがとうございます。一度編集してみますのでご確認ください。--大伴旅人会話2023年11月12日 (日) 07:44 (UTC)