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Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避/過去ログ8

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人名記述について

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Wikipedia:曖昧さ回避#名称の一部が項目名と共通している言葉の「曖昧さ回避に含まれる例」には「一部が省略される場合があるもの」として「人物の名、姓」という項目がありますが、これはどこまで記載可能なのでしょうか。と言うのも、Wikipedia:コメント依頼/60.35.30.54ほかの対象IPにより、曖昧さ回避に姓が同じ日本人の人名が多数記載され、際限が無くなってきている感があるためです。例えば平尾では編集合戦で保護依頼になったり([1])、記事中に言及がある人物をとりあえず手当たり次第に記述したり([2]、記事作成見込みがあるかどうか精査していない感じ)、「実母の実家がその姓」なんて人物を記載したり([3]松平定直における平岡)など。主に欧米の外国人の場合は、姓のみでその人物を呼ぶことも多いので曖昧さ回避に記述するのは妥当でしょうが、日本人(中国や韓国辺りもそうですが)の場合「姓」だけで人物を判別できることはまず無く、「一部が省略される場合があるもの」には当たらないと思うのですが、いかがでしょうか。

また、記述するにしても情報をどこまで書くか、という問題もあります。記事が存在する人物なら、そのリンクと簡単な肩書程度で良いと思うのですが(バッハ (曖昧さ回避)のように判別しづらい場合は生没年もありでしょうが)、件のWikipedia:コメント依頼/60.35.30.54ほかの方は読み・旧姓・別名・本名・生没年(何故か西暦2桁記載の場合も)・出身地まで記載する事があり、どうしたものかと疑問に思いました。その他、件の方は「1945年以前生まれは正字体表記」とかでTemplate:langのzh-hant(中国繁体字用)をわざわざ用いているのですが、Wikipedia:表記ガイドにはそのような基準は無いため、これも廃していく方向で良いと思います。

これらの事について、合意形成の上でWikipedia:曖昧さ回避に基準として盛り込む事も提案します。--松茸会話) 2016年4月30日 (土) 01:24 (UTC) 一部追記--松茸会話2016年4月30日 (土) 01:31 (UTC)

コメント まず大前提として、曖昧さ回避は「内容が異なる主題なのに適切な記事名が同じになってしまうときに、それらを判別しやすくする」ためのものです。アインシュタインノーベルのように「その姓だけで特定の人物と結びつく」ような状況でもなければ、姓だけが「適切な記事名」とはならないので、曖昧さ回避がカバーすべきものではない、と考えます。--Jkr2255 2016年4月30日 (土) 03:25 (UTC)
松茸さんJkr2255さんへ。異論はないようなので、その方向で加筆してはどうでしょうか。「人名の一部と記事名が一致するというだけの理由で曖昧さ回避に列挙すべきではありません。織田信長が単に信長と呼ばれるなど、それが広く通用した実績のある名称である場合は例外的に許容されます」という感じでしょうか。 --2001:240:240E:8174:990:7EF7:D0BC:5FA5 2019年4月3日 (水) 13:33 (UTC)
  • その例外的なものとそうでないものとの区別が現実的にはできません。程度問題というものも絡めば問題はさらに難しくなるでしょう。そこに新たな議論や労力を使うぐらいならば、ある程度の広がりを許容し、許容範囲を超えた時に適切な形(分割など)で体裁を整えればいいかと思います。闇雲ではいけませんがWPは基本的に加筆などの改善による拡大を目指していますので、その足がかりとなりうる記述を除去する必要はないかと思います。他の手を尽くしてそれでも無理な場合に除去という最終手段、ぐらいの気持ちでいいかと思います。--鶏のから揚げ会話2019年4月6日 (土) 06:52 (UTC)

同音異表記について

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上記の人名記載とは別のWikipedia:コメント依頼/60.35.30.54ほかに関する問題で、曖昧さ回避の語と同音異表記を関連性があるかどうか分からない状態で一覧記載するというものがあります。一部の例として、WP:RSとならない外部リンクまで含めて記載するもの([4][5][6][7][8][9])、関連の不明な、類似語を記載するもの(中丸における「大丸」「小丸」「今」における「今村・新村・今郷・新郷・今里・新里・今市・新市・今町・新町・今西)などがあります。いずれも同音か語意が若干似ている程度でしかなく、論拠とする外部リンクが「登録者なら自由に書き加えられる」という性質のもののためWP:RS非該当のみならず、そのサイトでさえ読みが同じ以上の共通性が分からない(発祥地が書いてあっても、全く別の場所だったりする)などの事情があり、記載するに値しないと思うのですが、いかがでしょうか。「同音異表記として記載できるのは、異体字である事が明確な場合だけ」というような基準を設ける方が良いのでは。--松茸会話2016年4月30日 (土) 01:55 (UTC)

コメント 曖昧さ回避はあくまで「同表記のもの」のナビゲーションであって、それ以上の機能をもたせるべきではないでしょう。たまに複数表記が混在する曖昧さ回避がありますが、
  • 表記ゆれが著しく、分割すると使い勝手を大きく損ねる(例:さつきがおか
  • 1つのカタカナ語に対して本来の外国語表記が複数ある場合(例:ウエスト
のような、ごく限られた事例です。曖昧さ回避に飛んできた人に対して、「記事のナビゲーションとして」必要かどうかで判断するべきところでしょう。--Jkr2255 2016年4月30日 (土) 03:37 (UTC)

小説の曖昧さ回避について

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現在、項目名が被った場合にはガイドラインのWP:NC#芸術作品では

半角スペースの後に半角括弧で括った分野や分類を表す語を記事名の末尾につける

方針のWP:AIMAI#記事名の競合では

項目名の後に「半角のスペース」ひとつ入れて、半角の括弧の中に分野名を記述してください

となっています。が、小説においては必ずしもこれが守られておらず[[項目名 (著者名)]]となっているものが多々見受けられます。で、これらについて(ガイドラインや方針に則っていないことを指摘した上で)改名を提案したところ、反対票しか付かずに改名が頓挫するという事が発生しています(ノート:変身 (カフカ)#改名提案を参照)

この「項目名 (著者名)」はローカルルールなどではなく「慣例」のようで、記事名の付け方や曖昧さ回避が現在の運用になって以降もそのままになっているものです(結果として小説の記事名の付け方はバラバラになっています)。んじゃ、いっそローカルルールとして決めたらどうか?と言うことでPortal‐ノート:文学#同名作品が存在する場合の記事名の付け方についてを提起してみたんですが・・・ものの見事に人が集まらず(コメント依頼にも出したんだけどなぁ ^_^;)、議論がほとんど進みませんでした。試案(どっちかってーと「項目名 (著者名)」に縛る方)を書いてみても、それに対する反応すら無しだし。

しょうがないので、まずは「小説としては項目名が重複しない」改名提案を出してみたところ、それにすら反対票が付く有様です(ノート:OUT (桐野夏生)#「同名の小説」が存在しない小説記事の改名提案を参照)。んじゃあ、先の議論に何かしら意見が付くかといえばそれも無し。どうもあちらでは埒があきそうに無いので、これについて何かしら「曖昧さ回避」の方で決める(つーかはっきりと明記する)ことは出来るでしょうか? と、言うのも・・・松本清張をはじめとした多作の大物が控えてるんですよ。これまでの反対票は映画やドラマなどメディア展開されていることを理由にしているものだったりするので、同じ理屈で反対票が付きそうな気が・・・

別に「小説だけ[[項目名 (著者名)]]を容認する」に決まるなら、それはそれで構やしないんですけどね。とにかくハッキリしてほしいんですわ。--KAMUI会話2016年8月22日 (月) 13:17 (UTC)

現在日本語版に存在していない記事のみをリストした曖昧さ回避ページについて

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サイ・モーガンチェット・ニコルズサミュエル・ナロンハイニー・ミラーなどを見るとわかるのですが、野球選手について、現在日本語版に存在していない記事のみをリストした曖昧さ回避ページがいくつか作られています。Wikipedia:曖昧さ回避によると、「内容が異なる複数の記事についてWikipedia:記事名の付け方に基づく適切な記事名が同じになってしまう場合」に曖昧さ回避を作るということで、最低でもひとつは回避対象になるような記事が日本語版に存在していることが前提とされているように見えます。またWikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避ページで扱う対象には「存在しない項目を載せるかどうかは慎重に行うべきです。その項目名で呼ばれるものをすべて載せる必要はありませんし、執筆される見込みが薄い項目や、現存するものでも削除されそうな項目にリンクする必要はありません。」とあるので、このような曖昧さ回避ページの作成はあまり奨励されていないであろうということは想像がつきます。このような場合、こうした現状では不要な曖昧さ回避ページは削除対象になるのでしょうか、それとも奨励されていないだけでそのままにしておいて大丈夫でしょうか?なお、これらの曖昧さ回避を作成した利用者:J.vivisectionさんには会話ページで理由をお伺いし、作成理由についての答えも頂いております。--さえぼー会話2016年9月3日 (土) 14:08 (UTC)

コメント プロジェクト:河川で河川記事名の曖昧さ回避を研究している者です。作成者様の会話ページを拝見しました。
曖昧さ回避はページを効率よく検索するためのツールです。作成者様のおっしゃる平等に扱うという人としての権利はもっともであり、ウィキペディアでは記事の書式を合わせるなど主に記事の内容に関して常に平等になるように調整を行っていますが、同時に欲する人物記事へ効率よく到達したいという閲覧者の権利も別のところで生じています。曖昧さ回避においてはこの閲覧者の権利により、万人に広く知れ渡るプロスポーツ選手芸能人が検索効率に従って優先される傾向にあるようです。
さて、作成者様は英語版より曖昧さ回避ページのみをコピーされているようですが、日本語版においては必ずしも英語版と同じ曖昧さ回避のスタイルになるとは限りません。例えば英語版で複数いる同名の野球選手のうち一名が日本に移籍してきた場合、おそらく日本語版ではその方を中心とする曖昧さ回避のスタイルに落ち着くでしょう。
従いまして、需要によって順番に作成される人物記事の第一投稿者による自由な記事名決定を、事前に作成された英語版の曖昧さ回避のコピーによって妨げてしまうため、事前の大量生産は効率がよくありません。既に作成は保留状態とされているようですが、(一般的に)もし問題のある生産を止めない場合は、作成抑止のための削除処置に至ることがありますので、再開には十分な審議を行って作成のための特別な理由などを見出してください。--Triglav会話2016年9月3日 (土) 16:34 (UTC)
ありがとうございます。作成は保留となっているのですぐ削除依頼をする必要はないかと思いました。サイ・モーガンについては既にサイ・モーガン (1878年生の投手)利用者:Halowandさんが作成してくださったようですが、できれば利用者:J.vivisectionさんその他野球がわかる方に他の記事についても作成していただきたいなと思っております。--さえぼー会話2016年9月4日 (日) 03:59 (UTC)
Wikipedia上の編集方針や当方の意図等、色々ありますが、作成してしまった以上はやむを得ないとし、さえぼー様が提案される通り、当方でも (直ちに、とはなりませんが) ページの作成を進めるとの事、承りました。-- 利用者:J.vivisection会話 / 投稿記録 / 記録 2016年9月4日 (日) 11:40 (UTC)

(曖昧さ回避)以外の曖昧さ回避記事はだめなのか

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  1. 漫画家の阿井植男の『十人十色』という作品が発売されたので「[[十人十色 (漫画)]]」というリンクを作成。赤リンクだったのでそこに記事を作った。
  2. シンガーソングライターの垣久家子の『十人十色』という作品が発売されたので「[[十人十色 (楽曲)]]」というリンクを作成。赤リンクだったのでそこに記事を作った。

両方

  • 「十人十色」という作品へのリンクを作成する。
  • 明らかに第一義でないのでジャンル付きのリンクにした。
  • そこに記事がないから作成した。

というケースです。同じように見えますが、結果として 1.は問題なく 2.は間違っています。もし「[[十人十色 (楽曲)]]」という曖昧さ回避記事が先に存在していればこのような事態は避けることができます。なぜこのようなジャンル限定の曖昧さ回避記事が認められないのでしょうか?--240F:7A:C7FE:1:D4B9:3998:7C03:1825 2017年11月26日 (日) 05:33 (UTC)

コメント すでに十人十色 (大江千里の曲)十人十色 (misonoの曲)という記事が存在するため、「十人十色 (楽曲)」では一意になりません。だから「十人十色 (楽曲)」はダメなのではないですか?--aki42006会話) 2017年11月26日 (日) 06:04 (UTC)取り消し--aki42006会話2017年11月26日 (日) 06:23 (UTC)
コメント 過去ログのこのあたりに議論がありますが、「クリック数が増えて一覧性が悪くなる」「十人十色 (楽曲)が単体記事か曖昧さ回避かわかりにくくなる」などデメリットが上がっています。--Jkr2255 2017年11月26日 (日) 11:05 (UTC)
コメント 認められない、というほどに厳格ではありません。現に「_(曖昧さ回避)」以外の括弧付き曖昧さ回避ページ、または曖昧さ回避ページへのリダイレクトが存在します(数年前に調査された結果)。また本来、記事作成の前に「十人十色」を確認して頂いてから記事名を検討して頂くことが宜しいのではないでしょうか。そのような主旨で言えば、両方共に間違っていると言えます。なお、楽曲については「プロジェクト:楽曲」が主導していますが、1曲目の曖昧さ回避には「_(曲)」が推奨されているようです。--Frozen-mikan会話2017年11月27日 (月) 07:13 (UTC)
情報 プロジェクト‐ノート:鉄道/列車#列車限定の曖昧さ回避ページは必要かという議論を提起しました。ページ名が「○○ (列車)」となっている曖昧さ回避ページは必要かという議論です。関連があるのでこちらでも告知しておきます。--本日晴天会話2017年12月6日 (水) 17:01 (UTC)

「どの曖昧さ回避を使うべきか」への追記

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Wikipedia:曖昧さ回避#どの曖昧さ回避を使うべきか」には以下のような記述があります。

代表的なトピックとそうでないトピックとが明確な場合には、「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」を選択すべきでしょう。この方法は、最もリンクが集中するページへのリンクに特に修正をする必要がないため、読者が探していたものと異なるページへのリンクを少なくする利点があります。

—Wikipedia:曖昧さ回避(版番68101645

この《最もリンクが集中するページへのリンクに特に修正をする必要がない》は事実ですが、その他の誤リンクの修正を困難にすることが考えられていないと判断しています。この部分は2005-02-23(版番1463100)に追加されました。当時は(英語版でも)記事数が少ないので誤リンクの修正も比較的容易だった可能性はありますが、現在の日本語版の記事数(110万強)では困難なケースが発生しています。何故ならば、リンク修正作業のたびに「無数リンクの中から誤リンクを探し出す」という作業になるのですが、正しいリンクは「リンク元」に当然残るので、次回以降の作業時に以前にチェックしたものも再度確認することになるからです。(正確に言えば、そういう現象になることが想像できるので、その項目に関するリンク修正作業を実施するモチベーションがわかないという問題)

このような問題があるため、上記引用部分の後に「一方で、代表的なトピック以外からのリンクを修正する作業が困難になるケースもあることが判明しています(プロジェクト:曖昧さ回避#不適切な曖昧さ回避(カルメン・カレー問題))。」と追記することを提案します。--iwaim会話2018年6月4日 (月) 17:00 (UTC)

賛成 富士山のように他のものと間違える方がおかしいというようなケース以外は、全て平等な曖昧さ回避とすべきですね。--JapaneseA会話2018年7月4日 (水) 01:55 (UTC)

チェック 版番69231825で追記しました。--iwaim会話2018年7月15日 (日) 06:10 (UTC)

カルメン・カレー問題の解消のためにリダイレクト「項目名 (代表的なトピック)」を作成する

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代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避を選択した場合、誤リンク修正のやる気を著しく損なうという「カルメン・カレー問題」(プロジェクト:曖昧さ回避#不適切な曖昧さ回避(カルメン・カレー問題))が存在します。これが何故誤リンク修正のやる気を著しく損なうのかは以下の私論で簡単に解説しています。

これを解消するために『「項目名 (代表的なトピック)」というリダイレクトを作成し、代表的なトピックへのリンクをそのリダイレクトページに集約してもよい』というルールの導入を提案します。リダイレクトページで用いられる括弧内の文言は「代表的なトピック」という文字列に固定します(=それ以外は認めない)。仮に代表的なトピックとして選ばれるものが変更になったとしても、改名前にBot作業依頼で一括置換すればよいでしょう。(そういう状況だと平等な曖昧さ回避化の方が望ましいだろうけど)

代表的なトピックへの(おそらくは数が多い)リンクがリダイレクトページ経由になりますが、「Wikipedia:サーバの負荷を気にしすぎない」を踏まえた上で問題視せず、誤リンクが解消される可能性が高くなる道を選ぶ方がシステム管理者各位の意思にも合致すると判断できます。

具体的にどこにどのように追記するのかは、実際に導入されることが決まってからで良いと考えています。--iwaim会話) 2018年9月9日 (日) 15:50 (UTC) 時間が取れたので文面案を「#文面案」に記載しました。--iwaim会話2018年9月15日 (土) 16:51 (UTC)

  • コメント これはなかなか面白い案ですね。つまり富士山という記事名はそのままで、修正したい人はリンクしている箇所を[[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]とするのですね。今のところデメリットが思いつかないので賛成しますが、他者の意見も聞いて見たく思います。私見では富士山には必要ないと思いますが(間違える方が悪いレベル)、人名や抱きしめたいのような作品名では有益だと思います。--JapaneseA会話2018年9月12日 (水) 15:26 (UTC)
    • コメント 間違える方が悪いレベルというのは賛同できますが、(このルールを用いるべきではないという)例外を設ける必要性は感じていません。誤リンクは閲覧者にとって不利益なので(リンク修正のモチベーションが上がる方法があるのにも関わらず)導入しないということは閲覧者のためにもなりませんし、「間違える方が悪い」というのは極論すればあらゆるリンクについて言えるからです。また、そもそもの話として閾値(というか導入しない場合の基準)を設けることが困難だろうとは考えています。--iwaim会話2018年9月15日 (土) 16:50 (UTC)

チェック 版番70022512として追加しました。--iwaim会話2018年9月23日 (日) 00:38 (UTC)

文面案

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Wikipedia:曖昧さ回避#言語間リンクの直前にセクション名を「=== 代表的なトピックページへのリンク方法 ===」として挿入することを提案します。ショートカットは特に思い浮かばないのですが、よい案があれば。

代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避をすると、そのままでは代表的なトピック以外へのリンクであるべきものが誤ってリンクされてしまった場合に検出が困難になるケースがあります(プロジェクト:曖昧さ回避#不適切な曖昧さ回避(カルメン・カレー問題))。

この問題を回避するため、代表的なトピックページへリンクする場合、ページ名に「 (代表的なトピック)」を含むリダイレクトページにリンクしてください。括弧内の文字列は「代表的なトピック」だけが許容されています。当該リダイレクトページが存在しない場合は新たに作成してください。例えば「カルメン」に直接リンクせず、「カルメン (代表的なトピック)」にリンクしてください。なお、こうしたリダイレクトについてはリダイレクトの解消を行ってはいけません。以上により、適切なページにリンクされなかったものをリンク元から参照することができます。

以上。--iwaim会話2018年9月14日 (金) 20:52 (UTC)

コメント すみません。1点気になったので。カルメン (代表的なトピック)への付け替えをボットで行われているようですが、これは全て確認後と考えて良いでしょうか?でなければ、カルメンに誤リンクしているものを機械的に修正するのはマズイので。--JapaneseA会話2018年9月23日 (日) 08:33 (UTC)

異議

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先ほど関川 (代表的なトピック) というリダイレクトが作成されていたことに気づき驚いて、このページにたどり着きました。ところで、括弧内を「代表的なトピック」に限定する理由は何かありますでしょうか。代表的なトピックとなっている記事の中には、記事が作成された順番などの関係でなし崩し的に代表的なトピックとなっているケースもあり、全ての代表的なトピックについて明確な合意のもと代表的なトピックになっているとは限りません。こうした記事に対し「代表的なトピック」というリダイレクトが作成されると、結果的にお墨付きを与えるような恰好になるおそれがあります。また「代表的なトピック」という分類名は如何にもウィキペディア都合で作られた分類名という感じがし、百科事典的にも不自然だと思います。関川に対する関川 (新潟県)のように、「平等な曖昧さ回避だった場合に選択されるであろう分野名」についても許容するようにした方が、百科事典的にも自然だと思いますし、代表的なトピックが変更になったときのメンテナンスも楽だと思います。--新幹線会話2018年9月27日 (木) 08:37 (UTC)

あと、ナビゲーションテンプレートの中でこのようなリンク修正を行った場合、例えば関川の記事において関川 (代表的なトピック)が自己リンクとみなされず太字で表示されず、ナビゲーション性が低下していまうという問題があるようです。こちらについてはテンプレート内に条件文を設定することで対処しました。--新幹線会話2018年9月27日 (木) 08:56 (UTC)

  • コメント 《括弧内を「代表的なトピック」に限定する理由は何かありますでしょうか》については無駄な議論を省くという程度の理由しかありません。しかしながら、そのメリットは大きいと判断しております。リンクのメンテナンスを行おうと考えているときに余計な議論が発生すると実施しようと考えたときに実施できなくなってしまいますし、議論の結果がでたときにやる気がなくなっているというおそれもあります。《結果的にお墨付きを与えるような恰好になるおそれがあります》については杞憂であると判断します。そもそもそのような状況になっていること自体が「お墨付きを与えている」ようなものです。《如何にもウィキペディア都合で作られた分類名という感じがし、百科事典的にも不自然》については「曖昧さ回避」も同様なので気にならなくなるとは考えています。
    とはいえ、《「平等な曖昧さ回避だった場合に選択されるであろう分野名」についても許容する》については一考の余地はありますね。『リンクのメンテナンスを行おうと考えているときに余計な議論が発生すると実施しようと考えたときに実施できなくなってしまいますし、議論の結果がでたときにやる気がなくなっているというおそれもあります』を回避した上でそのような文字列を許容するにはどのようなルールにすればよさそうでしょうか?--iwaim会話2018年9月27日 (木) 13:18 (UTC)
  • コメント 節立てされているのでこちらへ書きます。異議というか他の案をもう少し模索したほうがいいような気もします。ふと思ったのですが、現状でも別意ですが行われている状態を使った方法でもいいんじゃないだろうかと。単純にリダイレクトを一つかませるという話です。「アインシュタイン」という語句に関して、アルベルト・アインシュタイン(この記事を「項目名 (分野)」として考えてください)、アインシュタインアルベルト・アインシュタインへのリダイレクト)アインシュタイン (曖昧さ回避)というリンク状態があります。この関係は「平等な曖昧さ回避」&リダイレクトにて問題を回避しているのかもしれません。これを「カルメン」に置き換えるとカルメン (小説)?、カルメンカルメン (曖昧さ回避)となります。つまり、「カルメン」はフリー状態にしておき、リダイレクトとなります。ある分野の記事が高い著名性を持つのであれば、そちらへのリダイレクト。そうでなければ曖昧さ回避ページへのリダイレクトとなります。そうすることで言われているメンテナンスでの問題を解決できないでしょうか?これだと、「項目名 (代表的なトピック)」を作成することはありません。これはリダイレクト先として代表的なトピックに設定することにおいて意味合いは『リダイレクト「項目名 (代表的なトピック)」』と似ていますが、それを問題とされた場合は曖昧さ回避ページへリダイレクトし直せばいい状態となるでしょう。ただし、代表へのアクセスが多い場合、リダイレクト経由の負担はあるのかもしれません。この辺りに問題を感じての別案なのかな、、、。確かにカルメン・カレー問題は解決するべきと感じますが、解決の本質はメンテナンス軽減ですから、なるべくシンプルな方が継続して受け入れられるのではないかと感じます。まぁ別案がシンプルと主張する訳ではない……どちらにしてもメンテナンスを想定していない人から見えれば、シンプルではないのですから。そうはいってもメンテナンスの効率性は後回しにすると結構重要な問題に成長しますから……改善は必要ですね。--toto-tarou会話2018年10月5日 (金) 15:14 (UTC)

青リンク1本ルール

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Aimaiページが効果的に案内ページとして機能するため、各項目ごとに青リンクは誘導先1つに限定しよう、という考えがあります。

日本語版でも導入した方がいいと思いますがいかがでしょうか。--Kiyoweap会話2019年4月21日 (日) 00:33 (UTC)

  • (賛成)いいんじゃないでしょうか。案内先が明確になって良いスタイルだと思います。曖昧さ回避ページの「ウィキペディア内部の記述箇所への案内」という職分を超えて、曖昧さ回避ワードに関連する何かをむやみやたらに書き加えるような編集に対しても抑制が効くんじゃないでしょうか。そのような記述には適当な案内先がない(=リンクができない)ので。--Yapparina会話2019年8月7日 (水) 13:46 (UTC)
歌手のリンクとアルバムのリンクの両方が必要ですし、何かの主題歌で有れば、そちらのリンクも必要です。
歌手リンクのみだと、歌手のページからアルバムや関連作のリンクを探さなければいけません。
アルバムリンクのみだと、歌手のページに直接いけません。また、アルバムが未立項の場合も問題です。
このように、一本化には大きな悪影響があるのです。(英語版の状況は英語が分からないので何とも言えませんが、そもそも日本語版と英語版では大きく異なります)--お好みでタピオカをおかけください会話2019年8月8日 (木) 06:10 (UTC)
「歌手のページに直接いけない」ことは問題ですかね? ヒマワリ (曖昧さ回避)に訪れた人はあくまで「ヒマワリ/ひまわり」という文字列から検索してきたのであり、その歌手が誰だとか、主題歌が何だとかは二次的な情報でしょう。歌手のページを探しにこのページに来たわけではないのですから。「○○の楽曲」などと歌手だけ書いてある項目などは最悪で、未作成だろうと他セクションのように『誘導先 - 説明』という形式にして現時点で曲自体の記事がないことを示すべきです(人物ページのいくつかはそちら側でも言及がありませんし)。1リンク化については他の論点もあるので現時点で意見を保留していますが、少なくともこの議論でヒマワリ (曖昧さ回避)#音楽のような適当とは言えない例を引き合いに出すべきでないです。--ButuCC+Mtp 2019年8月11日 (日) 08:28 (UTC)
  • コメント 『「○○の楽曲」などと歌手だけ書いてある項目などは最悪』については、最悪とまでは言いませんが問題なのは確かです。収録されているシングル名、アルバム名などの情報が無いのは、明らかに情報が不足していると言えます。
ですが僕が示したかったのは、あみんの楽曲。シングル『ひまわり/待つわ'07』、アルバム『In the prime』に収録。』下成佐登子の楽曲。『小公女セーラ』のエンディングテーマ曲。』と言った項目です。これらのリンクはどれも必要なものです。そして、一本化すべきだとお考えの方々は、どれに一本化すべきだとお考えなのでしょうか?
そもそも、二次的な情報のリンクが必要ないというのは、全ての内部リンクを否定する発言だと思うのですが。駅の曖昧さ回避から直接、路線のページに飛んだり。上記2曲のように、シングルとアルバムのページへと、本人記事を経由せずに飛んだり、主題歌等に使われた作品のページに飛んだり。そういうのは、大きな利便性となりますし、それを潰すのは改悪でしかないと思います。
もちろん、過度なリンクも有るかも知れません。ですがそれは、一本化とは別の話です。--お好みでタピオカをおかけください会話2019年8月12日 (月) 13:33 (UTC)
あみんの楽曲の例でしたらそのシングルに収録された「ひまわり」一曲が同名のタイトルを求めてヒマワリ (曖昧さ回避)に辿り着いた人が求めていたものですから、一本化を想定するならひまわり - あみんの楽曲。シングル『ひまわり/待つわ'07』およびアルバム『In the prime』に収録。などとするでしょう。リンクが多い場合の欠点は「シングルとアルバムのページへと、本人記事を経由せずに飛んだり」というコメントに現れていますね。曲名の「ヒマワリ」目的で曖昧さ回避ページに来たのだから誘導すべきはひまわり/待つわ'07なのに、歌手記事に先に行ってしまっている。これは今の書き方に問題があるかもしれないし、主たる対象以外の二次情報へ利用者が「目移り」した結果、「ヒマワリ」以外のページへ行ってしまったのかもしれない。水先案内としてはこれは問題で、Yapparinaさんが『「ウィキペディア内部の記述箇所への案内」という職分』と仰ったように、少なくとも一本化について肯定的な人はその曖昧さ回避ページでの水先案内としての面で邪魔にならないかを考えているわけです。ですので「全ての内部リンクを否定する」などという極論にはなりませんし、そもそも一般記事での内部リンクの仕方とは別物と捉えているわけですから、その点を力説されても相手も承知でしょう。もちろん、一般記事においては「あみん」も「In the prime」も必要なリンクです。
私が保留しているのは水先案内機能を求めるうえで必ずしも一律一リンクにする必要はない(少なくともやる前に現時点での状況を精査した方が良い)と考えているからですが、かといって曖昧さ回避ページに一般記事と同レベルの内部リンクを施す必要はあるとも思っておらず、お好みでタピオカをおかけくださいさんが例示する楽曲パターンはまだ1リンク化もあり得るケースと考えます。曖昧さ回避ページは詳細が書かれた各一般記事へ誘導するのが使命であり、その場で主題の二次的ページに読者を進路変更させるのは賛否が分かれるところでしょう(これがリンクの要る/要らないの焦点であり、水掛け論になるのでこれまでもはっきり決められなかったのだと思いますが)。--ButuCC+Mtp 2019年8月12日 (月) 15:17 (UTC)
返信 @お好みでタピオカをおかけください:さん "一本化すべきだとお考えの方々は、どれに一本化すべきだとお考えなのでしょうか?"ですが、これはArtist / Single / Albumどのページにも詳述らしいものがないから判断に窮す、ということをおっしゃっているのですよね?ならば、<どれでもよい>、のですが、ふつうに考えれば<Single>に青リンク張るのが理に適うでしょうという点でuser:ButuCCさんが回答したと同じになります。
その歌がSingle のみでなく Album にも所収されているという情報が必要不可欠と思うならば、そう思う人が Single (ひまわり/待つわ'07)のページに行ってそのことを加筆すればよいのです。DAB のほうにやたらと青リンクを増やすのではなく。--Kiyoweap会話2019年10月3日 (木) 20:35 (UTC)
  • なるほど、文章に関しては、確かにその方が良さそうです。カタカナや漢字でない事を示せますし。ですが、やはり利便性を考えると、歌手名のリンクや関連作名のリンクも必要だと考えます。あみんの例で言うと、『「あみん」の「ひまわり」が収録されたアルバムは何だったっけ?』という検索者の事を考慮出来ていません。つまり、ひまわり - あみんの楽曲。シングル『ひまわり/待つわ'07』およびアルバム『In the prime』に収録。というのが、最善かと思いました。
また、小公女セーラの例のような場合、『歌手名』『使用作品名』の二つが必要かと思います。もちろん、収録シングル・アルバムが分かればそれも。こちらに関しては、どちらを残すべきだとお考えでしょうか? これに関しては、フレンズよりFRIENDS - 米倉千尋の1999年の楽曲。シングル「WILL」収録。テレビアニメ『仙界伝 封神演義』エンディング主題歌。という例を見つけたので、どれを、どういう形で残して一本化すると良いと思われるのか、お聞かせいただけると嬉しいです。
『無用なリンクを省く』のと『一本化を原則とする』のには大きな違いがある訳で。まずは一本化派といいますか、その層が考える基準を理解しようとしてのコメントです。個人的には、『検索者が進路変更する自由』が有って良いと思うのですが。--お好みでタピオカをおかけください会話2019年8月12日 (月) 15:59 (UTC)
1リンク化の場合何を残すべきかは明白です。「適切な記事名が同じになってしまうとき」(WP:D)に作られるのが曖昧さ回避なのですから、その同じ名称へのリンクだけです。歌手名も使用作品名も「ひまわり」ではないので、1リンク化する場合はどちらも違います。小公女セーラの場合は楽曲単体記事が存在しないので、小公女セーラ#主題歌などへのパイプリンクとするかでしょう。ただ、歌手記事は言うまでも無く作品記事でも解説と言うほどの文章量が無いので、この手のリンクは読者をガッカリさせるだけかもしれません。『現時点で小公女セーラの「ひまわり」という曲についての詳説がWikipediaにはない』と潔く赤リンクにするというのも一つの考え方です。なお、曖昧さ回避は「適切な記事名が同じになってしまうとき」に設けられるものですので、単独記事として初めから見込めない(≒赤リンクを置くのさえ不適切な)場合は除去されるべきです。フレンズ#楽曲の何曲かはWikipedia:曖昧さ回避#直接的な商品名などの名前になっていないものを載せないに抵触しているような気がしますね…。このように楽曲の事例は書き方や掲載基準の面で微妙な事例が多くあるので、やはりこの議論で典型例として挙げるには向かないと思います。
『検索者が進路変更する自由』というのは見方を変えれば『誘導の失敗』と見ることができます。「A (A)」「A (B)」という誘導先が存在する「A」という曖昧さ回避ページの存在意義は異なる同名記事への誘導です。読者が「A」で検索してきた以上、まず「A」と付く記事に誘導できなければ話になりません。誘導先の記事で関連するB、Cといったトピックに興味関心を持ち更にそちらを参照するのは自由ですが、「A」で検索したのにAも見ずにBやCに行ってしまうのは案内機能としては失敗です。少なくとも曖昧さ回避ページにおいてBやCへのリンクを「無用」と考える人はリンクをそう見ています。--ButuCC+Mtp 2019年8月13日 (火) 08:27 (UTC)
  • とりあえず、FRIENDS - 米倉千尋の1999年の楽曲。シングル「WILL」収録。テレビアニメ『仙界伝 封神演義』エンディング主題歌。をあなたならどう一本化されるのか、例示して戴けませんか。例示には向かないという考え方のようですが、生憎、僕はWikipediaに詳しい訳ではないため、現時点では『駅と路線の例』『楽曲の例』位しか言えません。また、掲載基準云々や、特筆性云々は、今回は関係のない別案件です。
『誘導の失敗』というのは、『辿りつきたい目的地に辿りつけない』事を言うのです。洋食屋の場所を人に尋ねて向かう途中、目に入った和食店にその人が入ったとしても構わない訳です。『洋食屋と勘違いして和食店に入った』なら確かに失敗ですが、楽曲のページと、歌手のページと、関連作品のページを、混同する人がいるとは思えません。『最初は洋食屋を目指したからと、必ず洋食屋に入る義務はない』『やっぱり和食店に入りたいと思ったのに、洋食屋に入ってからでないと、和食店に入れない状況こそ失敗』だと考えますが、いかがでしょうか。--お好みでタピオカをおかけください会話2019年8月13日 (火) 09:46 (UTC)
FRIENDSはWikipedia:曖昧さ回避#直接的な商品名などの名前になっていないものを載せないに反するから除去すべきと書いたのですが…。リンク一本化以前の問題で、関係ない別問題を含有するような例は向かないと申しているのです。別案件と認識しているなら例示に使わないでください。「ひまわり/待つわ'07」のように適切な場合は「FRIENDS」に当たる箇所に誘導先にページが存在しますので、これまで回答した楽曲と同じパターンになるだけです。WILLのFRIENDSが単独記事になるような対象と仮定するならひまわりと同じ書き方で対処できます。
誘導問題について『見方を変えれば』と前置きしましたが、お好みでタピオカをおかけくださいさんはそれができていないようです。貴方の視点(リンクは要る論)に置き換えれば『やっぱり和食店に入りたい』という話になるのは頷けます。これは曖昧さ回避ページを一般記事と同等に考えているゆえの発想です。曖昧さ回避ページがそういう物であるならリンクの除去はただの分断にしか見えないでしょう。でも、それを曖昧さ回避ページでやるのは間違いだ、というのがリンクを厳選する側の指摘です。WP:DABDICにある「曖昧さ回避ページは読みたいページを判別することが目的」というのは曖昧さ回避ページに詳しい解説を書くなと言う話ですが、この「判別」させるべき誘導先への案内が曖昧さ回避の存在意義であり、『やっぱり別項目に飛びたい』という余地を持たせるのは曖昧さ回避の領分を超えています。何度も言うようにこの問題の対処法として原則一リンク化が必ずしも適切とは言いませんが、曖昧さ回避ページを一般記事同然の内部リンクとすることはWikipedia:曖昧さ回避の目的を覆すものですから、賛成できません。この程度問題がリンク乱造の話であり、(お好みでタピオカをおかけくださいさんは別と考えているようですが)それに対する対処法として極限のものが「一リンク化」なのでしょう。個人的には下記Yukida-Rさんの説明がリンク制限、曖昧さ回避ページの役割、読者の案内の仕方の考え方としてとても分かりやすいと思いましたので、“1本化派”の意図を掴むための参考にしてください。--ButuCC+Mtp 2019年8月13日 (火) 11:39 (UTC)
────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────(インデント戻しFRIENDSについて多少の誤解があるようですが、僕の言い回しに語弊が有っただけの可能性が高い上に話がそれるので流します。FRIENDSの曲の例などの意見は分かりましたし。
「一般記事と同等に考えている」という指摘ですが、僕もそこまでは思っていません。一般記事で有れば、「○○県○○郡○○町」といった場合、「○○県」「○○郡」「○○町」の三つにリンクが有るべきですが、曖昧さ回避の場合は最後の「○○町」だけで十分だと思います。ただ、前二つを除去すべきとまでは思わない(自分で除去しようとまでは思わないだけで、誰かが県や郡のリンクを解除しても、反応しません。この例で言えば、ですが)ので、そこは触っていませんが。そういったところから考えると、「曖昧さ回避を、通常のリダイレクトと、通常記事の、中間的な扱いだと捉えている」のかも知れません。「リダイレクトは原則として表示されないが、曖昧さ回避は表示されるので、そこが決定的に異なる」という認識は有ります。
「誘導先以外のリンクは最低限とするべき」だとは思っているのですが。ひまわり - あみんの楽曲。シングル『ひまわり/待つわ'07』およびアルバム『In the prime』に収録。の例を考えると、やはり「1リンクのみ」という案には賛成できません。「1リンクで済むものは1リンクで済ませる」(むやみに曖昧さ回避を作らないように、むやみに複数リンクにせず、本当に必要な時のみ複数リンクにする)というのが、一番近い僕の考え方だと思います。……スミマセン、これ以上上手く言葉をまとめられませんでした。--お好みでタピオカをおかけください会話2019年8月14日 (水) 04:26 (UTC)
程度の差(どちら寄りか)こそあれ、中間的な扱いというのには同意します。私も1リンク化は極論になり得ると思っています。今回の例示では一律に『(リンク先) - (説明)』という形式にする場合に絞って議論しましたが、曖昧さ回避ページの実態としてはWP:Dの解説に登場するバスケットルーズベルト(例示に使われているのにWP:DABDICに反しているような気がしないでもない)のように多様な形態がありますので、現状把握を行わないと極論を採用するのは難しいでしょう。--ButuCC+Mtp 2019年8月14日 (水) 09:51 (UTC)
  • コメント ButuCCさんのサジェスチョンどおり、ひまわり - あみんの楽曲。シングル『ひまわり/待つわ'07』およびアルバム『In the prime』に収録。で十分です。
他のリンクもつけなければならないというのは、タピオカさんが、ただそう云い張っておられるだけで、必要不可欠などではありません。
逆にWP:DABDIC"曖昧さ回避ページは読みたいページを判別することが目的ですから"を鑑みれば、どの青リンクが多数あればどこに誘導されるか惑うので、なるべく1本に絞るべきだというのは自明の理です。--Kiyoweap会話2019年10月2日 (水) 18:43 (UTC)
  • 反対 日本語版の場合、主題と解説の間に「-」が付くことが慣例?(スタイルマニュアルがあるのでしょうか)になっており、明確に区切られてます。en:WP:MOSDABの例のように、主題と解説が同一文章で書かれているわけではないため、主題以外の青リンクを主題と間違えることは低いでしょう。また、何かをむやみやたらに書き加え(更に青リンク塗れにする)のは別の問題だと思います。--たびびと551会話2019年8月7日 (水) 14:25 (UTC)
  • 反対 - 日本語版においては慣例的に「-」や「→」などを使うことで誘導先を区切るようになっていること、駅の曖昧さ回避ページであれば直接路線を調べたい場合を考慮すると当該ルール導入による利点以上に弊害が目立つことから。無意味なリンク乱造は問題だが、それは別の問題と考える。--Senatsuki会話2019年8月11日 (日) 13:30 (UTC)
  • コメント もし「青リンク1本ルール」を導入するなら7万以上のページに影響が及びます。このケースでBotは使えなそうなので、手作業で膨大な数のページを確認・修正することになるでしょう。私は現状の曖昧さ回避の形式でそれほど問題を感じていません。(問題がないと思うのはあくまで私個人の感じ方ではありますが)問題がないのにそこまでの労力を費やす必要があるのかは疑問です。機能性を向上するという考え方は理解できますし、その考え方自体にはある程度賛成できますが、「英語版との違い」を提案者様が考慮しているのかがわかりませんし、そもそも提案者様の考えがあまり見えて来ていません。なぜ日本語版でも導入したほうがよいのかや、現状についてどのような考察を行っているのかなど、提案者様の問題意識をもう少し具体的に示していただいたほうがよいかと思います。--610CH-405会話2019年8月12日 (月) 18:36 (UTC)
  • 賛成 英語版文書をそのまま持ち込めるのかはわかりませんが、考え方としては賛成です。曖昧さ回避ページの本来の役割は、分岐先の記事にすみやかに読者を誘導することで、その際、余計なリンクはないほうがユーザビリティが高いと考えます(端的に言って曖昧さ回避ページ○○を開いた時点では読者はまだ求める情報に辿り着いておらず、「検索中途」の状態です。その時点で求めている情報は分岐先の○○のどれかであって、関連する記事ではないはずです)。また曖昧さ回避ページでなされるような短い解説は、ほぼ確実に分岐先の記事の導入部に含まれますし、当然そこからはリンクされます。読者の導線の想定として、曖昧さ回避○○→本来求めていた○○→関連する記事という流れは自然なものと思います。
    「-」などで区切るスタイルを使えば明瞭で問題ない、というご意見がありますが、「-」左側にくる文言と分岐先記事が一致しない場合にはうまく機能しません。上に出ているヒマワリ (曖昧さ回避)#交通機関・車両の一番上のコミュニティバスのような例が該当します。--Yukida-R会話2019年8月13日 (火) 07:24 (UTC)
  • 反対 本話題のきっかけとなった記事「河原町駅」の差分(PC版モバイル版)をご覧ください。編集者のKoneさんは、この中でも記事のない河原町駅 (静岡県)だけは静岡鉄道駿遠線へのリンクを削除しませんでした。もし河原町駅 (静岡県)の記事が作られれば速やかに静岡鉄道駿遠線へのリンクを削除すべきでしょうか?私はそうは思いません。「1項目にリンクは1つのみ」というような制限は、読者の混乱回避のメリットよりも関連記事へのアクセスを阻害するデメリットが大きいと考えます。従いまして、直接の誘導先記事以外への内部リンクを追加するのは全く問題ないと考えます。--茶でもすするか会話2019年8月13日 (火) 08:44 (UTC)
  • この規則の目的は、誘導先の項目へのリンクを明確化することにあると思います。リンクを一つにするのではなく、誘導先へのリンクを示す記号を制定して、先頭に付与するのはどうでしょうか。
    * ひまわり - 京都府与謝郡与謝野町が運行している与謝野町コミュニティバスの愛称。
    --Yhiroyuki会話2019年8月14日 (水) 01:28 (UTC)
  • 記号(画像アイコン含む)を使ってリンクを示すことには賛成できません。PCでは当該リンクにマウスカーソルを合わせれば遷移先ページ名が表示されますが、マウスカーソルのないモバイル端末では実際にタップするまで遷移先が分からないという問題があります。青リンク1本ルールの導入の有無にかかわらず、曖昧さ回避ページにおいてリンク先はどこに遷移するのかページ名が明示されているべきであり、パイプ付きリンクリダイレクトの使用は不適切であると考えます。--茶でもすするか会話2019年8月14日 (水) 05:11 (UTC)
  • 今回提案されたアイコンはともかくとして、誘導先に当たるリンクに「リダイレクト」「パイプリンク」を用いることの是非については現時点のWP:Dには何も説明がありません(曖昧さ回避ページのリンクについてに関してのみ、WP:HOWTODABにパイプリンクに関する言及があります)。現状の曖昧さ回避ページの運用において、その点は徹底されていないと思いますので、必要なら別途提案なりして解説に追加した方が良いかもしれません。--ButuCC+Mtp 2019年8月14日 (水) 09:51 (UTC)
  • この提案は「この説明が示すページへのリンク」という機能を持ったボタンを追加するという、UIの改善提案です。今あるページ名表示やそのリンクをなくすというものではありません。あと、記号はただの例です。統一されていればなんでもいいんです。曖昧回避以外にも「Wikipedia:秀逸ピックアップ/貴族 (中国)」のように、どのリンクが目的のページにたどりつくかが分かりにくいものがあります。 --Yhiroyuki会話2019年8月14日 (水) 10:23 (UTC)
  • 反対 - 当該項目の他に、当該項目の説明に必要な関連項目へのリンクがあることのデメリットがこれまでの説明でも理解できません。要は求める情報にたどり着くための誘導にあたってリンク先の選別がちゃんと行われていればいいという話かと思います。曖昧さ回避に限らず、記事のある単語へのリンクを(当該項目と直接関係ない単語でも)やたらと貼ろうとする方もしばしば現れますので、そうした行動への抑止力にはなるかもしれませんが、別問題でしょう。アイコン、リダイレクト、パイプリンクが不適切という意見には賛同します。 --Takisaw会話2019年8月14日 (水) 06:04 (UTC)
  • 反対 他の方がおっしゃるように、一本化することによるデメリットの方が遥かに大きい。現状、○○ - △△における××。というように一目で誘導先が判別できる書式で統一されているので迷う心配もありません。--切干大根会話2019年8月15日 (木) 05:17 (UTC)
  • 反対 既に何度かコメントさせていただきましたが、改めて私の立場を明確にしておきます。
曖昧さ回避項目の第一義は最善のリンク先を明確に示し、閲覧者をそこへ正確に誘導することである、それは私のみならず誰もが認めていることでしょう。従って、この議論で争点となっている説明文部分に設ける内部リンクについても必要最低限に留めるべきであろうと私自身は考えています。しかし、たとえば現状の大阪梅田駅河原町駅のスタイルが曖昧さ回避項目としての第一義を損ねる、すなわち閲覧者の利便性に支障が生じるような状態であるのか、日本語版においてルールを新たに明文化し強制的にスタイルを改めないとならない状況なのか。先に述べたとおり、私は全くそうは思いません。
ButuCCさんご提示のen:WP:MOSDABにおける「曖昧さ回避項目は記事ではなく検索補助目的の項目である」は、曖昧さ回避項目の第一義のみを切り出した場合その通りですが、一方で曖昧さ回避項目は記事ではない、というのはあくまでも内部ルールによる考え方に過ぎず、閲覧者にとっては一般項目であろうと曖昧さ回避項目であろうと等しく「記事」であろうという観点が完全に欠落してはいないでしょうか。「大阪梅田駅という記事ではないページに辿り着いたら、まず大阪梅田駅 (阪急)という百科事典としての記事へ行き、そこで『大阪梅田駅 (阪急) に乗り入れている路線の詳細情報、あるいは乗り入れている列車の停車駅パターン』を知るのに最善となるリンクを探す、というのが曖昧さ回避ページの誘導特化の考え方」が原理原則に適ったものであったとしても、閲覧者のニーズによっては余計なページ遷移を強いることになるそのルール運用は果たして閲覧者の利便性に資すものといえるのでしょうか。
諸々を踏まえ、曖昧さ回避項目の取り扱いについては私個人としては現状維持がベターであると考えていますが、必要であればその「現状」を明文化して無差別な内部リンク除去あるいは野放図な内部リンク追加を抑止し今回のようなトラブルを回避した方がよいようにも思います。--MaximusM4会話2019年9月2日 (月) 04:04 (UTC)

区切り1

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  • 賛成 原則として1項目には青リンク一つで十分です。曖昧さ回避のためのページが何のために存在するのかを考えれば、自明だと思うのですが。ButuCCさんがおっしゃるように、最善のリンク先以外のリンクを置くことは、曖昧さ回避のためのページの存在意義から逸脱していると考えます。洋食屋へ行くつもりが気が変わって和食屋に行きたい方がいるかもしれないとの指摘については、そのような目移りをさせる時点で曖昧さ回避のためのページの目的を十分に果たせていないことになります。そのような(余計な)配慮は、正しく最善なリンク先に到達したい方には、大きなお世話と言っていいでしょう。最善のリンク先へのリンクが関連項目へのリンクに埋もれてしまっては本末転倒です(こういうのを「カオス化」という)。関連項目のページへは、リンク先のページから飛べばいいんです。また、項目へのリンクが明確に指示されているのは、英語版でも同じです。日本語版では「-」で接続されているのが、英語版では「,」で接続されているだけの違いで、本質的には全く変わりがないといっていいでしょう。最適リンクへのアイコンの設置についても、曖昧さ回避のためのページの存在意義を軽視した本末転倒な提案と思います。そんなことをするのなら、最初から最適なリンクのみ置いておけば十分です。「河原町駅 (静岡県)」の件については、最善のリンク先となるべき記事が存在しないため、便宜的に次善のリンク先を示しただけで、最善のリンク先となるべき記事が立項されれは、当然次善のリンクは削除されるべきと考えます。そうは思わない理由とはいかなるものでしょうか。関連項目(次善、三善)へのリンクは、検索者を徒に迷わせるでけであって、もとより最善のリンクだけ示してあれば、誘導を誤る可能性は限りなくゼロに近づけることができます。それは、曖昧さ回避のためのページの存在意義に最も適った考え方だと思いますが、いかがでしょうか。--Kone会話2019年8月23日 (金) 09:50 (UTC)
  • いや、ひまわり - 与謝野町コミュニティバスの愛称。京都府与謝郡与謝野町が運行しているコミュニティバス。としたところで、『与謝野町って、どんな町?』『コミュニティバスって、どんなバス?』と思う事はある、という話ですよ。リンクを無くしても、その単語がある以上、先にその単語を調べたくなる事も有ると言っているんです。まぁこの例の場合、貴方はひまわり - 与謝野町コミュニティバスの愛称。または与謝野町コミュニティバス - 愛称が「ひまわり」。とすべきだと言われるのかも知れませんが。曲名 - テレビアニメ『○○』の主題歌。アルバム『××』に収録。というような場合はどうします? アニメの主題歌である事は、十分特筆性のある事だと思います。テレビアニメのタイトルを削れない以上、『主題歌→アニメ』と行けないのはデメリットが大きすぎます。ひまわり - 与謝野町コミュニティバスの愛称。京都府与謝郡与謝野町が運行しているコミュニティバスひまわり - 与謝野町コミュニティバスの愛称。京都府与謝郡与謝野町が運行しているコミュニティバスと過剰なリンクを減らして三つだけにする、というので有れば別ですが、一本化には賛同できる理由が有りません。--お好みでタピオカをおかけください会話2019年8月23日 (金) 11:57 (UTC)
    • コメント(お好みでタピオカをおかけくださいさん宛) - 中立であるにもかかわらず先のコメントで徹底議論したのは「同じ話を一リンク派の人に同じように吹っ掛けないようにするため」でもありました。「誘導先以外のリンクに飛びたくなる衝動」という観点の話はもう私とあなたとでの対話で要点は語りつくされています。厳格に一リンクとしないまでも曖昧さ回避という一般記事と流儀が異なるページの役割について誘導に重きを置いている人からすれば、誘導先以外への途中下車は役割に外れているという考えが根底にありますので、貴方の寄り道論とは水と油でしょう。少なくとも、Koneさんへのコメントを見る限り「“1本化派”の意図を掴む」ことはまだ出来ていないようです。--ButuCC+Mtp 2019年8月25日 (日) 18:59 (UTC)
  • コメント 誘導先以外のリンクがあっても検索者が誘導を誤る可能性は限りなくゼロであると井戸端で再三に渡って説明したはずです。「あまりに瑣末で馬鹿馬鹿しいのでやめておきます」とも仰っていましたね。--切干大根会話2019年8月23日 (金) 12:33 (UTC)
  • コメント いやいや、あなた方が仰る特筆性なんてものは、曖昧さ回避のためのページではすべて最善のリンク先に割り振られるべきものです。その他の有象無象のリンクなんぞ、最善のリンク先の前ではカスみたいなものです。気変わりした、あるかどうかもわからない検索者の利便を図るためなどという、存在意義を逸脱した目的のためにその特筆性を割り振る余地はありません。そういう場合は、検索者が検索しなおせばいい話です。曖昧さ回避のためのページを訪れる者のほとんど全ては、同名の記事の選択(検索)が目的であることを忘れていませんか?関連項目へのリンクなんぞ、本来目的の検索者にとっては、邪魔なだけです。お好みでタピオカをおかけくださいさんが反論として挙げられているアニメ主題歌の例については、最善のリンク先となるべき項目がない場合に、次善・三善のリンク先を示す場合のことでしょう。最善のリンク先が示せれば他のリンクは価値を失います。それをデメリットと仰いますが、曖昧さ回避のためのページとは、そもそもそういうものです。また、切干大根さんは、「誘導先以外のリンクがあっても検索者が誘導を誤る可能性は限りなくゼロである」と仰いますが、最善のリンク先だけ示してある場合は、検索者が説明を読み間違わない、もしくはクリックし損なわない(それは、検索者の過失であって、曖昧さ回避のためのページの責任ではない)限り、誘導先への案内を誤る可能性はゼロです。「限りなくゼロに近い」のではなく「ゼロ」なんです。--Kone会話2019年8月24日 (土) 12:54 (UTC)
  • 反対 メリットよりデメリットの方が大きいため。英語版では字が小さくアルファベットのみなので視認性の問題はあると思いますが、日本語版は字が大きく漢字かな混じりのため視認性が高いので、複数のリンクがあっても視認性を損なうことはないでしょう。むしろ関連するリンクが近くにあることによるメリットの方が大きいと思います。--新幹線会話2019年8月24日 (土) 13:05 (UTC)
    • コメント 表示される字面の視認性(文字の大きさや漢字かな交じり表記)ついては、この論の本質から大きく逸脱していると考えます。視認性は全く問題ではなく、曖昧さ回避のためのページの存在意義に照らして、どの程度最善のリンク以外の項目へのリンクが許容されるべきかが、この論の本質です。--Kone会話2019年8月24日 (土) 13:58 (UTC)
      • 何も曖昧さ回避ページは最善のリンクへの誘導のためだけにあるわけではないでしょう。--新幹線会話2019年8月24日 (土) 23:25 (UTC)
        • いいえ、そのためにあります。少なくとも、第一義はそれです。なにしろ「曖昧さ回避のためのページ」ですから。--Kone会話2019年8月25日 (日) 03:44 (UTC)
          • コメント 曖昧さ回避ページの第一義は「曖昧さ回避」であることには同意しますが、第二義としてその周辺知識も得られるというのも大きいと考えています。百科事典は知識の幅を広げるものですから、むしろ、誘導先以外のリンクは必要なものであると考えます。「誘導先以外のリンクは害悪であるから一切合切禁止」という意見の方が私は百科事典として不適切な考え方だと思います。--切干大根会話2019年8月25日 (日) 09:21 (UTC)
            • 曖昧さ回避のためのページは通常のページと異なり、読者の知識を広げる目的はありません(まあ、その語の別の用法を学べるという知識拡大はありますが)。その目的は通常の記事ページが担えば十分であって、曖昧さ回避のためのページはそれ自身の目的(曖昧さ回避)に特化すればよいのです。曖昧さ回避のためのページに最善のリンク先は絶対に必要なものですが、それ以外のリンクはないからと言って困るものではありません。なくても困らないものです。検索の途中で気が変わった方への配慮を第一のメリットとして口にされますが、それはリンク先の通常の記事ページの役割であり、曖昧さ回避のためのページにとっては目的外の要求というものです。何度も言いますが、最善のリンク先以外のリンクは、曖昧さ回避のためのページの第一義を阻害します(誤誘導の可能性を、ゼロに限りなく近くはできてもゼロにはできません。最善のリンク先のみであれば、必ず最善のリンク先のどこかには到達できます)。--Kone会話2019年8月25日 (日) 10:26 (UTC)
              • コメント 殊更に曖昧さ回避ページの役割と通常記事の役割を区分けしようとなさっていますが、そんな風に明確に線引きする必要があるのでしょうか。別に曖昧さ回避ページが他の役割を一部兼ねたっていいのではないでしょうか。--新幹線会話2019年8月25日 (日) 11:11 (UTC)
                • コメント あります。曖昧さ回避のためのページには曖昧さ回避のためのページ独自の役割があり、それは一般の記事ページにはないものです。--Kone会話2019年8月27日 (火) 12:14 (UTC)
              • コメント 曖昧さ回避ページであろうと百科事典の1ページなので「読者の知識を広げる目的」はつけるべきでしょう。私の場合は、誘導先の記事とそれによく関係する記事を1度に調べたいときに重宝しており、無いととても困ります。逆に、誘導先以外のリンクがあったせいで検索者が迷ったなどという苦情は聞いたことがありません。そいった苦情を承ったことがあると仰るのであれば教えてください。--切干大根会話2019年8月25日 (日) 12:01 (UTC)
                • コメント 私は迷いますが。一瞬ギョッとしますよ。--Kone会話2019年8月27日 (火) 12:14 (UTC)
                  • コメント Koneさん個人の感想ですね。私は全く迷いませんし、ギョッともしません。--切干大根会話2019年8月27日 (火) 20:41 (UTC)
                    • コメント それも切干大根さん個人の感想ですよね。このように、個人の感覚を論拠にする以上、話がかみ合うわけがありませんし、落としどころも見つかりようがありません。情緒的な話ではなく、理詰めの話をしませんか。--Kone会話2019年8月28日 (水) 09:09 (UTC)
                      • コメント 当方は最初から「根拠を示してください」と申し上げています。あなたはそれに対し、「方針がどうのではなく、物事の本質を見極めていただきたい。」と仰るから拗れているのです。もとより「情緒的な話」をしているのはKoneさんです。--切干大根会話2019年8月28日 (水) 09:35 (UTC)

コメント - WP:D自体はハウツーのようになっていて「曖昧さ回避ページ」の立ち位置について多く語りませんが、「曖昧さ回避は、読者が調べたいものを探す案内板のようなもの」「曖昧さ回避は、あくまでも異なる内容のページを判別するためのもの」「曖昧さ回避のページは読者に調べたい項目を選択させるもの」「曖昧さ回避ページは読みたいページを判別することが目的」と随所に一般記事とは役目が異なるものであるという示唆があります。また、「曖昧さ回避ページであることを読者に知らせる」ために{{Aimai}}タグを貼るよう指示しているように、「曖昧さ回避ページ」というのが独特の空間であることを示すことには意味があるようです。Category:曖昧さ回避も「通常の記事とは形式の異なるページ(附録)」とするCategory:附録にカテゴライズされています。これらのことから、「曖昧さ回避ページ」を「一般記事」と同等には扱えないという見方には説得力があります。実際、英語版のen:WP:MOSDABには「they are not articles. These pages are aids in searching for articles.」とあり、曖昧さ回避は記事ではなく検索補助のためにあると位置づけています。つまり「1リンク化=一般記事としては扱わない」という事になりますので、この提案自体が曖昧さ回避ページに百科事典的機能を持たせるべきか否かという議論でもありますね。

私自身は「かといって完全1リンクで支障が起きないか?」という懸念があるので当提案には反対よりの中立なんですが、だからと言って一般記事と同じような見方で枝リンクを増やすやり方が「曖昧さ回避ページ」の目的に沿っているとは思えません。そもそも曖昧さ回避ページは「曖昧さ回避のためのページは必要なときのみ作成してください。」とあるように、記事名の重複などの際に「仕方なく」作られるものです。曖昧さ回避ページ自体は一般記事同様の目的地とはなり得ません。速やかに目的地へ運ぶことにその存在意義があり、関連語句を含む『「仕方なく」作る元凶となったキーワード』以外の一般記事への無暗な誘導は曖昧さ回避ページの一般記事化に繋がるので役割論で言えば否定的です。--ButuCC+Mtp 2019年8月25日 (日) 18:59 (UTC)

コメント 説明文にリンクを付けるメリットとして、説明文中のキーワードが目に入りやすくなり、説明文を読み込まなくても閲覧者がより迅速に適切な誘導先を探せるというのもあります。小倉駅を読みましたが、説明文が全部黒文字で逆に読みにくく感じました。また、説明をリンク先に委ねることで説明文を簡略化できるメリットもあります。--新幹線会話2019年8月27日 (火) 13:47 (UTC)

  • コメント それは、新幹線さん個人の所感ですよね。私はそうは思いません。むしろ、簡潔で目的のリンクを探しやすいと感じますし、曖昧さ回避のためのページの適切な姿と思います。これ以上余計なリンクが増えては、どのリンクを選ぶかの点で、問題が生じる(検索者に迷いが生じる)と思います。--Kone会話2019年8月27日 (火) 14:03 (UTC)
    • 個人の所感を一般化しているのはあなたも同じでは。--新幹線会話2019年8月27日 (火) 14:06 (UTC)
    • また、私は以前にWP:UNDERLINKINGを根拠にリンクを付けることの正当性を述べており、個人の所感のみで物を言っているわけではありません。--新幹線会話2019年8月27日 (火) 14:12 (UTC)
      • WP:UNDERLINKINGには、「多すぎるリンクや意味のないリンクも読者の役に立ちにくいため、登場する単語に対して無差別にリンクするのではなく、その内容に関係のある項目や作成に値する項目にリンクします。」とあり、無差別にリンクを設けることまでは推奨していません。また、それは一般の記事ページに関するものであって、一般の記事ページではない曖昧さ回避のためのページにそのまま持ち込むのは、いかがなものかと思います。--Kone会話2019年8月27日 (火) 14:30 (UTC)
        • 現在の河原町駅の内容を見て「無差別にリンク」と感じるのであれば一般の方と感性がかなり異なるのではと思います。確かに曖昧さ回避ページは一般の記事とは異なる部分もありますが、内容に関係するリンクまでも排除できるわけではないでしょう。--新幹線会話2019年8月28日 (水) 14:08 (UTC)
          • でも、やっぱり最善のリンク先外のリンクは、「あってもなくても」という位置づけなんですよね。先にも述べましたが、最善のリンクの前では路線名へのリンクも京都府などの地名へのリンクも等しくカスみたいなものなんです。英語版のガイドラインでは「Include exactly one navigable (blue) link to efficiently guide readers to the most relevant article for that use of the ambiguous term. Do not wikilink any other words in the line.(曖昧な用語の使用に最も関連する記事に読者を効率的に導くために、正確に1つのナビゲーション可能な(青)リンクを含めます。行内の他の単語をウィキリンクしないでください。)」と言っています。最善のリンク以外のリンクを容認してしまうと、検索者を「正確に」導くことができなくなります。ほとんどゼロはゼロではありません。また、最善のリンク先以外のリンクを許容する基準はどうされるおつもりでしょうか。これを許容すると、文字どおり「無差別」にリンクを張りたがる馬鹿者が現れます。そういう状況は、許容派の皆さんも許容できないのではないですか?--Kone会話2019年8月29日 (木) 11:47 (UTC)
            • ちょっと何を言ってるか分からないです。「カス」だとか「馬鹿者」だとか、おおよそ冷静な議論では使わないであろう暴言を平気で使っておられますが、それで他者の同意を求めるのは至難ですよ。MaximusM4さんの仰る通り、日本語版では誘導リンクと短い説明文との間が半角スペースとハイフンで明確に区切られているので、十分「正確に」導くことができています。これで迷う人というのは、相当に変わった感性の持ち主なんだろうなと思います。--切干大根会話2019年8月29日 (木) 13:42 (UTC)
              • 貴方も当方の意図を正確に汲み取る努力をしてください。別に許容派の方を「カス」とか「馬鹿者」とか言っているわけではないですよ。前後の脈絡を考慮せず、刺戟的な単語だけを切り取って過剰に反応し、冷静さを失っているのは貴方の方ではありませんか?それはともかく、最善のリンク以外の項目へのリンクを許容する基準については何か腹案をお持ちでしょうか。基準なしで関連項目へリンクを許容すると、文字どおり無差別にリンクを張りたがる馬鹿者が現れると思うのですが。それは、許容派の方も容認できることではないでしょう。こちらは質問を投げています。文意を正確にご理解の上、誠実な回答をお願いいたします。--Kone会話2019年8月30日 (金) 02:49 (UTC)
                • リンクの許容基準は既にWP:UNDERLINKINGがありますので問題ないでしょう。--新幹線会話2019年8月30日 (金) 10:37 (UTC)
                  • (下記コメントと被るので簡単に)WP:UNDERLINKINGWP:BTW)は記事に対する基準ですので、まず曖昧さ回避ページが記事か否かという問題は避けられません。記事であるならそれが基準になるでしょうけど、Koneさん(というかこの案を推進する考え方の場合)は記事と捉えていないので、それは関係ないです。--ButuCC+Mtp 2019年8月30日 (金) 10:44 (UTC)
                    • Wikipedia:記事どうしをつなぐにおける「記事」とは、「記事名前空間にあるページ」のことを意味していると読むこともできます。例えばWikipedia:記事名の付け方は明らかにリダイレクトや曖昧さ回避ページも拘束するガイドラインとして運用されています。または、このガイドラインが作られたのはかなり前なので、単に「ページ」の意味で「記事」という言葉を使ってしまったのかもしれません(Wikipedia:ページの分割と統合は昔「Wikipedia:記事の分割と統合」という名前でしたが、当然のことながら記事に限定して運用する目的で作られた文書ではありませんでした)。そのため、曖昧さ回避ページを記事と見なさなくてもWikipedia:記事どうしをつなぐを適用する余地はあります。--新幹線会話2019年8月30日 (金) 11:39 (UTC)
                      • その点も含めてWP:Dの立ち位置をはっきりさせるべきと思います。2019年8月25日 (日) 18:59 (UTC)のコメントで指摘したCategory:附録の「通常の記事とは形式の異なるページ(附録)」というのは名前空間の事を指しているわけではありません(索引がWikipedia名前空間ですが、一覧はほぼ記事名前空間)。英語版のnot articlesにしてもそうで、記事名前空間とは異なる名前空間を新設しようという話ではなく、同一の名前空間でも書式が異なる体裁をとるページ群があることを指しています。Wikipedia:記事名の付け方の適用も順序が逆で、そもそも一般記事側の事情で記事名の競合が起きる時に仕方なく作られるのが曖昧さ回避のページですので、WP:NCのルールに照らし合わせて記事側の事情として競合がおこらないなら「曖昧さ回避のページ」を作る意義がありません。WP:DがWP:NCに縛られているのではなく、WP:NCに縛られた同名の一般記事が存在するときにWP:Dのページが生成される場合があるという話です。あくまで一般記事ありきであり、WP:D単独でWP:NCが絡むわけではありません。--ButuCC+Mtp 2019年8月30日 (金) 12:02 (UTC)
                        • >そもそも一般記事側の事情で記事名の競合が起きる時に仕方なく作られるのが曖昧さ回避のページ
                          本当にそうでしょうか。その原則に倣うなら梅田駅 (大阪市高速電気軌道)梅田駅に改名されるはずですが、ノートの議論の中で梅田駅 (大阪市高速電気軌道) をそのままにして梅田駅を曖昧さ回避のためのページにする案も出ています。この件に限らず、記事名が競合しなくても閲覧者の利便性を考慮し任意に曖昧さ回避ページを作ることもあります。WP:NCの件ですが、順序がどうであれ、結果的にはWP:Dに基づき作られるページにもWP:NCが適用されていますよね。--新幹線会話2019年8月30日 (金) 13:15 (UTC)
                          • ではWP:NOTDABをどう思われますか。記事名の競合が起きていないのに曖昧さ回避を行うのは現行方針に反しているので、改訂すべきではないでしょうか。もっとも梅田駅に関しては「現存駅優先条項」が絡む鉄道PJの放置案件ですので、本件にの例示に向いてないでしょう。過去の駅名(=リダイレクト)も含むなら競合していると言えますし。「曖昧さ回避ページ」として用意するからには何らかの曖昧さを回避するわけです。名前の競合が想定されないのに曖昧さ回避ページが用意されるというのもおかしな話で、そのような状態で放置されているなら解消すべきですね。
                          • WP:NCについては順序がどうでもいいならそれは適用とは言わないでしょう。大阪梅田駅ならWP:NCに基づく一般記事『大阪梅田駅』となる対象が2つあるから同名回避のためのWP:Dを用意する羽目になったのであって、WP:Dに基づき作られるページの背景には必ず「WP:NCに基づく一般記事」があるわけです。で、その一般記事の競合を回避するために造られるWP:Dは従属的なものであって、原因となった「競合する名称」と関係ない名前が使われるわけがないのです。「_(曖昧さ回避)」等の体裁もWP:NCではなくWP:D内での「作り方」として規定されているのであって、生成されるページ名の命名法はWP:D内で完結しています。競合する同名以外のページ名にするならそれはもう曖昧さ回避のために用意したものではなくなりますから。--ButuCC+Mtp 2019年8月30日 (金) 13:48 (UTC)
  • コメント 曖昧さ回避ページは記事なのかというのはさほど重要な問題ではないと思います。WP:BTWは、読者が記事に辿り着ける機会を増やすための方針であると理解しております。--切干大根会話2019年8月31日 (土) 05:32 (UTC)
    • いや、英語版での在り方を拠所とする本提案に関して、曖昧さ回避ページが「記事」か否かは連結した問題です。なぜなら英語版が紹介リンクを無用としているのは「記事ではない」からであり、記事であるならWP:BTWen:WP:MOSLINK)による記事間リンクは肯定されるべきものだからです。英語版では一般記事はMOSLINK、曖昧さ回避ページはMOSDABとスタイルマニュアルを明確に分けており、だからこそ曖昧さ回避ページというものに独自性を持たせ「一リンク化」というスタイルが成立しているのです。したがって本提案の賛否が曖昧さ回避ページを記事と扱うか否かにも直結します。
    • ただ、WP:DABDICによって「辞書化はするな」という制限があるように、記事かどうかやリンクの有無とは別に情報の簡素化など「曖昧さ回避ページとしての書き方」というのがあります。「一リンク化」が反対の方も単語解説部分に一般記事並みの情報量やリンクが必要とは思っていないでしょうから、完全に記事として扱うのも違うでしょう。なので、「記事」か「記事でない」かの間に「半記事(≒DABとしてのスタイルの確立)」という選択肢もあります。MOSDABのある英語版と違って日本語版においてはDABのスタイルが暗黙の了解となっており曖昧であったからリンクの話一つでこのように意見が割れるわけですし、本提案を否決するならするで一般記事とのスタイルの違いやリンクの選び方等を明文化した方が良いと思います。--ButuCC+Mtp 2019年8月31日 (土) 13:41 (UTC)

コメント 曖昧さ回避というWikipedia独自の仕組みを上手く使うことができればよいのでしょう。何らかのキーワード検索で曖昧さ回避にたどり着いた検索者が自分の本当に目指す情報に早くたどり着くことが曖昧さ回避の存在目的であるならばそこから先は検索者が選べばよいだけでは。第一義のリンクが明確になってさえいれば、その最小限の説明とその中での関連する事柄へのリンクは(度が過ぎたものでなければ)邪魔にはなりません。検索者の迷いを「完全にゼロにする」ことのためにリンクを一つに限定するというのは、それこそ検索者に対する余計なお世話ではないのでしょうか。曖昧さ回避は特別なページなのだからリンクは一つでなくてはならないというのもデメリットを無視した悪しき原理主義のような主張に見えます。WP:VWP:NORのようなWikipediaの信頼性の根幹を揺るがす内容でもありませんし、率直に申し上げて、これだけ主張、議論を見てきても私には賛成派(特にKoneさん)がここまで頑なに1リンクに拘る理由がなぜなのか全く理解ができずにおります。 --Takisaw会話2019年8月27日 (火) 14:47 (UTC)

  • コメント 私とて、絶対に1トピック1リンクを固持するつもりはありません。最善なリンク先がない場合、それに代わるものとして次善・三善のリンクを示すことまで否定するつもりは、もとよりありません河原町駅の「河原町駅 (静岡県)」に対する措置がそれです。当然、「河原町駅 (静岡県)」なる記事があるべきところ、それが存在しないため、次善の策として静岡鉄道駿遠線を示したものです。そこの駅一覧を見れば、とりあえず駿遠線(静岡県)の河原町駅が「どこにあって」「隣の駅の駅名とそこまでの距離」等、ある程度の情報は得ることができます。しかし、それはあくまで「河原町駅 (静岡県)」なる記事が立項されるまでの臨時的な緊急避難的措置であって、恒久的なものではないことは明らかです。「河原町駅 (静岡県)」立項後に「静岡鉄道駿遠線」へのリンクを残し、万が一検索者がそれを選択した場合、「河原町駅 (静岡県)」に比してより少なく、よりこなれていない情報に導くことになります。この場合、「静岡鉄道駿遠線」へは、関連項目として最善のリンク先である「河原町駅 (静岡県)」から飛べば十分なのであって、曖昧さ回避のためのページで最善でないリンクを示すことで検索者を不利益に誘導しておいて、それを検索者の責任などというのは傲慢極まりないのではないでしょうか。曖昧さ回避のためのページの第一義は、「間違いなく」検索者の求める最善の記事に導くことです。それを「間違いなく」果たすためには、1トピックについて原則1リンクで十分なのです。--Kone会話2019年8月27日 (火) 15:36 (UTC)
  • コメント とりあえず一言のみ。たとえば、河原町駅において仙台市交南北線の駅に関する記述が
という書き方をされているのであれば、Koneさんが仰るような懸念も理解できなくもありません。しかし実際は
と書かれています。誘導対象記事へのリンクを冒頭に設け、かつ説明書きが半角ハイフンとスペースによって明確に区分された現状の記述形式で、閲覧者が本来のリンク先ではなく説明書き部分のリンク先へ誤誘導される(閲覧者に不利益を生じる)可能性を読み取ることはおよそ現実的ではないように思います。--MaximusM4会話2019年8月28日 (水) 16:01 (UTC)
  • コメント いいえ。意図的に仙台市地下鉄南北線のリンクを踏んだ閲覧者にとって、河原町駅から仙台市地下鉄南北線へ遷移することは「誤誘導」ではありません(そのような閲覧者の存在や需要まで全否定されませんよね)。そして、河原町駅から河原町駅 (宮城県)へアクセスしようとした閲覧者が仙台市地下鉄南北線へ「誤誘導」されてしまう蓋然性を考慮することは非現実的であると申し上げています。言い換えれば、こと駅項目の曖昧さ回避項目について論じる際、「駅項目」へアクセスしようとした閲覧者が、各トピックの冒頭に明確に記載されている「駅」と名前の付く内部リンクを無視して他の内部リンクを押下する可能性を論じることはナンセンスであり、ひいては「曖昧さ回避項目における内部リンクを、各項目・各分野の状況を一切考慮することなく機械的に誘導対象記事のみに削減する」という提案そのものがナンセンスであるということです。--MaximusM4会話2019年8月30日 (金) 05:01 (UTC)
  • それでは、「河原町駅 (宮城県)」の説明にある「宮城県」や「仙台市」、「若林区」、「駅(鉄道駅)」にリンクを付することは、是とお考えでしょうか?MaximusM4さんのお考えに立てば、そういう結論に達するのですが。--Kone会話2019年8月30日 (金) 05:18 (UTC)
  • それは承知いたしました。しかしながら、野放図なリンクを禁止するのであれば、どのようなリンクを容認し、どのようなリンクを禁止するのかという点で、明確な線引きができるのでしょうか。また、リンクを厳選するのであれば、結局のところトピックへのリンクのみになってしまうのではないでしょうか。そのあたり、腹案があればお示しください。--Kone会話2019年9月2日 (月) 10:20 (UTC)
  • コメント Koneさんにとっては不本意であろうことは重々承知していますが、現状をそのまま追認すればよいと考えています。すなわち、下記にて茶でもすするかさんが仰った内容をほぼそのまま敷衍する形となりますが、説明文においては誘導先項目と密接な関連性を有する項目にのみ内部リンクを設けるのを許容することを明文化すればよい。もし説明文に複数の内部リンクが設けられ、さらにそれらの関連性について疑問の余地があるような事例については、(これまで数多の記事にて行われてきたのと同様に)個別の議論によって整理するか否かを決定すればよいでしょう。関連性の有無や高低については、包括的なルールによって制御することが困難であるのは敢えて申し上げるまでもないかと思います。--MaximusM4会話
  • コメント 最善の誘導先ですが、例えば、「大阪梅田駅 (阪急) に乗り入れている路線の詳細情報、あるいは乗り入れている列車の停車駅パターン」を知る目的で「大阪梅田駅」と検索する利用者もいるでしょう。そういった方々にとっては阪急神戸本線阪急宝塚本線阪急京都本線が最善の誘導先となります。どういう目的で検索するかによって最善の誘導先は変わってきます。--新幹線会話2019年8月30日 (金) 09:30 (UTC)
    • 大阪梅田駅という記事ではないページに辿り着いたら、まず大阪梅田駅 (阪急)という百科事典としての記事へ行き、そこで「大阪梅田駅 (阪急) に乗り入れている路線の詳細情報、あるいは乗り入れている列車の停車駅パターン」を知るのに最善となるリンクを探す、というのが曖昧さ回避ページの誘導特化の考え方であり、英語版で運用されているen:WP:MOSDABです(そして、それを導入しようというのがこの提案です)。新幹線さんが指摘する路線記事は『この単語に関連する記事』であり、曖昧さ回避されるべき同名の記事名とは別ですから、それは曖昧さ回避ページが行う誘導ではなく、Wikipedia:記事どうしをつなぐに基づく関連記事の紹介です。大阪梅田駅なら大阪梅田駅 (阪神)大阪梅田駅 (阪急)のみが誘導先であり、阪神電気鉄道阪急電鉄WP:BTWに基づくリンクであって、WP:D本来のリンク先ではありません。WP:BTWは記事で行われることですから、WP:Dが記事でないなら不要です(en:WP:MOSDABでは曖昧さ回避ページをnot articlesとし、紹介は不要という立場をとっています)。これまで様々なページが例示されましたが基本的に焦点は同じで、要するに曖昧さ回避ページを記事と見るか否かということでしょう。英語版の運用に右に倣えではなく、日本語版では「曖昧さ回避ページ」を記事と同等と位置付けるか、記事はないとして紹介リンクを外すか、記事でないが最低限の紹介リンクを認める半記事的な結論にするか、それはこの議論で決めることになるでしょう。ですが、紹介リンクを認めるとしてもその目的の区別はしていただきたいです。この議論がどう転んでも誘導先ページ以外の紹介リンクは別のガイドラインに基づく行為であり、曖昧さ回避の目的そのものにはなり得ません。--ButuCC+Mtp 2019年8月30日 (金) 10:23 (UTC)

賛否のまとめ

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  • ※投票とかそういう意味ではなく、議論の関係で誰が賛成で誰が反対なのか、ちょっと分かりにくくなっているのでまとめただけです。また、人数も『単純に、現時点では、どちらの意見が多いのか』というだけで、数が多い方が正しいとか、そういう意図は毛頭有りません。多数決では有りませんので、念の為。
賛成(一本化派)4名
Kiyoweapさん、Yapparinaさん、Yukida-Rさん、Koneさん。
反対(複数リンク容認派)7名
Tiyoringoさん、お好みでタピオカをおかけください(僕)、たびびと551さん、Senatsukiさん、茶でもすするかさん、Takisawさん、切干大根さん。
※明確に、テンプレート【{{賛成}}や{{反対}}】及び準ずる形で意思表示されてる方のみ。コメントから読み取れても、それが無いと勘違いしていたらいけないので、今回は追加していません。--お好みでタピオカをおかけください会話) 2019年8月23日 (金) 12:20 (UTC)賛成と反対のテンプレートをTemplate:tl使用に変更しました。--お好みでタピオカをおかけください会話2019年8月24日 (土) 04:06 (UTC)

区切り2

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コメント 誘導先に対して青リンク一つだけ、という英語版ガイドラインは、読者が正しいリンクを見つけられるように、リンクに関連付けられた説明は最小限に抑えるという目的の達成のためのスタイルだと私には読めました。このルールに沿って案内先を記述すれば自ずと青リンクは1つだけになるでしょう。しかしながら日本語の場合だとひらがな・カタカナ・漢字のみならず欧文文字も同時に並ぶ言語ですのでリンクを1つにきっちり限定しなくても役目を果たすことができるはずです。スクリーンリーダーを使っている場合など、青リンク1つだけであることが有効に機能するのは表音文字言語だけであり、日本語では漢字の読み方がネックになるので判断のためにリンクをたどる必要も出てきましょう。そうならないように案内先文を記述するのがベストであることは言うまでもないことですが、その他の字句にはリンクを貼るな! というのはちょっと乱暴なような気がします。スクリーンリーダーが誤って大阪市平野区にある「杭全公園」(くまたこうえん)を「こうぜんこうえん」と読んだり、京阪電車の「石山坂本線」を「いしやまざかほんせん」とぎなた読みされないよう、適宜内部リンクを用いて文節分けしておくのがむしろ、良いのではないのでしょうか? Wikipedia日本語版では記事タイトル以外、漢字によみがなは振られていないのですから。--Licsak会話2019年8月25日 (日) 14:46 (UTC)

コメント 賛否については中立ですが、気になったので一言。「Wikipedia:表記ガイド#読み仮名」にあるように、本来は積極的に読み仮名を振るのが現状のガイドラインです。まあ誰も守っていませんが……一応、ウィキペディアのガイドライン上では、難読地名などに読み仮名をつけることに問題はないことになっています。--Kanohara会話2019年8月25日 (日) 15:39 (UTC)
改めて読んだところ常用漢字の音訓外については読み仮名を積極的に振ることが推奨されていました。ただ内部リンクがあれば読み仮名は振らなくてもいい決まりなので、てっきり振らないものと誤解していました。ご指摘に感謝します。--Licsak会話2019年9月1日 (日) 05:24 (UTC)

コメント 「誘導先リンクを一つだけ」というのは、ハイフンで分割された説明文まで及ぶものではないと私は思います。複数の方も述べているとおり箇条書きのリンク先は一番適切なものにリンクするのが自然でかつ合目的であるため箇条書きにはリンク一つだけというのは当然と言えましょう。しかしながらリンク一つという拘束条件はハイフン等で区切られた簡単な説明文にまで及ぶものではないし有益さを損ねるものと私は思います。無論、説明文は簡潔に書くことが求められるのは言うまでもありません。--Licsak会話2019年9月1日 (日) 05:24 (UTC)

コメント 上の難読な漢字表記でスクリーンリーダーが誤読するというのは、フリガナがないのが問題なのでしょう?(Kanoharaさんご指摘のように)。
なぜ駱駝(ラクダ)で駄目なのか?なぜ漢字とカナ両方にリンクしないと気が済まないのか理解できません。
ですが、フリガナをコミで京阪石山坂本線(けいはんいしやまさかもとせん)という表記も可能であるとすると、両方にダブルにつけた場合とさしたる違いはないので、どうでもよい話かと思います。
この例をして、誘導先の以外のキーワードにちらほら青リンクをつける正当化の理由にはなりませんよね。本質的に違う話ですから。(@Licsak:さん)。--Kiyoweap会話2019年10月2日 (水) 20:32 (UTC)
コメント とりあえず一連の議論を読んで見ましたが、土も気候も違うのに、種が同じという理由で、望ましい葉っぱの形について(言うまでもなくウィキペディアとして求められているのは実の品質)、喧々諤々の議論を続けるのは非常に非生産的で、無駄だなと思いました。青リンクがどうのこうの以前に、まずは曖昧さ回避のページについて、英語版と日本語版の差異などを踏まえて統一的なレイアウトなどの見解を示すべきなのではないのですか。
私は比較的英語版のルールを引用をすることが多いですが、そもそもウィキペディアの方針やガイドラインというのは慣習の上に成り立つものであって、日本語版の慣習と反するものを、単に「英語版ではこうだ」と言って強制しても、反発されてまとまらないのは当然であるとしか思いません。--EULE会話2019年9月1日 (日) 11:11 (UTC)
コメント EULEさんも仰っているように、ガイドラインに何を記述するかの案も出ずにこのまま議論を続けていても埒が明かないでしょう。「曖昧さ回避ページは記事と同等と位置づけるか」につきまして、曖昧さ回避は必ず複数の項目があり、曖昧さ回避の誘導先にあるものこそが記事ですので、個人的には「記事と完全に同等とはいえない」という考えです。しかし、記事と同等ではでないことは曖昧さ回避の誘導先以外のリンクを排除する理由にはなり得ず、Wikipedia:記事どうしをつなぐのガイドラインに沿って関連性の高い記事にアクセスしたい利用者への便宜を図る必要はあるものと思われます。ただし、例えば曖昧さ回避ページ「河原町駅」における [[鉄道駅|駅]] のような一般名詞にまでリンクをつけるのは過剰だという合意は得られていると思いますので、曖昧さ回避ページにおけるリンクについて以下のようなガイドラインがあった方が良いかもしれません。
* リンク対象にするのは誘導先記事および関連性の高い項目(例:鉄道駅における路線名、楽曲におけるアーティスト名やアルバム名)にとどめる。
* 原則として年月日や一般名詞にはリンクをつけない。(容易に誘導先記事にたどりつけないリンクをつけない)
* 誘導先記事名はパイプ付きリンクやリダイレクトを使わずに明示すること。ただし、説明文において適切なパイプ付きリンクを使うことは妨げない。
また、各項目の書式は「誘導先記事名 - 説明文」のように誘導先記事名と説明文をハイフンマイナスで分割した形式が暗黙的な標準のようになっておりますので、これを推奨する書き方として明記しても良いかと思われます。--茶でもすするか会話2019年9月2日 (月) 11:17 (UTC)
  • コメント ガイドラインへの加筆について賛否はありませんが、茶でもすするかさんの案は実態の暗黙のルールに沿ったものだと思います。--切干大根会話2019年9月2日 (月) 14:44 (UTC)
  • コメント 概ね同意いたしますが、一点、「誘導先記事名はパイプ付きリンクやリダイレクトを使わずに明示」の冒頭に「原則的に」の文言を加えるか、あるいは後述するような事例における例外事項を追記することを提案いたします。具体的事例として鉄道車両分野における「初代」「2代」のパイプが誘導先記事名に付与された曖昧さ回避項目を挙げます。鉄道車両記事は WP:NC/RAIL#車両記事名 に則り、初号車落成当初の事業者・形式称号をもって記事名とするルールとなっていますが、たとえば曖昧さ回避項目である名鉄モ600形電車において誘導先となっている2代目600形は名鉄モ600形電車 (2代)が本記事である一方、初代600形は名岐鉄道デボ600形電車が本記事・名鉄モ600形電車 (初代)は同記事へのリダイレクトとなっており、識別性の観点から初代記事への誘導リンクを敢えて[[名岐鉄道デボ600形電車|名鉄モ600形電車 (初代)]]としています。これがパイプリンクを使用できないとなると、説明文にて名岐デボ600形イコール名鉄モ600形(初代)であることを記述しなければならず、この点は現状と比較して明らかなデメリットであると思われますがいかがでしょうか。--MaximusM4会話2019年9月3日 (火) 09:40 (UTC)
  • コメント 茶でもすするかさんには、案を示していただきありがとうございます。確認したいことがありますので、回答をいただけますと幸いです。一つ目の項目で、「関連性の高い項目」とありますが、それではページ立項者の考えにより基準が主観的に決定されることになり、結果、ガイドラインとして機能しないという危惧を感じます。Maximus4さんの案にもあるように個別判断という手もありますが、それではほとんどの曖昧さ回避のためのページで個別判断が必要になってしまうのではないでしょうか。それはあまりに非効率です。私としては、原則誘導先のみのリンクとし、他に重要なリンク先が必要とされる場合、個別に判断するという方がいいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。--Kone会話2019年9月3日 (火) 12:17 (UTC)
  • 返信 (MaximusM4さん宛) MaximusM4さんのご提案に同意いたします。本提案の主旨は「現状の暗黙的なルールの明示化+α」であり、私が想定していたリダイレクトは独立記事が作られる前の一時的な措置としてのリダイレクト(例えば「河原町駅 (静岡県)」→「静岡鉄道駿遠線」へのリダイレクトのようなもの)でしたので、独立記事の別名として存在し、曖昧さ回避ページと誘導先記事名との整合性をとるためのリダイレクトにつきましては特段問題がないと考えます。--茶でもすするか会話2019年9月3日 (火) 13:33 (UTC)
  • 返信 (Koneさん宛) 「関連性の高い項目」とは、Koneさんが仰っていた「関連項目(次善、三善)」へのリンクがそれに該当します。個人的には、最善のリンクが存在するからと言ってわざわざ次善・三善のリンクを除去することはないだろうという考えです。個別判断の必要性につきましても、例をいくつか挙げることでゼロにはできなくても減らすことはできるのではないでしょうか。それでも個別判断が必要となった場合、それは百科事典作成のために必要な手間として甘受すべきでしょう。--茶でもすするか会話2019年9月3日 (火) 13:33 (UTC)
  • コメント Licsakさんの2019年9月1日 (日) 05:24 (UTC) のご発言「ハイフンで分割された説明文まで及ぶものではない」は、私は説得力があると考えます。--柒月例祭会話2019年9月4日 (水) 09:21 (UTC)
    • 返信 英語版の記述を見ると「Include exactly one navigable (blue) link to efficiently guide readers to the most relevant article for that use of the ambiguous term. Do not wikilink any other words in the line.」となっているので、そのような解釈はできないと思います。--新幹線会話2019年9月4日 (水) 11:31 (UTC)
      • 返信 英語版の解釈の話はしていません。--柒月例祭会話2019年9月4日 (水) 15:04 (UTC)
        • 返信 少なくともLicsakさんは英語版の解釈の話をしていたと私は認識していました。--新幹線会話2019年9月4日 (水) 15:24 (UTC)
          • 返信 私は日本語版の扱いについてコメントしました。--Licsak会話2019年9月5日 (木) 03:39 (UTC)
          • コメント 日本語は英語とは事情が異なります。英語の場合はすべてアルファベット26文字の世界ですが、日本語は漢字仮名交じり文でありかつ、外来語のカタカナも含めた世界になります。さらに日本語は同音異義語が非常に多く、イントネーションで区別する語も少なくありません。また日本語には黙字は無く、アルファベットによる表記違いもないことから英語版ルールを機械的に当てはめるのは、私はどうかと思いコメントいたしました。このことは曖昧さ回避ページで同じ読みの複数の表現について網羅しているページ(例: メスめす、あまり良くない例: アイあい)が複数あることから明らかです。また、英語版のルールはWCAG 2.0 解説の達成基準 2.4.3フォーカス順序を意図したものだと思いますが(箇条書き一つに対しリンクは行先ページ一つのみ)、前述の通り日本語では説明のリンクを一度たどり戻って行先リンクを選び直す必要もありましょう。このことはWCAG 2.0 解説の達成基準 2.4.4 リンクの目的 (コンテキスト内) とも合致しましょう。無論、説明書きにつけるリンクは最小限に留めることは、不必要なフォーカス移動をさせないために必要なのは言うまでもありません。--Licsak会話) 2019年9月5日 (木) 03:39 (UTC)リンクを目立たせる--Licsak会話) 2019年9月5日 (木) 03:42 (UTC)リンク追加--Licsak会話2019年9月5日 (木) 03:48 (UTC)

────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────(インデントを戻します)ウィキペディアのリンクアンカーのタブオーダーを確かめたところ、箇条書きについては説明文に先に飛ぶ、というものでした。このことを踏まえるとリンク先を唯一に絞るKoneさんの説得力には相当のものがあります。リンク先記事の冒頭文に記載されている内容についてはリンクによる解説を抜きにするくらい、リンクは厳選したほうがアクセシビリティの観点から良いのかなと思い始めています。モバイルアプリではリンクをたどると簡単な解説が冒頭文とは別に出る仕掛けになっています(英語版Wikiはモバイルシミュレーターが標準で出ます)。そうした環境も踏まえ有用な曖昧さ回避が実現できるなら、説明書きにある無駄なリンクは外しても良いと思います。--Licsak会話2019年9月5日 (木) 14:18 (UTC)

  • Wikipedia:コメント依頼に提出しました。特別:差分/74145727。また、それに伴い、井戸端の位置もリセットしました。特別:差分/74145765--2001:268:C05E:9C6D:E8A5:2CC0:DF6C:8D4D 2019年9月7日 (土) 06:54 (UTC)
  • 上記の茶でもすするかさんの案に概ね同意ですが、関連性の高い項目について具体的な例は各プロジェクトに委ねるべきで、ガイドラインに具体例を書かない方が良いと思います。また、-だけではなく、→〇〇を参照。というパターンも使用されることが多い(主題だ立項されていないが適切な参照先があるケースや同表記が沢山あるケース)のでこれも盛り込み方が良さそうです。--たびびと551会話2019年9月7日 (土) 07:12 (UTC)
  • (質問)茶でもすするかさんの案を支持される方に質問です。それは、「説明文へのリンクは必ず付されなければならない」という理解でよろしいでしょうか。これについては、「説明文に重要項目へのリンクを付することができる」程度の規定でないと不都合が生じると思います。また、基準については各プロジェクトに委ねるとのご意見がありますが、リンクは原則トピック部分のみとしておけば、そのプロジェクトごとの個別協議の必要はありませんし、説明文で必要になるとされるリンクについては、ページごとの個別協議で十分と思います。--Kone会話2019年9月7日 (土) 07:31 (UTC)
    • 返信 1つめ。説明文のリンクは「一定つけても良い」であって、「付けなければならない」ではないです。2つ目。いくつかのプロジェクトには曖昧さ回避で内部リンクを絞っているところがあります。関連性の高い項目の定義は各プロジェクトごとで決めた方が厳密にすることができます。ページごとの個別協議は類似ページ間(例えば駅の曖昧さ回避など)でバラバラになりかねません。個別のページで編集合戦となるのは避けたいところです。--たびびと551会話2019年9月7日 (土) 17:23 (UTC)
    • 返信 (たびびと551さん宛) 曖昧さ回避は、ほとんどの場合は人名や作品名など多岐の分野に及ぶため、一つのプロジェクト(例えば鉄道など)に収まることは稀でしょう。ガンマ (曖昧さ回避) のように「説明文→誘導先記事名」の形式のものもございますので、もし推奨する書き方を明記する場合は、この形式も加えたいと思います。--茶でもすするか会話2019年9月7日 (土) 21:00 (UTC)
    • 返信 (Koneさん宛) 案につきまして「説明文へのリンクは必ず付されなければならない」ということは意図しておりません。説明文に関連性の高い項目がなければリンク無しになることも当然あり得ます。むしろ「説明文に重要項目へのリンクを付することができる」の方に近いニュアンスです。(例えば、ウィングス 内の項目「おおとりウィングス」の説明文「大阪府堺市西区にある商業施設」は、どれも関連性がさほど高いとは言えなさそうです。「最寄り駅は鳳駅」や「核テナントはダイエー」とでも書いてあればリンクを入れられなくもないですが、記事も次善のリンクも作れないような項目の可否は別途検討すべきでしょう)--茶でもすするか会話2019年9月7日 (土) 21:00 (UTC)

区切り3

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  • コメント (本来目的について)
私の立案で、Kone氏に論議を任せっぱなしでスミマセン。
まあ私も最初っから青リンク1本ルールを知っていたわけではありませんし、英語版でそれを指摘されたときなぜダメなのかはとっさには呑み込めませんでしたよ。
しかし日本語版WP:DABDICにあるように"曖昧さ回避ページは読みたいページを判別することが目的ですから"、それを考慮するなら青リンクをなるたけ1本に絞るのが至極当然という結論に達するはずです。
1本以外の青リンクをはずすことを、さぞたいそうなデメリットのように何名かの方はおっしゃいますが(茶でもすするかTakisawMaximusM4タピオカ氏ら)、たかだかワンクリック差の話ですよね。
しかも、こちらはWP:DABの本来目的で使う場合の話をしているのであって、そちらはブラウジングしたユーザが目移りとか気がわりした場合においてです。この差があっても不当といえないでしょう。--Kiyoweap会話2019年10月2日 (水) 22:08 (UTC)

返信 切干大根 何を事実を伴わないことをおっしゃっているのですか?誘導先リンクがハイフォンの左に集約されており、右はすべて説明というのは虚偽ですよね。実例に出されているのは"ひまわり - あみんの楽曲。シングル『ひまわり/待つわ'07』、アルバム『In the prime』に収録。"です。誘導先はハイフォン前にありません。右のどれかを選べのかたちです。"これで迷う人というのは、相当に変わった感性の持ち主なんだろうなと思います。"などとおっしゃいますが、確実に迷うでしょ。--Kiyoweap会話2019年10月3日 (木) 21:52 (UTC)

  • 返信 (Kiyoweapさん宛) (議論途中にコメントを挿入されますと、議論が分断されるので新しいコメントは下にお願いします。)ヒマワリ (曖昧さ回避)あみんの楽曲の例は、誘導先記事がない特殊な例です。記事がないから、シングルCDかアルバム記事を見よという誘導です。これはKoneさんの仰る「最善のリンク先となるべき項目がない場合」に当たります。--切干大根会話2019年10月3日 (木) 22:31 (UTC)

コメント 「曖昧さ回避ページ」というものをどう捉えるかが、人によって異なるんですね。

  • Kiyoweapさんは「DAB本来の目的」とおっしゃっています。
  • 私はどちらかというと「曖昧さ回避の機能も併せ持つ」ぐらいの考えでみていますが、「曖昧さ回避以外の機能を持たせてはならない」と考える方もいらっしゃる。
  • いろいろな情報を提供する記事に、誰かが「曖昧さ回避ページ」のテンプレートを貼ると、その記事が曖昧さ回避ページになってしまう。「その記事を曖昧さ回避ページにするかどうか」は特段の手続きがあるわけではない。
  • 実態としては、狭い意味での・Wikipedia的な・純然たるWikipedia:曖昧さ回避の定義に基づく「曖昧さ回避ページ」と、広い意味での・一般的な・様々な事物を指しうる語についての記事、が同居しているように感じます。
  • 例を挙げると、ロバートは、前半を見ると純然たる記事のようです。が、後半は「ロバートという名前をもつ人物の曖昧さ回避」になっている。さすがにまさか、この記事で、「曖昧さ回避ページなのだから余計な説明は不要だ」といって前半を除去しようなどという方はいないでしょう。(経緯を追うと平凡な曖昧さ回避ページだったのを私が加筆してこうなったんですけども。)
  • 狭い意味で捉える派は、「曖昧さ回避ページ」は単なる行き先表示板に過ぎないと考えている。
  • 広い意味で捉える派は、そのページ内でもいくらかの情報を与えることが有用だと考えている。なんならそのページだけでも記事として読者にとって十分な情報を与えて完結できるとも考えている(その先の記事まで行く必要がない)。たとえば「ひまわりという楽曲」がわからなくて調べようと思った読者は、曖昧さ回避ページで「ひまわりという曲はあみんの曲だ」という説明をみて、それで十分知りたいことがわかった(だからその先を見る必要もない)という読者もいるでしょう。「あみんて何だ?」という読者にとっては、楽曲より先に「あみん」を調べに行く読者もいるでしょう。つまりこの場合には「ひまわり」は単なる行き先表示板の機能しか持たないのではなく、そのページ自体も通常の記事と同じような機能を果たしうるということです。
    • 今の議論とは脱線しますけれど、この観点では、「Wikipedia内には独立記事はないけど、同名の異物としてほかにもこんなのがあるから注意してね」というのを列記するのも有用だと私は感じています。が、「記事がないのに曖昧さ回避ページに列記するな」という方もいる。(あまりにも瑣末なものを何でもかんでも書き連ねるのは困るというのもわかります)
  • たとえば、交差点に案内人が立っている。
    • 「市役所に行くにはどっちですか?」
    • 「左です」
    • 「ところで市役所は今の時間まだ開庁してますか?住民票を取りたいんですけど」
      • 「知りません、左に行くと市役所なので、そこで調べてください」(狭い意味の曖昧さ回避ページ)
      • 「もう閉まっていますよ。住民票を取るなら、右の角のコンビニでも可能です。500円かかります。」(広い意味での曖昧さ回避ページ)
  • 私は後者のほうが便利(有ったほうが良い)だと思いますけど、狭い意味での純粋な曖昧さ回避ページを求める方にとっては、余計な機能は不要(ほかの機能は無いほうが良い)と考えている。私の立場から見ると、いろいろな情報を提供する機能を無くすメリットがよくわからない。読者がどれをクリックしたらいいのか迷うことになるから駄目なんだ、という説明もあるようですが、「迷わないでしょう?」という感じ。
  • いずれにせよ、異なる考え方が併存しているので、一方が他方をねじ伏せるような格好で合意を形成するのはむずかしいなあ、とは思います。--柒月例祭会話2019年10月4日 (金) 03:15 (UTC)
    • コメント 㭍月例祭さんの例えが、あまりにも的を外しているので苦笑しています。曖昧さ回避のためのページは、交差点に立つ案内人ではなく、交差点に建てられた方向案内板だと思っています。どちらに行くかの決定は、検索者の意思に完全に委ねられており、曖昧さ回避のためのページ自体が行先を決定するわけではありません。ただ、検索者が判断できる材料を提供できれば、方向案内板の役目は全うされます。まさか、「市役所はこちら」の案内板に「住民票は500円です」とは書かないですよね。--Kone会話2019年10月4日 (金) 03:43 (UTC)
      • 返信 市役所まで行ってみて閉まっていて引き返す人が多かったり、住民票をとりたいという問い合わせが多ければ、案内板に開庁時間を書いたり、住民票ならこちらでも取れますよと案内するのも親切だな、と私は考えるということです。--柒月例祭会話2019年10月4日 (金) 04:00 (UTC)
        • (お返事)幸い、ウィキペディアには閉庁時間はありません。24時間365日開庁していますので、検索者が引き返すなどということを心配する必要は全くありませんね。検索者が正しく市役所にたどり着ければ、住民票のみならず、戸籍や納税証明など他の証明書の取り方もそこでわかります。ここで、案内板にある例えば住民票へのリンクを選択して、市役所への行き方がわからなくなる方が問題ではないかと思います。--Kone会話2019年10月4日 (金) 06:05 (UTC)
  • コメント - 「交差点の案内人」が目的地に対してどのくらいの距離にいるかという認識が両派間で結構違いそうな印象を持ちました。実際は曖昧さ回避はリンク1回で到着するのでその案内人が目的地の門前に立っていてもおかしくないと思うんですけど、柒月例祭の語り方からはもう少し距離があるような想定に見えますね。現実に目的地を目前にしたその位置に案内人/案内板があるならもう門前で説明するより市役所に行かせた方が早いので簡便な方が良い気もします。一リンク化の厳格化はやりすぎという意見も分かりますが、一方でたった一リンクを躊躇するのも大袈裟にとらえすぎではないでしょうか。
市役所の例については私もちょっと本件と状況が合っていないように思います。ただ、この例示によって中途半端にリンク付きの説明を置くことの効果について改めて疑問がわきました。なぜなら案内板に住民票のことが書いてあって助かるのは住民票を取る人だけで、戸籍謄本を取りに来た人には意味がないからです。それなら戸籍謄本の案内も載せるのか、他にも何か載せた方がいいのか、と際限が無くなります。「問い合わせが多い」ものに厳選するとしたら、それは何を根拠にするかという話にもなります。読者傾向を逐一調査するのが技術的に可能か否か以前にいちいちそんなことを各曖昧さ回避ページでやるのは現実的でないので、結局は編集者の匙加減です。でも、そんなことせずにさっさと内容が100%詰まった案内先の記事へ送ってしまえばいいのです。案内板の段階で何が欠けると不便になるか悶々とするよりも単純明快な解決法です。一リンク移動した先にはさらにその先の案内が網羅されているのですから。
私は「狭い意味で捉える派」は「曖昧さ回避ページは記事ではない派」、「広い意味で捉える派」は「曖昧さ回避ページも記事あるいは記事のようなもの派」と考えます。既に述べた通り、WP:BTWをはじめとする一般記事における利便性を曖昧さ回避ページでも便利と捉える人は記事の流儀を曖昧さ回避ページに持ち込もうとしているわけですので、それはもうスタイルマニュアルからして記事同然に扱っているという事です。一方で「一リンク化」に相当する事を一般記事で行うのは不適切であることは「狭い意味で捉える派」も承知です。ですので、そちら側はもう完全に曖昧さ回避ページはルールからして一般記事とは全く異質の空間と考えているわけです(英語版におけるMOSLINK/MOSDABの棲み分け)。この両者の感覚がすれ違っているのが現状でしょうね。
曖昧さ回避ページで必要な本来の説明量は記事冒頭に貼られる{{Otheruses}}に書かれる内容と大差ないものと考えます。Otherusesの誘導と{{Aimai}}が貼られたページの違いは「独立した曖昧さ回避ページを設けていない」だけです。どちらもDABとしての目的は適切な記事への誘導であり、Otherusesで簡略かつリンクなしで誘導ができているなら、Aimaiのページで同じ事もできるはずです。
ロバートについては柒月例祭さんが記事を改訂した時点で{{Aimai}}を外してよかった例だと思います。リンク以上に異質なのが「曖昧さ回避ページにおける出典・脚注」です。WP:DABDICにあるように、曖昧さ回避ページで完結するような解説を行うのは不適切で、そのようなことを行った時点で曖昧さ回避ページではなく一般の記事として扱うべきでしょう。Wikipedia:検証可能性に基づく出典の明示を必要としない(どころか不適切でさえある)という点も、「曖昧さ回避ページ」というのが一般の記事とは異なる場所であることの傍証です。--ButuCC+Mtp 2019年10月4日 (金) 11:28 (UTC)
  • コメントまず最初に申し上げますが、議論の場において「具体例ではない」例え話を行うことは論点の拡散を招きがちな行為であり、原則的には避けた方が良いでしょう。(今まさに拡散していますね。)
さて、青リンク一本化の提案ですが、概ね賛成します。
これを例に挙げてお好みでタピオカをおかけくださいさんは「どれに一本化すればよいのか」と反対されているのですが、それこそがまさに一本化しなくてはならない理由でしょう。あみんの『ひまわり』を調べている読者の目からこの項目を見た時、 アーティストの記事を見ればよいのか、あるいはシングル、アルバムの記事を読めばよいのか分からないのですから。このような対象の記事が存在しない項目を曖昧さ回避に載せることはそもそも「存在しない項目を載せるかどうかは慎重に行うべきです。その項目名で呼ばれるものをすべて載せる必要はありませんし、執筆される見込みが薄い項目や、現存するものでも削除されそうな項目にリンクする必要はありません。例えば、歌の題名はたくさんありますが、個々の歌がすべて執筆されているわけではないので、まだ記事の書かれていない歌の題名を載せる必要はありません。」(Wikipedia:曖昧さ回避)と推奨されていないのですが、他の記事内において十分な筆量をもって説明されているのであれば問題ないはずです。こうした場合においては最も対象をよく説明している記事に対してのみリンクを設けると定めることは読者に利するものと考えます。
さて一方で一般的な、つまり既に対象の記事が存在している
このような項目において青リンクを制限する意味はそれほど大きくないはずです。植物のヒマワリを探している読者がヒマワリを読むかキク科を読むか迷うことは想定しにくいですよね。まとめますと……
  1. 曖昧さ回避には原則として既に記事が存在している項目のみを掲載する
  2. 記事が存在しない場合、他の記事内において十分に説明されている項目については例外的に掲載可能とする
    1. この場合、最もその項目についてよく説明している記事を一つだけ選び、リンクを設定する。
ルールとしては複雑化するのですが、副作用を最小限にして問題を解決できるものと思います。--おいしい豚肉会話2019年10月5日 (土) 02:29 (UTC)
  • 曖昧さ回避ページの第一義は「主題の適切な情報を得られるためのページへ誘導すること」であり、これに異議を唱える人はいないかと思います。そして、これが大きく阻害されるもの、例では上記のあみんの楽曲のひまわりは曖昧さ回避としては避けるべき記述です。しかしながら、おいしい豚肉さんがあげたヒマワリの曖昧さ回避は第一義が阻害されるとは思えず許容されるべきものでしょう。また、上記あみんの楽曲であれば
とすれば、誘導先が明確になりますのでこれも問題ないかと思います。誘導先と説明文を明確に分ければ説明文に青リンクを含めても大丈夫ではないでしょうか。
  • コメント 私も青リンク1本の優れている点を否定するものではありません。むしろアクセシビリティからするとWCAG 2.0 解説の達成基準 2.4.3フォーカス順序WCAG 2.0 解説の達成基準 2.4.4 リンクの目的 (コンテキスト内) にもある通り1選択肢に付き最善のリンク1つだけであることの優秀性は疑う余地がありません。またリンク先で解説される内容について曖昧さ回避ページの選択肢内にリンクを貼るのは良いことではないことも私は理解しています。しかしながら曖昧さ回避ページは読者だけでなく曖昧さ回避ページに『誤って』リンクされたページを修正する人々への便宜を図る目的としては、リンク1つに厳密に運用することは可読性を大きく損ね、誤ったリンクを直す気力を削ぐ結果になるかもしれません。結果としてその道の専門家しか誤リンクの訂正ができないとなると曖昧さ回避ページタグに書かれた文言が無意味になりかねません(現実に私は分野外の曖昧さ回避ページにリンクされたページの修正をするときに説明文を参照しました)。また場合によってはその曖昧さ回避ページとして立項されたページはもしかしたら人名の姓・名の記事に代表されるように曖昧さ回避タグを貼らないほうが良いページであるかもしれません。そうしたページでリンクを剥がす・付け直すの編集合戦をするのは生産的な活動とは私には思えません。そこで私は折衷案として上げたのが以前のコメントで挙げた、ハイフン等で説明文を「後ろに」分離した箇所には青リンク1本しばりを課さない運用です。リンク順序として「構造的」に適切な順序であれば良しとして、解説文には適宜リンクを貼るのを許容することもあっていいのではないかと私は思います。だからこその『ハイフンで区切って後ろに解説文をつけ、その中で必要最小限の補助リンクを貼る』というスタイルの許容は、編集者は複数のページを同時に開くことを厭わないことが想定されるためより多くの編集者に対し、曖昧さ回避ページへ誤ってリンクされたページの修正を促す上で私は有効だと考えます。無論、説明文中のリンクは曖昧さ回避ページの選択肢を判断する上で必要な最小限のリンクに留めるべきであることは先に述べたとおりです。--Licsak会話2019年10月5日 (土) 07:31 (UTC)
    • 賛成 Licsakさんのご提案に賛同します。「読者が行先を迷って困る」というのはそれでじゅうぶん防げるように思います。そのうえで、「ハイフン等で分離された説明文」内については、茶でもすするかさんの2019年9月2日 (月) 11:17 (UTC)のご提案が大凡適用できるものと思いますがいかがでしょう。
    • おかしな例え話でややこしくさせてしまったのはすみません。要は「Aをお探しとおっしゃいますが、あなたが本当に必要な情報はもしかしてこっちじゃないですか?」というものを提供するのは便利なことだ、と私は思うんですよ。利用者が何を知りたくてAを検索したのかは人それぞれなので。また、「最初はAを調べようと思ったけど、Bのほうが気になった」というのは悪ではないと、私は考えるわけです。(だから「広い意味で捉える派」に属するということになります。)
    • 現状、Aimaiが付与されて「曖昧さ回避」ページということになっているが、実態は「(不完全な)一覧記事」となっているものが多数あるようにも思います。一覧記事であれば、説明があり、出典があるのも当然なわけです。--柒月例祭会話2019年10月5日 (土) 08:23 (UTC)
      • 「広い意味で捉える派」の「最初はAを調べようと思ったけど、Bのほうが気になった」という想定は、「狭い意味で捉える派」だと「最初はAを調べようと思ってAに来たけど、Bのほうが気になった」になります。これ、そんなにまずいですか。「広い意味で捉える派」側がさかんにこの話をしますが、別に「狭い意味で捉える派」はそれを否定してないと思いますよ、記事探索については。ただ1リンク1ページを経ることを絶対悪とする考え方を否定しているだけで。--ButuCC+Mtp 2019年10月5日 (土) 10:10 (UTC)
    • 反対 私は、1トピックについて原則1青リンクであるべきで、余程のことがない限り例外を認めるべきでないとの考えは変わりません。まず、Licsakさんの仰る曖昧さ回避のためのリンクへの誤リンクの付け替えに対する配慮ですが、誤リンクを付け替えるにあたっては誘導先および説明文を参照すれば十分であって、それが困難ということは、説明文に問題があるということではないでしょうか。安直にリンクを増やすのではなく説明文の修正で対応すべき事象でしょう。同様に説明文には1本縛りを適用しないという提案についても、そういうリンクを必要とする時点で説明文として致命的な欠陥があると考えます。そんなリンクを必要としない程度にまで説明文をブラッシュアップすれば済む話です。また、これを無制限に許せば、説明文が過剰なリンクだらけになることは目に見えています。そのような状況は、複数リンク許容派の方も容認できることではないでしょう。そのためのガイドライン策定と仰るかもしれませんが、そんなことができるとは到底思えません。個別審議としない限り、最終的なところは編集者の恣意的な主観に委ねられることになるわけで、そんなものはガイドラインではありません。説明文へのリンク付与は、あくまでも極めて例外的な取り扱いとしておくべきです。--Kone会話2019年10月5日 (土) 09:32 (UTC)
    • 反対 返信 (Licsakさん宛) について。茶でもすするかさん案の単なる亜種にみえますが、反対 です。
理由は1)(フォーカスが散ることによる)負荷、2)のぞましくないWP:STUB/WP:REDIRECT/パイプ式青リンクの誘発、3)よって独立記事の有無表示が損なわれる、です。--Kiyoweap会話2019年10月5日 (土) 19:34 (UTC)
  • コメント 内部リンクに関する注意点はWikipedia:記事どうしをつなぐに書かれています。Koneさんが「カオス化」とか「過剰なリンクだらけになる」ということは現状で発生しているようには見えません。--切干大根会話2019年10月5日 (土) 10:40 (UTC)
    • それは曖昧さ回避が「記事」であるなら適用されるルールです。一リンク化を標榜する英語版の場合、曖昧さ回避ページは記事ではありません。それをもとに本件は提案された(日本語版に導入しようとした)のですから、必然的に曖昧さ回避ページは記事ではないということを提案しているのと同義でしょう。それならWP:BTWは関係ないです(それ以外にも、本件を適用しなくても既に一般記事とスタイルが異なる点があることは上で色々述べた通りです)。--ButuCC+Mtp 2019年10月5日 (土) 10:52 (UTC)
      • 日本語版の方針を英語版の方針に隅から隅まで揃える必要は全く無いと思っていますし、標準名前空間にページが存在する以上曖昧さ回避ページも(特殊ですが)記事の1つとして運用されているものと判断しております。--切干大根会話2019年10月5日 (土) 11:02 (UTC)
        • 「英語版でやっていることを日本語版に導入しませんか?」が本提案ですので、それに反対であるという意見なのは分かります(本件以外の事について揃えようという話は出ていません)。ですが、それに賛成である立場の方が標準名前空間の一般記事とはスタイルが異なるものと捉えていることは読み取れるかと思います(曖昧さ回避ページ以外でもリンクを減らせという意見はここでは出ていません)。そういった考え方の人に対し、一般記事と同等のものというあなたの物差で曖昧さ回避ページのリンク量について「カオス化」「過剰なリンクだらけになる」ではないと仰られても、認識の差は埋まらないと思いますよ。9月に平行線のまま終わった話を同じアプローチで蒸し返しても…--ButuCC+Mtp 2019年10月5日 (土) 11:27 (UTC)
          • 同じアプローチというか、根本的な考え方は変わっていないということです。青リンク1本以外絶対禁止というのはとても受け入れられませんし、非現実的だと思っております。そもそも、曖昧さ回避ページは簡単な説明程度の文章しか書かれないので、「過剰なリンクだらけになる」というのは杞憂かと。--切干大根会話2019年10月5日 (土) 12:19 (UTC)
            • いやいや、そんな意味ではありません。例えば河原町駅における「河原町駅 (宮城県) - 宮城県仙台市若林区にある仙台市地下鉄南北線の駅」をとってみると、現状「河原町駅 (宮城県) - 宮城県仙台市若林区にある仙台市地下鉄南北線の駅」となっていますが、目一杯リンクを付加してみると、「河原町駅 (宮城県) - 宮城県仙台市若林区にある仙台市地下鉄南北線」となります。こうした状況は一般の記事では普通であっても、曖昧さ回避のためのページでは反対派の方も許容できないでしょう、ということです。また、曖昧さ回避のためのページを一般の記事と同列に扱い、説明文へのリンクを原則許容してしまうと、こうした状況を招いてしまうことは、火を見るより明らかです。それを防止するためのガイドラインの制定についても、実効性のあるものを制定することは、不可能であると考えています。茶でもすするかさんの案にしても、最終的には編集者の主観(判断)に委ねられるわけで、とても実効性のあるものとは思えません。--Kone会話) 2019年10月5日 (土) 13:04 (UTC)--Kone会話2019年10月5日 (土) 13:21 (UTC)(補筆)
            • 「簡単な説明程度の文章しか書かれない」というのがまず一般の記事とは異なる点ですよね。その説明に出典をつけなくてもいいという点も。リンクの有無以外の点からして既に一般記事と曖昧さ回避ページとの間に「書き方の違い」が確かに存在するんです。この提案はそこに「リンクの付け方」も加えようという話です。--ButuCC+Mtp 2019年10月5日 (土) 13:23 (UTC)
  • この議論、プロジェクト:曖昧さ回避にもお知らせした方がいいかと思います。--122.19.249.178 2019年10月5日 (土) 10:43 (UTC)


  • コメント
(ハイフォン区切りなど実効されてない)

<日本語は「-」で区切っているから>などと論じられてましたが(たびびと551さん、Senatsukiさん、切干大根さん、MaximusM4さん)、私には意味不明でした。なぜなら事実無根な話だからですよ。実例の

>ひまわり - あみんの楽曲。シングル『ひまわり/待つわ'07』、アルバム『In the prime』に収録。

で見てのごとく、誘導先が「-」の左側におかれず「区切り」が成立しとらん例は、ヒマワリ (曖昧さ回避)#音楽にもあるし、他の例多々です。

(だから、ハイフォン以外の記号を使おう、という話が出る)

すなわちYhiroyukiさんが提案した「真の誘導先」に"〼"マーク添付とか、Senatsukiさんの頭のなかではすでにルール化されている「真の誘導先」の頭に"→"をつけるという運用案(たびびと551さん)が出るのです。

(発想の逆転の対抗案)

ですが追加マークで誘導先を目立たせるのではなく、不要な補助リンクを目立たないリンクにしろ、というのが私からすれば筋であり、妥協案ですかね。本当は「黒リンク」というものを提案したかったんですが、単純には黒くできないようなので。 ひまわり - の楽曲。シングル。ひまわり/待つわ'07に収録。

--Kiyoweap会話2019年10月5日 (土) 18:03 (UTC)

返信 あみんのようにすれば黒くすることはできます。ただしHelp:スキンを黒地に緑へ変更するを使用している人などに悪影響が出ます。--新幹線会話2019年10月6日 (日) 15:21 (UTC)
返信 なるほど。<span style>だと黒色にオーバーライドできるわけですね。私は<font color>で黒色指定してみたけどうまくいかなかったようなので。--Kiyoweap会話2019年10月6日 (日) 19:34 (UTC)
黒字リンクなんて意味はありません --2001:268:C05E:815:8DE7:60F2:297E:7096 2019年10月6日 (日) 21:29 (UTC)
黒地リンクを肯定するということはこういう署名のやり方をバンバンしても いいことになりますが そのあたり いかがお考えでしょうか なおこの文章は音声入力で入力しています--2001:268:C05E:815:8DE7:60F2:297E:7096 2019年10月6日 (日) 21:34 (UTC) 音声入力が ひどすぎ たため修正--2001:268:C05E:815:8DE7:60F2:297E:7096 2019年10月6日 (日) 21:38 (UTC)
返信 (モバイルさん宛) 署名の話はしていません。署名の話をしたければ、Wikipedia‐ノート:署名で別項で立ててください。--Kiyoweap会話2019年10月6日 (日) 23:09 (UTC)
黒字 リンク の 案が出たので『 それって本当にいいと思う?』 ということで 署名を例に挙げただけです--2001:268:C05E:815:8DE7:60F2:297E:7096 2019年10月7日 (月) 07:15 (UTC)

コメント 英語版ウィキペディアの曖昧さ回避ページ青リンク一本化ルールのノートとそれぞれの語の曖昧さ回避ページの例を改めて読んでみました。表音文字言語だけで構成される英語版ウィキペディア(他の表音文字言語だけで構成される言語でもそうですが)では記述違いも含め網羅していることが分かります。しかし日本語版ウィキペディアでの曖昧さ回避ページは、リンクを2つ以上貼ることが期待される一覧記事と(着地点ではなく選択肢を示すだけに徹した)曖昧さ回避ページとの分離が不充分なことから起きている議論かと思います。現状、日本語版では表記違い(同音異義語や同じ読みの別の人物)について曖昧さ回避ページは別建てプロジェクト‐ノート:曖昧さ回避#ひらがな表記の人名の曖昧さ回避について の議論参照)になっていることから、表意文字を扱えないスクリーンリーダーや点字表記への配慮は日本語版ウィキペディアの曖昧さ回避ページに限って言うと全く無いと言えます。この扱いは、私が『視覚的に別れていれば良いじゃん』とコメントしてしまう根拠です。曖昧さ回避ページが着地点ではなく、メンテナンス用も兼ねた一種の索引記事として機能する方向に持っていくのであれば、当然に青リンクは1本になるはずです。青リンク一本化ルールの例外と言えば、当該記事が立項されていない(もしくはスタブ未満)にもかかわらず別の複数の記事で紹介されているケースなどかなり限定されたものになるでしょう(en:Peter Austin (journalist)のケース。当時の解説は『 Peter Austin (journalist), editor of the en:Eastbourne Gazette and en:Eastbourne Herald 』であった。当時の議論)。現状、いわゆる『カルメン・カレー問題』が積み残しになり、もとは記事として立項され後に曖昧さ回避ページに変更された沖縄のように、曖昧さ回避ページにリンクされたページの修正が同時になされず、後の修正が追いつかなかったケース(→どちらもWikipedia:井戸端/subj/不適切な曖昧さ回避の問題参照)がある現状を差し置いて『青リンクは一本だけにしよう』と唐突に言われても動けない人は多いのではないかと私は感じています。私はその前のコメントで『青リンク一本だけの曖昧さ回避ページ』のアドバンテージを認めていますから、『曖昧さ回避ページに着地するリンクは意図的なリンクを除き訂正の対象ですよ』と同時に強いメッセージがなされないと『カルメン・カレー問題の積み残し』の再来になるのではないかと危惧しています。曖昧さ回避ページに来る大元はと言えば別の記事の不適切なリンクから飛んでくることですから、曖昧さ回避ページのメンテナンス項目の色合いを強める方向に向くならば(曖昧さ回避ページの本来の立ち位置)、私もこうつらつらとコメントを並べることは無かったはずです。--Licsak会話2019年10月6日 (日) 06:05 (UTC)

まさしくその通りだと思います。例えばヒマワリ (曖昧さ回避)#音楽を見ると、曖昧さ回避というよりは「ひまわり」という題名の楽曲の一覧となっています。このような記述は曖昧さ回避の本来の目的やWP:NOTDICDEFを考えるとふさわしくない記述ですが、全くの無益な記述ともいえず、事実上は許容されている状態です。このような現状を見ると、曖昧さ回避ページは時に「一般の記事と同等」として扱われることもあると言えるでしょう。こうした状況を考慮せず「曖昧さ回避ページの本来の目的」を持ち出し急進的な主張や編集強行をされてもなかなか賛同は得られないでしょう。また、曖昧さ回避ページの方針を厳格に運用する、すなわち一覧記事と曖昧さ回避ページの分離を推し進めるとしても、それによる労力の割に得られるメリットは小さいと思われ、デメリットも存在することから、なかなか現状を変えるべきという考えに至らないのが正直なところです。「1本以外の青リンクをはずすことを、さぞたいそうなデメリットのように何名かの方はおっしゃいますが」とのことですが、こちらとしては青リンクを1本に限定することにさぞたいそうなメリットがあるかのように主張されるのが理解できません。--新幹線会話2019年10月6日 (日) 16:14 (UTC)
コメント上記の Licsakさんは"視覚的に別れていれば良いじゃん"以外、何が言いたいのかよくわかりません。論点以外をつついてわかりにくくしているように見えます。
  • 難訓文字にルビが振っていなければ、リーダーや点字に頼る人にとっては不便でしょうが、ここで引合いにする必要はないでしょう。
  • 次に"曖昧さ回避ページが着地点ではなく.."は、いかなる意味でしょうか?私が上で"WP:DABDIC[方針]を鑑みれば曖昧さ回避ページは..青リンク..一本に絞るのは.. 自明の理"と言ったことの単なる否定文に見えます。
これに対し、いや一本に絞るのが正しいが、絞った先のページ(G新聞)に題材(そのジャーナリスト)についての情報はすべて書いておくべきだ、と解答されています。
私もこれに同意見です(上ではうっかり違う解答をしてしまいましたが)。
よって、青一本ルールとして明文化するならば、機械的に一本に絞るのではなく、1)その一本に題材の情報が集約されていることを確認する、2) 集約されてない場合は加筆するを要求・義務条件とすべきと痛感いたします。
Licsakさんも、もしかしたらそういうあたりをおっしゃいたかったのかと思うのですが、いかがでしょうか?("カルメン・カレー問題の積み残し"の比喩はいまいちピンとこないのですが)--Kiyoweap会話2019年10月7日 (月) 06:10 (UTC)
カルメン・カレー問題』は比喩ではなく現在進行形で残されている曖昧さ回避ページの課題の事です。Licsakさんの言いたい事はこの問題のようにメンテが追い付かなくなることを危惧しているのでしょう。もっとも、現状でも記事に曖昧さ回避ページへのリンクを設けるのは基本的に非推奨(WP:INTDABLINK)ですので、本件と関係なく曖昧さ回避ページへの誤ったリンクは積極的に修正していけばいいとは思いますけども。--ButuCC+Mtp 2019年10月7日 (月) 11:10 (UTC)
返信 (ButuCCさん宛) メンテが追い付かなくなるというのは、現在余計なリンクが張られている箇所を青一本にする作業をすべて消化するのにいつまでかかるかわからない、ということと解釈します。
ですが本件はウィキペディアで即時対応を要するWP:BLPWP:COPYRIGHTでないので、期日期限はありませんよね。ステップバイステップで進行させればよいと思います。
青1本が原則なことが明文化されていれば、独立記事がない項目にたいして2本、3本以上ある場合を1本に絞り切れていない(達成途上)状態と判断することができます。ですが任意でキーワードに補助リンクをつけることを正当化してしまったら、その状態が分からなくなるうえ、1本化するにできないようになってしまいます。
作業の優先順位からいえば、独立記事がない項目に対して1本に絞るのが先で進めて行けばよいと思います。
独立記事がある場合は、その他の青リンクは補助リンクなのだということは、そりゃあもちろん明白ですよ。けど、ないケースをスッキリさせたいのに、あるケースだとごちゃごちゃしてたら視覚的にわずらわしいじゃないですか。再三いうように。--Kiyoweap会話2019年10月7日 (月) 22:39 (UTC)
独立記事がない場合は情報が複数の記事に分散していることもあるので必ずしも1本に絞ることはできないと思います。--新幹線会話2019年10月8日 (火) 12:51 (UTC)
  • コメント 日本語版を読むのは大概日本語話者であって、曖昧さ回避は大方誘導先青リンクと簡単な説明がハイフンで隔てられている。したがって、迷うだとか視覚的に煩わしいだとかは理由にならないと思います。そういうフワっとした理由で大規模広範囲に影響するものを決めるものではありません。--切干大根会話2019年10月7日 (月) 23:59 (UTC)
    • (お返事)英語版でも、「-」ではありませんが、たいてい「,」で区切られていますというのは、前に述べたとおりです。英語版でも日本語版でもフォーマット的にはたいして変わらないと思うのですが。切干大根さんは、関連項目へのリンク付与について迷うとか視覚的に煩わしいと思う人の存在を、個人の所感と称して殊更に無視しようとなされますが、いかがなものでしょう。ここに意見を述べられている方の意見をつぶさに見ていただければ、そう思う方が少なからず存在することはお分かりいただけるものと思います。そういう方もいる、ということを十分に認知していただきたい。自分の所感のみに頼った「そういうふわっとした理由」はあなた方も同じですし、その観点から賛否を述べることの不毛さは、以前述べたとおりです。--Kone会話2019年10月8日 (火) 03:38 (UTC)
      • 返信 はい、そういった個人の感じ方に関するものは無視すべきものと考えております。実害が発生しているならまだしも、迷うから、煩わしいから、綺麗だから、汚いからという感想には際限がありません。逆に、青リンク一本化にすることによってメンテナンスに支障が出るという「実害」が懸念されていますね。--切干大根会話2019年10月8日 (火) 04:43 (UTC)
        • 返信 「メンテナンスへの支障」という「実害」に対する反論は、KiyoweapさんやButuCCさんが述べられていますので、それに対する反論をいただけますと幸いです。また、曖昧さ回避のためのページの第一義(曖昧さ回避された目的のページへの間違いのない誘導)に照らせば、リンクは原則1個に限定する方にアドバンテージがあるとの意見も、関連項目へのリンク容認派の方の中にもありますが、それについてはいかがでしょうか。--Kone会話2019年10月8日 (火) 06:06 (UTC)
          • 返信 ButuCCさんの反論は何を仰りたいのかよく分かりませんでした。Kiyoweapさんの反論については「視覚的にわずらわしいじゃないですか」が最終的な結論ですよね。反論するまでもないです。また、先にも申し上げたかと思いますが第一義だけでなく第二義を認めてもいいと思っています。紙の百科事典ではないので、柔軟に対応すべきでしょう。--切干大根会話2019年10月8日 (火) 09:17 (UTC)
            • (お返事)その第二義を付加する理由付けが希薄なんですよね。あったら便利かもしれない程度のものしかないように思います。残念ながら、第二義とやらは第一義の機能を阻害します。背反してるんです。第二義は第一義の機能を阻害してまで実装するものではないと思います。まず、第一義を最大限に発揮できるように運用すべきではないでしょうか。紙の事典ではないとないのでとも仰いますが、紙の事典ではないが故、阻害の影響は大きいと思います。--Kone会話2019年10月8日 (火) 09:52 (UTC)
            • コメント - 「メンテナンスへの支障」というのは要するに作業スケジュールに関する懸念であり、一リンク化に舵を切るとして修正するマンパワーが足りるか?という話ですので、メンテナンスに関するKiyoweapさんの意見の結論が「視覚的にわずらわしいじゃないですか」になるはずがありません。感性の話は無用であると切干大根さんも認められているのですから、論点は分けませんか。
ルール改定後に作業が発生するのは当たり前です。それについてLicsakさんは「唐突に言われても動けない人は多いのではないか」と懸念されているわけですが、Kiyoweapさんはそれに対し本件は即応すべき案件ではないのでまずルールを整備して随時変えていけばよい、慌てる必要はないと回答しています。最近だとWikipedia:アイコンとかWikipedia:色の使用とかがそうですね。啓蒙すべき方向性をまず指針として定めておき、記事への反映は順次行っていけばいいというスタンスなのは。私は別にそういうスケジュールでも問題ないと思いますよ。なお、マンパワーが足りるなら問題にすらならないので、賛成派の方で修正スケジュールを立てられるのは一向に構いません。
私の反論はLicsakさんの「『曖昧さ回避ページに着地するリンクは意図的なリンクを除き訂正の対象ですよ』と同時に強いメッセージがなされないと」という部分についてですね。それは既にWP:INTDABLINKで非推奨としているのだから今でも訂正の対象ですし、そもそも本件は曖昧さ回避ページに設定される【曖昧さ回避ページ】→【一般記事】という方向のリンクの話をしているのであり、それとは逆の『一般記事に設定される【一般記事】→【曖昧さ回避ページ】という方向のリンクが抱える問題』は本件とは無関係ですよねという反論です。その問題についてメッセージをもっと強化するのは『カルメン・カレー問題』解決の一助になり有意義だと思いますが、本件で検討することではないので別に提案した方が良いと思いますよ。
『カルメン・カレー問題』が解決されないのはページ名の紛らわしさからそれが「曖昧さ回避ページ」と知らない人が一般記事側で曖昧さ回避ページへのリンクを作ってしまうことにあり、誤った編集がされる場所が想定できないことから防止が難しいためです。それに対し本件は曖昧さ回避ページのスタイルマニュアルですので、対応すべき場所は限定されており、管理は可能でしょう。--ButuCC+Mtp 2019年10月8日 (火) 10:27 (UTC)
コメント もはや堂々巡りになっていませんか。
何人かの方が指摘なさった通り、現状では「リンクを一本に限定したい人」(「狭い意味で捉える派」)と「そうでない人」(「広い意味で捉える派」)にわかれ、意見は平行線です。ここで「反論せよ」などと問うても最早きりがないでしょう。それぞれ目指す理想形があり、互いにどう反論しあおうと、どちらか一方の案が通るような合意に至るとは思えません。
※これは今回の話だけではないです。曖昧さ回避とOtheruses近辺は、情報を絞り込みたい派といろいろ載せたい派のあいだで、昔からしょっちょう、論争が起きています。
私から見ると、Licsakさんの「ハイフンで区切る」案は、意見が対立している両者のあいだをとった妥協案のように思います。WP:DABDICのいう「ページを判別する目的」を実現するには、この方式でも可能だろうというものです。しかし「狭い意味派」は、絶対にリンクは1つしか認めないからこの方式は駄目だ、絶対に妥協できないということなのでしょうね?
こういう場合には、せめて「リンクを必ず一つに限定するべきだという意見と、そうでない意見があり、いまのところ合意に至っていません」ということを表に書いておく、というのはどうですか。
その注意書きをする意図は、「除去して回る」「追加して回る」ようないずれの派の行動も諌め、この付近では慎重に振る舞おうねという注意喚起を行い、編集合戦に陥ることを抑制することにあります。--柒月例祭会話2019年10月8日 (火) 07:26 (UTC)
  • (お返事)一つ誤解があるようですので。私は、「原則」一つにしようと言っているだけで、「絶対」に一つにしようと言っているわけではありません。ただし、関連項目(次善・三善)へのリンクは、あくまで例外的扱いとしておかないと、歯止めが利かなくなるとは主張していますが。これ以上の議論は、無駄だとは思いません。議論というものは、互いに「誠実に」反論し合っていくことで相互の理解が深まり、落としどころも見つかっていくものです。そちら側から提示された新しい論点に対する反論を放置したまま休戦?というのは、納得がいくものではありません。現状追認ということは、そちら側の主張を追認するのと同義であり、「狭く捉える派」の私としては全く受け入れることはできません。この提案は現状を固定することで、自派の主張を実質的に通してしまおうという策動と私はみなします。中立の方の調停案ならともかく、一方の派の論者がこういう提案をするということは、そういうことだと㭍月例祭さんは思いませんか。--Kone会話2019年10月8日 (火) 08:26 (UTC)
  • 現状青リンク一本に絞るメリットを理論的に説明できているのはLicsakさんだけだと思いますが、そのLicsakさんですら一本化には必ずしも賛成の立場ではないようです。現実問題、曖昧さ回避ページが一覧記事の代わりとして運用されている例もあり、そうした問題を放置したまま唐突に青リンク一本化を推進すると混乱を招くと思われます。--新幹線会話2019年10月8日 (火) 12:51 (UTC)
    • ロバートの例のように曖昧さ回避ページとしては詳述しすぎで{{Aimai}}に属していること自体が間違いである場合もあるので、一覧記事の体を成しているページについても再考が必要なケースもあるかもしれません。正直、ヒマワリ (曖昧さ回避)#音楽の場合は独立記事の無い項目をあんな感じに一覧化するのが便利とは思えないです。ハイフン左側にリンクが存在しない「記事の無いケース」の項目は人物や音楽記事に移動しても節レベルでの言及はまずなく、文字検索しないとすぐに見つからないような場所にタイトルと発表年月程度の情報しか得られない場合がほとんどです。読者がもし作者名等の情報を知っているなら初めからそれらで検索して各記事内から探した方が早いし、逆に曲名しか知らないならあの一覧を見せられても迷うだけです。移動先に一行程度の情報しかないならいっそのこと一覧内でそれらの情報がまとまっていた方が移動せずその場で確認できて便利ですし、Aimaiではない一覧記事にした方が良いのではないかと思います。もし、そういう楽曲一覧を本式の一覧記事として成立させるのは特筆性やWikipediaは何ではないか等の観点から不適切だというならば、それはAimaiでも同じです(Aimaiに押し込むことで正当化されるのは困ります)。曖昧さ回避は世に存在する同名対象を網羅すべき場所ではないので、本来なら左側の独立記事がない曲項目はバッサリ除去してもDABの役割としては何の問題もないです。私はこういうよくないAimaiの使い方を整理する根拠になるのなら一リンク化も悪くないと思ったりします。--ButuCC+Mtp 2019年10月8日 (火) 16:08 (UTC)

コメント 現状ですが、最初っから、<皆まで説明してなくてもちょっと考えればわかるだろうと思っていた>私も甘かったですが、追って説明を加えても、まだ切干大根さん等にはご理解ができていないようですね。

こちらの説明が咀嚼できておられるのかお訪ねしますが、"-"が「区切り」として機能しているのは、独立記事が存在していて"-"が青リンクになっている(Aケースとしましょう)に限りますよね?
左側が無リンク/赤リンクなとき(Bケース)は、「説明側」にいくつか誘導先リンクがあったりして、それだと迷いますよね?
青リンクをなるべく1つにしぼらないと、WP:DABDIC方針で明言される「読みたいページを判別することが目的」をうまく達成できませんよね?

ここが肝心なのでそこから「理解できている/いない」という反応をいただけないのなら、ここを譲りたくないからうやむやにしたままスルーして流していると結論づけるしかありませんよ。

その上で、青1本にしたBケースに対して、その前後Aケースが2,3,4本青リンクつけることが、わずらわしいか、わずらわしくないかを「Bケース」の観点から考えてくださいよ、と言っています。

極論をいえば、鉄道ページばかし興味のある方は、全国すべての駅に文句なく独立記事の作成条件(特筆性)が成立しているとお考えでしょうから、Aケースしか見えてないところがあるんではないですか?
しかし一般論だと特筆性(WP:NOTE)というルールがありますから、「ひまわり」という名の楽曲すべてに独立記事をつくって青リンクにし、"-"区切りが成立するAケースにしてしまうはNGでしょ?そういうところがご理解できてないと感じますが、いかがでしょうか。--Kiyoweap会話2019年10月8日 (火) 18:19 (UTC)

返信 自説が通らないのを議論相手の理解不足に責任転嫁するのはどうかと思います。既に申し上げた通りですが、わずらわしいかどうかという個人の感性に基づくものは論点にならないというのが私の考えです。--切干大根会話2019年10月8日 (火) 21:02 (UTC)
返信 だからやっぱり、ご自分の都合のいい半分しか見えてないんじゃないですか。墓穴を掘りましたね。
"わずらわしいかどうかという個人の感性"というなら、そちらだって<わずらわしくない>ということを感性による判断で押し付けているんです。
そういうふうに棚上げしていることに気づいてませんよね。
だから結局、上のケースAしか見えてないと私が申し上げたとおりなんじゃないですか?
そうでないならケースBについて反論してくださいよ。本当はそれができないんでしょ? --2019年10月9日 (水) 00:23 (UTC)
返信 再三に渡って反論してますよね。感性に基づく主張をするからこうやって堂々巡りになるんですよ。あなたの場合、先入観や決めつけが酷くて議論になりません。--切干大根会話2019年10月9日 (水) 00:51 (UTC)
返信 なにおっしゃているんですか。議論の上で、ここまで説明したところOKですか?と場に居合わせる人に確認を取ってから先に進もうと思うのはあたりまえで、なのにあなたときたら理解できていないような反応ばかりするから踏みとどまって、切り口を変えてみて再説明しようとするんじゃないですか。
そちらこそね、すでにKoneさんの意見を"個人の感想"とか棚上げ的に決めつけて、"それも切干大根さん個人の感想ですよね"と切り返され、その後"個人の所感と称して殊更に無視"すると再度指摘され、はからずも私が3べん目の同様の苦言をしても、どこ風吹くかの知らんぷりですよね。
いいかげん、その「感想」や「感性」論が一方通行的に通用しないことを理解して、同じ轍をなんべんもなんべんもなんべんも踏まさせないでくださいよ。--Kiyoweap会話2019年10月9日 (水) 01:49 (UTC)
  • 【お返事】それを仰るなら、「広く捉える派」の方も「迷わない」「煩雑でない」という「感覚」「感性」に頼った議論を展開されていることを(何度目かですが)指摘しておきます。こちら側のみが「感覚」「感性」に依拠した議論を展開しているわけではなかったことを、いい加減理解していただきたい。--Kone会話2019年10月9日 (水) 10:01 (UTC)
  • 【さらに】Kiyoweapさんも指摘されていますが、こちらから投げられた反論に対して真摯に向き合っておられないような気がします。都合の悪いところを突かれると無視を決め込み、懲りることなく以前と同じ論理を繰り返すという。何度も申し上げますが、ちゃんとキャッチボールをしましょうよ。現状では、それが成立しているようには思えません。--Kone会話2019年10月9日 (水) 10:42 (UTC)
返信 (Kiyoweapさん宛) 昨日も述べましたがあなたの仰る「ケースB」は必ずしもリンクを一本化できるケースばかりとは限りません。--新幹線会話2019年10月9日 (水) 10:41 (UTC)
  • 【お返事】それでも、「検索者を間違いなく最善の項目へ速やかに導く」という曖昧さ回避のためのページの第一義を効果的、効率的に実施するため、「原則」リンクを一本化しましょうということです。新幹線さんの仰る「必ずしもリンクを一本化できるケースばかりとは限らない」場合とは、よほど特殊な事情がある例外的なものと推察します。このようなレアケースのために原則リンク解禁では、本末転倒というものでしょう。もしよろしければ、実例を挙げていただけませんか。--Kone会話2019年10月9日 (水) 14:01 (UTC)
  • 返信 @新幹線:さん。ケースBは、原則リンクを1本化できる、と考えます(Koneさんと同意見)。
責任を持って1本化する人は、情報が散らばってたら、それを最善リンクに集約させつ修正をおこなう。
ただ1本に絞りづらい項目に直面することは例外的にあるでしょう。Koneさんも以前にすでに述べており、LiksatさんがふれたTwo blue links議論)の回答者も言及しています。それが何か問題ですか?--Kiyoweap会話2019年10月10日 (木) 04:06 (UTC)
記事の加筆や分割・一部転記などによる情報の集約作業をセットで行うなら、余程のことがない限りリンクを一本化できるでしょうが、そういった作業をせずに機械的に一本化できないケースは無数にあると思います。--新幹線会話2019年10月10日 (木) 11:22 (UTC)
  • と仰るのであれば、先にお願いしたように具体例をいくつかあげていただけないでしょうか。無数にあるとおっしゃるからには、簡単なことだと思いますが。--Kone会話2019年10月10日 (木) 13:59 (UTC)

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 返信 @㭍月例祭:さん;Licsakさんの「ハイフンで区切る」案ですが、これは妥協案として成立していませんし、実現可能案でもありません。だからボツ案です。

「ハイフンで区切る」案は、要はハイフン前にかならず誘導先の青リンクをいれることで実現させるわけですよね。すると青リンクは増えど減らない。
そんなの、㭍月さんが「一本に限定したい」vs. 「でない」派の主張の対立と認識されているなか、後者を利すのみの案じゃないですか。それをどうして妥協と呼べるでしょうか。筋が通らない。

実現可能案じゃないというのは上述<ケースBをすべてケースAする>で説明したとおり、独立記事は乱立できないからです。追記しますと、独立記事はつくらずとも、リダイレクトやパイプリンクを使えば実現はできますが、それはそれで弊害があるので駄目であるとだけとりあえず説明しておきます。--Kiyoweap会話2019年10月9日 (水) 03:03 (UTC)

  • 返信 (Kiyoweapさん宛) 「なんべんもなんべんもなんべんも踏まさせないでください」というご発言があなたの姿勢をよく表しています。あなたは全く同じ事を何度も表現方法を変えて言っているだけです。これは議論ではありません。--切干大根会話2019年10月9日 (水) 03:43 (UTC)
  • コメント 「読者が迷わないようにする」のが目的であるならば、Licsakさんの案は、その目的を達成するための方法論として有効だろう、と私は考えました。
  • ですがKiyoweaさんの説明をみると、目的は「リンクを減らすことそのもの」であるように読めました。--柒月例祭会話2019年10月9日 (水) 04:03 (UTC)
  • 返信 「リンクを減らすことそのもの」が目的ではありません。結果論です。
「読者迷わず誘導先リンクにみちびく」が本来目的ですから、リンク限定で確実に最適にそれを達成できます。
某案は実現不能と思うので机上の空論だと思いますが。それでも執行したと仮定します。
行頭に無リンクにせず青リンクを追加する作業をするわけですが、それはこちらからすれば最適でない変え方に甘んじるということです。
しかし瞬時にすべて変換はできません。非最適に変えてしまった行が混在することになりますね。
作業完成までは、㭍月さんのいう「目的を達成」した状態には至りません。
しかし国・自治体がずさんな計画で立てた土木公共事業よろしく、途中でポシャたり進行止まりしたらどうでしょう。
私側にすれば不本意なかたちが不自然に混在したままになってしまいますよね。
少し二転三転して、こういう説明になって失敬しますが、こちらの観点がもう少しご理解できたでしょうか。--Kiyoweap会話2019年10月9日 (水) 10:18 (UTC)

区切り4

[編集]

長くなってきたので区切りを追加しました。--2001:268:C05E:1D4E:6973:8692:F647:9B18 2019年10月9日 (水) 07:20 (UTC)

  • 少なくとも僕から見た場合 双方共に冷静さを失っている人がいるように思いました 議論ではなく討論になっているように見えたと言いますか なので 一旦休憩してはと思っただけです なお三日間や一週間という数字に関しては 過去にクールダウンのための一時的なブロックの場合それらの日数で選ばれることが多かったように思うからです 今回はブロック云々とは無関係ですが クールダウンのための数字設定としては参考になると思いまして--2001:268:C0A0:9FF6:34B0:D4A0:E06:B24 2019年10月9日 (水) 13:24 (UTC)
  • コメント 賛成側と反対側の両者ともに感性に立脚した議論しかしていないのならば、無駄に編集者を縛るような規則は追加しない方が良いですから当然現状維持を選択することになります。ただ、現時点ではLicsakさんが青リンク一本化のメリットを理論的に説明して下さっていますし、それに関連してButuCCさんも曖昧さ回避ページの在り方について再考を促しているので、状況は変化していると考えています。--新幹線会話2019年10月9日 (水) 10:41 (UTC)
  • 返信 (新幹線さん宛) つくづく甘いですね。そちらが補助リンクの正当性を抗弁できていないなら、そんなものどんどん取り外してもあなたがたから文句をいわれる筋合いはない、なにが悲しゅうて現状放置しなくてはならないのでしょう?と、あなたと真逆のことを主張できます。--Kiyoweap会話2019年10月10日 (木) 03:27 (UTC)
    • 返信 (Kiyoweapさん宛) 一般論で言えば情報を削らない方が良いのは明らかですから、そちらが青リンク一本化(=情報を減らす)ことの正当性を抗弁できないなら自動的に青リンクの追加は正当な編集行為となります。--新幹線会話2019年10月10日 (木) 11:16 (UTC)
  • 返信 (新幹線さん宛) その一般論というのは、DAB記事に普通の記事の基準をくりかえしあてはめようとする思考のなせる業です。そこもようようにしてご理解いただきお願いしたいのですが。
WP:DABDIC "独立した記事が書かれていないトピックの定義を詳しく書く必要はありません"とか書かれていますよね。"トピックの定義"を詳しく書くななんて普通の記事でありえない発想ですよね。--Kiyoweap会話2019年10月10日 (木) 17:36 (UTC)
  • コメント 3日間とか1週間とか何を根拠にした期間でしょうか。一時期議論が止まっていたことがあったので意味の無い提案です。感性を根拠に議論しないという考え方が醸成されてきたようなので議論を止める必要はないでしょう。--切干大根会話2019年10月9日 (水) 11:55 (UTC)
  • コメント {{Aimai}}タグが英語版と同じように『末尾にあること』が、曖昧さ回避ページと一覧記事との区別を分かりにくくしていませんか? 英語版ウィキペディアでは曖昧さ回避ページは決り文句の "may refer to ..."(……を参照することがあります)から曖昧さ回避ページであることは本文冒頭から分かります。しかし日本語版ではこうした決り文句は存在せず、一覧記事と違うのは末尾に{{Aimai}}タグがあるかないかだけの違いでしかありません。選択肢が連綿と連なったあとに{{Aimai}}タグに出くわして(節の編集で起きやすい)、『何だ! 曖昧さ回避ページか?』と気づいたときに加筆した内容を訂正せず放置されてしまうのではないかと私は危惧しています。また曖昧さ回避ページと一覧記事との理論的な違いを正しく説明できるだけの裏付けがないと、みんなついて来ないと私は思います。提案者のKiyoweapさんをはじめ、Koneさん、ButuCCさんの『最善のリンクにより適切なページに速やかに誘導する』ために有効なリンクを1つに限ることは、リンクアンカーのタブオーダー(箇条書きについても説明文にあるアンカーに先に飛ぶ)からも非常に有用です。しかしココでの議論を知らない大多数の編集者にルールを知り従ってもらうためには『なぜ青リンク2つ以上置くのがそんなに悪いことなの?』だけでなく、『曖昧さ回避ページと一覧記事と、どこがどう違うの?』という問いについて理論的に説明できることが必要ではないかと私は思います。さもないとリンクを付ける・付けないで無駄な編集合戦を起こす可能性も無いとは言えません。編集者全員が曖昧さ回避ページの技術的側面と理論的位置づけをちゃんと知っているならば、曖昧さ回避ページへのリンクはいくつかの例外を除き、意図しない誤リンクで修正の対象であることから、説明文によりどのページが適切かを判別できれば読者も編集者も軌道修正できますし、説明文に青リンクをつける必要性がないことも、だらだらと解説を書く必要性も無いことは当然分かることでしょう。例としてen:Tokenトークンを挙げますが、en:Tokenはほぼ完璧です( fare token はリストには無いがen:Token coinに包括されるため問題ない)。しかし日本語版のトークンは明らかに乱雑です。これを見ると私だってトークンを青リンク一本のリストに直したいです。必要なのは曖昧さ回避ページを再びリンクの山にさせない理論的裏付けです。だから私はあえて延々とコメントを連ねたのです。--Licsak会話2019年10月9日 (水) 12:08 (UTC)
  • コメント 半分冗談ですが、もし本文冒頭に{{Aimai}}タグがあったらどうでしょう?これなら皆が曖昧さ回避ページの特殊性に気づくはずです。なおアプリ・モバイルビューではページ冒頭に小さい文字ですが曖昧さ回避ページであることが示されます。--Licsak会話2019年10月9日 (水) 12:08 (UTC)
  • コメント 前にも書いたことですが、実態として多くのページで「曖昧回避機能(特殊ページ)」と「一覧機能(記事ページ)」が同居しているというところがあります。
  • 「○○_(曖昧さ回避)」という名前のページは確実に曖昧さ回避ページであると言えるでしょう。逆に言えば、「_(曖昧さ回避)」とついていないページは、「曖昧さ回避機能も備えている記事」とみるかなあ。
  • 「_(曖昧さ回避)」という名前のページでは、原則として「リンク一本化」「赤リンクは不掲載」とする、というのはあり得ると思います。そして同時に「その他の○○については[[○○の一覧]](○○の一覧)」を参照」とする(名称はもうちょっと考える余地はあるとして)。こちらの「一覧」記事では、「単独項目ができるほどではない、同名のもの」も掲載されうるし、少々の説明や複数のリンクがあるのも当然。
  • 「平等な曖昧さ回避」ではない方式を採用しているときには、otheruseを使い、「_曖昧さ回避」なり「_の一覧」を示す。
  • これは「狭い派」と「広い派」を完全分離する方式であり、双方が不満なく住み分けできるかなあと思います。欠点は、さほど行き先の記事数が多くない場合もいちいち「_曖昧さ回避」と「_一覧」ができてしまうこと。(それを欠点とみるかどうか。)--柒月例祭会話2019年10月9日 (水) 14:16 (UTC)
    • 反対 {{aimai}}またはそれに類するテンプレートが貼られたページが、曖昧さ回避のためのページであるという認識を変えよということでしょうか。そのような「棲み分け」?は、ページ名に(曖昧さ回避)が付された曖昧さ回避のためのページの数が圧倒的に少数であるという現状を鑑みるに、自派を利するための提案と解釈しました。明確に反対の意思表示をします。私としては、「曖昧さ回避のためのページは、一般の記事とは異なるルールにより設置されている、記事ではないページである」という立場は譲ることができません。その区分けは、あくまでも{{aimai}}が付されているかどうかです。もちろん、ロバートのように加筆によって最早「曖昧さ回避のためのページではなくなってしまったページ」について、{{aimai}}を外し、一般の記事とすることはやぶさかではありません。--Kone会話2019年10月9日 (水) 14:43 (UTC)
    • コメント 「○○_(曖昧さ回避)」というページでも一覧機能が同居していると思われる例があります。一覧機能を同居させるためにわざわざ{{Otheruses}}形式を廃し「○○_(曖昧さ回避)」ページを作成する例もあると思います。--新幹線会話2019年10月10日 (木) 11:16 (UTC)
  • 今まで何年も 現状のルールで 続いてきた その 意味を よく考えてください 僕には一本化に伴うリスク 弊害 は明確にあるのに対し 現状維持に伴うリスク 弊害 は 無根拠 であるように思います 違うというのであれば 新しく来られた方に対しても 含めて 要点 のみ 箇条書きで説明していただけますか?--2001:268:C0A0:9FF6:34B0:D4A0:E06:B24 2019年10月10日 (木) 05:28 (UTC)

加えて言えば 容認派の方は妥協案を何度か 提示しているのに対し 一本化派の 方は 全く譲っていませんよね そのあたりもどうなのかなと思います--2001:268:C0A0:9FF6:34B0:D4A0:E06:B24 2019年10月10日 (木) 05:31 (UTC)

さらに加えて言えば、曖昧さ回避ページから通常記事へと変化した例が、この議論内でも出ていますが、一本化してしまうと、そのための改訂の支障にもなりますが、その辺りいかがお考えでしょうか--2001:268:C0A0:9FF6:34B0:D4A0:E06:B24 2019年10月10日 (木) 05:36 (UTC) 音声入力ミスの修正--2001:268:C0A0:9FF6:34B0:D4A0:E06:B24 2019年10月10日 (木) 05:42 (UTC)

  • 【お返事】まず、弊害について。関連リンクを容認することについての問題は、曖昧さ回避のためのページの第一義である「検索者を間違いなく最善の項目に速やかに導く」ことについて支障が出るということです。これについては、弊害どころか曖昧さ回避のためのページの存在意義に係わる重大かつ根本的な問題と一本化派は考えています。容認派の方が挙げられている弊害については、あくまでも副次的なものであるとともに、解決可能なものであるとの説明を再三にわたって行ってきました。
次に妥協案について。一本化派とて譲っていますよ。当初は「絶対」一本化であったのが、現在は「原則」一本化(場合によっては例外を認める)まで譲っています。
最後に通常記事への転換について。これについては、一般記事への転換にあたって、{{aimai}}を外していただければ、問題ありません。例にあがったロバートについては、一般記事部分と曖昧さ回避部分の分割が提案されてますので、ご報告まで。--Kone会話2019年10月10日 (木) 06:18 (UTC)
  • 本件は理想論と現実論の対立と思われます。KiyoweapさんやKoneさんは理想論を振りかざしていますが、残念ながら現実は、「(関連リンクを容認することは)弊害どころか曖昧さ回避のためのページの存在意義に係わる重大かつ根本的な問題」という認識がコミュニティ全体で共有されているとは言えませんし、一本化に伴う現実的視点からの弊害を憂う意見の方が多数派です。そのためこのような観点からの一本化論には賛成できません。--新幹線会話2019年10月10日 (木) 11:16 (UTC)
  • ということは、「青リンク一本化が曖昧さ回避のためのページのあるべき理想的な姿である」という認識は、新幹線さんと共有できているということですね。「弊害として挙げられた事象について解決可能である」という認識が共有できれば、青リンク一本化に障害はないということでよろしいですね。--Kone会話2019年10月10日 (木) 14:14 (UTC)
  • 理想であることは常識論であり自明の理ですが、そこを譲っていただけるのなら、まず一歩の進歩です。
  • 一本化しなくてならないという認識がコミュニティ全体で共有されていないことは確かですしょう。そんなことは英語版でも言えます。
ですが本件は、ウィキペディア財団の定款=WP:5P方針の根幹ルール「辞書ではない」に直結する案件です。根幹ルールは、数で押し切ってたがえることはできません。
上のEULEさんも含めて<ルールは完全にみんなで作るものだ>とか<慣習になってしまえば根幹ルールに逆らってもよい>とか、そういうご認識ならば、それは誤っています。
今の理屈だと"以前に公式な方針とされていた"(=コンセンサス)が「廃止となった」なんて絶対ありえない、ですよね?
ですが、ありえるのです。なぜなのかお考え下さい。私の言ったような理由だからです。
そして本件も(WP:DABと普通記事をチャンポンにするなという)本質は共通しています。
本件はいわば山手線方式の縮図なのです--Kiyoweap会話) 2019年10月10日 (木) 19:36 (UTC). --(少し語数ダイエット)Kiyoweap会話2019年10月10日 (木) 19:45 (UTC)
  • コメント Kiyoweapさんはハイフン案をボツ案だとか筋が通らないだとか散々な言い様ですが、柒月例祭さんが仰るように「読者が迷わないようにする」方法として十分有効だという意見に同意です。8月にMaximusM4さんも「ハイフンで区切られた形式で読者が誤誘導される可能性を読むのは現実的でない」とまで仰っています。私も同意見です。--切干大根会話2019年10月10日 (木) 10:00 (UTC)
    • 返信 (切干大根宛) さん。8月止まりでその後の説明の学習力がゼロでは困ります。
「ハイフンで区切られている」は誤認識だと示しましたよね。Bケース(独立記事がない)がハイフン区切りでないケースです。
それで「ハイフンで区切る」の徹底を導入する案が出されましたが、それは実践しようとしてみても別のこもごもトラブルがあるからダメだと説明しています。(割り込み失礼。次のコメントも切干大根さん宛ですよね)。--Kiyoweap会話2019年10月10日 (木) 20:16 (UTC)
    • コメント ですから、「それもあなたの個人的感覚(主観)である」と何度言ったらお分かりいただけるのでしょうか。あなた自ら、個人の感覚に頼った議論は止めようと仰ったのですよ。--Kone会話2019年10月10日 (木) 14:21 (UTC)
      • 返信 はい、ですから「読者が迷うから青リンク一本化せよ」という個人的感覚(主観)を理由とした提案は却下と申し上げております。何度も。実際に読者から迷ったという苦情が来ているという実績はありますか?という問いも何度もしていますよね。お答えください。--切干大根会話2019年10月10日 (木) 14:38 (UTC)
        • 返信 はい、ですから「読者が迷わなければ、曖昧さ回避のためのページの存在意義を逸脱した青リンクを容認すべきだ」という個人的感覚(主観)を理由とした提案は却下と申し上げておきます。実際に読者(私)が迷ったという苦情は、私自身が何度も申し上げています。それとも、私は読者ではないとでも?というか、そういう論点は、あなた自身が否定されていますよね。それとも、あなたならばそれはOKとでも仰るのでしょうか。とんだダブルスタンダードですね。--Kone会話2019年10月10日 (木) 14:54 (UTC)
          • 返信 Koneさんらの提案理由に対する反論であって、こちら側が提案しているわけではありません。また、「存在意義を逸脱した青リンク」と主張した覚えもありません。そもそも、現状が逸脱しているものとは考えておりません。「私が迷ったから」は理由になりません。これまでの「実績」をお願いします。「ほぼ無いこと」に対して方針・ガイドラインを大きく変更することはできません。--切干大根会話2019年10月10日 (木) 15:04 (UTC)
            • 返信 Kiyoweapさんも仰ってますが、あなた方が仰る「迷わない」「煩わしくない」もあなた方個人の感覚(主観)であると申し上げています。ご自覚いただけませんか。そうした主観に依拠している点では、私どももあなた方も同じであると申し上げています。それを私どもには禁じておいて、自分たちはそれを私どもへの攻撃材料とする。それをダブルスタンダードと言わずして、何というのでしょうか。また、「私が迷った」というのは立派な実績だと思うのですがいかがでしょう。それがなぜ理由にならないのでしょうか。まさか、私どもに「主観」による議論を禁じているからではないですよね。--Kone会話2019年10月11日 (金) 01:03 (UTC)
              • 返信 はい、個人の感覚(主観)だから同じ個人の感覚(主観)で返される、だから論点にならないと申し上げております。だから、何度も何度も苦情の実績を出してくださいとお願いしているわけです。--切干大根会話2019年10月12日 (土) 06:31 (UTC)
          • コメント Koneさんを馬鹿にする意図は一切ないと前置きした上で申し上げますが、たとえば名鉄モ600形電車における
          という誘導文から、2代目モ600形記事へのリンク先が「名鉄モ600形電車 (2代)」と「美濃町線」のどちらなのか判別できなかった、または2代目モ600形記事に遷移しようとして誤って美濃町線記事へ遷移してしまった閲覧者がいたとすれば、それはもはや閲覧者の端末側の問題または端末操作能力の問題、もしくは識字能力に関わる問題であると考えます。そのような極めて特異な事態をガイドラインにおいて予防的にケアする必要があるのでしょうか。--MaximusM4会話2019年10月10日 (木) 16:38 (UTC)
          • コメント 追記 先に私は ノート:河原町駅 において本件の結論が出ないうちから自己スタイルに基く編集を強行することは控えよとKoneさんには申し上げました。然るに大阪梅田駅においても同様の行為を繰り返すとは一体どのような了見なのでしょうか。本議論において自説を強硬に主張なさる一方、あたかも既成事実作りであるかのように映る編集を並行して行い火種を拡散することは厳にお控えいただくよう求めます。--MaximusM4会話2019年10月10日 (木) 17:27 (UTC)
  • コメント 改めて、曖昧さ回避記事の本分は「閲覧者を誘導先に正確に導く」こと、つまり「迷わせない」ことにあるのは本議論の参加者の方々全員がお認めになっているはずです。裏を返せば「閲覧者が迷わない」を実現しうる手段が複数あるならば、選択肢を一つに絞り込む必要はない(青リンク一本化は手段の一つであって目的ではない)、ということです。
#区切り3の後半において例示された「誘導文冒頭に青リンクがあり、かつハイフンで区切る形で説明文が続くパターン(以下『ケースA』)」と「誘導文冒頭に青リンクがなく、説明文内に誘導リンクを置かざるを得ないパターン(以下『ケースB』)」の2ケースを想定するならば、前者後者2種類のフォーマットを用意した上で、ケースAについては概ね現状通りの運用とし、ケースBについては原則誘導リンク以外の内部リンクを許容しない、とすればよいのではないでしょうか。なお、ケースAのフォーマットにおいて誘導先以外のページへ誤誘導される可能性を論じることの非現実性については先に申し上げたとおりです。「迷わない」であれば新たな規制を設ける必要はないはずです。--MaximusM4会話2019年10月10日 (木) 16:38 (UTC)
  • 賛成 MaximusM4さんの案に賛成です。--切干大根会話2019年10月10日 (木) 22:28 (UTC)
  • 反対 ですから、「私は迷った」と申し上げています。それは理由になりませんか?また、MaximusM4さんが例示されたケースにおいて、説明文にある「美濃町線」のリンクを踏むことは、検索者の全面的な過失による考慮すべきでないケースとされていますが、青リンク一本であれば、こうしたミスも根絶できますし、示されたリンクをたどれば、間違いなく(必ず)最適な項目のいずれかには到達できます。青リンク一本で示されたリンクのうちで、目的としないリンクを踏んだとすれば、それこそが検索者の識字能力やデバイスの操作能力の問題です。さらに、異なるフォーマットを2種類用意すれば、検索者や作成者の混乱を招くのは必至です。それこそ、ダブルスタンダードになりますしね。規程はシンプルな方が良いと思います。また、関連リンクがなくても、検索者のリンク選択には何一つ問題は生じません。--Kone会話2019年10月11日 (金) 01:03 (UTC)
  • 【追記】基本的に踏んではならないリンクを用意しておいて、それを踏むなというのは行動に矛盾があるのではないでしょうか。初めからそんなものはなくしておけば、誤誘導の可能性はゼロなんですが。--Kone会話2019年10月11日 (金) 02:17 (UTC)
  • コメント異なるフォーマットを2種類用意すれば、検索者や作成者の混乱を招くのは必至」と仰いますが、現実にケースA・ケースBと2種のフォーマットが事実上存在し、かつ(少なくともKoneさん以外の利用者・閲覧者においては)何ら問題なく運用されてきたのです。まずその点についての現状認識を改めていただくよう求めます。Koneさん以外の利用者・閲覧者からも「混乱したので是正すべきではないか」との声が上がるようであればガイドライン改訂にあたって無論考慮すべきでしょう。しかし、本議論においてすら「曖昧さ回避記事の本分を鑑みれば誘導先以外の青リンクは不要である」との主張がKoneさん以外の方からもなされる一方(その点についての反論は上記提案前段にて申し上げました)、「実際に混乱した」との主張をされているのはKoneさんただ1人であり、そして「(ケースAフォーマットにおいて)混乱することそのものが非現実的で特異な事例である」との見解が私以外の方からも示されています。この状況にて、Koneさんの仰る「混乱した」を個人的な問題ではなく他者にも起こりうる普遍的な問題として取り上げることはできかねます。それでもなお自説を主張されるのであれば、まずは具体的事例をご提示ください。どの曖昧さ回避ページの、どの誘導文において、どのリンクを押下すればよいのか迷った、と。--MaximusM4会話2019年10月11日 (金) 03:00 (UTC)
  • あなたの論理は破綻しています 誰か一人でも 関連リンクがないために 目的のページにたどり着けなかった そう主張する人がいれば それは あなたが迷った と主張するのと 同じ発言の重みです 矛盾しているの ですよ あなたの主張は あなた自身の主張によって 否定されます 少なくとも この部分においてのみは--2001:268:C0A0:6D79:C6C:39C:77F2:4254 2019年10月11日 (金) 08:33 (UTC) コメント位置移動 --MaximusM4会話2019年10月11日 (金) 16:35 (UTC)
  • コメント WP:DABの目的上、Bケースの場合で2、3リンクあるのを1本に絞るのが筋であるとやっと理解できてもらったことで進歩とせねばなりますまい。
Aケースの方は、何が何でも譲らないというスタンスの人がいるようで、その方々が理解に至るめどはなかなかたちそうにないので、そちらは保留(黙認/劣後的優先度)になるのも致し方がないのではないかと。とりあえず黙認なだけで、補助リンク正式導入はNGですが。
  • MaximusM4さんの"問題なく運用されてきた"という考えは、はなはだ疑問であると思います。
たとえば、XさんがBケースを1本化しが、あとからYさんがまた「補助リンク」つけて台無しにした(結果的に差戻し)、
あるいは、同じXさんでも、まわりが1本化されていれば1本化していたのに、まわりが補助リンクがるので、つられて自分も1本でなくしてしまった、とか。
つられてしまう」とか「右にならえ」とか、そういう心理・行動学がぜったい働いてますよね。
  • で、私はさらなる仕分けとして、混在のない、Aケース・オンリーな曖昧ページならば、"補助リンク"の付け足しを憂慮するほどではない、と考えます。
これはまだ考え抜いたわけではありませんが、特筆性基準(WP:NOTE)が免除されている「XX学校」がまず浮かびます。そしてこれに準じたものとして、「XX駅」とか「XX寺」や「XX川」があります。まあ、これも曲名・小説名とかが数件程度は混在になりましょうが、それは「節」で分けられる(または分ければよい)と思うので。 --Kiyoweap会話2019年10月11日 (金) 19:03 (UTC)
  • 僕が指摘した ブーメランになっている件については どのようにお考えですか? 一本化していたせいで たどり着けなかった場合 たどり着けなかった 事実 2 さえ 気づくないのです 気づいていれば それはたどり着いているということですか ラ 自分に都合のいい部分に 竹 目を向けるのはやめてください--2001:268:C0A0:973E:7840:9DAA:E45:7F76 2019年10月11日 (金) 19:24 (UTC)
  • とりあえず あなたは 自分が迷ったというのを根拠にしているのですから その迷った例を挙げてください 現在は修正されているとしても 過去の 固定 バン をリンクしてください その提示がないことには あなたの主張は 一切 受け入れられません こうやって 強く主張するからには 現時点においても ふたつみっつくらいは 記憶に止まっている レイ があるはずです--2001:268:C0A0:973E:7840:9DAA:E45:7F76 2019年10月11日 (金) 19:32 (UTC)
  • Koneさんは、大阪梅田駅に「阪神電気鉄道」や「阪急電鉄」のリンクがあると、どこをクリックすれば良いのかわからなくなるのですね。それはわかりました。
  • ですが私は違います。私は鉄道ファンでもないし関西人でもありません。「大阪梅田駅(阪神)-阪神の駅」と書かれてもなんの手がかりにもならない。「阪神とかいう会社の駅なんでしょうね、(阪神)て書いてあるしね。で、その『阪神』とやらは何なの?」という感じです。阪神とか阪急とかいうのがどこへ行く線路なのかもさっぱりわからないし、大きな駅なのか無人駅なのかもわからないし、ここで選べと言われてもノーヒントです。困ります。たとえば「大阪を代表する大きな駅ですよ」とか「山奥の無人駅ですよ」とか「京都方面に行く文脈だとこっち、神戸方面へ行く文脈だとこっち」とか、手がかりがほしいですね。「梅田駅」とやらは有名だから聞いたことがあるけれど、それとは違うんですね?とか。
  • 要するに、Wikipediaにはいろいろな利用者がいるのですよ。曖昧さ回避やOtheruseの在り方については、よく論争が起きています。考え方が大きく異る利用者が共存しているわけで、互いに妥協したり我慢したりしながら15年ほどかけて蓄積・維持されてきた共存状態を、急に片側に寄せようとしても無理があります。こういう問題って、原理主義に走って突き詰めようとすると考え方が全く違う2派に明確に分裂しちゃったりするのですが、そうしたところで生産的な成果が得られ難く、テキトーにふわっとごまかしながらほどよい程度で妥結しておくほかない、と私は思っていますよ。文章化すると「あまり○○しすぎない」とか「必要に応じて」とかぐらいの表現でいくしかない。
  • 提案が受け入れられないなら仕方がないのですが、私が提案した「完全分割方式」は、共存をやめて、それぞれの原理主義者が互いに干渉しないで自分の好きなようにするかわりに、今後の衝突を防ごうというものです。べつにどちらが有利とか不利とかいう話ではないです。あえていうと、今までそこまで不満を持たずに妥協・利用・共存していた大多数の利用者にとって、いくらか手間が増えるというところですね。--柒月例祭会話2019年10月12日 (土) 06:00 (UTC)
  • 「どこをクリックすれば良いのかわからなくなる」というよりは、「感覚的につかみにくい」ということです。もちろん、よく見ればどこをクリックすべきかはわかりますよ。私が言いたいのは、「曖昧さ回避に関係のないリンクがあると、それが直感的につかみにくくなる」ということです。それに、「大阪梅田駅(阪神)-阪神の駅」なんていう表記はしていませんよ。ちゃんと「大阪梅田駅(阪神) - 阪神電気鉄道の駅」としておりますので、よくご確認くださいませ。また、㭍月例祭さんが挙げられた説明については、ちゃんとそれぞれの記事に書いてあることです。そういう細かい説明は、リンク先の記事に任そうということなんですが。どっちかわからなければ、両方の記事を参照すれば済むことではないですか?--Kone会話2019年10月12日 (土) 06:19 (UTC)
  • リンクの有無と説明の有無はまた別の話ではないでしょうか。もっとも中文版では会社名だけですし、Otherusesを使うケースでは極限まで説明量を絞っていることを考えるとAimaiもそれでいいんだという見方もあるようですが。--ButuCC+Mtp 2019年10月12日 (土) 08:52 (UTC)
  • 返信 (Kiyoweapさん宛) こちらは、「迷ったという実例」を示すよう何度も何度も繰り返し求めております。「何が何でも譲らないというスタンスの人がいる」だとか「理解に至るめどはなかなかたちそうにない」というのは甚だ不誠実な言い方であり、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないに抵触する可能性があります。「心理・行動学がぜったい働いてます」というのも個人的見解に過ぎません。4月から議論が始まり、もう半年が経とうとしておりますが、青リンク1本化を強硬に主張していらっしゃるのは提案者のKiyoweapさんとKoneさんしかおりません。もうそろそろ終わりにしませんか?Koneさんについては10月5日に大阪梅田駅で編集合戦を惹き起こし、記事を全保護に追い込んでいます。明らかなWP:POINT違反です。--切干大根会話2019年10月12日 (土) 05:07 (UTC)
  • 返信 (おいしい豚肉さん宛) 多数決主義ではありませんが、少数決主義でもありません。多数決主義でないからこそ、これまでの迷ったという苦情の実績を求めておるのです。それができないのであればこの議論は終わりです。--切干大根会話2019年10月12日 (土) 09:32 (UTC)
  • コメント 切干大根さんの自分に都合の悪いところを読みとばす(無視する)癖は、何とかしていただきたいものです。私が迷ったというのは、どうしてにカウントできないのでしょうか。迷ったという項目についても、ちゃんと挙げているのですが。はなから無視するのと、きちんと受け止めたうえでそうれはそうではないと説明するのは、似ているようで大きく異なりますよ。あなたには、多数派ゆえの驕りと少数派への侮りがあるように感じるのは、気のせいでしょうか。--Kone会話2019年10月12日 (土) 10:10 (UTC)
  • 返信 (Koneさん宛) 気のせいです。どうしてカウントできないのでしょうかって、それはあなたが当事者だからですよ。あなたが迷ったことを聞いているのはMaximusM4さんです。私は8月25日から何度も「苦情の実績を出してくれ」とお願いしています。--切干大根会話2019年10月12日 (土) 10:37 (UTC)
  • 語るに落ちるというか…でしたら、あなた方が仰る「迷わない」「煩雑でない」も同様ですね。だって「当事者」の主観なんですから。それを除いたら、双方ともに論が成立しなくなると思うのですが、いかがでしょう。あ、返事はいりません。話が堂々巡りになりますんで。--Kone会話2019年10月12日 (土) 11:35 (UTC)
  • コメントまあ三国岳については「過剰リンクが原因で迷う」で良いのではないでしょうか。何と言っても説明文の大部分が青色なのですから。良い例を発見されましたね。私は先にMaximusM4さんがおっしゃるところの「ケースA」であれば特に制限を設ける必要がないのではないかと言いましたが、三国岳の例は明らかにやりすぎですし、「ケースA」においてもあまりにも過剰なリンクは制限した方がよさそうですね。一方で㭍月例祭さんの「大阪梅田駅に「阪急電鉄」へのリンクは必要ではないか」というご主張にも首肯します。「曖昧さ回避の中から読者が読むべき項目を選択するために必要となりうる記事」と一般化してよろしいでしょうか?これについてはリンクを認めた方が曖昧さ回避の趣旨にそうものと思います。また、高度な専門用語についても同様であると考えます。
双方そろそろ批判のための批判、論争のための論争はやめて前向きな議論をして頂けませんかね。「曖昧さ回避」というものはそもそも読者が曖昧さ回避を読まずに済むことが理想的な状態なのですから、議論に必要以上の工数をかけるべきじゃないんですよ。--おいしい豚肉会話2019年10月12日 (土) 11:49 (UTC)
  • コメント 三国岳はちょっとやりすぎ、というのはまあわかるのですが・・・単に曖昧さ回避対象の項目数が多い、というのも一因でしょうね。「日本の山岳」の場合、同名のものが多数ある、都道府県や市町村で曖昧さ回避するのが慣例になっている、山なので2県・3県の境になってるものが多くて()内が長くなりがち、といった個別事情に加えて、元来の「三国」は「都道府県」ではなく「律令国」なので・・・といった要素も。PJ山ではかなり古い時期に「行政区画で曖昧さ回避する」と決めちゃっているので。。。「(A県・B県・C県)」ではなく「(X山脈)」式の曖昧さ回避にすれば、煩わしさもいくらか低減するのかもしれませんが、反面、「それだとどこにあるのかわかりにくい」という意見もあるようで・・・
  • 前々から思っていて何度か真面目に提案しようかとも思ってやめといたのですが、いっそこういうのはどうでしょうね。Licsakさんの案の「発展型」なんですけど。
現状
三国山 (M県・N県・O県) - X国(M県)・Y国(N県)・Z国(O県)にまたがる山。S山脈に属す。標高pメートル。「N百名山」の一座。
三国山 (G県・H県・M県) - W国(G県)・V国(H県)・X国(M県)にまたがる山。T山脈に属す。標高qメートル。「G百名山」の一座。
こうする
記事   説明
三国山 (M県・N県・O県)  -  X国(M県)・Y国(N県)・Z国(O県)にまたがる山。S山脈に属す。標高pメートル。「N百名山」の一座。
三国山 (G県・H県・M県)  -  W国(G県)・V国(H県)・X国(M県)にまたがる山。T山脈に属す。標高qメートル。「G百名山」の一座。
  • こんなふうに(わかりやすく罫線を表示させていますが、実際には不要)テンプレートか何かをつかって字下げを強制する。今は平文で並べるので、説明文が2行以上になると項目名が埋没しちゃうので。上にも書いたように「視覚的に分離する」をもっと押し進めたものです。これだと「直感的」にクリック先がわかりやすいのでは。
  • 曖昧さ回避が“読者が曖昧さ回避を読まずに済むことが理想”という側面がある一方で、一覧性を追求した記事にAimaiが設置されて(どちらが先かは問わない)複数の目的に供されている、というのもあるでしょう。--柒月例祭会話2019年10月15日 (火) 15:44 (UTC)

区切り5

[編集]
  • コメント どこにコメントをぶら下げていいものか迷ったので、一旦インデントを戻します。
    • 返信 (Kiyoweapさん宛) Kiyoweapさんご自身が本来望む方向性に必ずしも沿うものではないと承知していますが、議論の進展のため提示させていただいた折衷案をご了承いただき感謝申し上げます。もしよろしければ拙案を叩き台としてどのように明文化するかなどを論じていただければと思います。なお、一点誤解があるようで補足させていただきますが、「問題なく運用されてきた」というのは、「(ケースAおよびケースBに相当する)異なるフォーマットを2種類用意すれば、検索者や作成者の混乱を招くのは必至」とのKoneさんの主張に対して、既に事実上2種類のフォーマットが存在する以上それを追認する形となる方針文書を追加することによる混乱など起こるはずがない、という意図で申し上げたものです。ケースBに相当する曖昧さ回避ページ(における誘導文章)も現状で問題なく運用されてきた、ではありませんので誤解を解いていただければ幸いです。
    • 返信 (切干大根さん宛) 一点、質問いたします。ケースAに相当する曖昧さ回避の誘導文の取り扱いについては切干大根さんと私は見解を同じくすると考えていますが、一方でケースBに相当する曖昧さ回避の誘導文についてはどのようにお考えでしょうか。
    • 返信 (Koneさん宛) 具体例をご提示いただき感謝申し上げます。三国山および三国岳については明らかに要改善でしょう。しかしこれは誘導リンクの曖昧さ回避カッコと誘導文の区切りカッコが連続することで本来の誘導先内部リンクが視覚的に明確でないなど、「青リンクが説明文にも存在すること」以外の要因も大きく影響していますから、個別対処で済む問題であると判断します。そして大阪梅田駅については、編集当時においても本議論においてもKoneさんの主張に賛同する方は皆無である一方、Koneさんの主張を否定する見解が本議論に限っても私を含め4人の利用者より示されています。すなわち、現状ではKoneさんの主張は他者にも起こりうる普遍的な問題ではなくKoneさん個人の問題に起因するものと判断せざるを得ない、言い換えればKoneさんの主張を容れることはできかねる、ということです。Koneさん個人が不便を来たしていることまで否定はしません。しかし、一個人の不便を方針を改訂してまで解消せよと主張することは果たして正当な手段なのか否か、ウィキペディアにおける各種ルール以前に一般常識に照らしてよくお考えください。--MaximusM4会話2019年10月12日 (土) 14:09 (UTC)
  • 返信 (MaximusM4さん宛) ケースB(誘導先記事が無い場合)、リンクを1本化することは不可能と考えます。「A - XにあるYのZである。」という誘導文が想定されますが、Aに関する記述・言及があればX, Y, Zのいずれにもリンクする必要があります。例えばシングル曲はだいたいこの感じでしょう。どうしても1本に絞りたいのであれば、新幹線さんの仰るようにX, Y, ZにあるAの記述をいずれかに転記集約する作業が発生します。それはあまりに作業が煩雑になります。--切干大根会話2019年10月14日 (月) 03:48 (UTC)
    • MaximusM4さんは「ケースBについては原則誘導リンク以外の内部リンクを許容しない、とすればよいのではないでしょうか。」と提案されていて、貴方はかつてそれに賛成したのですが、ちゃんと議論の内容を追えていますか?-おいしい豚肉会話2019年10月14日 (月) 05:42 (UTC)
      • 返信 (おいしい豚肉さん宛) 賛同した上で、当方の考え(懸念)を申し上げたまでなのですが。毎度ながら、おいしい豚肉さんの行動からは論争の解決とは別の意図を感じます。--切干大根会話2019年10月14日 (月) 11:52 (UTC)
        • 「論争の解決とは別の意図を感じます」というはあなたの主観ですよ。切干大根さんは議論の場において主観に基づいた発言を行うことに対して度々批判を展開されていた記憶があったのですが、どうも当方の気のせいだったようですね。ともかく、ケースBにおいてMaximusM4さんと意見が一致していないはずのあなたが不可解なことに賛意を示したから、MaximusM4さんは困惑されて貴方に確認したわけです。それを理解されていないようですからご注進差し上げただけのことですよ。--おいしい豚肉会話2019年10月15日 (火) 13:39 (UTC)
コメント これまでの経緯をあまり追えずに、最近の議論のみを拝見した上での意見であることをお許しいただきたいのですが。例えば駅の曖昧さ回避には鉄道会社ないし路線のリンクが欲しいですね。阪神阪急くらいならまあ関東民の私でもわかりますが、必ずしも有名な鉄道会社ばかりではなく、まして必ずしも日本の住民が利用者の全てではないことも言うまでもなく、そうなるとそもそも目当ての駅を特定するには結局鉄道会社のリンクなどを開く必要があります。そして、一方で三国岳などがリンク過剰というのも理解できます。そこで考えたのですが、「曖昧さ回避のために最低限必要なリンクのみ許容する」という方針が穏当なのではないでしょうか。例えば都道府県で曖昧さ回避しているなら都道府県のリンク、鉄道会社で曖昧さ回避しているなら鉄道会社のリンクは許容するということです。いわば青リンク2本ルールといえましょうか。ただし、2004年生まれと2009年生まれで曖昧さ回避しているような場合、年へのリンクまでは要らない、という気がしますので、原則と例外とをそれなりに規定する必要は生じるかもしれません。どなたかがすでに提起されたことの繰り返しになっていましたら申し訳ありません。--Rasalghul会話2019年10月14日 (月) 11:53 (UTC)
  • コメント 英語版ウィキペディアではスクリーンリーダーや点字ディスプレイを想定した曖昧さ回避ページづくりがなされている、と私は考えます。これらの機材でリンクをたどるにはタブキーを叩きフォーカスを移動させてからリンクをたどりますので青リンク一つというナビゲーションはインターフェイス上も好ましいものです。しかしながら日本語版ウィキペディアの記事は文字表記主義を採用しており明らかに晴眼者向けインターフェイスしか備えていません(点字を読み書きする方も高齢化が進んでいると聞きます)。ゆえに晴眼者が視覚的に分離されればそれで良しとするのが順当ではないか、というのが私の意見です。原則論を振りかざして青リンクを1つに絞ることの優位性は認めつつもRasalghulさんのように曖昧さ回避ページにおいても読解の助けになるリンクが欲しいとする意見は無視できないと私は思います。私もFirefoxの拡張機能を使っていちいち調べ直すことが曖昧さ回避ページで起きていたのを思い出した次第です。--Licsak会話2019年10月14日 (月) 12:27 (UTC)
    • コメント 長々と論争を続けてまいりましたが、私は「ケースAについては複数リンクを容認する方向に転換」したいと思います。皆さんの仰るようにリンクを開いて調べをしなければリンク先を特定しなければならないケースもあり、そうした便宜も図らなければならないと感じた次第です。しかしながら、野放図なリンクは目的のページへのリンクの視認性を損ない、曖昧さ回避のためのページの機能(第一義)を低下させることは明らかであり、野放図なリンクを制限するのためのガイドラインの策定は(困難が伴うとは思いますが)不可欠と考えます。また、ケースBについては、説明文に関連項目へのリンク等、複数のリンクを設けることは、目的の項目へのリンクの視認性を損なうことから、原則として1リンクとすること。ケースAとケースBが同じページ内に混在する場合は、検索者の混乱を防ぐ意味から原則1トピック1青リンクとすることを提案します。ただし、やむを得ない場合は、個別協議により複数リンクを容認するということで。まあ、かなり前から場合によっては(例外的な扱いとはいえ)複数リンクを容認するとは言ってきたつもりなんですが、なかなか通じないものですな。また、今回は引っ込めますが、「原則」1トピック1青リンクが理想であるとのスタンスは崩すつもりはありません。野放図で過剰なリンクを容認するような発言には、従来どおりの姿勢で臨みますので、お間違いなく。--Kone会話2019年10月16日 (水) 05:26 (UTC)
  • 青リンク一本化を推進していた方の中でも、特に強く主張されていたKiyoweapさんとKoneさんのお二人に「ケースAケースB」案でなら妥協可、と歩み寄って頂いているので、一先ずこの方向で話し合いませんか。もちろん「ケースAケースB」は認められない、という意見も含めてです。
「ケースAケースB」案はButuCC+Mtpさんの「楽曲パターンはまだ1リンク化もあり得るケースと考えます。」というご意見がおそらく種となって参加者の意見が重なる中で一般化が進み、MaximusM4さんがまとめてくださったように
「誘導文冒頭に青リンクがあり、かつハイフンで区切る形で説明文が続くパターン(以下『ケースA』)」
「誘導文冒頭に青リンクがなく、説明文内に誘導リンクを置かざるを得ないパターン(以下『ケースB』)」
の二つに項目を分け、「ケースA」には現状に近い運用を、「ケースB」には厳しいリンクの制限を設ける、という形に成立しています。
この案は異曲同工、私も含め様々な方の口から提案されていますから賛成という方は多いと認識しているのですが、反対の方がいらっしゃったら意思表示して頂けないでしょうか。--おいしい豚肉会話2019年10月17日 (木) 19:00 (UTC)
  • 賛成 おいしい豚肉さんの提案に賛成いたします。議論に携わった皆さんには、引き続き具体的なガイドライン(特にケースAの場合)の作成にご協力願います。--Kone会話2019年10月26日 (土) 03:26 (UTC)
  • 賛成 おいしい豚肉さんの提案に賛成いたします。ケースAの場合においても曖昧さ回避ページに飛ばされたリンクを編集する編集者にとって判断材料になる最小限のリンクたとえば、解説文1つにつき原則1つ(並記の場合は1グループをもってひとつ)で良い、と私は思います。--Licsak会話2019年10月30日 (水) 04:03 (UTC)
  • コメント 日本語版ウィキペディアはまだまだ晴眼者向けインターフェイスしか備えていない現状は、私も良しとするものではありません。文字を拡大表示をして読む方やスクリーンリーダー等(JAWS for WindowsNonVisual Desktop AccessPC Talker)向けには適していない現状があると認識しています。漢字とかなの混ぜ方や明確な文節区切り(場合によりリンクテキストも)、その他文面のスタイルも含め、もっとブラッシュアップが必要でしょうし、もっとスクリーンリーダーを使う方が増えると「曖昧さ回避ページの青リンク1本化ルール」も現実化すると思います。--Licsak会話2019年10月30日 (水) 04:03 (UTC)