1982年の広島東洋カープ
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1982年の広島東洋カープ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ4位 | |
59勝58敗13分 勝率.504[1] | |
本拠地 | |
都市 | 広島県広島市中区 |
球場 | 広島市民球場 |
球団組織 | |
オーナー | 松田耕平 |
経営母体 | 松田家(東洋工業創業者一族) |
監督 | 古葉竹識 |
キャッチフレーズ | |
Big Jump HOT BASEBALL | |
« 1981 1983 » |
1982年の広島東洋カープ(1982ねんのひろしまとうようカープ)では、1982年における広島東洋カープの動向をまとめる。
この年の広島東洋カープは、古葉竹識監督の8年目のシーズンである。
概要
[編集]古葉監督8年目のチームは、協和発酵の津田恒美をドラフト1位で獲得して投手陣の強化を図り、打撃陣では前年オープン戦で負傷しシーズンを棒に振った山崎隆造が1年半ぶりに復帰し、同じく俊足の高橋慶彦との1・2番コンビを形成。チームは開幕から好調で、前半戦はエース北別府学やルーキーの津田の活躍などで巨人・中日と首位を争った。このまま2年ぶりの優勝かと思われたが、後半戦は山本浩二、衣笠祥雄、アート・ガードナー、ジム・ライトルなど主力打者が息切れした。8月中旬の8連敗で首位戦線から脱落すると、阪神にも抜かれて4位に転落すると最後まで浮上しなかった。投手陣では北別府が20勝をあげて初の最多勝と沢村賞を獲得、津田もルーキーながら11勝を挙げて新人王に輝くなど先発陣が活躍し、チーム防御率は3.30のリーグ3位と健闘したものの、それ以外の投手が勝ち星を伸ばせなかった。打撃陣では高橋・山崎の1・2番コンビが打線の中心となり、達川光男、長嶋清幸、長内孝といった若手が台頭するなど明るい話題はあったが山本・衣笠らベテラン組が後半戦以降、成績を落としたのがモロに響いた。チーム盗塁数は山崎の復帰で前年の54個から99個へと倍増したものの、本塁打は前年の181本から44本減って139本でリーグ2位に後退。シーズン終了後1979年・1980年の2連覇に貢献した金田留広や渡辺秀武などが引退し、水谷実雄が阪急へ、福士敬章が韓国球界へ移籍するなど世代交代が加速していく。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]開幕:4/4 | 5/1 | 6/2 | 7/2 | 8/1 | 9/1 | |||||||
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1 | 遊 | 高橋慶彦 | 遊 | 高橋慶彦 | 遊 | 高橋慶彦 | 遊 | 高橋慶彦 | 遊 | 高橋慶彦 | 遊 | 高橋慶彦 |
2 | 二 | 山崎隆造 | 二 | 山崎隆造 | 三 | 衣笠祥雄 | 三 | 衣笠祥雄 | 三 | 衣笠祥雄 | 二 | 山崎隆造 |
3 | 中 | 山本浩二 | 中 | 山本浩二 | 右 | ライトル | 右 | ライトル | 右 | ライトル | 三 | 衣笠祥雄 |
4 | 右 | ライトル | 右 | ライトル | 中 | 山本浩二 | 中 | 山本浩二 | 中 | 山本浩二 | 中 | 山本浩二 |
5 | 一 | 水谷実雄 | 三 | 衣笠祥雄 | 一 | 水谷実雄 | 一 | 水谷実雄 | 一 | 水谷実雄 | 一 | 水谷実雄 |
6 | 左 | ガードナー | 一 | 長内孝 | 左 | 長内孝 | 左 | 長嶋清幸 | 二 | 山崎隆造 | 右 | 長嶋清幸 |
7 | 三 | 衣笠祥雄 | 左 | ガードナー | 二 | 木下富雄 | 二 | 木下富雄 | 左 | ガードナー | 左 | 斉藤浩行 |
8 | 捕 | 道原裕幸 | 捕 | 達川光男 | 捕 | 達川光男 | 捕 | 達川光男 | 捕 | 達川光男 | 捕 | 道原裕幸 |
9 | 投 | 北別府学 | 投 | 福士敬章 | 投 | 津田恒美 | 投 | 北別府学 | 投 | 川口和久 | 投 | 福士敬章 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 広島 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 中日 | -- |
2位 | 大洋 | 2.5 | 中日 | 1.0 | 巨人 | 1.0 | 中日 | 1.0 | 中日 | 4.0 | 巨人 | 0.5 |
3位 | 中日 | 3.0 | 広島 | 1.0 | 中日 | 3.0 | 広島 | 2.0 | 阪神 | 8.0 | 阪神 | 4.5 |
4位 | 広島 | 大洋 | 3.0 | 大洋 | 4.0 | 大洋 | 6.5 | 広島 | 11.0 | 広島 | 8.0 | |
5位 | ヤクルト | 5.5 | ヤクルト | 7.0 | 阪神 | 4.5 | 阪神 | 7.5 | 大洋 | 13.5 | 大洋 | 14.5 |
6位 | 阪神 | 7.0 | 阪神 | 12.0 | ヤクルト | 17.5 | ヤクルト | 19.0 | ヤクルト | 23.5 | ヤクルト | 23.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 中日ドラゴンズ | 64 | 47 | 19 | .577 | 優勝 |
2位 | 読売ジャイアンツ | 66 | 50 | 14 | .569 | 0.5 |
3位 | 阪神タイガース | 65 | 57 | 8 | .533 | 4.5 |
4位 | 広島東洋カープ | 59 | 58 | 13 | .504 | 8.0 |
5位 | 横浜大洋ホエールズ | 53 | 65 | 12 | .449 | 14.5 |
6位 | ヤクルトスワローズ | 45 | 75 | 10 | .375 | 23.5 |
オールスターゲーム1982
[編集]→詳細は「1982年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ポジション | 名前 | 選出回数 |
---|---|---|
コーチ | 古葉竹識 | |
投手 | 北別府学 | 4 |
大野豊▲ | 2 | |
内野手 | 衣笠祥雄 | 8 |
外野手 | 山本浩二 | 10 |
- 太字はファン投票で選ばれた選手。▲は出場辞退選手発生による補充選手。
できごと
[編集]選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
津田恒美 | 新人王 | ||
北別府学 | 最多勝利 | 20勝 | 初受賞 |
沢村賞 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
北別府学 | 投手 | 初受賞 |
山本浩二 | 外野手 | 6年連続7度目 |
ダイヤモンドクラブ賞 | ||
選出なし |
ドラフト
[編集]→詳細は「1982年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1位 | 西田真二 | 外野手 | 法政大学 | 入団 |
2位 | 白武佳久 | 投手 | 日本体育大学 | 入団 |
3位 | 定岡徹久 | 外野手 | 専修大学 | 入団 |
4位 | 太田龍生 | 投手 | 大分・高田高 | 入団 |
5位 | 鍋屋道夫 | 投手 | 日本楽器 | 入団 |
6位 | 田中和博 | 投手 | リッカー | 入団 |
出典
[編集]- ^ “年度別成績 1982年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2016年9月5日閲覧。
- ^ 『日本プロ野球記録年鑑 ベースボール・レコード・ブック1983』ベースボール・マガジン社、1982年。ISBN 4-583-02163-1。
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | 中日ドラゴンズ | 2位 | 読売ジャイアンツ | 優勝 | 西武ライオンズ | 2位 | 日本ハムファイターズ |
3位 | 阪神タイガース | 4位 | 広島東洋カープ | 3位 | 近鉄バファローズ | 4位 | 阪急ブレーブス |
5位 | 横浜大洋ホエールズ | 6位 | ヤクルトスワローズ | 5位 | ロッテオリオンズ | 6位 | 南海ホークス |
:前期優勝・日本一 :日本シリーズ出場 :後期優勝(パ・リーグ) | |||||||