鳳陽府
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鳳陽府(ほうようふ)は、中国にかつて存在した府。明代から民国初年にかけて、現在の安徽省滁州市・蚌埠市一帯に設置された。
明代
[編集]1369年(洪武2年)、明により臨濠府に中都が立てられ、留守司が置かれた。1373年(洪武6年)、臨濠府は中立府と改称された。1374年(洪武7年)、中立府は鳳陽府と改称された[1]。朱元璋は自分の出身地であるこの地に副都を設ける構想を持ち、実際に城壁の工事を進めていたが、1375年(洪武8年)に工事が中止され、構想は事実上放棄された[2]。鳳陽府は南直隷に属し、以下の6州18県を管轄した。
- 直属:鳳陽県・臨淮県・懐遠県・定遠県・五河県・虹県
- 寿州に属する:霍丘県・蒙城県
- 泗州に属する:盱眙県・天長県
- 宿州に属する:霊璧県
- 潁州に属する:潁上県・太和県・亳県
- 六安州に属する:英山県・霍山県
- 滁州に属する:全椒県・来安県
1382年(洪武15年)、六安州は廬州府に転属した。1389年(洪武22年)、滁州は直隷州に昇格した。1496年(弘治9年)、亳県は亳州に昇格し、これから5州13県を管轄した。
清代以降
[編集]1724年(雍正2年)、清により潁州・亳州・泗州は直隷州に昇格した。1777年(乾隆42年)、虹県は廃止され、泗州直隷州に編入された。鳳陽府は安徽省に属し、鳳陽・懐遠・定遠・鳳台・霊璧の5県と寿州・宿州の2州5県を管轄した[3]。