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臨江府

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臨江府(りんこうふ)は、中国にかつて存在した末から民国初年にかけて、現在の江西省吉安市北東部と新余市宜春市南東部にまたがる地域に設置された。

概要

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992年淳化3年)、北宋により筠州清江県に臨江軍が置かれた。臨江軍は江南西路に属し、清江・新淦新喩の3県を管轄した[1]

1277年至元14年)、元により臨江軍は臨江路に昇格した。臨江路は江西等処行中書省に属し、録事司と清江県と新淦州新喩州を管轄した[2]1363年朱元璋により臨江路は臨江府と改められた。

のとき、臨江府は江西省に属し、清江・新淦・新喩・峡江の4県を管轄した[3]

のとき、臨江府は江西省に属し、清江・新淦・新喩・峡江の4県を管轄した[4]

1913年中華民国により臨江府は廃止された。

脚注

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  1. ^ 宋史』地理志四
  2. ^ 元史』地理志五
  3. ^ 明史』地理志四
  4. ^ 清史稿』地理志十三