鳳翔府
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鳳翔府(ほうしょうふ)は、中国にかつて存在した府。唐代から民国初年にかけて、現在の陝西省宝鶏市一帯に設置された。
概要
[編集]618年(武徳元年)、唐により隋の扶風郡が岐州と改められた。742年(天宝元年)、岐州は扶風郡と改称された。757年(至徳2載)、扶風郡は鳳翔府と改称された。鳳翔府は関内道に属し、天興・扶風・岐山・郿・虢・宝鶏・麟遊・普潤・盩厔の9県を管轄した[1]。
北宋のとき、鳳翔府は秦鳳路に属し、天興・扶風・岐山・盩厔・郿・宝鶏・虢・麟遊・普潤の9県と司竹監を管轄した[2]。
1130年(天会8年)、金が鳳翔府を降した[3]。鳳翔府は鳳翔路に属し、鳳翔・宝鶏・虢・郿・盩厔・扶風・岐山・麟遊・普潤の9県と武城・陽平・岐陽・馬蹟の4鎮を管轄した[4]。1231年(正大8年)、鳳翔府はモンゴル帝国に占領された[5]。
元のとき、鳳翔府は陝西等処行中書省に属し、鳳翔・扶風・岐山・宝鶏・麟遊の5県を管轄した[6]。
明のとき、鳳翔府は陝西省に属し、直属の鳳翔・岐山・宝鶏・扶風・郿・麟遊・汧陽の7県と隴州を管轄した[7]。
清のとき、鳳翔府は陝西省に属し、鳳翔・岐山・宝鶏・扶風・郿・麟遊・汧陽・隴州の1州7県を管轄した[8]。