洮州
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洮州(とうしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から明初にかけて、現在の甘粛省甘南チベット族自治州一帯に設置された。
魏晋南北朝時代
[編集]561年(保定元年)、北周により洮陽県に洮州が置かれた[1]。
隋代
[編集]隋初には、洮州は2郡5県を管轄した。582年(開皇2年)に弘州が廃止されると、その管轄区域は洮州に統合された。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、洮州の属郡は廃止された。605年(大業元年)、畳州・旭州および岷州が廃止されると、それらの管轄区域は洮州に統合された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、洮州は臨洮郡と改称され、下部に11県を管轄した[2]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
隋代の行政区画変遷 | |||||||||||
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区分 | 開皇元年 | 区分 | 大業3年 | ||||||||
州 | 洮州 | 畳州 | 弘州 | 旭州 | 岷州 | 郡 | 臨洮郡 | ||||
郡 | 洮陽郡 | 博陵郡 | 西疆郡 | 開遠郡 | 河浜郡 | 通義郡 | 広恩郡 | 同和郡 | 祐川郡 | 県 | 美相県 臨潭県 畳川県 合川県 楽川県 帰政県 洮源県 洮陽県 溢楽県 和政県 当夷県 |
県 | 美相県 洮陽県 汎潭県 |
博陵県 寧人県 |
畳川県 合川県 楽川県 |
- | - | 金城県 | 広恩県 | 溢楽県 和政県 当夷県 |
基城県 |
唐代
[編集]619年(武徳2年)、唐により臨洮郡は洮州と改められた。742年(天宝元年)、洮州は臨洮郡と改称された。758年(乾元元年)、臨洮郡は洮州の称にもどされた。洮州は隴右道に属し、臨潭県を管轄した[3]。唐末に吐蕃に攻め落とされ、臨洮城と呼ばれた。
宋代
[編集]1099年(元符2年)に北宋により臨洮城は奪回されたが、ほどなく放棄された。1108年(大観2年)、臨洮城が北宋に奪回され、洮州の称にもどされた。洮州は秦鳳路に属した[4]。
金のとき、洮州は臨洮路に属し、通祐・鉄城の2堡を管轄した[5]。
元代
[編集]元のとき、洮州は陝西等処行中書省に属し、可当県を管轄した[6]。
明代以降
[編集]1371年(洪武4年)、明により洮州軍民千戸が置かれ、河州衛に属した。1379年(洪武12年)、洮州衛軍民指揮使司に昇格し、陝西都司に属した[7]。
1748年(乾隆13年)、清により洮州衛は洮州庁と改められた。洮州庁は鞏昌府に属した[8]。