飛鳥井雅慶
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時代 | 平成時代 |
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生誕 | 1937年1月6日(87歳) |
主君 | 上皇 |
氏族 | 飛鳥井家 |
父母 | 父:雅信、母:敞子 |
兄弟 | 典子、祥子、雅道、雅慶 |
配偶者 | 悠子 |
子供 | 雅崇 |
奉職神社 | 橿原神宮 |
飛鳥井 雅慶(あすかい まさよし、1937年〈昭和12年〉1月6日[1] - )は、日本の神職。橿原神宮宮司。飛鳥井家当主[2]。
生涯
[編集]昭和12年(1937年)1月6日、飛鳥井雅信の次男として誕生[1]。
ボクスイ株式会社の営業総括室部長を経て[2]、平成8年(1996年)、宮内庁掌典職委嘱掌典に任じられる[3]。
平成11年(1999年)には掌典を拝命、さらに平成14年(2002年)には掌典次長に就任した[3]。
平成19年(2007年)10月1日、伊勢美登の後任として、橿原神宮宮司に就任した[3]。
平成21年(2009年)6月26日、奈良県神社庁長に就任した[3]。
平成22年(2010年)、橿原神宮が鎮座120周年を迎えた。同年4月1日には奉祝祭、4月2日には秋篠宮文仁親王・同妃紀子を迎えての御鎮座百二十年記念大祭、4月3日には神武天皇祭・御鎮座百二十年記念奉祝祭が斎行され、飛鳥井は宮司として祝詞を奏上した[4]。12月3日、松中久権宮司と共に、橿原神宮を正式参拝した渡邊恭位立正佼成会理事長と懇談した[* 1]。
平成23年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災を受けて、大崎八幡宮に見舞を送った[* 2]。7月31日、橿原神宮宮司を依願辞職した[3]。
系譜
[編集]注が無い限り、『平成新修旧華族家系大成』上巻, p. 32を参照した。
- 父:雅信(1893 - 1969)
- 母:敞子(1902 - ) - 八条隆正長女
- 姉:典子(1927 - ) - 金田民夫夫人
- 姉:祥子(1928 - ) - 梅本二郎夫人
- 兄:雅道(1934 - 2000)
- 妻:悠子(1947 - ) - 篠原眞應次女
- 長男:雅崇(1971 - )
脚注
[編集]書籍出典
[編集]ウェブサイト出典
[編集]- ^ “渡邊理事長が天理教本部、橿原神宮、春日大社を訪問”. 立正佼成会 (2010年12月10日). 2022年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月3日閲覧。
- ^ “東日本大震災に伴うお見舞いを頂き、ありがとうございました”. 大崎八幡宮 (2011年4月28日). 2016年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館編、吉川弘文館、1996年9月10日。
- 『橿原神宮史続編』田浦雅徳監修、橿原神宮庁、2020年4月2日。