藤枝雅之
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藤枝 雅之(ふじえ まさゆき、1855年12月16日(安政2年11月8日[1])- 1922年(大正11年)3月17日[1][2])は、明治・大正期の神職、宮内官、政治家、奈良華族。貴族院男爵議員。旧姓・飛鳥井[1]。
経歴
[編集]山城国京都で権大納言・飛鳥井雅典の二男として生まれる[1][3][4]。元治元年(1864年)興福寺清浄院を相続し[1][3][4]、慶応2年2月(1866年3 - 4月)得度して住職に就任[1][3][4]。慶応4年4月(1868年)復飾を命ぜられ[1][3][4]、春日社神勤・新神司となる[3]。明治2年3月(1869年4-5月)、堂上格に列し、同年5月29日(7月8日)元服して昇殿を許された[1][3][4]。同年11月(12月)家号を藤枝に改名[1][3]。1875年(明治8年)3月28日、華族に列し[3]、1884年(明治17年)7月8日、男爵を叙爵した[1][5]。
明治5年7月4日(1872年8月7日)春日神社禰宜に就任[2][3]。以後、兼権中講義、剣池島上陵(孝元天皇)兼檜隈坂合陵(梅山古墳)陵掌・檜隈大内陵(野口王墓)陵掌・檜隈安古岡上陵(文武天皇)陵掌・檜隈墓陵掌、楊梅陵(市庭古墳)陵掌、奈良県出仕、淑子内親王家祗候、京都宮殿勤番、殿掌、歌会始奉行などを務めた[2][3][4][6]。
1890年(明治23年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[2][7]、1897年(明治30年)7月9日まで在任[注釈 1]。1904年(明治37年)7月10日に再選され[8]、1911年(明治44年)7月9日まで[2]貴族院議員に通算2期在任した。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』83頁では当選としているが、『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂(8頁)の明治30年当選者に記載なし。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 藤枝雅之差出『藤枝家譜』1875年。 - 東京大学史料編纂所所蔵。
- 人事興信所 編『人事興信録』(6版)人事興信所、1921年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 霞会館 編『平成新修旧華族家系大成』《上巻》吉川弘文館、1996年。
- 霞会館 編『平成新修旧華族家系大成』《下巻》吉川弘文館、1996年。
- 衆議院; 参議院 編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 杉謙二 編『華族畫報』《下》吉川弘文館、2011年。 - 華族画報社大正2年刊の複製
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 藤枝家初代 1884年 - 1922年 |
次代 藤枝雅脩 |