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飛鳥井教定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
飛鳥井教定
時代 鎌倉時代前期 - 中期
生誕 承元4年(1210年
死没 文永3年4月8日1266年5月14日
別名 二条教定
官位 正三位非参議左兵衛督
主君 後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇亀山天皇
藤原頼経藤原頼嗣宗尊親王
氏族 飛鳥井家
父母 父:飛鳥井雅経、母:大江広元の娘
兄弟 教雅教定教経藤原忠継室、安達義景継室
北条実時の娘または源定忠の娘
雅有忠輔宗有基長二条為氏
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飛鳥井 教定(あすかい のりさだ)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿歌人参議飛鳥井雅経の子。二条を号す。官位正三位非参議左兵衛督飛鳥井家2代当主。

経歴

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右兵衛督を経て、建長5年(1253年従三位に叙され公卿に列す。正嘉2年(1258年)に正三位に叙され、文応元年(1260年)左兵衛督に任ぜられる。弘長3年(1263年)督を止み、散位となる。

関東祗候の延臣として鎌倉幕府と関係深かった。また、歌人でもあり『続後撰和歌集』以下に入首している。父から蹴鞠を受け継いだ。

文永3年(1266年)4月8日に腫物を患い薨去。享年57。

官歴

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※以下、『公卿補任』の記載に従う。

系譜

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脚注

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  1. ^ 公卿補任建治4年条
  2. ^ 尊卑分脈

出典

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  • 安田元久 編『鎌倉室町人名事典』37頁 新人物往来社、1990年