飛鳥井教定
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時代 | 鎌倉時代前期 - 中期 |
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生誕 | 承元4年(1210年) |
死没 | 文永3年4月8日(1266年5月14日) |
別名 | 二条教定 |
官位 | 正三位、非参議、左兵衛督 |
主君 |
後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇→亀山天皇 藤原頼経→藤原頼嗣→宗尊親王 |
氏族 | 飛鳥井家 |
父母 | 父:飛鳥井雅経、母:大江広元の娘 |
兄弟 | 教雅、教定、教経、藤原忠継室、安達義景継室 |
妻 | 北条実時の娘または源定忠の娘 |
子 | 雅有、忠輔、宗有、基長、二条為氏室 |
飛鳥井 教定(あすかい のりさだ)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿・歌人。参議・飛鳥井雅経の子。二条を号す。官位は正三位・非参議、左兵衛督。飛鳥井家2代当主。
経歴
[編集]右兵衛督を経て、建長5年(1253年)従三位に叙され公卿に列す。正嘉2年(1258年)に正三位に叙され、文応元年(1260年)左兵衛督に任ぜられる。弘長3年(1263年)督を止み、散位となる。
関東祗候の延臣として鎌倉幕府と関係深かった。また、歌人でもあり『続後撰和歌集』以下に入首している。父から蹴鞠を受け継いだ。
官歴
[編集]※以下、『公卿補任』の記載に従う。
- 建長5年(1253年)4月8日:従三位、右兵衛督如元
- 建長6年(1254年)6月1日:右兵衛督を辞す
- 建長7年(1255年):右兵衛督
- 正嘉2年(1258年)正月5日:正三位
- 文応元年(1260年)8月28日:左兵衛督
- 弘長3年(1263年)8月13日:督を止む
系譜
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- 安田元久 編『鎌倉室町人名事典』37頁 新人物往来社、1990年