静岡済生会総合病院
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静岡済生会総合病院 | |
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西側から撮影 | |
情報 | |
正式名称 | 静岡済生会総合病院 |
英語名称 | Shizuoka Saiseikai General Hospital |
前身 | 三菱重工静岡三菱病院 |
標榜診療科 | 総合診療科、外科、小児外科、形成外科、脳神経外科、整形外科、胸部・心臓血管外科、内分泌代謝科、呼吸器内科、消化器内科、循環器不整脈科、血液内科、神経内科、腎臓内科、泌尿器科、小児科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、麻酔科、皮膚科、放射線科、精神科、歯科・歯科口腔外科、緩和医療科、リハビリテーション科 |
許可病床数 |
521床 一般病床:521床 |
機能評価 | 一般500床以上:Ver6.0 |
開設者 | 社会福祉法人恩賜財団済生会支部静岡県済生会 |
管理者 | 岡本好史(病院長) |
開設年月日 | 1948年(昭和23年)6月 |
所在地 |
〒422-8527 |
位置 | 北緯34度58分33秒 東経138度24分46秒 / 北緯34.97583度 東経138.41278度 |
二次医療圏 | 静岡 |
PJ 医療機関 |
静岡済生会総合病院(しずおかさいせいかいそうごうびょういん)は、静岡県静岡市駿河区小鹿一丁目に存在し、社会福祉法人恩賜財団済生会が運営する医療機関。
歴史
[編集]- 1948年(昭和23年)6月 - 三菱重工静岡工場の診療所を静岡県が買収し、済生会に経営を委託し「静岡厚生寮済生会病院」として開設。
- 1976年(昭和51年)10月23日 - 病院の独身寮でガス爆発事故。看護師ら4人が重軽傷[1]。
- 1979年(昭和54年)6月 - 静岡県で最初の救命救急センターを併設 現西館を新築。
- 1985年(昭和60年) - 現北館を新築。
- 1998年(平成10年) - 現南館を新築。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)3月14日 - ホテルセンチュリー静岡にて静岡市静岡医師会との間で脳卒中病診連携ネットワークシステム調印式を行う。
- 2016年(平成28年)4月 - 現東館を新築。
診療科
[編集]指定
[編集]- 臨床研修指定病院
- 歯科臨床研修施設
- 救命救急センター
- 地域災害医療センター
- 地域周産期医療センター
- エイズ治療拠点病院
- 地域リハビリテーション支援センター
- 臓器移植推進協力病院
- 助産施設
- 無料低額診療事業
歴代院長
[編集]- 初代院長:岡本一男(1948年 - 1992年)
- 2代院長:岡本晃愷(あきよし)(1992年 - 2000年)
- 3代院長:田島寶(たから)(2000年 - 2004年)
- 4代院長:小澤勝男(2004年 - 2009年)
- 5代院長:石塚隆夫(2009年 - 2014年)
- 6代院長:石山純三(2014年 - 2021年)
- 7代院長:岡本好史(よしちか)(2021年 - )
交通アクセス
[編集]- 停留所名は「済生会病院前」、「済生会病院正門」、「済生会病院南」。運行事業者はしずてつジャストライン。
停留所名 | 路線名 | 系統番号 | 経由地 | 行先 | 備考 |
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済生会病院前 | 美和大谷線 | 35 | 小鹿・堀ノ内 | 静岡大学 | |
36 | 小鹿・堀ノ内・宮川 | 東大谷 | 静岡大学経由は系統番号が34となる。 | ||
38 | 小鹿・堀ノ内・宮川 | ふじのくに地球環境史ミュージアム | 静岡大学経由は系統番号が38となる。また、休館日は東大谷行となる。 | ||
124 | 下横田・静岡駅前・新静岡御幸町・籠上 | 美和団地前 | 安倍口団地を団地する便もある。 | ||
126 | 下横田・静岡駅前・新静岡御幸町・籠上・美和団地前・美和中学校入口 | 足久保団地 | 安倍口団地を団地する便もある。 | ||
127 | 奥長島 | ||||
済生会病院正面 | みなみ線 | 17 | 八幡三丁目・静岡駅南口・中田二丁目・駿河区役所静岡新聞社前・競輪場前 | 小鹿営業所 | 内回り |
18 | 小鹿局前・競輪場前 | 外回り | |||
済生会病院南 | 17 | 八幡三丁目・静岡駅南口・中田二丁目・駿河区役所静岡新聞社前・競輪場前 | 内回り | ||
18 | 小鹿局前・競輪場前 | 外回り |
脚注
[編集]- ^ 病院寮でガス爆発 看護婦ら四人重軽傷『朝日新聞』1976年(昭和51年)10月23日夕刊、3版、9面