阿賀野川橋梁 (白新線)
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阿賀野川橋梁 | |
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白新線の阿賀野川橋梁(2021年3月) | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 |
新潟県新潟市東区(左岸) 新潟県新潟市北区(右岸) |
交差物件 | 阿賀野川 |
建設 |
第1代 - 1956年 第2代 - 1979年 |
構造諸元 | |
形式 | 複線下路式平行弦ワーレントラス13連 |
全長 | 約1,200 m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
阿賀野川橋梁(あがのがわきょうりょう)は、新潟県新潟市東区と北区に跨る阿賀野川に架かる東日本旅客鉄道(JR東日本)白新線の鉄道橋である。
概要
[編集]白新線の沼垂駅(現(貨)沼垂駅) - 葛塚駅(現豊栄駅)間の延伸工事に伴って1956年(昭和31年)に完成した。大形駅 - 新崎駅間の阿賀野川に架かる全長1,200 mの橋梁である。
1979年(昭和54年)に、東新潟駅(新潟操車場) - 新崎駅間の複線化工事に伴い、阿賀野川の上流側に新しく架け替えられたのが現在のトラス橋(2代目)である[1]。
初代橋梁はアーチなしの鉄橋としては当時日本一の長さを誇っていた[2]。複線化後、横河工事により手延式引戻し工法で撤去されている。これは、センターホールジャッキで橋桁をジャッキアップし、手延機に橋桁を連結し、かつ自走台車に乗せてから引戻して撤去するというものである[3]。また、初代橋梁の橋名板は国鉄から豊栄市に寄贈されている[4]。
構造
[編集]初代の橋梁は、単線上路式プレートガーダーの形式である。長さ36.4m x 24連、25.4m x 2連からなっていた[5]。
2代目の橋梁は、複線下路式平行弦ワーレントラス13連の形式であり、トラスは1977年(昭和52年)製造の日本橋梁製である。
歴史
[編集]- 1940年(昭和15年)8月20日 - 着工[6]。
- 戦争による資材不足で建設中止、橋脚だけは完成した[7]。
- 1953年(昭和28年)12月5日 - 橋げた架設工事開始[8]。
- 1954年(昭和29年)9月25日 - 橋げた架設工事完了[5]。
- 1956年(昭和31年)4月15日 - 開通により供用開始。
- 1974年(昭和49年)
- 1976年(昭和51年)3月末 - 複線用橋梁下部工事完了[11]。
- 1979年(昭和54年)9月18日 - 複線化に伴い複線用橋梁供用開始。
周辺
[編集]左岸側
[編集]- 白新線公園 - 旧線跡を活用した公園である。
- 阿賀野川河川公園
- 新潟県道17号新潟村松三川線
右岸側
[編集]- 新崎工業団地
- 阿賀野川ふれあい公園
- 新潟県道15号新潟長浦水原線
脚注
[編集]- ^ 県道16号と交差する辺りから、県道15号と交差する辺りまで旧線跡の築堤が確認できる。
- ^ 『アーチなしで日本一 阿賀野川鉄橋近く完成』昭和29年9月27日読売新聞新潟読売B
- ^ 横河工事株式会社 工法資料室にて紹介されている「送出し工法(自走台車)」の逆手順が「手延式引戻し工法」である。
- ^ 広報とよさか昭和55年8月20日第244号
- ^ a b 『アーチなしで日本一 阿賀野川鉄橋近く完成』昭和29年9月27日読売新聞新潟読売B
- ^ 『恙蟲消毒費まで計上 阿賀野川鐵橋廿日から着工』昭和15年8月13日読売新聞新潟読売B
- ^ 昭和21年10月29日の空中写真で橋脚が確認できる、なお隣にあるのは旧泰平橋。
- ^ 『ものいう新鋭機械力 バンゲタ式の架橋 阿賀野川鉄橋工事13名で始まる』昭和28年12月8日読売新聞新潟読売B
- ^ 『白新線 複線化工事スタート まず阿賀野川橋梁から 全線の完成は53年 国鉄信工局が施工』昭和49年11月9日交通新聞1面
- ^ 『53年完成めざし 白新線 複線化工事始まる』昭和49年11月8日新潟日報朝刊15面
- ^ 『橋ケタ架設始まる 白新線・阿賀野川橋りょう建設』昭和51年4月13日交通新聞1面
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 株式会社横河ブリッジ 鋼橋の解体・撤去 — 鋼橋の撤去工事例-1に撤去作業中の写真がある。
座標: 北緯37度55分9.6秒 東経139度8分44.1秒 / 北緯37.919333度 東経139.145583度