関根則之
関根 則之 せきね のりゆき | |
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生年月日 | 1931年1月13日 |
出生地 | 日本 埼玉県比企郡吉見町 |
没年月日 | 2022年6月19日(91歳没) |
死没地 | 日本 埼玉県川越市 |
出身校 | 東京大学法学部第3類[1] |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
正四位 勲二等旭日重光章 |
選挙区 | 埼玉県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1991年 - 1998年 |
関根 則之(せきね のりゆき、1931年〈昭和6年〉1月13日 - 2022年〈令和4年〉6月19日)は、日本の自治官僚・政治家。
第17代消防庁長官、参議院議員(2期)、静岡県副知事を務めた。位階勲等は正四位勲二等[2]。
来歴・人物
[編集]埼玉県比企郡吉見町出身。1943年、埼玉県立松山中学校入学。1945年、海軍兵学校入学。1948年、旧制浦和高等学校入学。
1953年、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業[1]、自治省入省。1957年、フルブライト留学生としてシラキュース大学、マンハッタン大学に留学。
1960年、宮城県地方課長。1971年、三重県教育長。1976年、自治省財政局財政課長、大臣官房審議官。1979年、静岡県副知事。1981年、自治省税務局長。1984年、消防庁長官。
1988年、埼玉県知事選挙に立候補したが落選。1991年、名尾良孝の死去に伴う補欠選挙に際し、自民党公認となり当選した。この選挙の投票率は17.80%と国政選挙としては過去最低を記録している。当選後は三塚派に属した。
1992年、第16回参議院議員通常選挙で再選。1996年、科学技術政務次官(第47代)に就任、1997年まで務めた。その他、自由民主党副幹事長、参議院国土・環境委員長、建設委員長、地方行政委員会理事などを歴任した。
1998年、第18回参議院議員通常選挙で自民党は2議席獲得を目指し、関根と新人の栗原稔(埼玉県議会議員、議長。のちの秩父市長)を擁立したが共倒れに終わった。落選後は再出馬の意思を示していたが、健康上の問題により政界から引退した。2000年(平成12年)春の叙勲で勲二等旭日重光章受章。他に、静岡県広報協会会長(第5代)、社団法人埼玉県消防施設協会顧問、日本防災士機構常任顧問、学校法人埼玉医科大学理事、産学協議会顧問、防災情報機構常任顧問などの要職を歴任していた。
2022年(令和4年)6月19日、多臓器不全のため、埼玉県川越市内の病院で死去[3]。91歳没。死没日付で正四位に叙された[2]。
備考
[編集]- 1995年(平成7年)11月27日の参議院宗教法人等に関する特別委員会で、池田大作と池田博正らの参考人招致を要求した。
- 1997年、森訪朝団の一員として、森喜朗、小野清子、堂本暁子、野中広務、大脇雅子、伊藤茂、田英夫、中山正暉らとともに北朝鮮を訪問した。
- 首都圏連合を提唱。臓器移植法の推進者の一人としても知られた。
著書
[編集]脚注
[編集]議会 | ||
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先代 新設 |
参議院国土・環境委員長 1998年 |
次代 陣内孝雄 |
先代 鴻池祥肇 |
参議院建設委員長 1997年 |
次代 廃止 |
官職 | ||
先代 砂子田隆 |
消防庁長官 1984年 - 1987年 |
次代 矢野浩一郎 |