酒井忠学
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時代 | 江戸幕府後期 |
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生誕 | 文化5年11月17日(1809年1月2日) |
死没 | 天保15年10月10日(1844年11月19日) |
戒名 | 謙光院殿済明源亨大居士 |
墓所 | 群馬県前橋市紅雲町の龍海院 |
官位 | 従四位下、河内守、侍従、左近衛少将、雅楽頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
藩 | 播磨姫路藩主 |
氏族 | 雅楽頭酒井家 |
父母 |
父:酒井忠道、母:不詳 養父:酒井忠実 |
兄弟 | 忠親、忠学 |
妻 | 正室:喜代姫(徳川家斉の25女) |
子 |
喜曽姫(酒井忠宝正室)、銉(九条幸経正室)、玲(酒井忠強正室)、房(安部信宝正室)、鋼姫(戸田忠明正室、松平勝成継室)、文子(酒井忠顕正室、のち酒井家当主) 養子:忠宝 |
酒井 忠学(さかい ただのり)は、江戸時代後期の大名。播磨姫路藩の第5代藩主。雅楽頭系酒井家18代。
生涯
[編集]第3代藩主・酒井忠道の8男として生まれる。叔父で第4代藩主を継いだ忠実の養嗣子となりその家督を継ぐ。正室に11代将軍徳川家斉の娘・喜代姫を迎えた。37歳で死去し、家督は娘婿で養父忠実の孫(自身の従甥にあたる)の忠宝が継いだ。