九条幸経
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文政6年4月26日(1823年6月5日)[1] |
死没 | 安政6年8月4日(1859年8月31日) |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 仁孝天皇→孝明天皇 |
氏族 | 九条家 |
父母 |
父:鷹司政通、母:家女房 養父:九条尚忠、養母:唐橋姪子 |
兄弟 | 輔煕、華園摂信、九条幸経、渋谷教応、介子、興子、麗子、標子、積子、美津子 |
妻 | 酒井肫子(姫路藩主酒井忠学の次女) |
子 | 養子:道孝、日栄 |
九条 幸経(くじょう ゆきつね)は、江戸時代後期の公卿。実父は鷹司政通[1]。号は平等信院。正二位、権大納言。
略歴
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文政6年(1823年)に鷹司政通の三男として生まれ、九条尚忠の養子となる。文政6年(1835年)10月4日、叙従三位。
安政6年(1859年)、37歳で死去。尚忠の長男九条道孝が養嗣子となって跡を継いだ。
家族・親族
[編集]妻は姫路藩主酒井忠学の次女・酒井肫子(あつこ、初名は銉)[1]。
尚忠の長男である九条道孝のほか、尚忠の猶子であった日栄(伏見宮邦家親王第10王女)を養子としている[1]。
系譜
[編集]東山天皇の男系五世子孫である。東山天皇の孫(閑院宮直仁親王の子)で鷹司家を継いだ鷹司輔平の男系後裔。
詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。
官歴
[編集]- 天保5年(1834年) - 従五位下
- 天保5年(1834年) - 従四位下
- 天保5年(1834年) - 左近衛権少将
- 天保6年(1835年) - 左近衛権中将
- 天保6年(1835年) - 正四位下
- 天保6年(1835年) - 従三位
- 天保7年(1836年) - 権中納言
- 天保10年(1839年) - 正三位
- 天保10年(1839年) - 踏歌外弁
- 天保13年(1842年) - 権大納言
- 天保14年(1843年) - 従二位
- 弘化2年(1845年) - 正二位